アンストッパブル
戦いの舞台豪羅苦炎ホールに向かうために、初めてアルバトロス王国の王城から外に出た真が見た街の印象は、漫画や絵画で見たような中世ヨーロッパのような街並みであった。
街を行き交う人々の服装こそ真のいた世界の現代からすると、数百年ほど古いデザインだが、交通機関としては魔力を動力源としていると思われる自動車のような乗り物が走っていた。
真は、シャルロッテとジョセフィーヌに案内されて王族用と思われる黒塗りの大きな自動車に乗り、目的地に向かう間にこれから行われるであろう自身のデビュー戦について思いを巡らせた。恐怖心はいまだに拭いきれない。身体中に駆け巡るような怯えも意識して堪えなければ今にもガタガタと震えだしそうだ。しかし、真はこうなれば当たって砕けろ「ゴーフォーブロック」の精神だ、と真はマサ斉藤の言葉を胸に抱いて豪羅苦炎ホールへと向かった。
豪羅苦炎ホールの控え室についた真はパイプイスに座りながら、ラジオ番組『真夜中のハーリー&レイス』に出演したときの芸人ケンドー・コバヤシのように腕を組ながら、鋭い眼光で周囲をねめまわした。
ここまでくれば、さすがに自分の中にある恐怖心が消え去り清々しい気分で試合に臨めると思ったのだが、どうやらそういうわけにもいかないらしい。
だが、と真は考えた「今の俺はプロレスラーだ、最悪敗北し死ぬことがある戦いであろうとも、自分のできる全力の戦いをお客さんに見てもらい少しでも満足してもらうことこそが、俺に与えられた使命だ。こうなれば勝敗や生死など二の次だ」そう思うことで真の気持ちは少し落ち着いた。
こう思えたことこそが、もしかしたら真にとって本当のプロレスラーとなりうるべき契機の一つだったのかもしれない。
「行くぞ! デストロイ早乙女よ!」
シャルロッテが真に声をかけてきた。
真は立ちがり、自身の中に沸き上がる恐怖心を意識しながら立ち上がった。
豪羅苦炎ホールの入場口、真が幾度となく見てきたプロレスラーたちが入場
してくる後楽園ホールの入場口のことを思いだしながら、真は自分のリングネームガコールされるのを待ちながら佇んだ。
「青コーナーより、デストロイ早乙女選手の入場です!」
リングの中央に立っていたリングアナウンサーが会場全体に響き渡るような声でマイク越しに叫んだ。
同時にシャルロッテが、自ら作曲したという重低音の音楽が会場中に流れた。
会場の観客席から、どよめきの声が聞こえてくる。なにしろ真はショートタイツにリングシューズという裸に近い格好なのだ、その姿を見慣れていない者の目には奇妙な姿と映ったであろう。
真がリングに向かうと、シャルロッテがKYワカマツのように真の前を歩いた。
真はリングサイドに着き、ロープを目の前にすると「あれ? これ跨げるんじゃね?」と思うとトップロープを跨いでリングインした。
すると、シャルロッテは人差し指を一本立てて「デストロイ早乙女よ、これでいけ」と言った。
プロレスラーが一本指を立てると試合というより命のやりとりを決意したサインであるというのがプロレススーパースター列伝に書いてあるのである。
真はそのサインを見て黙って頷いた。
次にリングアナウンサーは「赤コーナーより、ベルナデッド選手の入場です」とアナウンスした。すると、軽やかな音楽が会場に鳴り響き、“悲しき天才”セッドジニアスのように赤い薔薇を横に咥えながら入場してきた。
ベルナデッドは身体に鎧を身に付けていて、手に魔道具と思われる杖を手にしていた。だが、古くはタイガー・ジェット・シンのサーベルや、レザーフェイスのチェーンソー、ワイフビーターの巨大草刈り機など、武器を手に入場してくるプロレスラーは枚挙に暇がない。だから、一々武器を持っている相手にビビっていてはプロレスラーはつとまらないのである。
「青コーナー“地獄の暴君”デストロイ早乙女!」
リングアナが真の名前をコールすると、真は両手を天に突きだした。
「赤コーナー“魔風の貴公子”ベルナデッド!」
今度はベルナデッドがコールされると、ベルナデッドは口に咥えていた赤い薔薇を客席に放り投げた。
リング上で二人が対峙し、試合開始のゴングが鳴り響いた。
ベルナデッドは、杖を真に向けると風を硬質化する魔法を使った。
その魔法が真の皮膚を切り裂いたが、耐えられないのほどの物ではなかった。この程度なら大日本プロレスのデスマッチの方がよっぽど危険だ、と真は思った。
真はベルナデッドの風魔法を耐えながらベルナデッドに近づくと、ベルナデッドは驚いた表情をしながらさらに風魔法を繰り出してくる。たが、真はベルナデッドに手が届く所までくると、ベルナデッドの首の後ろに手を回すと両手を組むと、膝蹴りを繰り出した。
これは、チャランボというムエタイの技である、“ゆでたまご”作の漫画『蹴擊手マモル』に書いてあるので、そうなのである。
真のチャランボはベルナデッドの鎧を突き破りそのまま腹部に直撃した。
ベルナデッドは「ホゲエ!」と声を挙げて悶絶しながら倒れこんだ。
それを見た真は、「これはイケる!」と思い、ベルナデッドの髪の毛を掴みながら無理やり立ち上がらせた。
ベルナデッドはまだ苦しそうだ。
真はそんなベルナデッドの背後に回り、ベルナデッドの腰の回りで両手を組ながらそのまま後ろに仰け反った。ジャーマンスープレックスである。
レフェリーはその状態でスリーカウントを数えた。ベルナデッドは気絶していた。
真が勝利したのを見るとシャルロッテは嬉しそうな表情を浮かべながらマイクを握ってリングに入って来た。
「この一勝はただの一勝ではない。この一勝は今まで貴様ら魔族に蹂躙され続けてきた反撃の狼煙じゃ!」シャルロッテは来場していた観客席に向かって言い放った。
リングサイド席でその姿を見ていたジョセフィーヌは、ここぞとばかりにシャルロッテの姿をカメラで映しまくっている。
快勝に喜びに興奮している真はシャルロッテからマイクを受けとると「オイオイこれで終わりかよ! 冗談じゃねーよ! 人間の皆さん、魔族の皆さん目を覚ましてください!」と新日本プロレスの1999年1月4日東京ドーム大会での小川直也のように叫んだ。
会場を埋めていた大勢の魔族たちから真たちに向かって大きなブーイングの声が聞こえてくる。
だが、真とシャルロッテはその声をまったく意に介さないようにリング上で振るまった。
すると、会場に設置されていた大型スクリーンに魔王コワルスキージュニアの姿が現れた。
会場にいた魔族たちから歓声が起こる。
「クックック。たった一度勝っただけで、その喜びようか。魔族にはまだベルナデッドを越える大勢の精鋭たちがいる。その相手と戦ったとき、その態度が持つのかな?」
画面越しのコワルスキージュニアが言った。
「その通りじゃ、妾たちの戦いはまだ始まったばかりじゃ! 妾たちは“いつ何時誰の挑戦でも受ける”ぞ!」
シャルロッテはコワルスキージュニアに向かって打ち切り漫画の最終回のようなセリフで反論した。
「もう、俺は走り出しちまった! もう俺は止まらない、誰も俺を止められない! アンストッパブルだ! 行くぞ! せーの、アンストッパブル!」真はそう叫びながらコワルスキージュニアに向かって腕を伸ばして人差し指を突きだした。シャルロッテもその真似をして腕を伸ばして人差し指を突きだす。
リングサイド席のジョセフィーヌは相変わらず喜々として、シャルロッテの姿をカメラに納めようとしてシャッターを切りまくっている。
「グヌヌ、良かろう、その生意気な態度が打ち砕かれるその時を楽しみにして今回は潔く敗北を認めて引き下がってやろう。それではさらばだ。うどの大木と貧乳姫よ」コワルスキージュニアがそう言い終わると、画面が暗転した。
「また、妾のことを言いおって。だが今回ばかりは良しとしてやろう、何しろ妾たちは念願の勝利をもぎ取ったのじゃからな」
と言ってからシャルロッテは真を見た。
「ああ、これからが本当の戦いだ。だが、俺は誰にも負けるつもりはない」
「うむ」シャルロッテは、その言葉を聞いて頷いた。
会場には相変わらずブーイングの声が鳴り響いていたが、少数ながら来場していた人間の観客たちは真たちに拍手をしていた。