27節 ガブリエルの動機
《視点が戻ります》
ガブリエル、少年、そして僕はあの廃倉庫へと向かって歩いていた。
たったの数時間しか経っていない。
なのに、あの建物に物凄く長い間訪れていないように感じてしまう。
でも、記憶にこびりついたあの“古臭い”印象のせいで、どうしても愛おしくは思えなかった。
《ロミル橋よりは、何倍もマシだけど…》
…と。
案の定、詮のない考え事では、先程の出来事を忘れる事はできないようだ。
って、僕が忘れようとしてどうする。
戦犯でしかないこの僕が、
自から狼の巣穴に駆け込むようなやつが、
自覚を持たずにどうするっていうのだろうか。
はあ…
ところでって、またもや自覚なさげ言い草になってしまうが、僕たちはとっくにあの惨状を離れている。
いくら警察と言えども、流石に追いかけてこれないような距離だ。
しかし、念には念をという志で、なるべく住宅地は避けて帰っている。
だから、帰りがやや長くなっているわけだが…
「痛い…」
一歩歩く度に、肉の中で鉛の弾が暴れるような感覚が消えそうにない。
苦痛は少しも収まることなく、寧ろ歩数を重ねるほど強化される。
もちろん、銃弾を二発も食らったからやむを得ないことだとは分かっている。
というか、よく急所ですらない肩と腕への被弾で済んだものだと感じ入っている。
だが、僕がいくら感心したところで、何かが肌を貫通したという恐慌はなくならないのだろう。
それに。
傷だけで留まるのならば良かったのに、同伴も同伴で負荷だと思う。
話さないだけならまだ良い。
実際、僕だってあまり話したい気分ではない。
しかし、だ。
少年は名前も出身も何一つ教えてくれない。
ガブリエルもその手首を見て「指型ノタムのようだね」、という台詞を放って以降ずっと口を閉ざしている。
本当の本当に、言い逃れできないほどに僕は悪い。
僕だけの罪であって、ガブリエルにはそれを責める権利がある。
でも彼はそれを咎めず、それどころか「英雄的な行為」と称賛してくれた。
けど。
それじゃあ、あんまりだ。
銃の傷なんてまるっきり忘れてしまうほど、僕は今罪悪感に囚われている。
少年を連れて来たからなんかじゃない。
それについては、本当に傲慢だと思うが少しも間違っていたとは思わない。
ただし。
けれども。
ガブリエルに対して、迷惑しかかけれていない。
僕が勝手をして、そんで彼を巻き込んで…
――だから。
自分から“沈黙”という隔たりを破り裂いた。
「……ガブリエルさん。今更かも知れませんけど、あなたの名字は…?」
ああ、と。
僕は途中で口を止める。
《違う、それじゃない》
僕が切り出したかった話題は、こんなものじゃなかった。
もっと立場を弁えていて、確実に当たり障りのないものだったはずだ。
…いや。
瞬発的に生まれた以上、これこそが本当に聞きたかったことなのだろうか。
「じ、自己紹介の時、ガブリエルさんだけ名前で終わっていたから…」
不思議におろおろしながら僕は付け加えた。
名字みたいに、波風立てるような質問はするべきじゃなかった。
しかし、僕はどうしても訊きたかったのだ。
…なぜ、聞こえていたのに。
ブレング川で話していた時、些か小声気味だったものの、彼なら聞き逃すはずなかった声量だったのに。
どうして知らないふりをしたのか、と。
「――ないよ」
三文字の否定。
僕は面食らった。
「えっ…」
「言葉の通りさ。付け足す表現なんてないし、いりもしない」
何かを隠しているような雰囲気はしていない。
逆に、清々しいほどに透明な口調だった。
僕は冷たい何かが背筋を走っているのを感じた。
「良いかい、アレハンドロ。俺は君や他の皆みたいに悲劇を経験をしてここに来たわけじゃない。
誰かへの愛が原因ってわけでもないし、別に憎悪も関係ない。だから、君たちの考えを理解するのは難しいんだ…」
呆気に取られながら、月光に照らされる彼の横顔を見詰めた。
傍を歩く少年も、さぞ話を聞いていたことだろう。
「実は、俺はどこで生まれたかは分からないんだ」
あの食堂で彼がしていたように、たじろぐように僕は視線を泳がせる。
「えっ、それは…っていうより、ガブリエルさん、急に…」
「なあ、アレハンドロ。『過去を語らねば仲間は生まれす』って台詞しってるか?」
「あ…はい、知ってます」
「 そうか、それは良かった。で、君は仲間になるんだから、過去について話そうと思う」
無理矢理すぎる理由だった。
「僕は別に…」
「ほら、君は俺らに色々教えてくれたんだ。俺たちが聞いただけだったら、割に合わないだろ?」
「…」
一理ある。
が、そのタイミングが今なのかと訊かれたら、なんとも言えない。
「だから話戻すけど…」
異議申すことなく、言われるがままに僕は話を聞いた。
「そう、俺は生まれ故郷を知らない。すなわち両親も、だ。
物心ついたときには小さな孤児院にいて、幼少期も少年期もそこで過ごした」
誠に意味が分からず、しかし僕は黙る以外選択肢はなかった。
「保育士さん含め、誰も俺のことを知らなかった。そして知ることなく、別に知ろうともしなかったためか、いつの間にか俺は一人孤立していた。名前も友達のない自分は、“名無しの某”って呼ばれるようになっていた。
手首にノタムすらもなかったからね」
思いを馳せらせるようにしながら、彼は突然歯を食いしばった。
彼の見せてくれた手首には、確かに何もなかった。
僕は数秒間――いや、何分もそれを凝視した。
「そんなある日、俺は孤児院を抜け出した。もっと栄えた場所を目掛けてさ。だけど、孤児院は腕部地区にあって、知っての通り何もない場所だった」
空っぽの笑みを浮かべながら、彼は続ける。
「一日でも多く生き残れるように、行き当たりで小さな村を見つけて、追い出されては別の村に行って……無鉄砲な生活を続けて数ヶ月。他の地区と境目の町で、一人の人物と出会った。ロメロだ」
「…」
ロメロ。
いわゆる、この長旅の主要人物。
しかも、彼の話でないっていうのに、明白な存在感を残している。
伊達に“伝説”と呼ばれているわけではないようだ。
《それこそ、言われなくても分かっているけど…》
「彼のおかげでジュリオたちと出会い、成人してからは彼らを手伝うことにして――今に至るって感じだ」
ずっと後方を進んだところのブレング川から、ちょっとばかし冷たい風が吹いた。
しかし、それは僕以外の二人には感じ取れなかったのだろう。
「…分かりました。分かりましたけど、何が言いたいんですか?」
「ハハ…」
「…それ、何のための作り笑いです?」
少し、気の強い口調で彼に言って聞かせた。
揶揄するように張っている、その空っぽな笑みが気になってしかたがない。
「最初はね…アレハンドロ」
僕の名前を呼びつつ、彼の視線は少年を向いていた。
「初めの頃は、俺の動機は“自分が居場所と感じられる国”を作ることだった。でも、他の皆や普通の人たちと出会って、会話を交わして、生活を体験して…それぞれの動機を知るうちに、自分のと比べてしまったんだ」
自虐。
自嘲。
僕は鋭い視線を貫いた。
「そして気づいたのさ。君たちの動機の方がずっと立派だったって。俺の動機がどれだけくだらなかったか、今さら分かったよ…
子ども一人救えなかったくせに、国を変えようなんて。バカみたいだろ?」
その言葉が、僕の心を大きく揺さ振った。
「くだらないって…」
「だって、そうだろアレハンドロ?警察に怯えるくらいの信念で、何ができるのさ?国は愚か、大事な人なんで守れは――」
「――だから、くだらいって言うな!」
咄嗟に。
僕は身を乗り出し、今にも引き千切れそうなほどに痛む右腕で、彼の羽織布の襟を掴んだ。
僅かに力を込めれば、その十倍以上もの力量に圧し潰される。
…だというのに、僕は彼をつま先立ちにするほど力を振り絞った。
ガブリエルは、抵抗しなかった。
「何が悪いんですか?居場所を求めることの何が悪いっていうんですか?あなたの動機は悲劇から来たものじゃないかもしれない。でも、それが何だっていうんですか?動機の価値を決めるのは自分自身です。他人と比べる必要なんてない。ガブリエルさんは僕たちより劣ってなんかいない」
呼吸が荒くなった。
眼の前の光景が、僅かに歪んだ。
「僕だって弱い!今まで何人も見殺しにしてきたし、あの子の父親も救えなかった。僕だって大したことない…」
「何を言ってんだ?君は考える必要なしに、真っ直ぐあの子を助けに行っただろうが……それに比べてどうだ?俺はそれができなかったんだ」
血の気が引いてしまうほど。
傷口が再び開いてしまうほど。
僕は頑なに胸ぐらを掴んだままだった。
《ガブリエル…》
僕のちっぽけな悩み事と比べれば、彼の煩悶相当強いものだった。
比較を取れないほど、彼の頭の中は大変なことになっていたと思う。
それは決して突発したものではない。
仲間の死や、積み重なる他人との対比。
彼自身にしか分からないような、窮屈な思いが起こしたのだろう。
しかし、僕はそれは許せない。
彼だけが自分を痛みつけるなんて。
誰でも持って良いはずの夢や希望を、自ら否定するなんて。
…未熟さを存分に披露してきたこの僕に、とても言う資格はないが。
義父さんになら、確実に言えた。
『勝手に一人でずっこけるような――弱い男には何も変えられない』
「あなたが最初、あの子を助けなかったのは、どうしてか知ってますか?」
「…は?」
襟を離したと思いきや、大分、知った被りな口調で話す僕。
彼はさぞ、困惑しただろう。
「どうしてって、さっき言ったはずだ。勇気が、覚悟がなかっんだ」
「嘘、ですね。そんなものじゃない。あなたがそんな人間じゃないことくらい、この数時間で分かりましたよ」
「じゃあ、何さ?君は何だって言うんだ?」
彼の問いかけに、僕は不覚にもに笑ってしまった。
そんな決まっているようなことを、僕は心に記された文章を読み上げるように、言葉にした。
「あなたが、仲間を助けたんですよ」
「は、はあ…?」
「あなたは子供を見捨てたんじゃないんです。あなたは、ガブリエルさんは自分を見捨てたんですよ。自分を殺したんです」
少年は、相変わらず黙り込んでいた。
「だって、あなたにだって少年を救うことはできました。何より、救おうと思ったはずです。…証拠は別として、その確信は僕にはあります。しかし、あなたは分かっていました。“もし勝手をしてしまえば、仲間に迷惑がかかってしまう”、と」
「…」
彼は呆然と、そこに突っ立っていた。
「あなたは自分の感情を犠牲にしてまで仲間を守ろうとした。そして仲間を守ることで、将来苦難に遭う人たちをも救おうとした」
僕は静かに、でも釘を刺すように言った。
「――それもまた、英雄的な行為のはずです」
この会話を聞いていたであろう、例の少年は、一言も発さなかった。
会話を理解していたかは、別件で、そもそも。
彼の目が宿るどす黒い感情は、まだ消えていなかった。
けれど。
同じく一言も発さなかったガブリエルは、ばつが悪そうに、歩き続けた。
それを見て、僕はベレー帽を被り直そうとしたが。
いやはや。
相棒を戦場に残していくとは、自分は情けないやつだ。
※※※
しばらくすると、僕たちは倉庫に到着した。
ナタリアとカミロもすでに戻っていたようで、でも正直、顔を合わせられなかった。
特にナタリアは傷を見て大いに驚き、カンカンに怒りながらも、カミロとロベルトと共に手当てをしてくれた。
少年の傷も、一緒に治療された。
その後というのも、ガブリエルと僕は洗いざらい、すべてをジュリオに報告させられた。
とりわけ怒らなかったが、決して褒めることもなかった。
「もう遅いから、二人とも寝ろ。少年のことは俺たちで見る」
というわけで。
ガブリエルに連れ立って、階段の後ろ(例の部屋のました)の空間に移動し、そこで七つ敷かれた布団で横になった。
ちなみに、一つだけ樽を挟んみ孤立していたため、唯一の女性であるナタリアのものだと察した。
そして、何も話ず、二人は眠りに落ちた。
でも、なぜかもう友達になれた気がした。
---
と、朝は天井の隙間から朝日が差し込み、夢を見る前に目が覚めた。
体中がとてつもなく痛ましく、必然、よく眠れなかった。
横を見ると、ガブリエルもほぼ同タイミングで起きたらしい。
「おはよう」
「おはよう」
ナタリアとカミロ、ロベルトはまだ眠っていた。
まどろんでいる暇もなく、ガブリエルと僕は階段を上って、例の部屋へ向かった。
「おはよう。なんだその顔は?」
少年は床で眠っていて、ジュリオが箱に座って彼を見詰めていた。
彼は一睡もしていないようだった。
「まさか、騒ぎを起こして死にかけたことを後悔してるんじゃないだろうな?」
皮肉っぽく言う彼。
僕たちは、別にやったことが間違いだったとは思っていなかった。
でも、グループに迷惑をかけたことは当然否定できない。
「後悔しろとは言わない。ただ、これからはもっと考えて、慎重に行動してくれ」
ジュリオは嘆息混じりに、二人に注意した。
「…その子はどうするつもりだ?」
ガブリエルが沈黙の後、神妙に尋ねた。
「それがな…」
ジュリオは困ったように頭を掻いた。
「まだ決めていないんだ」
昨日、二人を除いた四人で少年について話し合ったらしいが、結論は出なかったとのこと。
誰も彼を引き取るとは言わなかったが、だからって放っておくこともできない。
要は、それが彼の死を意味するからだ。
三人で朝食を摂っていると、他の人が次々と目を覚ました。
皆が揃うと、倉庫の近隣にあった雑草林の一角に集まり、墓石のようなものを立てた。
昨日、ロベルトが食堂の帰りに買ったという綺麗な花束を地面に置いて、
ウンベルトとジュニオール、そして少年の父の死を弔った。




