第6話 舞い込んだ銀貨
レンドルは柄に手をかけ、ガダンの重心を見ていた。
二人の間には、まだ少し距離がある。
「やめろ、ガダン!」
「じゃまするんじゃねぇ! ダイン!」
ダインが慌てて剣を抑えようとしたが、ガダンはそれを乱暴に振り払った。
仲間なんだろうが、ガダンの目はレンドルを殺す勢いを見せている。血を見ないと、この男はもう治まらない。
「俺はサンルードの加護を得られなかったんだよ! くそ高い祈祷料を払ったんだよ!」
咆哮に近い声だった。加護を得られなかった怒りが、粗暴に走った元凶のようだった。
レンドルはその感情を、どこか冷めた心地で受け止めていた。自分がそうだったら、冷静でいられるのだろうか。大金を賭けてやるほどのことかと思わずにはいられなかった。
「広場でも言ったぞ。やめておけ。衛兵の巡回がある。剣を納めるんだ」
「うるせえ赤髪!」
レンドルの忠告を遮るように、ガダンが怒鳴り返した。
よく見るとガダンの髪は白髪が混じっている。四十くらいに見える。若くはない。ずっと貯めてきたんだろう。加護は叶わなかった。怒鳴りたくもなる。ましてや、目の前にいるのは自分よりも小僧だ。制止する声が耳に入るわけがない。
「俺はサンガード皇国の騎士爵ブレイズ家だ。本当にいいのか?」
レンドルが静かに家名を告げると、場に緊張が走った。爵位持ちの家系である事実は、平民の冒険者にとって決定的な重みを持つ。
「しゃ、爵位持ち、ガダンやめろ!」
「……くそっ」
ガダンは一瞬、右手の剣を下げた。だが、その眼に宿った濁った炎は消えていなかった。剣を鞘に納める動作の途中で、不意に地面を蹴り、一気に距離を詰めてきた。
振り下ろされた剣筋は悪くない。狙いもはっきりしていて最短で肩口を狙っている。だが、レンドルの目には止まって見えた。
――父さんのほうが早い。
その瞬間――レンドルは腰のロングソードを引き抜いた。
ガダンの剣を正面から受けず、刃の腹で撫でるようにして地面へとその威力を受け流した。キィィィィン、という耳障りな高音が響き、ガダンの体勢が大きく崩れる。
レンドルは止まらない。ガダンの右側に踏み込み、流れるような動作で右足を蹴り上げた。無防備なガダンの腹部をつま先で正確に捉えた。
さらに、よろめいた相手の右手を、剣の腹で打ち付ける。
「グァッ!」
大きなうめき声と共に、ガダンの指から力が抜けた。ガダンの剣は石畳に落ちて乾いた金属音を立てたが、寄せては返す波の音にすぐかき消された。男はその場に膝をつき、右手を抑えて激痛に顔を歪めている。
レンドルは、抜いたばかりの剣をすぐさま鞘へ戻した。自分の心臓が、驚くほど冷静に拍動しているのを感じる。
落ちていたガダンの剣を拾い上げると、顔を青くしているダインに差し出した。かすかに震える手を差し出す。目も体も明らかに怯えているのが見えた。
「あ……赤髪……おまえ何者だ、早すぎる」
「振り下ろした剣、止めるつもりはなかったようだった。俺が斬っても文句はないな」
ダインの顔が焦りへと変わる。その意味は、正しく伝わったようだった。肩も小さく震えている。
「ま、まってくれ……俺は関わってないんだ」
「俺は軍属だ。報告するから一緒に来い。そこで、同じことを言ってみるがいいさ」
レンドルは、膝をついてうずくまる男を見た。ガダンは加護の運試しをしたばかりだ。金などないはずだ。壊れたポーション代など、とても払えないだろう。
ダインは慌てて剣をひったくるように受け取ると、必死の形相で金貨袋に手をかけた。
ダインが震える手で差し出してきたのは、ずっしりと重みのある金貨袋だった。自分も咎められることを分かった上で、金で片づけようと必死さが伝わってくる。
「おいおい、そいつは俺の荷だぜ。勝手にされたら困る」
背後から、よく通る声が響いた。人だかりを割って現れたのは、仕立ての良さそうな上着に、立派な羽根付きの帽子を被った男だ。商人の服装にふさわしい。
「俺はギスカール、商人だ。そこの荷は俺が仕入れたポーションなんだよ。木箱の刻印を見てみろ、俺の商会のものだ。ほら、これが船荷証券だ」
ギスカールと名乗った男が差し出した羊皮紙を、フォルロが覗き込んで小さく頷いた。
「ああ……間違いない。確かにあんたの荷だ、ギスカールさん」
「なら、この金貨袋を受け取るのはギスカールさんだな。フォルロたちが責任を取る話じゃない」
レンドルはダインに差し出された金貨袋を受け取り、そのまま商人へ手渡した。
ギスカールは袋の中身を改め、その重さを確かめるように一度放り投げると、未だに地面で蹲っているガダンのそばへ歩み寄った。
「ガダンといったな。あんたの仲間の金貨袋だけじゃ、このポーションの損失を埋めるには到底足りないぜ。……どうする? 商人ギルド長へ挨拶に行くところだ。俺は少しばかり顔が利く」
その言葉に、周囲の空気が凍りついた。商人が自分の荷を壊されて黙っているはずがない。ガダンが剣を抜いたときに、近くに居たのだろうか。それとも、ことが終わったタイミングで現れたのだろうか。
「商人ギルドを敵に回したら、二度とまともな仕事は斡旋してもらえないな」
フォルロが唾を吐き捨てるように付け加える。
悪評はすぐにでも商人ギルドに伝わるという忠告だった。そして冒険者ギルドにも伝わるに違いない。そうなれば、この国では仕事が受けられない。この国で食べていくのは無理だろう。
ガダンは苦悶に顔を歪めたまま、ギスカールを激しく睨みつけた。だが、しぼんだ金貨袋を震える手で差し出した。ギスカールは一切表情を動かさず受け取った。髭面の男はようやく酔いが醒めたようだ。
「足りると思うか?」
ガダンの顔が沈んだ。ギスカールの淡々とした声が、逆に怖かった。
「もう、これしかねぇ……」
ギスカールは、ダインの金貨袋から銀貨一枚を取り出し、ガダンの前に置いた。レンドルにはそれが何をしているのか理解ができなかった。
「酒代じゃないからな。俺が商人ギルドからお前たちに仕事の依頼を出す。それまでの生活分に当てな。街から出られると思うなよ。宿の場所をギルドに伝えろ」
「す、すまねぇ。迷惑をかけちまった」
ガダンの表情から、わずかに力が抜けた。
全部を奪い取らずに、ガダンを使おうということだった。剣筋は悪くない。なら、安く冒険者を雇うほうが得だということなのか。だが、それで二人は助かる。
「それと、最近のことだ。メゼーナ王国の冒険者連中が揉め事を起こしてな。衛兵の巡回が厳しい。そろそろこっちにくる時間だ。依頼中なんだろ? 依頼書を、もし見せられない状況で捕まったらどうなるか、俺は心配だぜ」
ガダンの相棒ダインが顔を青くして頷いた。
「……分かった。あんた、ギスカールと言ったな。悪かった。……おい、ガダン行くぞ」
ダインは呻くガダンの肩を担ぎ、逃げるようにその場を去っていった。
嵐が去った後のような静けさの中、ギスカールがフォルロに問いかける。
「ところで、エルフの女はどこだ」
「あれ! いねぇ!? いなくなったぞ」
レンドルも言われて気が付いた。いつの間にか姿を消していた。
ギスカールは呆れたように肩をすくめると、レンドルの前で足を止めた。
「それと、赤髪のあんた。こいつを渡しておく」
そして、レンドルの手を取り銀貨を二枚、無造作に載せた。
「……大金だ」
「あの男の剣を流したところから見てたが、あんたが間に入らなきゃもっと面倒なことになってた。いいものを見せてもらった礼だ。名前はなんていうんだ」
「レンドルだ。……いいのか本当に。損をしている」
「おう、とっといてくれ。――その剣の腕を買うかもしれないからな」
ギスカールは短く笑うと、船員たちに指示を出し、崩れた荷の片付けを始めた。
この商人は、ポーションを失う代わりに、冒険者二人を安く雇うことになった。
そして、俺の剣を雇うかもしれないと言った。話があれば受けるかもしれない――そう思わせられた。
商人とはこういうものなのか。
「レンドル、本当に助かったよ」
小走りにフォルロが来て、安堵の息を漏らす。
「あいつが剣を抜くとは思わなかったんだ。正直、少し焦ったよ」
「はは、そんな顔には見えなかったぜ。悪いけど、荷下ろしがまだ残ってるんだ。また今度ゆっくりな!」
フォルロは慌てて船の方へと走っていった。
レンドルは一人残り、革袋に二枚の銀貨を収めた。貯金と合わせれば、銀貨三枚には足りるはずだ。
まだ昼前だ。神殿には間に合う。
――銀狼に、近づく。
はやる気持ちのせいか、レンドルは速足になっていた。ちょうど衛兵とすれ違った。あと少し遅ければ面倒になっていた。
「ねえ」
呼び止められて、レンドルは足を止めた。さっき聞いた声だった。振り返る。
――銀髪のエルフの少女が、そこに立っていた。
「……どこにいたんだ」
「離れてただけだけど」
肩をすくめるようにして、少女は答えた。悪びれた様子はない。
「……その、さっきはすまなかった」
ほんの一瞬、エルフの少女の大きな銀瞳が丸くなった。レンドルはその眼に吸い込まれそうな感じがした。
「許さないけど、許してあげるわ。私も助けてもらったし。衛兵でしょ今の」
口元だけで笑う。どこか試すような言い方だった。
「そうか、ありがとう」
短く礼を返す。少女はレンドルをじっと見つめた。
「強いのね。レンドルはサンガードの騎士なの?」
「……違うけど、それに俺の名前」
「さっきの船員が言ってたから」
「ああ、そうか。きみは何ていうんだ?」
少女は、くすっと笑った。一歩だけ後ろへ下がる。
「変態には教えてあげません、じゃあね」
風に紛れるように、彼女は人混みの中へ消えた。気配が、最後まで掴めなかった。
港を見ると、船の帆が大きく膨らんでいる。風は依然として強い。世界は、さっきと何も変わっていなかった。
レンドルは広場に戻り、冷たいレモン水を買うと一気に飲み干した。そして、兵舎へと走った。




