第15話 一通の手紙 ―― 狙われた命
兵舎に戻り、一息つこうと思ったのも束の間、息を整える時間すら与えられず、レンドルは騎士団本部へと出頭するように命じられた。
通達というより、数名の騎士に囲まれて、重苦しい空気の中歩かされる。一体この身に何が起きようとしているのか、見当もつかなかった。
通された団長室の張り詰めた空気の中で、レンドルは直立不動の姿勢を保っていた。両手を後ろに組み、微動だにせずに正面を見据える。
木製の重厚なテーブルを挟んだ向かい側には、見るからに武骨な雰囲気をまとった壮年の男が腰を下ろしていた。
鉄木で作られた高背椅子に深く身体を預けているその人物を、レンドルが知らないはずはなかった。
かつては軍務卿として国政の中枢に立っていたが、現場を愛するこの男は自ら騎士団長の座を望んだという。
サンガード皇国騎士団長、グリフォート・サザンランド公爵。
騎士院を立ち上げ後任に譲った後、民間人への兵役を制度化して兵学院を作ったのもこの男だと聞いていた。
国全体で戦える仕組みを作り上げた人物が、そのまま兵学院長に就いている。
公爵でありながら、騎士団長や兵学院長の地位に居るのは、その本質は生涯現役の武人だからなのだろう。
そんな人が、明日に迫ったルベリア王国遠征の準備で、騎士団全体がひっくり返るような忙しさのはずなのに、ここに居る。
なぜただの訓練兵相手に面会をしているのか、これほどの重鎮が時間を割いているのか。
その異常な状況に、レンドルは強い困惑と懐疑の念を拭い去ることができなかった。
広い室内には、レンドルと団長、そして扉の両脇に控える二人の屈強な衛兵しかいなかった。
そんな中、グリフォートの口から信じられない言葉が放たれ、思わず聞き返してしまった。
「自分が、皇妃様に命を狙われている?」
「そうだ」
「……どういうことでしょうか」
問い返すレンドルの声は、緊張でわずかに硬くなっていた。
先ほど証紋官のゴードンから聞かされた、不穏な警告が鮮明に思い出される。
「少し前の話になる」
グリフォートは視線を落とし、低く重い声で語り始めた。
「お前と同じように、加護を得た訓練兵がいた。そして、皇妃が近衛騎士に任命した。理由は、老いぼれの顔を毎日見るのに飽きた、だ」
いくら加護持ちだからといって、若さを理由で訓練兵をいきなり近衛に据えることなど、到底考えられることではなかった。
「それは、ラクロアンとの会合の日だった。若い近衛騎士は、その会合で警護にあたった。どうなったと思う」
「……何か無礼を働いて、ラクロアンと揉めた、とか」
礼儀も作法も、戦い方すら未熟な者を皇妃自らの側に置く、何か問題が起きたのだろうと思った。
それにしても、静かな語り口のその奥には、明確な怒気が孕まれているのが分かった。
「死んだ」
「えッ!」
思わず声が裏返った。証紋官のゴードンが、ギルドの窓辺で話していた凄惨な結末と、完全に一致していた。
彼が話したことは本当だった。騎士団長の口から、たった今聞かされたのだ。
ぞくりと、首筋に冷たい寒気が駆け抜ける。
「手合わせをしようと、ラクロアン側から提案があった。それを皇妃が了承して、近衛騎士は切られた」
グリフォートの眼光が鋭さを増していく。やはり、この男が胸の内に秘めているのは、やり場のない確かな憤怒だった。
「若い近衛騎士は大怪我をした。致命傷だ。怪我を負わせたと、治癒室に男が治癒魔法使いのエルフを連れてきた。だが、治療は間に合わなかった。事故で処理された、とされている」
「……されている?」
レンドルは思わず息を飲んだ。
「その記録が失われていたのだ。そして、近衛騎士を切ったその男が、昨日サンガードに来た。民間商船に乗ってだ。ふざけたやつだ」
「商船に乗って来たって、食堂で聞いた。まさか――閃光のラクア」
「そうだ、独立国家共同体ラクロアンの代表だ。分かるか。同じなのだ、あの時と」
団長は顔の前で固く組んでいた指をほどき、ずんと机の上に両手を置いた。
「加護を得たものは、兵役中であれば騎士に任命できる。訓練兵でもだ」
鉄木の椅子が重くきしむ音を立てる。団長は深く背もたれに寄り掛かった。
「皇妃は近衛騎士を任命する権利を持っている。だから、儂が先にお前を騎士叙任し、そのまま懲罰兵にする」
「……なぜ、懲罰兵になるのでしょうか」
騎士になれるが、なぜわざわざ不名誉な罰を与えられなければならないのか。レンドルは今すぐ頭を抱えたくなった。
「一度でも懲罰兵になった騎士は、近衛騎士には任命できないからだ」
「つまり、自分のため……」
「訓練兵は後方支援だ、名誉などない。懲罰兵は名誉回復のため最前線に出る。そうなれば、少なからず怪我をするだろう。なに、転ぶこともある。負傷兵となりお前は退役する。転んで退役する。名誉なことだ。喜べ。退役した騎士ならば、恩給が出せるからな」
淡々と語られるあまりに奇妙な救済策に、レンドルは完全に言葉を失ってしまった。
レンドルの命を皇妃の手から守るため、形式的に騎士へ取り立て、即座に懲罰兵に落とす。
すべては近衛騎士にさせないための、団長が仕組もうとしている茶番だった。
「近衛騎士は、断れないんでしょうか」
「断れん。懲罰兵にするしかない。だが、これは皇帝陛下が定めた法なのだ。皇妃と言えども従うしかない」
緊張のせいか、急激に喉の渇きを覚えた。兵舎に戻ったら、食堂でレモン水を腹一杯飲もうと考えていたのだ。だが、そのささやかな願いは叶わず、こうして連行されてしまった。
「ザイード商会から陳情があった。民間人を脅した。さらには剣を抜き、血が流れたとな。懲罰兵の理由は十分だ」
「それは……先にデロスが短剣を抜いたからです」
不条理だった。悪いのはあっちだ。レンドルは必死に弁明しようとした。
「そうかもしれんが、すでに騎士叙任に儂が署名していた。その後お前が民間人を傷つけた。お前は騎士なのだから懲罰隊に編成できる」
「どうして俺が……」
「お前の命を守るためだ」
レンドルは、ただ混乱するしかなかった。
なぜ、近衛騎士にならなければならないのか。
なぜ、ラクアと手合わせをすることになるのか。
なぜ、殺されなければならないのか。
一体何のために、誰がそんなことを望んでいるというのだ。
「お前は訓練兵でいたいだろうが、あの女――皇妃の動きが、我が国の利益になっていない」
「父に何と言えばいいのか、分かりません」
あんなに堅物で実直な父親だ。息子が騎士になった途端、不祥事で懲罰兵になり、そのまま負傷退役したなどと知れば、一体どんな顔をするだろう。
「お前の父親、ファレンには騎士叙任も懲罰兵も名誉退役も連絡済みだ」
「それでは、俺が広場で問題を起こしていなくても……」
「儂に葡萄酒をこぼして大変なことになっていた。爵位持ちにとんでもないことだ。懲罰兵だな」
グリフォートは事もなげに言ってみせた。つまり、大通りでのデロスとの一件がなかろうと、最初から無理矢理にでも罪人に仕立て上げられる運命だったのだ。
「本当に、近衛騎士へ任命する声がかかるのでしょうか」
「無論だ。確信している。そのうちドアが叩かれて、近衛騎士に任命すると連絡があるだろうな」
グリフォートは大きく笑い、そして口にグラスを運んだ。
その言葉に、レンドルは嫌な予感がしてならなかった。
その時、静まり返った部屋のドアが、素早く三回ノックされた。
「なんだ、入れ」
通常のノックは二回。それを破る、短く鋭い三度の音。それは、軍において急を要する報せを意味していた。
扉の脇にいた衛兵が、即座に鍵を開けて中へ招き入れる。息を切らせた若い騎士が、部屋の扉が完全に閉まるのを待ってから、硬い声で告げた。
「団長、皇妃様がレンドル・ブレイズをお呼びです」
「ば、ばかな……」
騎士団長の表情が険しくなる。
「その、皇妃様の部屋に直接来るようにと……」
ドンッ! と、団長室に凄まじい衝撃音が響き渡った。グリフォートが怒りのままに、分厚い机を拳で強く叩いたのだ。
「あの女! ふざけるな!」
レンドル自身も、若い騎士が告げた内容がすぐには脳に染み込んでこなかった。
一国の皇妃が、ただの訓練兵を自室に直接招き入れるなど、本来ならば天地がひっくり返ってもあり得ない。いくら周囲に護衛が控えているとはいえ、私室に男を呼び出すという行為そのものが、重大な問題になり得る。ましてや、未亡人である皇妃が取っていい振る舞いでは断じてなかった。
「大至急だそうです。すでに……皇妃直属の近衛騎士がそこに来ています」
「では、そいつにサザンランド公爵が参ると伝えろ。王座の間を求める。謁見権限だとな」
しかし、指示を受けた若い騎士は、困惑と恐怖の入り混じった表情を浮かべたまま、その場から動こうとしなかった。あからさまにたじろいでいる。
「なんだ、早く行け」
「……それが、そう言ってくるだろうから、レンドル一人で来るようにとのことです」
「知るか! 行け!」
「承知しました!」
団長の凄まじい怒号に弾かれるようにして、若い騎士は慌てて敬礼を捧げ、転がるように部屋を飛び出していった。
「レンドル、お前は何もしゃべらなくていい。儂の後ろに立っていろ」
グリフォートは椅子から立ち上がり、皇妃を迎え撃つための、あるいは王座の間へ乗り込むための準備を始めようとした。
「分かりました。そうさせてもらいます。――あっ」
「あ? どうした」
緊迫した空気のなかでレンドルが突拍子もない声を上げたため、騎士団長は不審そうに眉をひそめた。
「証紋官から、封書を渡すように言われていました」
「なに?」
「これを渡せと」
レンドルは懐から、ゴードンから託された上質な封書を取り出した。扉の近くにいた衛兵がそれを厳重に受け取り、団長の手へと手渡す。
「それから、家にいる父にも話があるので、外出の許可をいただきたいです」
「お前、命を狙われていると話をしたばかりなのに、随分と冷静だな。外出は許可するが、護衛が必要――」
グリフォートは話しをしながら、手慣れた動作で素早く封書の蝋を切り、なかの書類を引き出した。
だが、その紙面に目を走らせた瞬間、団長の言葉がぴたりと止まった。その表情は急激に険しく歪んでいく。
「皇妃が強引に来たのは、そういう理由か――」
その書類に何が書かれているのか。団長のあまりの変貌ぶりに、胸の奥で嫌な予感がどんどん膨れ上がっていくのを感じていた。
「もはや隠せるような話ではない。お前の加護はサンルード様と同じ英雄の加護だ」
「それは、すごい加護ってことなんですよね」
「すごいも何も、お前はヴォルテニア王の系譜ということだ」
その言葉が鼓膜を震わせた瞬間、レンドルの心臓は、破裂しそうなほど大きく跳ね上がった。
教官が言っていたサンルードの血脈のことも、本当だった。
しばらく公爵の準備を待っていると、レンドルは呟かずにはいられなかった。
「俺が、王族だって。……冗談だろ。それに殺すって」




