第1話 処刑台の露
石畳の冷たさが、裸足のつま先から這い上がってくる。
鉄の味がする。口の中を噛み切ったのか、それとも空気そのものが錆びているのか。
両腕は後ろ手に縛られ、膝は冷え切った石の上に押しつけられていた。白い麻の囚人服は薄く、冬の朝風が骨を刺す。
だが、寒さよりも先に、群衆の声が全身を叩いていた。
「毒婦!」
「王妃殺しの化け物!」
「公爵家の恥さらし!」
一万の口が、ひとつの罵声を形作る。広場を埋め尽くした人々の顔は、憎悪と好奇心で歪んでいた。子供までもが石を投げようとして、隣の母親に腕を引かれている。
私は、あの子供と同じくらいの歳に、初めて毒を口にした。
その記憶が、ぼんやりと頭の片隅をよぎった。
「リゼット・ヴァレンシア」
背後から、朗々たる声が名を告げた。宮廷書記官だ。
「ヴァレンシア公爵家嫡女。アーデルハイト王妃殺害の罪により、国王陛下の勅命をもって、この場で処す」
殺害。
私が王妃を殺した。
少なくとも、この国ではそういうことになっている。実際に手を下したのは誰なのか、私自身にもよく分からなかった。父に渡された瓶の中身を、言われた通りに、言われた場所に置いた。ただそれだけだ。
それだけの行為に、名前がつくのなら。
私は確かに、毒殺者だ。
「最期に何か言い残すことは」
書記官が事務的に尋ねる。処刑台の下で私を見上げる観衆の中に、金色の髪をした青年が立っていた。第一王子ジークフリート。私のかつての婚約者。
あの男は笑っていた。
歯を見せて、晴れやかに。まるで狩りの獲物が仕留められた瞬間を眺めるような顔で。
「……ありません」
返す言葉など、ない。
誰に弁明しても、信じてはもらえない。この国で「毒花」と呼ばれた娘の言葉を、真に受ける人間はいない。
——ただ、ひとつだけ。
群衆のさらに後方、教会の柱の影で、小さな人影が崩れ落ちるのが見えた。声を殺して泣いているかのように、肩を小刻みに震わせていた。
カミラ。
私の侍女。
私をかばって何度も殴られ、牢まで面会に来てくれた、たった一人の味方。
彼女だけが泣いている。
ごめんなさい、カミラ。
あなたにだけは、嘘をつきたくなかった。
刃が振り上げられる音。風を切る、甲高い金属の悲鳴。
首筋に当たる直前、奇妙なことに痛みより先に温度を感じた。
ああ、冷たい。
こんなに冷たいのに、私の血は、まだ温かいのだろうか——
温かかった。
身体が、温かい。毛布の重み。肌に触れる柔らかい布。遠くで小鳥が鳴いている。
暗闇の中で、目を開ける。
天蓋つきの寝台。見覚えのあるカーテン。窓から差し込む朝の陽が、白い壁に四角い光を描いている。
これは——私の部屋だ。
ヴァレンシア公爵家の、東館の、私の寝室。
身体を起こそうとして、手が毛布を掴んだ。
小さい。
この手は、小さすぎる。
布団をはねのけて、手のひらを見た。
子供の手だ。爪は丸く、指は短く、手首は私の記憶の半分ほどしかない。
「……嘘」
声も高い。喉の奥から出てくる音が、処刑台にいた自分のものではなかった。
ベッドから滑り降りる。足が床に届かず、少し落ちた。膝の高さが違う。目線が低い。見下ろしていたはずのドアノブが、胸の高さにある。
鏡台まで駆け寄って、自分の顔を覗き込む。
丸い頬。大きすぎる瞳。まだ顎の線が定まっていない、幼い少女の顔。
七歳のリゼット・ヴァレンシアが、鏡の中から私を見つめていた。
膝が折れた。
鏡台の前にぺたんと座り込み、自分の小さな手を何度も裏返して確認した。
傷がない。毒の痕もない。処刑台で刻まれたはずの縄の跡も、牢屋の石壁で擦り剝いた肘の傷も、何もかも消えている。
夢だったのか。
いや——首の感触は、まだ残っている。刃の冷たさも、群衆の声も、カミラの泣き声も。
「二度目」
声に出して、自分に言い聞かせた。
「これは、二度目の人生」
理由は分からない。仕組みも分からない。神様の気まぐれか、悪魔の悪戯か、それとも死に際の走馬灯が長すぎるだけか。
けれど、もしこれが本当なら。
私は同じ過ちを繰り返さない。
毒の道具にはならない。
誰の命も、奪わない。
小さな拳を、ぎゅっと握りしめた。
窓の外で、小鳥がまた一声、鳴いた。朝日が部屋を満たしていく。
七歳の私の人生が、今日から始まる。




