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5.一石の波紋

 リーゼが玉座も第二王子の首も欲しがらなかったので、ディルクはこの国のことを放置しようと思っている。しかし、一石だけは投じてみた。後はこの国の問題である。第二王子が王になるようなことになれば、確かに国は荒れるだろうが、虐げられた民衆がいつまでも黙っていないとディルクは感じていた。その時、リーゼが求めるのならば手を貸すのは(やぶさ)かではないと彼は考えている。


 リリアンヌを襲撃した男を見送った後、ディルクはリーゼの待つ宿へと向かう。その途中で少年の服や旅に必要なものを買い集めた。

 ディルクの頭の中にはこの国のことなどもう欠片も残っていない。これからリーゼと一緒に向かうブランデスへと想いを馳せていた。


 約束通りディルクは昼前に宿に帰ってきた。

「お帰りなさいませ」

 居間で待っていたリーゼは悩んだ末にディルクをそう言って迎えた。

「ただいま帰りました」

 ディルクは嬉しそうに答えた。実際彼女が出迎えてくれたことがとても嬉しい。


 昼食が運ばれてきて二人はテーブルにつく。

「僕の国はブランデスなんだ。一緒に行ってくれるだろうか?」

 おずおずとディルクが訊く。この国を出ることは予め告げているし、戦争が終わって一年余りしか経っていないが、今は平和な大国である。リーゼから断られることはないと思うが、それでもディルクは彼女の答えを聞くまでは落ち着かない。

 ディルクの言葉にリーゼは驚く。

「私はブランデスを訪れたことがあるのですよ」

 リーゼはたった一年前のことが遠い昔のように感じていた。


 大国ブランデスが新興国カラタユートに攻め入られたのは五年前のこと。その一年後に先代ハルフォーフ将軍が戦死してしまった。跡を継いだのは弱冠十九歳の長男。

 若きハルフォーフ将軍は青碧の鎧を身にまとい戦い続けた。そして、その卓越した強さで敵を蹴散らし、四年に渡る戦いを終結させたのだ。その恐ろしいまでの強さは青碧の闘神と呼ばれて生ける伝説となっている。

 ブランデスから少し離れたこの国の平民でもその名を知っているくらいに、ハルフォーフ将軍は有名人であった。

 カラタユートとの戦いに完全勝利を収めたブランデスに忠誠を誓うため、周辺諸国の多くは使節を送り込んだ。小国の第二王子とリーゼもそんな役目を担ってブランデスを訪れたのだ。


「知っているよ。僕たちはほぼ毎日会っていたから」

 リーセは頭を傾げた。リーゼがブランデスに滞在をしていたのは移動も合わせてると一ヶ月弱。毎日顔を合わせていたと言われても、リーゼはディルクに全く見覚えがない。

「ごめんなさい。ディルクさんのことを覚えてないの」

 リーゼの言葉にディルクは落ち込む。

「仕方がない。僕は甲冑姿だったし」


「甲冑姿?」

 ほほ毎日会っていた甲冑姿の人物をリーゼは一人だけ知っている。

「うん、僕は将軍なんだ」

 リーゼが知る限り、ブランデスに将軍と呼ばれる男は一人しかいない。

「まさか、ハルフォーフ将軍閣下? 青碧の闘神なの?」

「それ、ちょっと恥ずかしいから」

 大きな体を縮めるようにして恥ずかしそうに俯くディルク。リーゼはそんな彼を少し可愛いと思ってしまった。

 リーゼはディルクの目を覗き込み、記憶にある目と同じ青碧であることを確認する。



「青碧の闘神の伝説は作られたものだよ」

 ディルクは静かに語りだした。リーゼは黙って聞くことにする。

「父は清廉潔白な人物で部下の信任も厚かった。相手がどのように卑怯な手を使ってきても正々堂々と受けて、卑怯な手で応じることを良しとしなかった。それは、伝統ある大国の兵を率いる将として必要なことだ。しかし、父は卑怯な奇襲に破れた。国を追われた難民のふりをして我が軍に近づき、子どもを抱いた女性を保護しようとした父を殺した。だから、父は弟の方が将軍に相応しいと考えていたことを知っていながら、僕は新しい将軍になることにした。父を卑怯な手で殺され復讐に燃える十九歳の若造が暴走しても、ブランデスの名を汚すことはないと判断したから」

 ディルクは当時のことを思い出したのか、悔しそうに目を細めた。リーゼはかける言葉も見つからない。


「父の部下たちも父の命令を守って正々堂々と戦っていたが、僕は彼らにどんな手を使ってでも勝てと命じた。それが卑怯な行いだったとしても全て若く未熟な将軍のせいにすればいいと。それから、僕は陽動のために目立つ鎧をまとって戦った。敵方に新しい将軍は血に飢えた戦闘狂だと知らしめながら」

 ディルクが勝利した時のことを思い出し柔らかく笑った。国を守れたことが何より嬉しい。


「戦争に勝つことができたのは、優秀な父の部下がいたからだ。僕の力ではない。本当は国のために汚名をすべて持って死ぬつもりだったが、僕は生き残り、気がつけば伝説が大げさなものになっていた。陛下はその伝説を利用して国の威信を高めようとしたので、益々大層な伝説に変貌していったんだ。だから、僕は普通の人間だよ。リーゼ、怖がらないで」

 怖がったりしない。そうリーゼは思った。昨年ブランデスに訪れた時、ハルフォーフ将軍の人柄に触れて噂のような怖い人物ではないと知っていたからだ。


「お久しぶりです。ハルフォーフ将軍閣下」

 リーゼは椅子から立上がり、ディルクに淑女の礼を取ろうとした。

 それを制してディルクも立ち上がる。そして、リーゼの前で片膝をついた。

「リーゼ、僕は一年前貴女に心を奪われてしまった。だが、貴女には既に婚約者がいて、諦めなければならないと自らに言い聞かせたが、どうしても想いを断ち切れずにいた。貴女が婚約を破棄され牢に入れられたと聞いて、居ても立ってもいられずこの国にやってきた。どうか私の妻になってもらえないだろうか? 一生大切にするから」

「はい」

 リーゼは心から頷いていた。最初は甲冑を脱がないハルフォーフ将軍に不審感を抱いていたが、リーゼの求めに応じて職業訓練所を案内する彼の優しさを知り、敬愛を感じるようになっていた。

 ディルクの容姿がハルフォーフ将軍の伝説とかけ離れていたため、同一人物だと思い至らなかったリーゼだが、言われてみれば甲から覗く優しそうな目が同じだった。


「疲れていると思うけれど、できるだけ早くこの国を離れたい。これを着てもらえないだろうか」

 ディルクは少年の服をリーゼに渡した。

 こうしてディルクと少年に扮装をしたリーゼは小さな国を後にする。



 ディルクが投じた一石であるリリアンヌを襲いった男は、ディルクが思うよりも大きな波紋となって王宮を揺るがすことになっていた。


 真っ先に動いたのはリリアンヌの伯父である。公爵である彼は姪のリリアンヌと弟の子爵を切り捨てたのだ。騎士団は今まで第二王子と公爵に阻まれていたリリアンヌの調査を行い、リリアンヌ襲撃事件は彼女の自作自演だと証明した。そして、リーゼの誘拐もリリアンヌが教唆した疑いが非常に高いと結論づけた。


「陛下、どういうことですか! 牢に入れたのはリーゼを守るためだとおっしゃったではないですか!」

 泣きながら王に抗議するのは、リーゼの父親であるヴァネル公爵。リーゼの年の離れた兄も一緒である。

 第二王子がリリアンヌの虜となっており、リリアンヌを害そうとしたリーゼを許さないと息巻く第二王子からリーゼを守るため、貴族女性用の牢にしばらく入ってもらうと王はヴァネル公爵に説明していた。王は音がしそうなほど歯を食いしばっていたが、王として誤りを認めることはできない。


「リーゼ様は一日一回しか食事を与えられず、粗末な服を着せられていました。そして、牢番には妻と娘を亡くし自暴自棄になっていた騎士を一人だけ。侍女の一人も仕えていませんでした。牢番は亡くした娘と年が近いリーゼ様を哀れに思い必死に守っていたようです。しかし、リリアンヌがリーゼ様の殺害を企て、依頼された男がリーゼ様を外に連れ出したのです。だが、罪のないリーゼ様を殺すことができずに、通りすがりの男に売りました」

 騎士団長は牢番と自首してきた男の取り調べで得たことをヴァネル公爵に伝えた。辛いだろうがリーゼの身に何が起こったのか親として知る権利があると思ったのだ。


「お前のせいだ!」

 ヴァネル公爵は第二王子に殴りかかったが、近衛騎士は誰も止めなかった。第二王子は避けることなくヴァネル公爵の拳を顔に受けていた。


「牢ではリーゼを貴族女性として遇するようにと王である余が決めたのだ。そなたはそれを破った。反逆の意思ありと思ってよいのだな?」

 第二王子を見つめる王の目は冷たい。切り捨てることを既に決意していた。

「私はそんな……」

 第二王子の言葉は徐々に小さくなる。リリアンヌに騙されていた第二王子が王命を破り、リーゼを辛い目に遭わせていたのは事実だった。そして、見知らぬ男に売られてしまうという、若い女性ならば死ぬより辛い境遇に彼女を追い込んだ。

 言い訳などできるはずがない。第二王子は言葉を切って俯いた。


「第二王子は王位継承権を剥奪したうえで塔に幽閉。主犯であるリリアンヌと父親は公開処刑にせよ。騎士団はリーゼを一刻も早く探し出すのだ」

 王が厳かに命じた。



 牢番は騎士として復帰が認められた。

 自首してきた男は罪を一等減じられて鉱山での強制動労の刑を命じられる。貴族女性を誘拐して売り飛ばしたという重罪を犯したが、命だけは失わずに済んだ。

 リーゼの捜索は続けられたが行方は依然としてつかめない。


 こうしてこの国を揺るがした子爵令嬢による公爵令嬢殺害未遂事件は、被害者不明のままに幕を閉じた。

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