第1話 公爵令嬢と近衛騎士
新連載です!
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公爵家の薔薇。
金髪碧眼の可憐な公爵令嬢。
栄えあるエスヴァルト帝国皇太子の婚約者であり、掌中の珠。
人々からそんな風に呼ばれ、羨望のまなざしを向けられてきた十八歳の公爵令嬢ローゼ・デア・アルノルトには、薔薇色の未来が約束されていたはずだった。
この夏、皇太子に婚約破棄をされるまでは。
♢
アルノルト公爵家の紋章が入った馬車が皇宮に停まった。
警護の帝国兵たちが、さっと姿勢を正して道を空ける。
帝国内で一、二を争うほどの名門であるアルノルト公爵家は、皇城でも顔が利いた。
仕立てのいい制服を着た御者兼護衛が馬車の扉を開け、白手袋を嵌めた片手を恭しく差し出す。
その手を取ったのは、精緻なレースの長手袋を嵌めた公爵令嬢、ローゼだった。
宮殿前に等間隔で直立不動している屈強な帝国兵たちの目が、思わず吸い寄せられる。
背中にふわりと流れる、よく手入れされた金の髪。
陶磁器のような白く滑らかな肌に、宝石と見紛う青の瞳。
レースの長手袋が似合う繊細な手は、扇よりも重いものを持ったことがないと言われている。
銀糸の刺繍が輝く襟の詰まった上品な青のドレスと、帝国一のジュエラーの手による宝飾品を小柄な体に身に着けて皇宮を歩くローゼは、公爵家の薔薇と呼ばれるにふさわしい気品と存在感を漂わせていた。
ローゼは皇宮の侍従に案内され、巨大な温室に入った。硝子張りの室内にはさまざまな種類の花が咲き乱れている。
その花々の奥に、ひときわ目を引く長身の赤髪が立っていた。
帝国軍所属の近衛騎士、エリアス・クロイツェル。
軍服の似合う鍛え抜かれた体。
涼やかで端正な顔立ち。
宮廷の女性人気は高いが、本人は色事には興味がないようで、浮ついた話は聞かない。
遠目で視線が交わる。
アルノルト公爵の令嬢は騎士が嫌いだという話は周知の事実だった。ローゼは近衛騎士の姿に扇で口元を覆い、軽く眉をしかめた。
一方、近づいてくる人物が皇太子の婚約者と認識し警戒を解いたエリアスも、興味がなさそうに一瞬で目をそらす。
エリアスから少し離れた長椅子に座っていた皇太子が、ローゼに気づいて軽く片手を挙げた。
「来たか、ローゼ」
ローゼの眉間のしわが深まった。
皇太子テオフィル・ツァー・エスヴァルトの隣に、銀髪の美女がしなだれかかっていたからだ。
目のやり場に困るようなきわどいドレス。派手な顔立ちを強調するように真っ赤に塗られた唇。
その唇がローゼを挑発するように弧を描く。
隣のテオフィルは黒髪にヘーゼルナッツの瞳を持ち、垂れた目尻と薄い唇が魅力的な美男だが、常時酷薄な笑みを浮かべている。
そのテオフィルが、今も笑顔でローゼを見やった。
立ち上がりもせずに婚約者のローゼを迎え、隣の銀髪の美女と頭をくっつける。
皇太子の黒髪がさらりと彼女の銀髪と交じりあった。
彼は目だけをローゼに向けた。
「私はこのヘルミーネと結婚しようと思っている」
「何を仰っているのでしょう。殿下の婚約者は十年前からこの私、ローゼ・デア・アルノルトと皇室法により決まっております」
「その反応が可愛くないと言うんだ。少しは驚くとか妬くとかしないのかおまえは」
薄笑いを消し、テオフィルが婚約者に冷ややかな視線を送る。
扇で顔の下半分を隠したまま、ローゼは淡々と答えた。
「殿下の浮気に一々反応していたら身が持ちませんので」
「チッ……何が公爵家の薔薇だ。以前はもっと可愛げのある女だと思ったんだが、今は棘しかないじゃないか……いや、だがこれを聞いたら、虚勢を張ってはいられないだろうな」
テオフィルは楽しそうに、ふたたび笑った。
「ヘルミーネは聖女だ。皇太子の結婚相手として最上位に位置づけられている。皇室法で」
ローゼは目を見開いた。
テオフィルがにやにやとその反応を見つめる。
当のヘルミーネは我関せずという顔で目の前の皿から砂糖菓子をつまんで食べ、「あたしこれ嫌い」と皿を押しやった。
そのわがままな態度も「あたし」というくだけた一人称も、皇室法で皇太子の結婚相手として最上位に位置付けられている聖女の態度としては、少々不似合いだったけれど。
皇族以外の貴族で最も格式が高いのは公爵家である。
だが「聖女」が現れた場合は、その限りではなかった。
はるか昔に魔法が消え失せたこのエスヴァルト帝国において、希少な回復能力を持つ聖女は最重要視され、積極的に皇室の血に取りこむことが推奨されている。
古今東西、王や皇帝がこぞって追い求めるのは不老不死。
不老を叶える魔法はいまだ見つかっていないが、不死のほうは、聖女の癒やしの力があれば限りなく近づく。
聖女ならば、重い怪我も病気も癒やせるとされているからだ。
ほんのわずかな癒やしの力を持つ女性はたまに現れる。皇太子の婚約者として皇宮に出入りしているローゼも、これまでに聖女を名乗る女性たちを何人も見てきた。
けれどそういった「自称聖女」の女性たちは、小さなすり傷を治したり、軽い咳を止めたりするくらいで、重篤な病や傷を癒やすことはできなかった。
瀕死の病人をも癒やしたとされる本物の聖女は、百年前に文献上で一度確認できるだけで、以降は姿を見せていない。「自称聖女」たちは、誰一人として大神殿の聖水晶による聖女の判定を通らなかった。
その聖女がついに現れたとあれば、国を挙げての慶事となるだろう。
長椅子で聖女ヘルミーネの肩を抱き足を組んだまま、テオフィルが傲然と告げた。
「ローゼ・デア・アルノルト、おまえとの婚約は破棄する」
きゅっと唇を引き結んだ。
だがそれだけ。
ローゼは泣きも取り乱しもしなかった。
平坦な声で、ただ事実を述べる。
「殿下、いくら聖女が現れたとはいえ、私との婚約は十年前から決まっていたことでございます。それを『解消』ではなく『破棄』されるとあっては、公爵家と私の名に傷がつき、今後、私はどなたとも結婚できなくなってしまいます…………公爵家から騎士家に至るまで、どなたとも」
帝国における公爵家は一国の王にも相当するほどの権力を持ち、その令嬢は王家の姫にも等しい存在である。
だから、結婚相手は最低でも貴族でなければならない。
けれど、十年も婚約していた皇太子が公女との婚約を「破棄」したとあっては、他の貴族が次の婚約者として名乗りを上げにくいのは事実だった。
ローゼの言い分はもっともだった。
だが同時に、王族が一度発した言葉をすぐに取り下げることなどありえない。
いくら相手が正論を言っていたとしても。
冷静に視線を返すローゼがよほど気に障ったのか、テオフィルは顔を歪めて立ち上がった。
「黙れ、この冷血女! おまえの結婚など知ったことか!」
しかし、離れた場所で気配を殺している近衛騎士のエリアス・クロイツェルが目に入った瞬間。
皇太子は悪戯を思いついた子どものように、残酷な笑みを浮かべた。
「……待て。『公爵家から騎士家に至るまで』と言ったな? 騎士は準貴族だ。公爵令嬢のおまえでもギリギリ結婚できる」
暖かいはずの温室の空気が、急に冷えた。
テオフィルは愉快でたまらないという風に続けた。
「皇族として温情をかけてやる。ローゼ、おまえはそこにいる近衛騎士のクロイツェルと結婚しろ。これは皇太子命令だ」
「「……は?」」
間の抜けた声が、ローゼとエリアス、双方の口からこぼれた。
本日は5話まで投稿します。




