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第二話

そこへ続く長い地下通路は、魔法灯の青白い光に満たされ、石壁には鏡が等間隔に配置されていた。

「この鏡は?」

「これは吸魔の鏡といって、侵入者の魔力を検知する魔道具です。魔力を感知すれば、対象者が石化する魔法が発動します」


「全く、どんな原理で動いてんだよ」


「この鏡の裏には魔道回路が繋がっており、それらがお互いに繋がっています。なのでそれぞれの鏡全てで監視できるという仕組みです。ここは本来気温が低い場所なのですが、扉を封印すると回路が発動し、その際に熱を放つので、室温調節の機能も兼ねています」


「ほぉ、そいつはなんとも便利だな。俺も家に欲しいくらいだ」


「着きました。ここが……王立銀行地下最深部。神の拒絶です」


目の前には大きく、重厚な扉があった。その扉の両側には、現場保存や取り締まりのためか、衛兵が二人立ち、真一を大きな組織に属する者特有の、差別的な、疎ましい目で睨みつけている。

真一は彼らを鋭い眼光で一瞥した後、再び扉に目を向けた。


ルミアは扉の中央に掌を当て、深く息を吐いた。

「ここを開けるには、五つの魔力系統が同時に一定の出力を維持しなければ、物理的な噛み合わせが外れない仕組みになっています。もしくは、私の持つ……この特別な階級にのみ許された魔力紋のどちらかでしか、開閉は不可能です。さらに床には一定以上の荷重で発動する『重圧の罠』。つまり、ここに保管した物は、魔法的にも物理的にも、この世で最も安全なシェルターに守られている……はずだったのです」

ルミアが言い淀んだその僅かな一瞬を、真一の耳は逃さなかった。


「特別な階級」――。


騎士団長という役職だけで説明するには、その言葉に含まれた重みと、彼女が咄嗟に言い換えた不自然な間が、刑事としての真一の直感に強く引っかかった。

(……特別な階級。単なる貴族にしちゃあ、この銀行の『心臓部』を自由に扱える権限は強すぎる。この隊長サマ、本当は何モンだ…?)

真一は口には出さず、ただ気怠げに鼻を鳴らした。

彼女が正体を隠したいのなら、今はあえて踏み込む必要はない。だが、この国において彼女が想像以上の「巨大なカード」である可能性は、真一の頭の中にある「この国の勢力図」の断片に、確かな重みを持って刻まれた。


「魔法が絶対に届かない場所、神の拒絶か」

真一は、その「拒絶」という言葉を反芻した。魔法を万能だと信じるこの世界の住人にとって、そこは神聖不可侵の領域なのだろう。だが、真一の目には、その過剰なまでの魔法的防護が、皮肉にもその致命傷を疎かにしているようにしか見えなかった。


ルミアが魔力を注ぎ込み、地響きのような重低音と共に扉が開いた。

一歩足を踏み込んだ瞬間、真一は肌にまとわりつくような不自然な静寂を感じた。それが、ルミアの言う「魔法が死んだ空間」の感触だった。

だが、真一がその静寂の次に感じ取ったのは、刑事として何度も嗅いできた、ごくありふれた「事件の匂い」と、気圧のわずかな変化だった。


「しかし、その『沈黙の首飾り』だっけか。そんな物騒な国宝、盗んだところでどこに売るんだ? 誰にでも扱えるような代物じゃねぇんだろ」


ルミアは真剣な顔で答える。

「……はい。あれは強大な魔力を宿した危険物として登録されており、闇市場でも取引される可能性は低いでしょう。その強大さから、半端なものが持つと魔力に取り憑かれる、という呪いまでかかっているものです。……換金目的の窃盗としては、あまりにリスクが高すぎます」


「換金目的じゃない……か。……なら、その首飾りを『売り払う』のではなく、そのまま『使いたい』と思ってるのか」


真一は、ルミアに促されて室内へと踏み込んだ。

彼女が慎重に部屋の中央を指差す。そこには、本来なら国宝級の魔導具『沈黙の首飾り』が鎮座しているはずの白磁の台座が、虚しく佇んでいた。

真一はその方向には目もくれず、まず部屋の隅々を歩き始めた。壁を叩き、床に這いつくばり、天井を見上げる。


「……真一? 何をしているのです。首飾りがあった場所はそこですよ。見ての通りです、真一。首飾りは、この台座の上から忽然と消えました。扉は施錠されたまま、結界も正常。魔法の残滓すら残っていない。鑑定官たちは、これを『高次元の転移魔法』による、神隠しのような犯行だと断定しました」


真一は台座に近づこうとして、ふと足を止めた。

「……待て。その『結界』ってのは、今も動いてるのか?」


「はい。ですから、私たちが今立っているこのラインから先は、本来なら魔力を持つ者が一歩でも入れば、体内の魔力を暴走させられ、石化の呪いに沈みます。今は私が中和魔法を展開していますが……」


真一はしゃがみ込み、床と台座の境界をじっと見つめた。

「なぁ、その結界は『魔力があるもの』に反応するんだろ? ……じゃあ、ただの石や木の棒を投げ込んだらどうなる?」


「え……? 物理的な物体には反応しませんが、そもそもこの部屋は密閉されています。石を投げ込む隙間など――」


真一はルミアの言葉を聞き流しながらさらに質問した。


「この台座、掃除はいつした?」


「 記録では一週間前ですが、それが何か?」


「一週間前か。じゃあ鑑定官たちが中を覗いた時、台座の上に『陽炎』みたいな揺らぎは見えた、みたいな報告はあったか?」


「 はい、確かに彼らは『空気が歪んで見えた、あれこそが転移魔法の残滓だ』と報告していますが……」


「魔法じゃねぇ。それがトリックの正体だ」


真一は台座の前で屈み込み、床に残された微かな「ぬめり」を指で拭った。そして、それを鼻先に近づけて小さく笑った。


「……馴染みのある匂いだ。スラムのガキ共が、役人の目を盗んで果物をくすねる時に使う『おまじない』と同じだな」


「スラムの……おまじない?」


「『精製された植物油』だよ。スラムじゃ、不純物を取り除いた純度の高い油を、安物のガラス瓶に満たしてな。特定の角度から見ると、中の盗品が消えて、瓶の向こう側の景色だけが透過して見える『死角』を作るんだ。……生きるための、泥臭い知恵だよ」


真一は懐から安物の煙草を取り出し、火をつけた。白い煙が台座の周囲に吹きかけられると、煙は台座に触れる直前で、目に見えない「層」に沿って滑るように横へと流れた。


「見てみろ。この台座の周り、薄く『二層の液体』が塗ってある。一番内側には屈折率の極めて高い油、その外側には透明な粘液だ。この二つの液体の『境目』を、特定の角度で覗き込むと、光が全反射を起こして鏡の代わりになる。そして首飾り自体にも同じように塗る。そこに同じ屈折率の油が満たされると、光の境界線が消え、物体は背景に溶け込んで完全に見えなくなる……つまり、鑑定官たちが扉を開けて遠目から中を覗いた時、首飾りの手前に『背後の壁の景色』が反射して映り込んでいたんだよ」


「……なっ!? つまり、背景と同化して見えていただけだと……!?」


「そういうことだ。俺がいた所じゃ、バニシング・グラスと呼ばれる、いわゆる視覚トリックだ」


真一は、台座の足元に一点だけ残された「布で拭い取られた跡」を指差した。


「魔法使いは『高尚な魔力』には敏感だが、光が曲がるっていう『当たり前の物理』には無頓着だからな」


ルミアは言葉を失い、真一が指摘した床の「油の跡」を、震える目で見つめた。

魔法という超常現象を前提にするからこそ、光の屈折というあまりに単純な「物理」に、王国最高の頭脳が踊らされた。


真一は台座の周囲を指でなぞりながら、ルミアに問いかけた。

「この金庫、最後に入念な点検をしたのはいつだ?」


「…三日前です。王宮お抱えの魔導工廠の技師たちが、魔導回路の劣化を調べるために半日かけて中に入りました。ですが、その際は首飾りの無事を確認し、封印を施して退出しています」


「『半日』か。そんだけ時間がありゃ、スラムのガキでも城の一つは作れるぜ」


真一は台座の影、石材の継ぎ目にこびりついた**「乾いた粘土のような破片」**を爪で弾き飛ばした。


「犯人はその三日前の点検の時に、台座の周囲にワックスを塗り込んだのさ。だが、ただ塗るだけじゃその場でバレる。だからそいつらは、**『温度で溶ける物質』**を混ぜた。点検中は冷え切っていた金庫室が、封印されて魔導回路が熱を持ち始めると、じわじわとワックスが溶け出し、台座を覆う『全反射の膜』が完成するように仕組んだんだ」


ルミアは息を呑んだ。

「では、三日前の時点では盗んでいなかったと……?」


「ああ。盗むのは、あえて『盗難が発覚した後』にする必要があった。警備兵が外から覗いて『首飾りがない!』と叫んだ。だが、実際にはその時、首飾りはまだ全反射の膜に隠れてそこにあったんだ」


「...で、では、首飾りが盗まれたのは......」


真一は、入り口から台座までの動線を指でなぞった。


「パニックになったあんたたちが扉を開け、鑑定官たちがドタドタと中に入ってきた。全員が『転移魔法の痕跡』を探して、目線を高くして部屋の隅々を調べ回る。……その時だ。混じっていた犯人が、鑑定官のフリをして台座に近づき、布でワックスを一拭きした。 膜が消えて首飾りが現れた瞬間、そいつを袖の中に滑り込ませたのさ」


「……なっ!? では、私たちが室内を調査している最中に、目の前で盗まれたというのですか!?」


「そうだ。一番安全なのは、そして、一番簡単なのは、全員が『もう盗まれた』と思い込んで、必死に『犯人の逃げ道』を探している最中だ。足元で何が起きてるかなんて、誰も見ちゃいねぇ。……スラムの賭場じゃあ、カードを隠す時の鉄則だぜ」


「ま、つまり今回は、知らず知らずのうちにあんたらが盗難の手助けをしちまったってことだ。調査に加わった連中で、点検の時にもいた奴……調べれば該当する奴はいるんじゃねぇか?」


ルミアは顔を青くし、急いで金庫室の外へ駆け出した。

「……衛兵! 今日の入室許可リストを! すぐに全員の身元を再確認してください!」


しかしルミアの呼びかけに衛兵からの返事はない。嫌な予感と共に、二人は扉の前まで行き、確認した。


「どうしました!?何があったんです!?」


扉の前には、先ほどから警備をしていた衛兵の一人が倒れていた。白目をむき、口からは泡を吹いている。


「おい、もう一人の衛兵はどうした?二人いたはずだ」


ルミアははっとしたと共に、真剣な表情で言った。

「衛兵の一人が、裏切った…」


「正しくは、最初から敵だった、だな」


「今はどちらでもいいです!とにかく別の者を呼んできます。あなたはこの者を見ていて下さい」


「…あんた、気を付けろよ。これで向こうは直接手を出してくるってことがわかったんだ」


ルミアはそれには答えず、王宮へと走っていった。真一は走っていくその背中を見送りながら、紫煙を吐いた。

「…王宮関係者の裏切り者。こいつはもう一波乱あるな...」


その頃、通路の角、魔導障壁に身を隠していた騎士団副長のリィナは、音もなくその場を離れていた。

彼女の心臓は、激しく脈打っていた。


「(……なんという男。魔力も持たぬ浮浪者が、私たちが隠してきた『物理』の侵食を、これほどまで容易く暴いてしまうとは……)」


「(しかし、まさか犯人が衛兵に紛れていたなんて…とにかく、総長に報告せねば…)」


リィナは一度も振り返ることなく、闇に紛れて地上へと戻っていった。彼女の脳裏には、真一の冷めた瞳が焼き付いていた。




ーー王都の北側に位置する、歴史の闇に沈む古い貴族邸。

その一室では、魔法灯の光すら届かぬ重厚なカーテンの裏で、数人の影が円卓を囲んでいた。

卓上には、先ほど「神の拒絶」から持ち出されたばかりの『沈黙の首飾り』が、鈍い輝きを放ちながら鎮座している。


「……首飾りは確保した。衛兵に紛れ込ませていた『掃除屋』が、完璧に役目を果たした」

低く、枯れた声が響く。その手元には、真一が地下で見つけたものと同じ、どす黒い精製油の瓶が置かれている。


「ふん、魔法騎士団の連中も、今頃は存在もしない『転移魔導士』を追って王都中をひっくり返していることだろう。まさか自分たちが中を調べている最中に、横にいた衛兵が懐にブツを入れ、そのまま『犯人を追うフリ』をして現場を離脱したとは夢にも思うまい」

暗がりの中で、一人の男が楽しげに喉を鳴らした。


「だが、計算外が一つ。……掃除屋からの報告にあったその『流れ者』だ。奴が首飾りの消失トリックを、物理現象として看破した。衛兵に紛れさせていた者からの報告によれば、奴はスラムのゴミ同然の知恵で、我々の用意した全反射の正体に辿り着いたらしい」


円卓に一瞬、冷ややかな沈黙が流れた。


「……例の、貴族邸での冷却装置の件。あの男、現場に残された『重さの矛盾』に気づいている可能性もある。……魔法という色眼鏡を持たない者が、これほどまでに疎ましいとはな」


「案ずるな。所詮は後ろ盾のない浮浪者だ。奴が何を叫ぼうと、騎士団の上層部が自らの無能を認めるわけがない。真実は闇に消え、奴の言葉は狂人のたわ言として処理される。……それよりも、計画の進捗はどうだ?」


その問いに、別の影が分厚い書類を卓上に広げた。そこには、人体の骨格と、そこに無理やり鉄製の外部装甲を噛み合わせた不気味な図面が描かれている。

「順調だ。首飾りに宿る膨大な魔力を、例の『液体触媒』を介して物理的な圧力へ変換する。……これさえ完成すれば、魔力を持たぬ兵士一人が、魔法騎士の分隊を素手で粉砕できる怪力を持つことになる。魔法の障壁ごと、叩き潰す力がな」

「素晴らしい。……魔法の有無で身分が決まるこの反吐が出るような王国を、我々が磨き上げた『物理の鉄槌』が粉砕する。……『沈黙の首飾り』はそのための心臓部だ。もはや、詠唱に時間をかける魔導士など、我々の軍勢の前では止まった標的に過ぎん」

影たちが、低く、暗い笑い声を漏らす。

「貴族邸での冷却装置。今回の銀行。……テストはすべて終わった。データは揃っている」

リーダー格の男が、首飾りを愛おしげに撫でた。

「……いよいよだな。王都が魔法という名の虚飾に酔いしれている間に、足元からすべてを圧殺してやろう。まずは、その目障りな『浮浪者』で、実戦と行こうじゃないか……」

暗い部屋の中で、首飾りが不気味に共鳴し、重苦しく沈んだ。

それは、魔法文明という時代の終わりを告げる、静かな、しかし確かな「崩壊の足音」だった。


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