3-1 思い込みが激しい鍛冶職人、マヌケット
それから半年ほどの時が流れた。
武道大会で『アンジュがアホードに指一本触れずに勝利した』という話題はすぐに大陸中に伝わった。
さらに、このこと自体は誇張表現ではないということもあり、噂があちこちで尾ひれがついてしまった。
加えて大会に置ける賠償金を払うために、ノワールはカイカフルに、オロロッカが住んでいる周辺の土地の所有権を売り渡す羽目になってしまった。
また、その戦いの後にアホードが国を出奔したことも、
「アンジュが圧力をかけ、大陸最強の剣士を追い出した」
と、ねじ曲がって伝わってしまっている。
さらに、この武道大会のノワールが、地方領主バカヤネンの手引きによって襲撃される事件(プロローグ参照)が起きたことも大陸中で話題になった。
このようなことから、
「転移者アンジュは、短期間に領主の養女として入り込み、着実にライバルを排除しながら勢力を伸ばしていく『最凶の悪女」である」
「彼女には絶対に逆らってはならないし、カイカフルの領地には絶対に手を出しては行けない」
と、世間から評価されるようになった。
……まあ、当のアンジュは能天気に毎日を畑仕事や編み物をやって過ごしているだけなのだが。
そんなある日。
「……ふう、良い作品だな」
カイカフルの領地から少し離れたところにある小さな街にある、やや不釣り合いな程大きな工房。
そこで一人の男が汗を流しながら指輪を眺めていた。
彼の名前はマヌケットという。
線の細そうな容姿に不釣り合いな太い腕とごつごつした手が、彼の仕事の過酷さを想像させる。
「はい、出来ましたよ」
「うわあ、ありがとうございます、マヌケットさん!」
そういわれて差し出された指輪を見ながら、一人の村娘は興奮しながらその指輪を受け取る。
「あれ、どうしました?」
「あ、そ、その……いえ、何でもないです! 失礼しました!」
この男マヌケットは、周囲が思わずたじろぐほどの美貌を携えており、目を合わせた女性がいつもほほを染めるほどであった。
だが彼自身はあまり異性に対して積極的ではなく、寧ろ自分の生業である鍛冶職人の仕事に精を出していた。
「喜んでくれてよかった。さあ、今度は新しい刀剣を作りますかね……」
……もっとも、彼の周りに異性がいないのは、それだけが理由ではないのだが。
「ん、お客様かな?」
それからしばらくして、ドアがノックされるのを聞いたマヌケットは、ハンマーを打ち付ける手を止めてドアを開いた。
「久しぶりね、マヌケット」
「あれ、ノワールさんじゃないですか! ケガはもう大丈夫ですか?」
「ええ。……何とかね」
そこにいたのは、彼の従妹であるノワールだった。
ノワールは自身に対して異性として接してこないということもあり、マヌケットは良き友人のような印象を持っている。
彼女を部屋に上げると、お茶をティーカップに注いで尋ねる。
「へえ、バカヤネンさんがそんなことを……」
「ええ。彼は廃嫡されて、オロロッカのところで見習い農夫として働いているわ。……まあ、前より楽しそうなのが癪に障るけどね」
「まあ、あそこは最近評判いいですからね……」
そういいながら、お茶をすするマヌケット。
あの事件以降バカヤネンは、懲罰の意味も込め、オロロッカの住む村に送り出された。
だが、そこで彼は定期的に開かれる音楽祭やダンスパーティで元貴族としての実力を発揮しているらしい。
もとより、芸事については素質があった彼は、そこで周りから評価されており楽しそうに毎日を過ごしていると言っていた。
「ああいう村は娯楽が少ないものね。バカヤネン程度でも、そこそこ有名にはなれるってことでしょうね?」
「あはは……羨ましいんですか、バカヤネンさんのことが?」
そうマヌケットが尋ねると、ノワールは図星をつかれたのか顔を真っ赤にして否定する。
「な……んなわけないでしょ? ……それに私は、騎士団長として周りから信頼を得ていますから! 別に、みんなで歌ったり踊ったりするのが羨ましいなんてことは……ないわ」
そういうが、ノワールは先刻の山賊襲撃事件で重傷を負わされたことは、すでに大陸に知れ渡っていた。
彼女にとってついていなかったのは『ノワールが相手をした山賊たちは元騎士であり、剣の実力は確かなものであること』が伝わらなかったことである。
これによって、彼女は近々降格処分が下ることが噂されている。
そのことは、あえてマヌケットは口にしなかった。
「それで、今日はどんな用で来たんですか?」
「ええ。……あなたには、先日の山賊事件の真相を知って欲しいと思って」
「え?」
「……そもそも、バカヤネンごときの謀略に、私がハマると思うの?」
「あ、いえ……」
そういって、ノワールは自分が今まで受けた仕打ちについて解説した。
武道大会で、アンジュの幻術によって婚約者のアホードが辱められたこと。
バカヤネンの手引きというが、実際にはアンジュによって行われたこと。
無論自分にとって都合の悪いところは伏せ、百万倍くらいアンジュを悪辣にしたうえでだが。
だが、ノワールは話術は巧みで演技もきわめて得意としている。
そして彼女はウソ泣きをしながら、マヌケットをちらりと見る。彼は義憤にかられたように、溶鉱炉のように顔を赤く染め上げた。
「それは……酷いですね! ノワールさんは、何も悪くないじゃないですか!」
「そうでしょ? ……ありがと、分かってくれるのは幼馴染のあなただけね?」
……マヌケットは、一見冷静で理知的に見えるが、やはりこの大陸の男性の御多分にもれず、頭が悪い。
具体的には思い込みが激しく、相手が言ったことをすぐに信じ込んでしまう節がある。
そんなマヌケットの性格を熟知しているノワールは、心の中でほくそ笑みながら、頼みごとをした。
「それでね、マヌケット? ……あなた、とても容姿が優れているから……今度アンジュをその相貌で篭絡させてくれませんこと?」
「は?」
さすがにそれを聞いて、マヌケットは驚いた容姿を見せた。
「そもそも、力押しで彼女を潰そうと思った私が愚かだったのよね。だから、今度は搦め手で彼女を陥れてやるつもりなの。……あなたに魅了させてしまえば、後はどうにでも料理できるもの。……だから、お願い?」
ノワールがそう、上目づかいで頼みごとをすると、この世界の男性は大抵断れない。
無論、従兄弟であるマヌケットも同様だ。
「わ、分かりましたよ……。やってみます。ただ、命までは奪ったりしないでくださいね?」
「ええ、約束するわ」
無論、アンジュは約束を守るつもりはない。
だがマヌケットは他人の嘘を見破れないタイプなので、それを聞いて安心したような表情を見せた。




