第66話 続・怪奇レポート017.自分の影が足を掴んだ
かくかくしかじか、こういう経緯で無事に怪異は退治しました。
玄関先で手短に話して終わるつもりが、橘花さんに招き入れられるまま部屋へお邪魔してしまった。
お茶を淹れてきますね、と言ってキッチンへ向かっていた橘花さんが持って帰ってきたマグカップには、ほかほかと湯気を立ち昇らせる青い液体が。
「あのぅ橘花さん、これって……?」
「あ、ちょっと待ってくださいね。今持ってきますから」
とことこと小走りでキッチンへ駆けていく。
持ってくる?
何を?
一人取り残された私は恐怖におののいた。
可能性があるとしたら砂糖とミルクだけれど……。
私の予測に反して、橘花さんが手にして戻ってきたものは小さな黄色いボトルだった。
「えーっと?」
「もしかしてご存じないですか? バタプライピーっていうハーブティーなんですけど」
橘花さんは言いながらボトルの中身を数滴カップに垂らし、ティースプーンでかき混ぜる。
すると、みるみるうちに液体の色が青から紫へと変わった。
「あ、これ! 見たことあります!」
「ちょっと前にネットでバズってたのを見たんです。それで気になって買ってたんですよ。で、飲もうと思って淹れたところまでは良かったんですけど……。
祖母は私が色水を飲もうとしていると勘違いして、飲む前に流しへ捨てちゃったんです。だから、こういう機会でもないと飲めなくて……」
たしかに。
おばあちゃん世代ならこれがお茶だとは信じられない人もいるかも。
そんなバタフライピーの気になるお味は……――
「微妙、ですね」
橘花さんが先に言ってくれたのでちょっと救われた。
このお茶のピークは色が変わる瞬間だったのかもしれない。
「なんて言うか、怪異も同じですよね」
橘花さんがポツリと漏らす。
「私や祖母の足を引っ張った怪異はさぞや凶悪なモノなんだろうと思っていたんです。だから香塚さんに手助けをお願いしました。
でも、お話を伺ってみたらそうではなかった。同僚さんは対話をしただけでその怪異を退治――成仏、ですか?―――してしまったんですよね」
「言葉だけで聞くと、そう思われても仕方ないのかな。でもね、結城ちゃんは相当頑張ってたよ」
初めてだったのもあるだろうけど、結城ちゃんは三時間以上も怪異と語り合っていた。
それも、言葉を話せない、こちらの言葉をしっかり理解しているかもはっきりしない相手と。
時には言い回しを変え、具体的な説明をし、何度も何度も粘り強く語り掛けていた。
その現場に居合わせていたから、案外呆気なかったとは口が裂けても言えない。
私だったら五分で手が出ちゃうもん。
この認識の違いは現場の空気感を知っているかどうかでもかなり違ってくるんだろうなあ。
なんて思いながら紫色のお茶をすすっていると、外でドシンと大きな音がした。
「今の音、なんでしょう?」
「見に行ってみようか」
私たちは連れ立って、玄関から外の様子を窺ってみた。
「木井さん!?」
「あいたたた……。おや、お二人ともおそろいで」
階段の下に座り込んだ木井さんは、恥ずかしそうに頬をポリポリと掻いている。
「大丈夫、ですか……?」
「はい! そりゃもう、見ての通りですよ!」
ニコっと笑って力こぶを作って見せるものの、木井さんが立ち上がる気配はない。
「これ、ダメなやつだと思う。橘花さん救急車呼んでくれる?」
木井さんには聞こえないように耳打ちして、私は倒れている木井さんの元へ駆け寄った――つもりだった。
「えっ……?」
前に進みたい私と、意思に反して動かない右足。
急に足首を掴まれて体がバランスを崩したのだと理解するまでに、一瞬の間があった。
地面が顔に迫ってくる。
手を出すのは間に合わない。
顔から倒れる覚悟を決め、固く目をつぶった。
「セーフ!」
木井さんの声と、おでこに伝わる地面とは違う柔らかい感触。
恐る恐る体を起こして目を開けると、私が突っ伏したのは木井さんのお腹だったことがわかった。
あの音から察するに階段から落ちて動けなくなっていただろうに、身を挺して私を守ってくれた……?
それに、私の足首を掴んだ手!
あいつは結城ちゃんが成仏させたはずじゃ!?
混乱しながら足を掴まれた場所へ目を向けると、そこには人間の腕が生えていた。
しかも、私を挑発するように中指を立てている。
「……っ、馬鹿にするんじゃない!」
陸上選手よろしく思い切り地面を蹴って飛び出すと、そいつの手首を掴んで思い切り手の甲の方へ曲げた。
限界を超えた負荷がかかった手首は、嫌な音を立てて破壊される。
「ギャァァァァァア」
「みぃぃぃぃぃ!」
腕しかないはずの怪異の絶叫と、それに混じって聞えたみぃちゃんの鳴き声。
そして、私の手元には怪異相手とはいえ他者の肉体を破壊した時の嫌な感触が残った。
間もなくして到着した救急車に運ばれた木井さんの身体は、幸いにも骨折は見られず打撲との診断がおりた。
中でも背中から腰に掛けてが重傷だったのは、私がダイブしてしまったせいだろうか。
木井さん本人は気にしないで、と言うけれど今度お詫びのお菓子でも持ってお見舞いに行かなきゃ。
「しばらく安静にしてなさいって言われちゃいました」
木井さんは笑っていたけれど、服の上に巻かれたコルセットが痛々しい。
……って、コルセットをするのは服の下じゃなかったっけ?
「私のせいで、本当にすみません。伏木分室のみんなには私の方から事情を説明してきますから、お大事になさってください」
「いやいや、香塚さんが気にすることじゃないですよ。それに、元はと言えば僕が階段から落ちたのが原因なんですから」
不意に、木井さんはポンと手を打った。
「打ち身とは関係ないんですけど、病院で足首にアザができてるって言われたんですよね」
彼がズボンの裾をたくし上げると、そこにはくっきりと赤紫色の手の跡がついている。
菊花おばあちゃんの足にあったのと一緒だ。
私が目を丸くしていると、木井さんは私の足元を指さした。
「あっ、まさか」
私の右足首にも、ストッキング越しでもわかるほどはっきりしたアザがあった。
「犯人はこれで間違いないんでしょうけれど……」
手首を折られて絶命した(?)怪異に恐る恐る触れてみると、氷のように冷たい。
これが元からなのか、私のせいなのかはわからない。
「みぃ!!」
みぃちゃんの鳴き声が聞こえたかと思うと、地面に落ちていた怪異が消えた。
やばい、逃げられた!
捕まえなきゃ!
慌てて周囲を見回すと、みぃちゃんの尻尾が私の部屋に入っていくのが目に入った。
……あれ?
私の前ではドアを開けてもらうまで大人しく待ってたけど、もしかしてみぃちゃんってドアすり抜けられる?
あの子ならそのくらいできて当然な気もするなぁ。
奥さんは仕事で東京にいると聞いたのがちょっと心配だけど、何かあったらすぐ呼んでくださいと伝えて木井さんを部屋に送り届けた。
あとは部屋に戻ってみぃちゃんの様子を――。
「……って、みぃちゃん!?」
みぃちゃんは私が仕留めた怪異へ一心不乱に噛り付いていた。
まるで、私の制止の声も聞こえていないようだ。
ど、どうしよう。
途方に暮れていると、ブチブチと繊維が千切れるような音が聞こえて怪異の中から何かが転げ落ちた。
途端にみぃちゃんは怪異を手放し、標的を転げ落ちたものへと変える。
それが怪異の核なのだと気付いた私は、みぃちゃんから核を取り上げて何かあった時用にと預かっていた封印用のケースにそれを収めた。
明日これを持っていってみんなに話をしてみよう。
そうすれば一度退治したはずの怪異が再び現れた理由も何かわかるかもしれない。




