第65話 怪奇レポート017.自分の影が足を掴んだ・伍
翌朝、私が伏木分室に入ると結城ちゃんが得意げに一枚の紙を見せてくれた。
「じゃーん! ワタシ、無事に怪異を捕まえました!」
クリアファイルに入れられた紙には、人間のひじから先のような形をした黒いものが描かれている。
「四月に使った聖水の予備が残っていたから、それを使って写し取ったのよ」
「ああ、あの時の!」
忘れもしない。
私と真藤くんが初めて向かった【蠢く見慣れた壁のシミ】の依頼の時に使ったセットだ。
「そんなものよく持ち歩いてたね」
「それが……持ってきてたのは小津骨さんだったんです」
話を聞いてみると、私と別れた後、二人で歩いている最中に小津骨さんが例の手に足首を掴まれたらしい。
その時のとっさの判断で小津骨さんはカバンから聖水と聖紙を取り出して、結城ちゃんに怪異を取り押さえるように指示をした。
私と真藤くんが向かった怪異の時は逃げ回って大変だったと聞いたけれど、今回の怪異は影の中から逃げることができなかったらしく案外簡単に捕まえられたようだ。
そして、影の中に潜んで移動するという特性上以前のような保管よりも常に光の当たる場所に置く方が良いだろうとの判断でクリアファイルで保存されている、というのが現状らしい。
「って言うことは小津骨さんは怪異が出てくることを知ってたんですか?」
「ほら、これまでのデータでだいたいの出現場所は予測できたじゃない? スターパックスの近くだったからそこで日暮れを待てばちょうどいいと思ったの。
それに、こういう機会でもないと若い子ばっかりのお店には入りにくいのよ」
「とか言って……、この怪異も本当は小津骨さん一人で捕まえるつもりだったんじゃないですか?
ワタシに一任しますって言ってくれたのに……。なんかショックです」
偶然結城ちゃんがいるタイミングで怪異が現れたから一緒に確保しただけで、小津骨さん一人の時だったら単身で立ち向かっていたのだろう。
私たちの安全のことを考えてくれる小津骨さんのことだから、容易に想像がついた。
「結城さんのことを信頼してないとかそういうことじゃ一切ないのよ! ただ、今回は事前情報がほとんどなかったでしょう。それで怪異を捕まえに行って怪我でもしたら困るから、事前視察のつもりだったの」
ところが、タイミング良く小津骨さんの元に怪異が現れたからその場で捕獲することにしたのだと慌てたように付け加える。
「それに、一番の大仕事はまだ残ってるわよ」
「一番の大仕事?」
首をかしげる結城ちゃんに、小津骨さんは微笑んだ。
「この紙をポスターみたいにずっと貼っておくわけにもいかないじゃない? だから、ここで除霊してみましょ」
小津骨さんの行動は早かった。
奥の普段使われていない応接室の四隅にはすでに盛り塩が準備されていて、私たちが部屋に入るとお経のような呪文を唱えながら御札を貼り付ける。
「簡易的だけど結界を張ったわ。この怪異は見たところそんなに強くなさそうだから、これで逃げられないはずよ。
さ、いつでも始めてちょうだい」
紙の中に封印された怪異を紙の外へ出すなんて、一休さんに出てくる虎の屏風の話みたいだな。
……なんて考えながら結城ちゃんに視線を向けると、彼女は可哀想なくらい青白い顔をしていた。
そりゃそうだ。
怪異が好きなのと怪異を退治できるのとは話が別だもんね。
しばらく紙と見つめ合った後、結城ちゃんは覚悟を決めたように静かにうなずいた。
「いきます」
「大丈夫よ。リラックスして。いざとなったら怪異が逃げ出す前に香塚さんが仕留めてくれるわ。ね?」
「あ、はい!?」
この場に私が呼ばれたのってそういうこと!?
一度捕まえた怪異を逃がしましたなんて報告したら桂田部長が嫌味タラタラで乗り込んできそうだから全力で捕まえに行くけど……。
瀬田さんからもらった怪異に触れるための手袋を装着すると、指先を震わせながらクリアファイルの中にある紙を掴み、ゆっくりと引き出す。
その手の影の中へ逃げ込むように、紙に写し取られた黒い塊が動き出した。
「止まれ!」
結城ちゃんが鋭く言い放つと、怪異は動きを止めた。
そして、逆さまにされた紙から黒いスライムのようにどろりと怪異が現れる。
「真の姿を現しなさい」
怪異と対峙する結城ちゃんを見守っている小津骨さんの表情は、緊張か警戒か強ばって見えた。
張り詰めた空気に、私まで引きずられそうになる。
床に落ちた怪異は大きく広がって私たちに迫ってきたかと思うと、立体的な手へと形を変えた。
そこから先は沈黙するばかりで、結城ちゃんは困ったようにこちらに目線を投げかけてくる。
「もしかして、喋れない?」
私がぽつりと漏らすと、小津骨さんに睨まれた。
どうやら手出しするなということらしい。
「喋れないの?」
結城ちゃんが尋ねると、怪異は親指と人差し指で丸を作って見せる。
この様子だとこちらの声は聞こえているし、意思疎通もできそうかな?
「それがあなたの姿なんだね。わかった。これからいくつか質問するから、素直に答えて」
結城ちゃんはしゃがみこんで床の怪異と目線 (?)を合わせると、友達と話すような親密さで話し始めた。
「あなたは元人間?」
――〇
「どこか行きたいところがあるの?」
――×
「何かを探してる?」
――〇
「お手伝いできることはある?」
――沈黙。
実力行使で解決する私とは正反対の、とても静かな対決だった。
しばらく続いた一人と一体の話し合いを遮ったのは、お昼休みを報せるチャイムの音だった。
それを合図に結城ちゃんは立ち上がると、怪異の手を引いて目線の高さまで持ち上げる。
「うん。大丈夫」
結城ちゃんは優しく言って微笑む。
そのままそっと手を離すと、怪異は霧散するように消えた。
「……終わりました」
結城ちゃんは私たちの方へ向き直り、ぺこりと頭を下げた。
緊張の糸がほどけたのか、そのままぺたりと床に座り込む。
駆け寄った小津骨さんの額には薄っすらと汗がにじんでいた。
結界を張り続けていた疲れもあるのだろう。
とにもかくにも、結城ちゃんの初めての大仕事は無事に達成された。
「まだ仕事中だし、祝杯とはいかないけど……二人が良かったら一緒にどこかのお店に行かない?」
「いいですね!」
「香塚さん、どこかいいお店知ってる?」
「あー……、それなら『ますたぁきい』とかどうですか? 木井さんのお店なんですけど」
【怪奇レポート017.自分の影が足を掴んだ
概要:キッカイ町内にて夕方頃に影から伸びた手に足首を掴まれるという事象が連続して発生した。この怪異が原因と思われる怪我人も報告されている。
対応:怪異は一定の方向に一定距離進んだ地点に現れることを発見し、発生予測地点にて待ち構えた職員の影に怪異が入り込んだ際に確保。
職員との対話により怪異はなぜそのような行動を取っているかの記憶が薄れるほど長い時間彷徨っていたことが発覚した。その後、説得により成仏し、本件は解決に至った。】




