4、幸せな結婚
「俺は覚えている。そなたが宵闇の王の生け贄になるのだと、泣いていた日のことを。」
イシュタナを抱き締めながら、イシュバランケーはそう語りはじめた。
「俺を助け、美味しい肉と暖かな寝床をくれた。あの日、俺は必ずそなたのことを救おうと心に決めたのだ。」
「そんな…。」
イシュタナは、ベッドに座ると、イシュバランケーの話に素直に耳を傾けた。
「俺は元々神の子であったらしい。努力の末、俺はついに昨日、宵闇の王を倒し、そなたが前のシバルバーに食われるのを食い止めることができたのだ。」
「そうだったのですね…。」
昔に助けたジャガーが、生け贄になる前に宵闇の王を倒していたなんて、あまりの展開に、イシュタナはただ呆然としていた。
「これからは俺が前シバルバーに代わって、この宵闇の国を治める。もちろん生け贄の悪習は、今回を限りに終わりとする。」
「ありがとうございますっ…!」
イシュバランケーの言葉は、イシュタナにとっては、何よりありがたいものだった。
「けれど、そなたを生け贄に差し出し、そなたもそなたの家族も冷遇していたサティバ国に、何もお咎めなしというわけにはいくまい。」
「え?」
「どうだろう、サティバ国王は殺して、そなたがサティ国を治めるか?」
「いえいえいえ、めっそうもございません、どうかご容赦ください。」
とんでもないことを言い出したイシュバランケーに、イシュタナは顔を青くした。
「あの国の繁栄こそが、私の願いです。我が父サティバ国王も、国の繁栄のために、やむ無く生け贄を選んだだけ、どうかお咎めなきよう、伏してお願い申し上げます。」
イシュタナはベッドに頭を付けると、必死に懇願した。
確かにサティバの国王は、イシュタナ家族を生け贄として扱ったけれど、それは他の多くの国民を生かすために、仕方のないことだったのだ。
「あんな父でも、庇うのだな。」
そんなイシュタナを、イシュバランケーは不思議そうに眺めていた。
「それでは、代わりにそなたの家族もこちらに呼ぼうか?一人きりでは寂しいだろう。」
「それは…。」
イシュタナの心は一瞬動いた。もしかしたら、あの国にいるよりも、イシュチェルも母も、こちらに来た方が幸せではないのかと。
「いいえ。」
けれどイシュタナは首を横に振った。やはりどう考えても、この陽の当たらない国にいるよりか、太陽の国で過ごした方が家族のためだと。
「どうかサティバで、私の家族が不自由なく暮らせるようになったなら、私にはそれ以上の望みはございません。」
「そうか。」
イシュタナの答えに、イシュバランケーは頷いた。
「ならば、今後の生け贄制度をなくすにあたり、条件は一つだ。」
イシュバランケーはイシュタナを抱き寄せた。
「そなたが、未来永劫、俺の妻として俺を愛せ。さすれば、今後一切俺が生け贄を他に求めることはないだろう。」
「イシュバランケー様…。」
イシュタナの吐息は、そのままイシュバランケーの吐息と重ねられた。
「お誓いいたします…。」
熱い唇に触れながら、イシュタナは頬まで熱く燃えてしまいそうだった。
愛しいジャガー、生涯彼を愛せるかと問われたら、もちろん、と答えられるだろう。
「永久に、お慕い申し上げます…。」
二人はそのまま、再び閨の天蓋の中へと沈み込んだ。
宵闇の国には、この日を境に、温かな春も巡ってくるようになった。
翌日、イシュタナは正式に宵闇の王妃として発表され、同時にサティバ国からのの生け贄制度の撤廃も発表された。
一ヶ月後に開かれた、盛大なイシュタナとイシュバランケーの結婚式には、サティバ国はじめ各国の王と王妃も招かれ、宵闇の国が今後は各国との交流を深める、開かれた国となることを印象付けた。
王妃イシュタナと、宵闇の王イシュバランケーの仲睦まじさは、誰の目から見ても明らかで、その様子は他国にも好意的に受け止められた。
宵闇の王妃の母と妹となった、黄昏の王妃とイシュチェルの立場は、サティバ国の中でも劇的に改善した。
宵闇の国シバルバーと、太陽の国サティバは、イシュタナを介して良好な外交が行われた。
その中で黄昏の王妃と、イシュタナの妹であるイシュチェルは、サティバ国の代表として、なくてはならない役職となった。
忌まわしい生け贄の風習は、この時を境になくなり、太陽の国も宵闇の国も、仲良く栄え続けていったという話である。
おわり
マヤ神話がモチーフでした。




