9. マッドサイエンティスト
「あれが研究棟になります」
アネッサが指差した建物は四角い箱のような外見だが……周りより一段と濃い瘴気に覆われている。
人間なら吐きそうなほどだ。
人魂はここに近付きたくないのか、どこかに行ってしまった。
「トルマルドさん、お邪魔します」
アネッサがノックし、扉を開ける。
おい、返事がないぞ。返事もないのに男の部屋を開けてはいかん。気まずいことになるぞ。
「いつものことですから。それに、ご覧の通り枯れ果てておりますのでその心配はありません」
異常に細い体の白衣の男がこちらに背を向け、机に向かって忙しなく手を動かしている。
机の上は書類や巻物、実験器具のようなもので埋め尽くされている。
「トールーマールードさん!」
「なんじゃい! 今忙しいんじゃい! 見て分からんのか!」
顔だけで半分こちらを振り向いた男の顔は骨と皺くちゃの皮だけだ。なるほど、これがマミーか。
トルマルドは肩越しにニムダに目を止める。
「んん〜? おぬし、リッチかの? 上級アンデッドじゃ、珍しいのう」
……お前、リッチなの?
「そのようですな。主君の屍術がよほど優れていたのでしょう」
屍術、初級じゃなかったっけ……あ、俺の自己申告だったかアレ。
てか、ゾンビがリッチを作るってどうなのよ。
「おぬしも見慣れぬゾンビじゃな。妙なオーラをしておるな、ヒェッへ!」
なんか奇声を上げだした。やっぱり変人か。
「言ったじゃないですか。変人しかいないって。トルマルドさん、こちらは領主代行を仰せつかったゾンビのゾンさんです」
トルマルドは近寄ってマジマジと見つめてくる。
「ゾンビの方が? ほおう、ほうほう……湿っておるな。ヒェッヘッヘ!」
なんだそれ、褒めてんのか?
どうも。
「おう、腐っとるから喋れんのか。念話だけじゃ不便じゃろう、ちょっと待て……おう、あったあった」
トルマルドは机の上を漁ると何かを取り出してきた。なんだ? 仮面?
「コイツを付けてみろ、喋れるようになる……かもしれん」
……なかなかおどろおどろしいデザインの仮面だが、呪われたりしないだろうな。
……いまさらか。仮面を装着してみる。
「おっ、確かに喋れるな」
俺の代わりに仮面の口がパクパクと開き、そこから声が出てきた。なんか気持ち悪いぞ。
まあ慣れれば平気か。
喋れるのはありがたい。念話だと思考が勝手に伝わってたみたいだからな。
「ちょうどゾンビがいなくてのう、いい実験台になりそうじゃな。ヒッヒ! それで、何用じゃ?」
「実験台は勘弁してくれ。防衛隊長のガランから、オークの目的や出処についてアンタが調査してるって聞いてな」
「おう、確かにワシが調べておる。コイツよ」
トルマルドが取り出した鏡を覗き込むと、そこには外の景色が映っている。
……オークの野営地だ。人間の町と反対側の森の外すぐに大量のテントを設置している。
これは……かなりの数だ。テントは軽く100以上ある。オークの総数は1000近くにはなるだろう。
下顎から上に向けて牙が生えたイカツイ連中、これがオークか。
布切れだけとか半裸のようなやつが多いが、鎧を着て武装しているものもいる。下級兵士とエリートの違いだろう。
武器は棍棒や斧、大剣など力任せに振るうようなものがほとんどだ。
だが……目を引く巨大な物体がある。
巨大な車輪が付いた投石機、岩をぶん投げて城壁を砕く兵器だ。
映ってはいないが恐らくは投石機を通す道を作るために森を切り拓いているのだろう、戦斧ではなく伐採斧を担いだオーク達が忙しそうに行き来している。
そのためにここで数週間前から野営していたのか。
「これはなんの視点だ?」
「ゴーストに上空から偵察させておる。日が出てるからあまり長い時間は無理じゃがな。ほれ、時間切れじゃ」
魔法の鏡の映像はそこで途切れた。
「やつらの目的については分かってるか?」
「オーク共のバックには必ず魔族がおる。魔族がこの城を狙う理由なら……領主様しか考えられまい。死の王の力を欲しているんじゃろうな。それが何故かまでは分からんが」
ふうむ……交渉ではなく戦争を仕掛けてくるくらいだ、ただ力を貸せというわけじゃなさそうだ。
ロクなことには使われないだろう。
にしても……ボスくらいは確認しておきたかったな。
鏡は普通の鏡に戻ってしまったようだ。仮面を着けた自分の顔が映っている。
……そういえば、俺は自分の顔を見たことがなかったな。
仮面を外してみると、そこには…………ギャー!
「なんか面白いリアクションをしておるな。おお、それは毒……腐毒ではないか!?」
はっ。
あまりの衝撃に鼻から緑汁が出てしまったようだ。
リリベルやアネッサが卒倒したのも頷ける。この顔は凶器だ。
「それ……ちょっと分けてくれんか!? ほら、これに……!」
興奮して震える手つきでガラスの器を差し出してくるので、そこに緑汁をゲーと。
トルマルドはマミーでもわかるほどの満面の笑みを浮かべている。キモいな。変態め。
「うむ、うむ! これは素晴らしいな。臭いぞ! ヒャハハ! あまり近付いたら顔が溶けてしまいそうじゃわい! 礼を言うぞ小僧!」
俺は再び仮面を着けた。これはなるべく外さないようにしよう。素顔じゃモテそうもない。
「そんなもの何に使うんだ?」
「超希少な毒じゃぞ、何にでも使えるわい! まずはやはり毒としての運用、濃縮して飲ませれば生物ならコロリじゃ。毒武器……は武器の方が持たんな。呪術の触媒にも有用じゃし……」
後半はもうこちらの存在を忘れたかのように明後日の方を向いてブツブツと独り言を呟いている。
「……こうなると、もう話になりませんよ」
アネッサが溜息を吐いた。
「まあ知りたいことは分かったかな。喋れるようにもなったし」
あと凶器の顔面を隠せるようにもなったしな。
「さて……オーク達はもう攻める準備を始めていたな。明日にでも攻めてきそうだ」
「どうしましょう、こちらの数倍の戦力ですが」
「ここで籠城するのは厳しそうだ。あちらには投石機があるし、こちらでまともに戦争できる戦力はスケルトンだけだからな」
アンデッドの特性を生かすなら……森で迎撃して数を減らしてから城に引き込んで罠にかける形がいいな。
特に投石機は最初に破壊しておきたい。
よし、遊撃部隊を編成するか。