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ずっしりと重いゲラを広げて、そこに次々と赤を加えていく。
「ええっと……これはママ、これは通して、これは……」
合間に書き続けていた原稿はどうにか最後の仕上げのゲラまで漕ぎ着けることができ、今はお茶を飲みながら必死で赤ペンを走らせているのだ。
校正記号を知らない素子さんは、ときどき俺が赤ペンを入れ終えた原稿を拾っては読んでいる。
「すごいですね……小説って書いたあとに何度も何度も直した上に、更に印刷してから直さないといけないなんて……」
高校生の名目上夫婦が、管理人代行として寮で起こる事件を解決する学園ラブコメ。明らかにどこかの誰かをモデルにした内容だから、もっと素子さんに眉をひそまされてしまうかと思っていたけれど、かなり面白がって読んでくれた。
「これ本当に面白いです。絶対に売れますよ」
「あー、そりゃどうも。本当に売れてくれるといいんですけどねえ」
そう言いながらキリのいいところまで赤ペンを進めてしまおうと思ったところで。チャイムが鳴った。
「すみません、宅配便です」
「はーい」
俺は慌てて宅配便を受け取りに行った。
春先になり、もうそろそろしたら新年度だ。新しくやってくる寮生の荷物が、次から次へと届くのだ。それを部屋まで運ばないといけない。学科によってはびっくりするほど重い荷物を送られてくるんだから、とてもじゃないけどひとりで運ぶのは無理だ。
そのとき送られてきた段ボールの重さに、俺は「うひっ」と悲鳴を上げてしまった。素子さんは心配そうに管理人室から出てきた。
「亮太くん、大丈夫ですか?」
「あー……これはちょっとひとりで運ぶのは無理かもしれません」
受け取った荷物をよろよろと運んで、どうにか廊下にまで乗せた俺を見て、慌てて素子さんが反対側を持ち上げてくれた。
「じゃあ、いっせいのーで!」
「はい!」
ふたりで運んでいく。
「これは二階の新入生の子の、ですよね?」
「はい。かなり重いんで、気を付けて」
「わかってます」
ふたりでよろよろと目的の部屋まで運び込む。
既に窓を開けて空気を入れ替え、なにもない部屋の掃除も済ませたところなので、埃ひとつ落ちてはいない。そこにドカンと重い段ボールを置く。
ふと窓の下を見ると、寮生の子たちがキャラキャラと笑って買い物に向かうのが見えた。既に季節は春に切り替わり、桜の蕾もどんどんと膨らんでいる頃合いだ。服もゴワゴワとした冬物のジャンパーやコートから一転、風で颯爽となびく春物コートへと切り替わっていた。
「新年度も、いい一年になるといいんですけどねえ」
「まあ。ここに住んでいる子たちは皆いい子ですよ。新しく入ってくる子たちも、きっと馴染んでくれますから」
「ええ、そうですよねえ」
去年の今頃は、ただ部屋で飲んだくれていたやさぐれ小説家だったけれど、今は違う。ここでの交流が、俺を真人間にしてくれたんだから。
素子さんとの関係は、相変わらずはっきりとしていない。関係性は保留のままだけれど。
今はこんな日が、一日でも長く続けばいいと、そう思っている。
<了>




