064 津神翔一
27年前、山梨県、青木ヶ原樹海。夕刻。
紅葉も終わり、濃い灰色の葉が、枯れて倒れる雑草の上に積もっていた。
空を覆う雲は濃く、降雪の気配を漂わせている。
津神翔一は、針葉樹の枝に吊り下がった遺体を抱えて持ち上げる。
首にかけられていたビニール紐をほどくのは、だらしなく伸びた僧髪の男。
「ここらへんでいいのか?」
「ああ。頭は北に向けて寝かせてくれ。たいした意味はないんだけどね」
沙門・幹の指示通りに、翔一はミイラ化した遺体を仰向けに寝かせた。
その傍ら、根の這う地面に、幹は足を組んで結跏趺坐をとる。
数珠を鳴らし、いくつかの印を連続して結んだ。
「オン アボキャベーロシャノウマカボダラマニハンドマジンバラハラバリタヤ ウン」
真言が繰り返される間、翔一は手を合わせて黙祷する。
真言が経に変わると、後方の岩に腰を下ろしてタバコに火をつけた。
津神翔一、45歳。3年後、涼の祖父となる男である。
一人息子の誠が有名企業の内定をもらったと同時に、翔一はケーブルテレビ会社を退職した。
どちらが副業か曖昧だった冒険者稼業に専念するためである。
翔一は、冒険者稼業で知り合い友人となったフリーの拝み屋・幹に同行していた。
自らを「沙門」と名乗る彼は、孔雀院住職(当時)の弟である。後に「棒空」と名乗ることになる幼い息子がいた。
「地図へのマーキングはしてくれたのか?」
「ああ、済ませたよ。樹海を出たら警察に届けるんだろ」
金色の結袈裟を外してから、翔一が吸っていたタバコを奪って吸う。
黒い修険道着に、火の消えた灰が落ちるが、幹は気にしない。
「俺が魔法で燃やしてもいいんだぜ」
「浄めは終わってる。亡骸の始末で誰かの手を煩わせてしまう。それは、彼の負わなきゃいけない罰だ」
「警察や消防に迷惑をかけるじゃねーか。このまま土に還してやっても」
「遺族にも、ちゃんと迷惑をかけさせてやるのさ。そうしてやることで、この世が、彼にとって死後の世界になるんだ。都合よく、綺麗サッパリ消えてなくなるなんて」
「難しい話は、もういいよ」
「ふふっ」
『不浄観』、人間の死体を前に行う古い仏教の修行法である。
幹は、青木ヶ原の自殺者を葬いながら、この修行を行なっている。
時代はバブル景気だが、それに取り残された人々は少なくはない。
生活保護などの社会保障を、当時は簡単に受けることができなかった。
世間体を気にして、生活保護を自ら敬遠してしまうことの多い時代でもあった。
現在のように様々な社会保障が整備されておらず、多額の借金を抱える者、病を抱えて生きる者、障害を持つ者、虐待を受ける者、孤独な老人たちには、救いを求める場所も少なく、それを探す手段もとぼしい。
格差が、妬みや恨みの念を濃くしていく。
樹海に染み込んだ残留思念を清めながら、幹は修行を続けていた。
霊山・富士から流れる魔力は、樹海で淀み魔素溜まりを発生させる。
時折、ダンジョン化してしまい、死者の残留思念を怪異に変容させることもあるのだ。
時には、動く死体が発見されることもあった。
残留思念を清める幹。彼を背後から守るのが翔一の役目である。
「そろそろ、降り出しそうだぜ。この調子じゃ、雪になるかもな」
「車の場所まで歩くのはキツいか」
「ったく、だから明日にしようって言ったのに」
「この先の近くに、隠れ里がある。女好きの津神を連れていくのは気がひけるんだが」
「おおっ!? なにそれ?」
「やっぱりやめよう」
「もう遅い。どっちだ?!」
幹は、早まったと思いながらも、翔一を連れて歩いていく。
かつて、日本には山窩と呼ばれる漂流民が存在した。
独自の信仰を持ち、定住せずに山林に暮らす人々である。
彼らの一部が、忍者となって活躍した時代もあったと記録されている。
いつしか、山林から山窩の姿が消える。
だが、彼らが巫女を隠すために作った里は存続していた。
結界を抜けて里に入っていく男が二人。
気配を隠して、二人を見つめるいくつかの影があった。
「拝み屋の幹と、もう一人は誰だ? 朱姫、分かるか?」
「あれは、冒険者だわ。万年Cランクの津神。面倒な男が来たものね」
「冒険者だぁ? クソが。どこにでも絡んできやがって」
「闇系のあなた達に任せるわ。呪術師ギルドにとって、冒険者ギルドは敵でしょ?」
「お前ら、退魔師の分裂に手を貸してるのも冒険者ギルドだろ」
「元々、西の退魔師は、冒険者ギルドの首魁と縁が深いのよ。山窩崩れの多い東とは違ってね」
「冴木、襲撃は予定通りに?」
呪術師・冴木と、朱姫の会話に、一人の女が割り込む。
女の背後には、左右に身体を揺らす影が複数体。
「カナメか。調教は済んでるんだろうな」
冴木の言葉にカナメがうなずく。
彼女の率いる者達から、香水の濃い匂いと、それに混ざり合う腐臭が漂っていた。
朱姫は顔をしかめる。
「そんな怪異を使ってどうするつもり? 里の者は殺さない約束よ!」
ミゾレ混じりの雨が乾いた落ち葉を鳴らす。濃い霧が樹海を覆い始めた。
「里の結界に近づくだけで、コンパスが狂いやがった。幻惑の術も効いているのか」
青木ヶ原樹海の地質が磁性を持つためコンパスが狂うという説は、現実には嘘である。
実際に、自衛隊の訓練ではコンパスを使って樹海の踏破が行われている。
翔一は、なぜ、そんな噂が生まれてしまったのか、その理由のヒントを得たような気分になっていた。
「俺から目を離すなよ。樹海から出られなくなる」
「お前のケツは見飽きたぜ。早く巫女さまに合わせてくれ」
幹は、翔一に答えるようにケツを左右に振った。
「冒険者のスキルで、こういう場面で使えるモノもあるだろ? 知覚強化だっけ?」
「あぁ、あれな。『透視』ができるって噂は嘘らしいぜ。騙されるところだった」
「なんだそりゃ。そんな話をしてるんじゃないんだが」
「スキルに頼らなくても、女が近くにいることぐらい分かる。網タイツ忍者なら、なおさらだ」
「幹和尚様。そちらの方は?」
カーテンを開くように部分的に霧がはれ、黒装束の女が現れる。
「真鳥か。この男は、津神。俺の友人で冒険者だ。けどな、気を抜いて、近づくんじゃないぞ。でも、まぁ、そんなに悪い男じゃないかな? そんな気もちょっとだけする」
「なんだよ! その紹介は!?」
「和尚様がお連れされた方なら信用いたしますが、ただ」
「どうした?」
「怪しい者が多数。目的はわかりませんが、この先に里があることは把握しているようです」
「それで警戒中だったのか?」
「はい」
円状に森が拓かれた場所に隠れ里は存在した。
結界の外では、ミゾレが雪に変わっていたが、里の中では降っていない。
上空は霧に包まれ、里を覆い隠している。里から夜空を見ることはできなかった。
「ご覧の通り、里には女しかおりません」
「いいねぇ」
「津神、頼むから黙っててくれ」
「はいはい。タバコは吸っても?」
「ご自由に。酒もありますが、緊急時ゆえ、お控えいただければ」
翔一たちが通された茅葺の小屋の中は、土間と板張りの床しかない。
囲炉裏にかけられた鍋には、猪肉と数種類のキノコ。
「なぜ、この里の場所がバレたとお考えですか?」
里長を務める老女に幹が問う。
里長の背後に控えている真鳥は、頭巾を外して顔を出していた。
真鳥は当時26歳。ポニーテールの黒髪、睫毛の長い大きな瞳、胸は控えめだが、引き締まった大きな尻、網タイツ風の鎖帷子から部分的にハミ出す肉感的すぎる脚。
翔一は、タバコをふかしながら、真鳥の3サイズを脳内で正確に計算していた。
「おそらくは、山窩の血を引く者が手引きしているのではと」
「山窩。となると忍びか、退魔師か。目的はご存知で?」
「まず、間違いなく、巫女である澄子が目的でございましょう」
「ふむ。ならば、闇の連中が絡んでいると考えた方が良さそうですね」
「へぇ〜」
不敵に笑う翔一に、幹は問うた。
「冒険者ギルドのスキルシステムも、元は潰した闇系ギルドから奪った物だったよな?」
「俺に難しいことを聞かれてもなぁ」
「バカのふりして、とぼけるんじゃねぇ。『解析』スキルを、特別にポイント前借りで手に入れたお前なら、知っているはずだ。この万年Cランクめ」
「で? その澄子ちゃんが、どうしたって?」
「敵は、澄子の力を奪いたいのでしょう」
「隠しても無駄ですよ、こいつには。一眼みれば、『解析』で澄子様の異能を知ることができる。ですが、味方につければ役立つ男です」
「幹和尚がそういうのであれば。澄子を、ここに呼びましょう。真鳥、澄子をここに」
「御意」
小屋を出て行こうとする真鳥の尻を眺めている翔一。
「ええケツやのう。89cmってところだな」
『解析』スキルで真鳥のヒップサイズを言い当てた翔一を、冷ややかな目で見つめる幹。
「真鳥ちゃん、待つんだ!」
翔一は土間を走り、引き戸を開けようとした真鳥を遮った。
「板間に上がれ、外に何かいる」
「きゃっ」
翔一は、真鳥を両腕で抱えて板間へと上がった。お姫様抱っこである。
「これは、瘴気か?」
「気づくの遅いぜ、拝み屋」
「お、降ろしてください」
どこからか、軽快なリズムが流れてくる。
「ユーロビートだな」
「はぁ?」
土間の土が急激に盛り上がり始めた。
直径1m、高さ50cmほどの円柱が出来上がった。
バタッ!
突然、引き戸が開かれる。
四肢を獣のように使って女が土間へと侵入してきた。
顔を覆う長髪から、血走った目が開かれている。
「魔物か?!」
「いや、ゾンビだな」
ゾンビは土間の中心にある円柱のお立ち台の中心に立ち上がった。
ユーロビートの音量が急激に上がっていく。
ミラーボールの光が室内を回り始めた。
「こ、これは!?」
ボディコンワンレンの女ゾンビは、扇子を揺らして腰を振っている。
「バブルだなぁ」
いつかやりたかった過去回想編。




