054 お兄さんとお姉さん
『ほら、やっぱり似合ってる。っていうか、何着せても似合うのよね、この娘』
「かわいー。やっぱり、それ選びます? お兄さん、センスあるのねー」
店員が選んだ服の中から、リオがさらに選別して、俺がエルに手渡していく。
エルが試着室から出てくる度に、群がる店員や女性客が増えてくるのだった。
「お客様、お嬢様の写真を撮らせていただけないでしょうか? もし宜しければ、当店専属のモデルとして、そのぉ」
ショップの責任者らしい若い女性が問いかけてくる。
俺は、丁重に断らせてもらう。激しくどもりながら。
俺の渋谷マルキュー初体験である。
かなり必死に嫌がったのだが、リオに押し切られてしまったのだ。
夜に酷い目にあわされるよりマシかと思い従ったのが間違いだった。
リオによれば、ここは愛梨の行きつけのショップらしい。
値段は、比較的に良心的だと思う。
エルに金を渡して逃げようとしたら、そでを掴まれて阻止されてしまった。
エルの目は泳いでいた。緊張しているのは、俺だけではないようだ。
今もエルは、多くの視線を受けて、無表情のまま硬直している。
それが、なぜかマルキューの店員にウケていた。
その子、マネキンじゃないですからね。
建物を出ると、エルの足取りは軽くなった。跳ねるように歩いている。
新しい服が嬉しいのだろうか? だと、いいのだが。表情が薄いので分かりにくいのだ。
相変わらず、エルの容姿に視線を送ってくる人々は多い。
エルにとって、ショップでの注目と何が違うのか、俺には分からない。
『女の子扱いされるのに、慣れてないのかもね』
エルを見ながら、リオがつぶやいた。
前を跳ねるように歩くエルが振り向き、俺と目が合う。
エルは小走りで俺の後ろに下がり、下を向いて歩き出した。
「ん?」
自宅で待っていた祖母から新しい服を褒められると、エルは赤面して自室に逃げていった。
俺は抱えていた大量の紙袋をエルの部屋まで運ぶ。
エルは、祖母の姿見に自分を映していた。俺と目が合い、上がっていた口角をあわてて引き締める。
「わるいわるい。服、ここに置いとくから」
俺が部屋を出て引戸を閉めると、紙袋を漁り始める音が聴こえてきた。
『ふふ、かわいいじゃない』
「まぁね。考えていたより、普通の女の子なのかもな」
我が家の風呂は、廊下を挟んで祖母とエルの部屋の向かいにある。
祖母の眠りを妨げてしまうため、俺は夕食後すぐか朝早くに風呂に入ることが多い。
『どうせ朝にもお風呂入るんだから、今入んなくてもいいじゃない』
「今日も暑かったし、ショップで変な汗を大量にかいたからさ。気持ち悪いんだよ」
狭いバスタブにリオが一緒に入っている。
彼女は現世の湯に触れない、体を洗えるわけでもないので、その行為に特に意味はない。
ただ、俺と風呂に入る気分を楽しみたいのだと言う。
伸ばした俺の足と、こちらを向いたリオの身体が重なっているが、物理的に邪魔にはなっていない。
リオは、ときどき水中に潜って、俺の一部が反応しているのを確認しては、ニヤニヤと笑っていた。
『エルのことばっかり見てるから、ヤキモチやいちゃうわ』
「いやいや。エルとそういうことをする気はないから。たださ」
『首の傷が気になる?』
「まあ。どうしてもね」
『チョーカーとか、ラリエットで隠すこともできるわよ』
「あの子が望むなら、それもいいけど。俺から頼んで付けさせたくはないなぁ」
『エルは涼くんの命令なら、どんなことでも断らないんでしょう。本人も喜ぶかもしれないのに』
意味深なセリフを言いながら、リオは髪をかきあげて自分のうなじを俺に向ける。
引き締まった褐色の肌、背は低いがメリハリのある裸体。
上から順を追う俺の目線に気づいたリオは水中に顔を沈めた。
『美味しそう。ここでどう? 眠ってくれたら、すぐにでも楽しめるわよ』
「いやいや。この後、エルが入る湯を汚しちゃうじゃん。それに溺れ死ぬっての」
水に沈んだ上半身とは逆に、形の良い尻が水面から顔を出していた。
俺が風呂から出ると、リビングでTVを見ていたエルが風呂に向かった。
エルには、部屋着も買って置いたのだが、俺のジャージを着ている。
エルが我が家に来てから、俺もリビングで過ごす時間が増えていた。
彼女を放置して自室にこもることも、彼女と2人で自室に入ることも避けたかったのだ。
祖母のいるリビングで3人一緒にいるのが、無難に思えたのだった。
エルは、祖母の家事の手伝いをよくしている。俺がそれを望んだからだろうと思っている。
「涼、エルちゃんの勉強を見てあげてね。お兄ちゃんでしょ」
祖母が、突然に意外すぎる発言をした。
「お兄ちゃんって、俺? エルの?」
「他に誰がいるのよ。後、一ヶ月もしたら、エルちゃんを中学に通わせるんでしょ?」
「あ、うん。でも、お兄ちゃんって」
祖母が笑いながら、さらに続ける。
「あんた、妹に手を出したら、ここから出て行ってもらいますからね」
よく見ると、祖母の目は笑っていなかった。
親父が母さんに手を出すのを阻止できなかったのが、よほど堪えているのかもしれない。
エルが風呂から上がる前に、祖母は就寝についた。
ケルが祖母の後を追って着いていく。ケルは家族の顔を舐めて寝付かせるのが上手い。
俺は、そんなんで寝付かないけどね。
不思議だが、祖母と同じように、エルもケルの顔舐めで寝ているらしい。
風呂から上がったエルがリビングの入り口に立っていた。
エルは、今日買った部屋着兼寝巻きを着ている。
淡い黄色のタオル地の上下である。濡れた髪はタオルで巻いていた。
俺がエルを見ていると、ドアの陰に隠れてしまう。
「うぅ」
「何でやねん。かわいいじゃん」
「そ、そういうこと、言わないで」
ドアの陰から黒い触手が伸びると、器用に冷蔵庫から牛乳パックを取って縮んでいく。
「ごくごくごく」
くしゃっと音がすると、再び触手を伸ばして空になった牛乳パックをゴミ箱に捨てた。
「エル、着ている服を見せてくれ」
俺が命令すると、おずおずと言った風にエルが姿を表す。
「回って」
エルは、無表情を赤面させて従ってくれた。
「エル、似合うじゃん。かわいいよ」
エルの姿が消え、俺の目前に突然現れる。
驚く俺の頭を軽くはたいたエルは、パタパタとスリッパを鳴らして自室へと逃げて行った。
『涼くんって、Sもいけるのね。ドMだと思ってた』
「触手も縮地も、使い所まちがってるよなぁ。あいつ」
祖母のいうとおり、俺はエルを「妹」だと思うことにしようと思う。
子供の頃、妹が欲しいと母にねだったことがあった気がする。
今になって、その夢が叶ったのだろう。たぶん。
『愛梨はね。リョウくんに自分のことを可哀想だって思って欲しくないの。わかる?』
「子供の頃、事情を知らないでやさしくしてくれたのは涼くんだけ」という愛梨の言葉を思い出した。
愛梨が日本を発つ前に、彼女から直接、子供の頃の苦労を聞くことになった。
俺との契約を避けた理由は、もしかしてそれが原因なのか?
『それがすべてでもないけどさ。それも理由の1つでもあるかもね』
「そんなぁ」
俺の愛梨への気持ちは、ガキの頃の気持ちがそのまま蘇っただけだと信じたい。
純粋な想いだけだと言い切れるほど、もう幼くはないけれど。
でも、それでもいいじゃん。何が悪い。俺が愛梨を好きなことに違いはないのだ。
自室に戻った俺は、スマホを弄りながら、リオの話を聞いている。
朝方、自宅を出る前に、木野からもらった魔石をまとめて冒険者ギルドアプリに放り込んであった。
アプリの所持魔石一覧表示から、まだ確認していない魔石の情報を見ているのだ。
『可哀想だって思われるくらいなら、ただの性欲対象の方がいい。そう思う女だっているのよ』
「リオは、エルもそうだって言いたいのか?」
『わからない。でも、手を出さない理由があるなら、ちゃんと伝えてあげて欲しいかな』
「うーん」
『木野くんも手を出さなかったのよね? その上で捨てられた』
「ちょっと待てって。そうじゃないだろ。木野がエルを手放した理由は」
『女には分からないわ。男がカッコ付けたい理由なんて、いつもね』
俺には、一瞬だけリオが愛梨と重なって見えた。当然だわな、元は同一人物なんだから。
『寝付けないなら、ひつじさんハンマーを使ってもいいのよ』
ベッドに座る俺の横で、女子校生姿のリオが四つん這いでにじり寄ってくる。
俺が身に着けているのは、成人用オムツのみである。
「妹ってことでも納得してくれるかな?」
『さぁね。それは分からないけど、間違っても首の傷のせいだなんて言わないこと』
「うん」
『ねぇ。まだぁ? エルとそうなる前に、私の良さを思い知らせてあげる』
「俺だけじゃなくてさ。リオさんが、お姉さんやってくれたら助かるのになぁ」
リオは、驚いた顔で後ずさり下がっていく。
『なに言ってんだか? 会話もできないし、姿も見えてないでしょ』
「それがさぁ。エルは魔法少女カオルと、コミュニケーションが取れてたらしいんだよねぇ」
そんな話をしていると、アプリの魔石一覧で、「???」の魔石が点滅して光りだした。
「ん? 何だこれ?」
スマホをタップして、魔石を展開させる。何も出てこなかった。
もう一度、画面を確認すると、「???」だった魔石の情報が表示されていた。
「なになに? 『生霊召喚スキルのレベルを上げることが可能』だってさ。できるのはそれだけか? ふーん」
『え? 今からレベルを上げちゃうの?』
「うん。他にやることもないし」
『私といっぱいやることあるでしょー!』
スマホを操作して、「生霊召喚スキル」のレベルを上げてみる。
すると、8だったレベルが、一気に18にまで上がった。
アプリにメッセージが表示された。
Lv10 生霊の現世での臭覚が強化されました。生霊の行動半径が大幅に拡張されました。
Lv12 生霊召喚に必要なコストが撤廃されます。ただし、生霊に行わせる特定の行為に必要なコストはそのままです。
Lv15 任意の人物1名に生霊とのコミュニケーションが可能となります。
Lv18 任意の人物に、あなたが所持する生霊を憑依させることが可能です。
憑依について。
憑依は、その人物と行動を共にできる状態を指します。
つまり、あなたと生霊の関係を、別の人物に設定できるようになります。
憑依した人物を自由に操るような、いかがわしい行為には利用できません。
召喚とキャンセルは、憑依された人物には行えません。
決まったな。リオさん?
『御室とか、私、興味ないからね。憑依させないでよね』
「なんで、そこで御室やねん」
『すんすん。涼くん、いい匂い。興奮してきたー!!!』




