第34話 【不能犯】
「あむっ……んんっ……」
眠目はまるでリスのように頬を膨らませ、もごもごと口を動かしていた。対面には、柊と宮下が座っている。そして、テーブルいっぱいに、色とりどりのスイーツが並べられている。
「バケモンか、こいつ……もう二時間は食ってるぞ?」
「どういう仕組みなんだろ〜? 明らかに身体の体積以上の量、食べてる気がするんだけど」
──事件の翌週、土曜日。三人は約束通り、スイーツヘヴンの食べ放題に来ていた。ちなみに、代金は宮下持ちである。柊は後輩に奢らせるのは忍びない気がしたが、眠目はまったく気にする様子はなさそうだった。
「……ふぅ」
眠目はようやく口の中のものを飲み込んだ。
「まあ、甘いものは別腹と言うじゃないですか」
「お前の別腹は、ブラックホールにでも繋がってんのか?」
「店員さんたちが、さっきからこちらを見ていますね〜。これもレム先輩のかわいさゆえでしょうか?」
「ええ、当然でしょう。困ったものです」
(……帰ってほしいんだろ。困ったものはお前だよ……)
「しっかし、まんまとやられましたね〜。あの刑事さん、まさかあんなことをしてたなんて」
「ええ。私も油断していました」
* * *
「よお」
「……? 明智警部補?」
眠目の自宅マンションの前。車を降りた三人を待ち構えていたかのように、明智が姿を現した。
「どうされたんですか?」
「ちょいと、仔猫ちゃんの肉球に用があってな」
「肉球? 何言ってんだ、この人」
「手のひらをぷにぷにしたいってことですかね〜?」
宮下は眠目の左手をぐいと掴み、両手でぷにぷにと押してみせた。
「…………」
眠目はムッと口を尖らせる。だが、案外まんざらでもなさそうな様子だ。
「そっちじゃねぇよ。足の方だ」
「え〜! 足ですか〜!? さすがにそれはちょっと……」
「足フェチかよ……」
「いいから、ちょっと右足を上げてみな」
「……?」
眠目は訝しげにしながらも、言われた通り右足を小さく浮かせた。明智はその場にかがみ込み、靴の縁から何かを剥がし取る。
「……なんですか、それは」
「…………」
明智は答えない。指先でつまんだ小さな機械のボタンを押した。すると──
『氷室輝夜さんを殺害した、赤いレインコートの人物。それは──音無雫さん。あなたです』
「──っ!」
「え!?」
眠目の声が、明智の手元から流れ出した。
「仔猫ちゃんはイタズラ好きだからな。念のため、録音させてもらっといたぜ」
「ま、マジか……」
眠目の推理が、明智の手元から流れ続ける。四人は黙ったまま、それを聞いていた。
『──というわけで。私は真相を確認しに来ただけですので。これにて失礼します』
「……なるほどな。AR映像を使ったアリバイ工作か。よく考えたもんだぜ」
明智は感心したように頷く。一方、眠目は露骨に不機嫌そうな顔で彼を睨んでいた。
「明智さん。まさか、それを証拠として提出するつもりですか? 明らかに違法捜査でしょう」
「まさか。こんなもん、証拠にするわけねぇぜ」
そう言って、小型の録音機を足元へ放った。そして──踵で思い切り踏み潰す。小さく火花が散り、明智が足を上げたあとには、粉々になった部品だけが残っていた。
「俺の個人的な推理で、音無 雫──いや、氷室 輝夜を犯人と見なす。ついでに、そっちの仔犬ちゃんのクラウドに残っている写真を調べさせてもらうぜ」
「チッ……! 姑息な真似を。刑事の風上にも置けない人ですね」
(証拠を隠滅しようとしたお前が言えたことか……つーか、『仔犬ちゃん』って俺のこと……だよな)
* * *
「先輩の名推理によって見事、氷室 豪さんは釈放。警察は、“音無 雫”さんの行方を追っているそうです〜」
「まぁ、結局彼女は行方不明。半分は豪さんの望み通りということで、よしとしましょう」
(……こいつ、下手したら捕まってたんじゃ……)
「……というか、見ました〜? 村上 狼さん、今めちゃくちゃ叩かれてますよ。『氷室 輝夜が死んだのはこいつのせいだ』って。茅野 瑞稀さんの件まで掘り返されてるみたいです〜」
「自業自得、と言ってしまえばそれまでですが。気の毒ではありますね。人を吊し上げる側にいた人間が、今度は自分がスケープゴートにされるとは」
「……なんか、もやもやするよな。ここまで何も変わらねぇもんなんだな」
「そう簡単には変わりませんよ。それこそ、法律そのものが大きく変わるくらいでなければね。極端な話、『誹謗中傷は死刑』なんて法律ができれば、ネットの空気もかなり変わるでしょうね」
「変わるっつーか、誰もいなくなるだろ」
「でも、ちょっと怖いですよね〜」
「何が?」
「だってほら。ミュージアムの来館者だけでも、百万人を超えてたでしょ〜? ってことは、すごく雑に計算するとさぁ。日本人の百人に一人くらいがあの殺人に関わってるってことじゃん。街を歩けばすれ違うかもしれないし、なんなら──この店の中にもいるかもね〜?」
「あー、確かにな? そう言われると、ちょっと怖ぇな」
「やれやれ。影響されすぎですよ。氷室 輝夜──いえ、音無 雫の炎上には、かなり恣意的な誘導が見られました。炎上に関わった人間すべてに、明確な悪意があったとも言い切れませんよ」
「でもでも〜。悪意がない方が、よっぽどたち悪くないですか〜? それこそ、茅野 瑞稀さんを叩いてた人たちだって、悪者を懲らしめてるつもりだったんですよね?」
眠目の手がぴたりと止まった。フォークの先に刺さったケーキをそのままに、じっと宮下を見る。
「……? どうしたんですか? 早く食べないと、そろそろ本当に追い出されそうですよ〜?」
「……いえ、なんでも」
眠目は再びフォークを動かし、ケーキをぱくりと頬張った。そのとき──
「──うっ!」
不意に柊が腹を押さえて呻いた。その顔は、くしゃりと歪んでいる。
「どしたの?」
「は、腹が……!」
「あ〜。蓮司くんも結構食べてたもんね〜。あははっ!」
「と、トイレ……!」
「向こうだよ〜」
宮下が店の奥を指さす。柊は勢いよく立ち上がると、腹を押さえたまま早足でそちらへ向かっていった。
宮下は、その背中をぼんやりと見送る。やがて柊の姿は店の奥へ消えた。
「……宮下さん」
「……? なんですか〜?」
「茅野 瑞稀さんの件で、あなたに一つ伺いたいことがあります」
「ああ、はい。どうぞ〜?」
「あれからノイマンにあなたの顔写真を学習させて、事件の関連資料を検索させてみたんですよ」
「え〜!? なんでそんなことしたんですか〜?」
「なんとなくです」
「な、なんとなくですかぁ。それで? 何か出てきたんですか?」
「一件だけ。茅野 瑞稀さんが剥がしのスタッフとして参加していたイベント。その動画の一つに──ほんの小さくですが、あなたが映り込んでいました」
「そりゃ、そうですよ。私もあの日、バイトで働いてましたから。母の代わりに出勤したっていう体でしたけど」
「…………」
「あっ、ちなみに〜。茅野 瑞稀さんに剥がしの仕事を代わってもらったバイトの女の子って、私のことですよ〜。『私、身体が小さいから代わってほしい』ってお願いしたんです。そのとき、嘘の指示を教えました〜。すごく真面目そうな人だったから、ちゃんと言われた通りにやるだろうな〜って思ってたんですけど、案の定でしたね。しっかり指示通りに仕事してましたよ〜?」
宮下は淡々と答えた。悪びれる様子は、まるでない。眠目が追及するまでもなく、聞かれてもいないことまで自ら口にしてしまっている。
「……拡散された動画については?」
「それは知りません。その場にいたファンが瑞稀さんの対応を見て、勝手に動画を撮っただけですよ〜」
「なぜ、そのようなことを?」
「なぜって……分かるでしょ? ゲーム制作ですよ。どうでしたか? 今回のゲームは」
「…………」
二人の間に、沈黙が落ちた。その間も宮下は、変わらず楽しげに笑っている。
「……例えばの話ですが。私が呪いの人形を作り、柊さんに“下痢になる呪い”をかけたとします」
「あれ、呪いだったんだ〜。ひどいことしますね〜、先輩!」
「柊さんは実際に下痢になり、トイレに籠った。そして、そのまま脱水症状を起こして死亡した」
「あらら〜。死んじゃったんだ、蓮司くん」
「この場合──私は殺人罪に問われますか?」
「無理じゃないですか〜? 呪いの人形と、蓮司くんが下痢になったことの因果関係なんて証明できませんから」
「ええ、その通りです。あなたがしたことは、瑞稀さんに嘘の指示を与えた──ただそれだけ。単体で見れば、悪趣味なイタズラでしかありません。その行為から炎上・自殺に至るまでのすべてを、あなたが意図していたと証明し、罪に問うことは難しいでしょうね」
「……というか〜。私、あれから気になってることがあるんですけど」
「……なんですか?」
「結局、氷室 輝夜さんの動機って何だったんでしょうね? そこだけ、最後まではっきりしなかったじゃないですか〜」
「…………」
眠目は訝しげに宮下を見つめた。話題を逸らそうとしているようには見えない。本当に、ただ疑問に思ったから聞いただけ──そんな顔をしている。
「さあ? 今となっては分かりませんよ。“音無 雫”さんは、行方をくらませていますから。彼女を探すゲームでも始めますか?」
「あ〜。いいですね、それ」
「……ゲームといえば。私、ゲームの遊び方には少しこだわるタイプなんです」
「どんなこだわりですか〜?」
「例えば、あまりに強すぎるアイテムは使わない。なるべく低いレベルのまま、クリアを目指すなど。与えられたルールの中で、自分なりの遊び方を考えるのが好きなんですよ」
「あ〜、分かりますそれ〜! 私も高難易度って言われてるゲームを、一回も死んじゃダメって縛りでやったりしますよ〜」
「そうですか」
「はい〜」
「……そういう訳で。私もあなたのゲームを、自分なりの遊び方で遊ぶことにしました」
「……へぇ……」
宮下の口元に、不敵な笑みが浮かんだ。喜び、好奇心、そして──ほんの僅かな恐怖。いくつもの感情が入り混じった、複雑な表情だった。
「どんな遊び方ですか〜?」
「先ほど言った通り、今のあなたを罪に問うことは非常に難しい。ですから──あなたを法律で裁くという遊び方をしてみようと思います」
「……私を……裁く?」
「ええ。なんとかしてあなたを警察へ突き出す方法を考えます。なので、もし“次”があるのなら、細心の注意を払った方が身のためですよ」
「……ふっ……あーっはっはっは! レームせんぱ〜い! たった一人の睡眠部の後輩を、警察に突き出すだなんて〜! ひどいですぅ〜!」
「部室も広くなりますし、うるさい人間も減る。私にはメリットしかありませんが?」
「先輩が寝てる間は、大人しく本読んでるのに……うえ〜ん」
「──あ〜、スッキリした」
「うわっ!? 蓮司くん、生きてたの?」
「人のことを勝手に殺すな」
「……さて。話はこの辺にして、次の注文をしましょうか」
「まだ食うのかよ!?」
「レム先輩だけで、私たち三人分の元とってそうですね〜」
眠目は再びスイーツを注文し、届くなり黙々と食べ始めた。柊はその様子を、珍獣でも眺めるような目で見つめている。
「…………」
宮下は、期待に胸を膨らませていた。普通に考えれば、自分が罪に問われることなど万に一つもあり得ない。そう思っていた。
だが──眠目なら、どうにかしてしまうかもしれない。そんな矛盾した思いを胸に、スイーツを頬張る眠目を楽しそうに見つめていた。




