絶対零度のロックスター
とある日の昼下がり。
今日も外は狂気的な灼熱の暑さだ。
一歩外に出れば、街全体が巨大なオーブンの底に沈み、全人類がこんがりと焼き尽くされてしまうような、そんな絶望的な夏。
しかし、この窓ガラス一枚隔てた狭いオフィスは、外の地獄なんて知ったこっちゃねえとばかりに冷え切っている。
設定温度は20度。サーキュレーターが唸りを上げ、空気はキンと張り詰め、ちょっとした冷凍倉庫の趣すらある。はっきり言って、極寒だ。
誰もが長袖のカーディガンを羽織り、温かいお茶ですすりたくなるような環境である。
だが、私の目の前に座る、キューピー人形をそのまま中年まで育て上げたような男には、この絶対零度の冷気がまったく届いていないらしい。
「あついあつい、今日も地球は沸騰しとるがな」
男はそうブツブツと文句を言いながら、丸々と肥えた己の肉体をこれ以上焦がさぬよう、焼鳥屋の主のごとくせっせと団扇を煽っていた。
もはや彼自身が、独自の気候を持つ動く熱源だ。
今夏の電気代を単独で吊り上げている主犯は、間違いなく目の前のこいつである。
すると突如、男は限界を迎えたのか席を蹴ってそそくさと外に出た。
トイレか、と思った矢先、彼はアイスの「パピコ」を両手に一本ずつ掲げ、まるで聖火ランナーのような満面の笑みで帰ってきた。
この極寒のオフィスで、彼は一人、涼のゲリラ豪雨を全身に浴びている。
彼はトコトコとこちらへ歩み寄ると、二本のうちの一本をニッコリと差し向けてきた。
「一本どうすか? キンキンに冷えてますよ」
私は静かに首を振って拒絶した。
ここでそれを食えば、私はデスクで凍死体となって発見されることになる。
席に戻った男は、パピコをストローのように咥え、頬を思い切りへこませながら、短いクリームパンのような指で猛烈な勢いでキーボードを叩き始めた。
ガタガタガタガタッ! と、凄まじいタイピング音が静かな部屋に響き渡る。
まるで、怒涛の連打を繰り出す凄腕のドラマー。
ふざけた見た目で遊んでいるように見えて、その実、彼が叩き出している売上は今期も営業部ダントツのトップなのだから世の中わからない。
あの立派な三段腹には、夢と油と、競合他社をことごとくねじ伏せる確かな才能が詰まっているらしい。
と、急に猛烈なタイピングがピタッと止まった。パピコを完食したようだ。
彼は満足げにふぅと息を漏らすと、何を思ったのか、突然自分のシャツの胸元をガバッと開き、卓上扇風機の風をダイレクトに肌に送り込み始めた。
おい、やめろ。お前のその、そこそこに剛毛な胸毛をご開帳するんじゃない。
ここはサファリパークではないし、私はその手のマニアではない。
しかし、風を浴びて恍惚の表情を浮かべるその姿は、往年のロックスターさながらの風格がある。悔しいが、絵力が強すぎる。
するとロックスターは急に真面目な顔をして電話を取り、大口顧客との交渉を始めた。
さっきまで胸毛を晒していた男とは思えない、相手の懐にするりと入り込む絶妙なトークスキル。
「いやだなあ、社長! 私がそんなことするわけないじゃないですか〜。今度また美味い寿司、連れてってくださいよ!」
電話越しでもわかるほどの笑い声が聞こえる。
これだ。この「人たらし」の才能があるから、彼の成績はいつもトップなのだ。
いつ見ても飽きない男だな。
私はデスクチェアに深く背もたれを預け、満足げに彼を眺めていた。
その時だった。
「――失礼します。社長、大変恐縮なのですが、今期の全体の営業方針の件で、少々お時間をよろしいでしょうか」
ピシッと張り詰めた、絵に描いたように真面目な若手社員の声。
私はすっと表情を消し、ネクタイの結び目をきゅっと直した。
「ああ、構わないよ。……それじゃあミーティングルームへ行こうか」
先ほどまでパピコを咥えた部下の胸毛を採点していた男とは到底思われないよう、重厚で威厳に満ちた声を響かせながら、私はゆっくりと立ち上がった。




