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第六話 手放せない

俺はなんだか、寝付けなかった。


昼間の、リリスの誘惑。

すぐに断らなかったことが、頭から離れない。


もちろん、

誘いを受けようと思ったわけじゃない。


それでも、あの一瞬、

ヴァルガの顔が浮かんで――消えた。


「はあ……」


何度目かの寝返りを打って、俺はベッドから起き上がる。


散歩でもしよう……


ガチャリ。


扉を開いた、その先に立っていたのは――


驚いたような顔で、固まっているヴァルガだった。


「あ……え……?」


困惑と一緒に、意味のない声がこぼれる。


見開かれた赤い瞳は、

一瞬遅れて、はっきりとした悲しみを帯びる。


「どこに、行く……?」


気づけば、両腕を掴まれていた。


「まさか……」

「リリスのところへ……!」


「え……なんで、知って……」


俺の言葉を聞いて、ヴァルガは息を呑んだ。

掴まれていた腕から、ゆっくりと力が抜ける。


「……そうか……」


拳を強く握りしめたまま、ヴァルガは俯いた。

色が変わるほど力を込めているのに、声だけは不思議なほど静かだった。


「お前が……そう決めたのなら、俺は、何も言わない」


……あれ?


何か、致命的に勘違いしていないか。


「ちょっと待て、ヴァルガ……」


伸ばしかけた声を、彼は遮るように首を振る。


「……聞きたくない」


掠れた声でそう言い残し、ヴァルガは背を向けた。


俺が、リリスのところへ行くと思っている?


――そんなわけない。


誰かで気持ちを紛らわせるみたいなことも、

寂しさをごまかすために、流されるみたいな選択も。


そういうのは、違う気がした。


何が正しいのかは、まだ分からない。

自分がどうしたいのかも、はっきりしない。


でも、そんなふうに、自分を誤魔化すのだけは嫌だった。


暗い廊下に、ヴァルガの足音が遠ざかっていく。


姿が見えなくなっても、

俺はその場所から、しばらく動けずにいた。


***


ゆらゆらと揺れる蝋燭の火の向こうで、

スライムとヴァルガは、机を挟んで向かい合っていた。


「やれやれ……本当に、やるおつもりですか?」


「ああ。かまわない」


「……この秘術は、お体に大きな負荷がかかります」


「関係ない」


即答だった。


スラ様は、わずかに沈黙し、

溜め息のように体を揺らす。


やがて引き出しを開け、器用に何かを取り出してヴァルガに差し出した。

赤い石がはめ込まれた、首飾りだった。


「……これは、使うたびに、

 身を削るような代物です」


視線を伏せ、低く続ける。


「姿を変えている間は、本来の力は抑えられる。

 それに……何度も繰り返せば、体そのものが耐えられなくなる」


「元に戻ったからといって、

 すべてが元通りになるわけではありませんぞ」


ヴァルガは一度だけ頷き、首飾りを受け取る。


「……わかってる」


「だが……もう……」


指先で石に触れ、低く呟いた。


「……これしか、ないんだ……」


赤い石が、蝋燭の火を映して、鈍く脈打った。


***


いつものように、厨房で忙しく働いていると、

ふと、何かの視線を感じた。


入り口をちらりと見ると、

女の子がひとり、こちらをじっと見ている。


長い銀髪。

褐色の肌。

赤い瞳。


──えっ?


思わず、二度見した。


ヴァルガ……に、そっくりだ。


誰だ……?


「そっち! 玉ねぎ刻んでくれ!」


同僚の声と同時に、どさりと玉ねぎの山を置かれる。


俺は、彼女のことが気になりながらも、

視線を戻して、目の前の仕事に没頭した。



「はる……番、様」


仕事がひと段落して、帰ろうとした矢先、

後ろから、ぎこちない声で呼び止められた。


振り向くと、さっきの少女が立っている。


近くで見ると、本当にヴァルガによく似ていた。

銀色の髪の色も、褐色の肌も、赤い瞳も――

思わず、息が止まるほどに。


けれど。


視線を下ろして、すぐに違いに気づく。


俺よりも低い背丈。

細い肩と、華奢な体つき。

衣服の下で、女性らしい丸みがはっきりと分かる。


胸元で、赤い石の首飾りが小さく揺れていた。


――そこで、はっとする。


ばか。露骨に見過ぎだ。


慌てて視線を逸らし、咳払いをひとつ。

頭の中で必死に言い聞かせる。


どう見ても、ヴァルガじゃない。

似ているだけの、別人だ。


「き、君は……」


「……あたしは、ヴァルガの妹です。

 名前は……ルナ、と言います」


一瞬、間があったことが少し引っかかったけど、純粋に驚いた。


「え、ヴァルガに妹がいたんだ……」


思わず口に出てしまう。

ヴァルガに、家族がいるなんて想像したこともなかった。


「えっと……ルナ、ちゃんは、どうしてここに?」


「……番様の、料理が……食べてみたくて」


視線を伏せたまま、小さく答える。

どこか、落ち着きがない。


「すごく……美味しいって聞いて……

 それで……」


言葉を選ぶたびに、少しずつ声が弱くなる。


「そっか。でも、もうまかないは食べきっちゃったんだ」


そう言うと、ルナは分かりやすく肩を落とした。


……なんだか、その反応まで、

ヴァルガとよく似ている。


思わず、くすっと笑ってしまった。


「今から、簡単なの作るよ。

 すぐできるから、少し待ってて」


そう言うと、俺はもう一度、包丁を手に取った。



「……美味しい」


ルナは目を丸くして、もう一口、もう一口と箸を進めていた。

止まらない、という様子で口いっぱいに頬張っている。


「そんなに気に入ったなら、よかった」


俺がそう言うと、ルナは何度も頷いた。


「晴斗の作るものはきっと、なんでも美味しい……!」

「料理長をクビにして晴斗を提げればいいか……? いや、全部を任せたら晴斗の負担になる……」


独り言みたいな早口。

箸は止まらない。


「……晴斗?」


思わず名前を拾うと、ルナはびくっと肩を揺らした。


「あっ……名前……いや、兄がいつも言ってて……ごめんなさい」


一瞬だけ、視線が泳ぐ。


「あ、ああ。そうなんだ」

「いいよ。晴斗で」


「……ありがとう」


ほっとしたように小さく息を吐き、

ルナはまた料理に向き直った。


その時だった。


「番様ー! まだ仕事してますの? 食後のお茶はいかがですかー?」


勢いよく厨房に入ってきたリリスが、

ルナの姿を視界に入れた瞬間――


「ゔっ!!」


短い悲鳴。


一瞬、時間が止まったみたいに固まり、

次の瞬間、何事もなかったように踵を返す。


「……あ、私、急に用事を思い出しましたわ」


そう言い残して、そそくさと姿を消した。


「リリス、どうしたんだろ……」


「……さあ。あれは少々、頭がおかしいので」


「ええ?」


俺が首を傾げている間にも、

ルナはもう食事に戻って、にこにこしながら箸を動かしている。


……二人とも、仲、いいんだな。


そう、一人で納得した。


***


厨房を出た廊下で、リリスは壁に手をついて立ち止まった。


「……まじかよ、あいつ……」


「あの夜、番様はこなかったって言ったのに……」


吐き捨てるような独り言に、


「それほど、真剣な想いなんじゃろう」


肩の上のスラ様が、静かに答える。


「あのヴァルガが、ねえ……」


リリスは前髪を無造作にかきあげた。


「……正体を明かせば、拒まれると思って、妹設定ってわけ?」


「……それにしても、女に変身するなんて……」


「おぬしが魔王様を焚き付けたりするからじゃぞ」

 

「で、でも、二人を見てると、もどかしくて!」


「あの方も、初めてできた大切なものを失いたくなくて必死なんじゃ。

理解しておやり」


「……はあ。仕方ない。茶番に付き合ってあげますか……」


リリスはそう言って、深く息を吐いた。


***


ルナとは、何気ない場所で偶然遭遇するようになった。

雑談をして、たまにお茶をしたり。

少し前までは、リリスとスラ様がそうしていたことを、いつのまにかルナがするようになっていた。


不思議と、三人が顔を合わせることはなかった。


なぜか、最近はリリスたちを見かけない。

忙しいのかもしれない。

ヴァルガの側近だものな……。



ルナと会うと、少し困ることがあった。


ルナは、やたらと距離が近い。

最初は、もじもじしていて、

人見知りなのか、シャイな性格なんだと思っていた。


けれど、慣れてくると違った。


隣に座る。

袖を引く。

腕に触れる。

気づけば、体ごと寄り添ってくる。


悪気がないのは分かっている。

けれど、その距離感にはどうしても戸惑ってしまう。


密着するたび、

触れてはいけない場所に触れそうになって、

俺はさりげなく体を引く癖がついた。


以前、あまりにも距離が近くて、


「仮にも、俺って君の兄さんの番だろう?」


そう言ったことがある。


すると、ルナは一瞬きょとんとしてから、

なぜか顔を真っ赤にして俯いて、

それ以上、何も言わなかった。



ヴァルガとは、あれ以来会っていない。


会いたくない、と言えば嘘になる。

それでも、顔のそっくりなルナがそばにいると、

まるでヴァルガと話しているような気分になってしまう。


それが、少しだけ嬉しくて、

同時に、そんなふうに代わりで満たされている自分が、

ひどく申し訳ない気もした。


誰かで埋めるのは違う。

でも、同じ顔で、同じ仕草で、

同じように気にかけられると——

それを拒む理由が、どうしても見つからなかった。


***


書庫の長机にルナと向かい合い、俺は紙を睨んでいた。


「……同じに見えるんだけど」


「違います」


ルナが静かに首を振る。


「この二つ、線の流れが違うんです」


「いや、ミミズが踊ってるみたいで分かんねえよ……」


紙の上には、似たようなぐにゃぐにゃした文字が並んでいる。

どれも同じ形に見えて、違いが分からない。


俺は再びペンを取って、慎重に書き進めた。


この世界の言葉は、なぜか普通に話せる。

けれど、読み書きはまるでだめだった。


せめて文字くらいは覚えたくて、ルナに頼んだのだ。


……む、結構、いやかなり難しいぞ。


「ゆっくりいきましょう。大丈夫です。晴斗ならできます」


「……なあ、それじゃあ、『ヴァルガ』ってどうやって書くのかだけ教えて」


「えっ」


ルナの指先が、ぴたりと止まった。


「ど、どうして……お……兄の名前を?」


ほんのわずかに声が上ずる。

赤い瞳が、驚いたように揺れた。


「あ、あー……なんとなく? 名前から覚えたほうが覚えやすいかなーって……」


「……そう、ですか」


視線を落としたルナの頬が、じわりと色づく。

落ち着こうとしているのか、小さく息を吐いてから、紙に向き直った。


ヴァルガに手紙を出そうと思ってる、なんて。

そんなこと、なんだか妙に恥ずかしくて言えなかった。



「よし、書けたぞ」


ルナのお手本と見比べる。

やっぱり、ぐちゃぐちゃなミミズ線だ。


「あーだめだ、難しい」


俺は紙に突っ伏し、拗ねて端に落書きを始める。


丸い顔。

目を二つ。

口を曲げる。


「……それは?」


上から覗き込むルナの影。


「俺の世界だとさ、文字だけだと味気ないから、こういうの付けたりするんだよ」


もう一つ、『ヴァルガ』と書いた横に、困った顔を描く。


「気持ちがちょっと分かりやすくなる」


「……これ、晴斗の顔ですか?」


「そうそう」


ルナはしばらくその絵を見つめてから、

そこにそっと、別の丸を描き足した。


にこり、と笑う顔。


「……それなら」


小さく言う。


「『ヴァルガ』の横には、こっちの笑顔がいいです」


顔を上げると、赤い瞳とぶつかる。

切なさと、期待と、何かを堪えるような光が混じっている。


「ルナちゃ──」


そのとき。


書庫の扉が勢いよく開いた。


「まお……ルナ様!」


リリスだった。

急いできたのか、肩で息をしている。


「森に、奴らが入り込んでいます。今回は十二体。数が多すぎます」

「我々だけでは、対応しきれません……」


森。


久しぶりに、あの化け物の姿が脳裏に浮かび、背筋がひやりとした。


「それって、もしかして……」


リリスは、苛立たしげに髪をかきあげる。


「ええ。

 “黒濁こくだく”ですわ」


短く吐き捨てるように言ってから、こちらを見る。


「番様は、見たことがありましたわね。あの化け物」


――黒濁……

あの、森で見た化け物。


城の中で見かける魔族たちとは、

明らかに雰囲気が違っていた。


俺を見つけて、迷いなく襲いかかってきて、

ヴァルガが、あっさりと斬り捨てた――


スラ様は肩の上で身じろぎもせず、低く落ち着いた声で言った。


「あやつらは、定期的に森の外から入り込んできます」

「我らが、どうにかしなければ……」


俺は自分の手を強く握りしめていた。


ただの一般人の俺には何もすることができない。

歯痒かった。

こういう時に何かできるのなら、もっと胸を張ってここにいられるのに。


「あんな化け物が、常にくるなんて……」


「俺にも、奏みたいに力があれば……」


スラ様は俯く晴斗を見つめ、意を決して口を開いた。


「……でしたら、番様にも手伝っていただくという手も――」


「え? 俺が? 手伝えること、あるの?」


「スラ、リリス」


話を遮るように、ルナが口を開いた。


「俺が出る」


『俺』というのも気になったが、そんなことより心配になった。


「えっ……ルナちゃんが?」


ルナは、穏やかに微笑んだ。


「……兄は、外出中だから」

「大丈夫。あたし、強いですよ」


そう言い切る声に、迷いはなかった。


「晴斗は、ここで待っていてください」

「帰ったら、また勉強の続き、しましょう」


「でも、ルナ様……そのお姿では……」


リリスが、ためらうように口を挟む。


「問題ない。行くぞ」


短くそう告げて、ルナは踵を返す。


リリスを引き連れ、書庫を出ていく背中を、俺はただ見送ることしかできなかった。


「俺が、手伝えることって……なんだったんだろう」

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