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第五話 魔王の側近たち

俺は、城の厨房の前で足を止めた。


根菜が煮込まれる匂いが、廊下まで流れてきている。

今日の昼飯は、なんだろう。


そんなことを考えながら匂いを追っていたら、

気がつくと、部屋の中まで入り込んでいた。


厨房の中では、魔族たちが忙しそうに立ち働いている。


そのうちの一人と、ぶつかりそうになって――


「あっ……すいませ……」


「おいそこ! サボってんな!」


「えっ、えっ?」


混乱する間もなく、

俺はいつのまにかジャガイモを渡され、

皮を剥く仕事をしていた。


***


ようやく終わった頃には、昼はとっくに過ぎていた。

久々に、腹が減るのも忘れて仕事に没頭していた。


元の世界では、バイトを掛け持ちしていた。

大学と仕事の両立はきつかったけど、生きるためには仕方がなかった。


飛び散った野菜の皮を、一箇所に集めて袋に入れる。


渋々やっていたはずの作業が、

今はなんだか、ひどく心地いい。


体を動かして、役に立って、

終わりがちゃんと見える。


それだけのことが、久しぶりだった。


「すみませんでしたねえ、最後までやってもらって」


背中越しに声をかけてきたのは、この厨房の料理長だった。


「いえ。お役に立てたなら、よかったです」


「忙しかったもんで、人間だなんて気づきもしませんで……

 まさか、番様が厨房に来るなんて」


料理長は、あはは、と照れるように笑った。


「そもそも、人間がこの城まで来ること自体、ありえませんからねえ」


クマに似た姿の魔族。

それでも、さっきまでフライパンを振るっていた動きは驚くほど滑らかだった。


この人が、

いつもあの料理を作っているんだ。


そう思うと、ちょっと感動した。


ここで働けたら——


ふと、そんな考えがよぎった。


厨房は忙しくて、

明らかに人手が足りていない。


俺でも、役に立てることはあるはずだ。


「あ、あの……俺……」


***


それから、俺は厨房で働くようになった。


最初は料理長も、

「番様に仕事をさせるなんて」と首を横に振っていた。


それでも俺は、毎日通った。

頼まれていなくても、勝手に雑用をした。


下ごしらえ、掃除、皿洗い。

できることは、なんでもやった。


そのうち、


「人間は、なかなか堪え性がありますなあ」


そんなふうに言われて、

いつの間にか、正式に手伝わせてもらえるようになっていた。


仕事があると、忙しくて、

余計なことを考えなくて済む。


ここにいる理由も、

ヴァルガのことも——


胸の奥に沈めたまま、

手だけを動かしていられた。


***


ある時、

「人間の料理を食べてみたい」

そんな料理長の一言がきっかけで、俺がまかないを作ることになった。


元の世界と、ほとんど変わらない食材。

調味料も揃っていて、困ることはほぼない。


俺は別に、料理が得意なわけじゃない。

ただ、自炊の期間が長かっただけだ。

生きるために、作らざるを得なかった。


――まかない、か。


余った材料で、手早く腹を満たす料理。

豪華さはいらない。


鍋に油をひいて火を入れると、

厨房にじわりとニンニクの匂いが広がった。


できあがったのは、即席のチャーハン。

卵と鶏肉、ネギ。

仕上げに醤油を少し。


料理長に差し出すと、物珍しそうに皿を覗き込み、

一口、口に運んだ。


「うまい!」


即答だった。


周りにいた魔族たちも、半信半疑でスプーンを伸ばし、

次々と食べ始める。


人に自分の料理を食べさせるなんて、

ほとんどしたことがなかった。


だから、少しだけ緊張していた。


「ほら、うまいだろ」

「人間の味付け、悪くないな」


そんな声が飛び交うのを聞いて、

胸の奥が、じんわり温かくなった。


それから、俺は

まかないも任せてもらうようになった。


***


いつものように、まかないを作っていると、

不意に、女性の手がにゅっと伸びてきた。


ぎょっとして顔を上げると、

その手は、ひらりと軽く振られる。


「番様」


声の方を見ると、女性の魔族が立っていた。


ゆるやかに波打つ緑色の髪。

紫の瞳が、薄く細められてこちらを見ている。

思わず目を奪われるほど、整った顔立ちだった。


ほとんど人間と変わらない姿で、

違うところといえば、背中に生えたコウモリのような羽と、

身体の線を強調する、やけに際どい服装くらいだ。


「いい匂いですわね。

私も、番様の料理、食べてみたいの」


にっこり笑われて、

胸のあたりが、落ち着かなくなる。


まかないは、厨房で働く者のものだ。

けれど、一皿くらいなら――


「ど、どうぞ……」


「ありがとう」


皿を受け取る、その仕草が、

妙にしなやかで。


ただそれだけなのに、

なぜか、視線を逸らしてしまった。


「……美味しい!」


リリスは思わず口元を押さえ、目を丸くした。

その反応に、俺は内心ほっとしてしまう。


「ほら、スラ様も食べてみて」


そう言って、彼女はなぜか自分の肩口へスプーンを運ぶ。

その動きに眉をひそめた、その瞬間――


ひょこり。


長い髪の隙間から、小さなふよふよした塊が顔を出した。


「あ……スライム……」


思わず、声が漏れる。

ゲームで最初に出てくる、あの姿そのまま。

ぷるぷるとした半透明の体に、くりっとした目。


――本当に、いるんだ。


スライムは差し出されたスプーンを受け入れ、

もぐもぐと咀嚼するような動きをしてから、俺を見上げた。


「結構なお手前でございますな。

番様には、料理の才能がおありのようで……」


そう言って、深々と頭を下げる。


……思っていたスライム像と、だいぶ違う。


「リリス様……!」


料理長が、大きな体を揺らして慌てて駆け寄ってくる。

即座に彼女の前に立ち、頭を下げた。


「こ、こんな厨房に……。

いったい、どういったご用件で?」


その声には、隠しきれない緊張が滲んでいた。

ただの来客じゃない。

それだけは、俺にもはっきり分かった。


「あの……この人たちって……」


俺の視線に気づいたのか、料理長が小さく咳払いをする。


「あ、ああ。番様は、まだお会いになったことがありませんでしたか。

こちらは、魔王様の側近――リリス様と、スラ様です」


「ヴァルガの……」


思わず、名前が口をついた。

その言葉だけで、胸の奥がちくりと痛んだ。


魔王の側近。


俺の知らないところで、

当たり前の様にヴァルガのそばにいる存在だ。


何の用なんだろう。

そう思っているのが顔に出てしまったのか、リリスは持っていた皿を軽く掲げてみせた。


「ここに来れば、番様の手料理が食べられるって聞いたもので」


悪びれもせず、リリスはにこりと笑う。


「魔王様も――」


言いかけて、はっと口元を押さえた。


「……いえ。

最近、番様が部屋にいらっしゃらないから、安否確認ですわ」


ほほほ、と取り繕うように笑うリリスを、

スライム……スラ様はじっと、少しだけ冷ややかな目で見つめていた。


――まったく、口の軽い娘だ。


そんな気配が、なぜかはっきり伝わってきた。


***


それから、リリスとスラ様は、毎日のように俺の前に現れるようになった。


厨房で働いている時だけじゃない。

書庫で本を探している時も、庭を歩いている時も。

気がつくと、二人は俺のそばにいて、他愛ない雑談をして帰っていく。


気さくな二人が、俺の寂しさを少しだけ埋めてくれている気がした。


――それでも。


二人が現れるたびに、ヴァルガのことを思い出してしまう。


不思議なことに、二人は決してヴァルガの名前を口にしなかった。

それが意図的なものだと、俺にも分かっていた。


言わないなら、

踏み込まない。


そんな無言の線を、きっちり引かれている気がした。


「あの……ヴァルガは……」


何度も、口にしかけてはやめる。

その繰り返し。


リリスは、そんな俺を見て、ふうっと小さく息を吐いた。


「まったく……頑固なところが、よく似てる」


低い、いつもと全然違う声。


「えっ?」


一瞬だけ、別人のように聞こえて、思わず彼女を見る。


けれど次の瞬間、リリスはいつもの柔らかな笑みを浮かべていた。


「ねえ、番様。お寂しいなら、私がお相手しますわ」


そっと頬に触れられて、心臓が跳ねる。


「えっ……! な、何を……」


「寂しいって、顔に書いてありますもの」


思わず顔を押さえると、リリスはくすっと楽しそうに笑った。


「こら、リリスよ……冗談もほどほどに……」


スラ様が、彼女の肩口で咳払いをする。


けれど、リリスは気にも留めない。


「番様がよろしいのなら、魔王様の番であっても関係ありませんわ」


耳元で囁かれ、思考が止まる。


「今晩、私の部屋にいらして」


固まったままの俺の肩を、指先でトン、と軽くつつく。


「私、サキュバスなんですの。殿方をお慰めする方法は、心得ていますわ」


そう言い残して、リリスは身を離す。


「でも、覚悟していらしてね。サキュバスの夜は、長いですわよ」


微笑みを残し、背を向けて去っていく。


残された俺は、しばらくその場から動けなかった。

心臓の音がうるさくて、外にまで聞こえてしまいそうだった。


「……な、なんなんだ……」


***


王の間は、荒れ果てていた。


折れた柱。

ひび割れた壁。

床に転がり、砕けた玉座。


その中心に立つヴァルガは、肩で荒く息をしている。


怒りを押し殺すこともせず、臣下を睨みつけていた。


「リリス」


低く、押し殺した声。


「そんなに怖い声を出さなくても、ちゃんと聞こえてるわ」


リリスは、面倒そうに耳を掻く。


「――もう一度、言え」


ヴァルガの赤い瞳が、鋭く光る。


「晴斗を、誘惑した……だと?」

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