表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/50

第四話 居場所

※第四話はやや重めの描写があります。

苦手な方はご注意ください。

部屋に戻ると、ほとんど間を置かずに部屋の奥の浴室へ向かうよう促された。


今まで、ヴァルガが体を洗いたがっても、俺は必死に断ってきた。

それなのに今日は、拒否の言葉がうまく出てこない。


城へ戻る道中、ヴァルガはずっと黙っていた。

怒っている──そう思わせるには十分な沈黙だった。


浴室に入る前、ヴァルガは無言のまま自分の服を脱いでいく。

布が床に落ちる音が、やけに大きく聞こえた。


俺は視線を逸らし、ぎこちなくシャツのボタンに手をかける。

だが、指先が思うように動かない。


森での恐怖が、まだ体の奥に残っていた。


「……っ」


化け物の体液で気持ち悪い。

少し休んでから入ろう──そう思って諦めかけた、その時。


ヴァルガの手が伸びてきて、俺の代わりにボタンを外していく。


俺は何も言えず、ただ俯いたままでいた。



***



湯船に浸かりながら、俺は小さく体を縮めていた。


さっき、体の汚れを落とす間も、ヴァルガは必要以上に触れないよう気を遣っていた。

それが逆に、あいつの沈められた怒りを感じさせた。


ヴァルガは、ずっと黙っている。


そのせいで、魔王だと知ってしまったことも、

逃げ出したことも──

何も、口にできずにいた。


怒っている。

それだけは、はっきり分かる。


これまで、ヴァルガから好意以外を向けられたことがなかった。

だから、どう振る舞えばいいのか分からない。


別に、嫌われていい。

むしろ、その方が楽なはずなのに。


胸の奥に溜まったもやもやが、消えてくれなかった。


居た堪れなくなって、俺は立ち上がろうとした。


「……俺、もう、出る」


湯船に手をかけた瞬間、腰に腕が回され静かに引き戻される。


「まだ、温まっていない」


後ろから抱き留められ、身動きが取れない。

 

「……お、おい……」


俺も小柄なほうじゃないのに、ヴァルガに抱きしめられるとすっぽり包まれてしまう。


その力は強いのに、決して乱暴ではなかった。


それでも、背後に漂う重たい気配は消えていない。


怒っているのに、優しくしようとしている。

その矛盾が、余計に息苦しかった。


「……あの、ヴァルガ。ごめん。俺、逃げて……」


言葉にした途端、自分でもおかしくなる。

誘拐して、閉じ込めていたのはこいつなのに。


しばらくして、低い声が落ちてきた。


「お前の声が森に響いた時、どれだけ恐ろしかったか……」


「傷ついているかもしれないと思って、生きた心地がしなかった」


湯気の向こうで、ヴァルガの声が僅かに震えている。


どうしていいかわからず、後ろから抱きしめる腕にそっと触れた。


「あの、心配かけて……ほんとに、ごめ──」


触れた手を握られる。

指と指を絡められ、振り解くことができない。


「怖がらせたくなくて、触れたい気持ちを、ずっと抑えてきた」

「初めて会った時、お前は泣いたから……」


「ヴァルガ……」


「……だが、逃げられるくらいなら」


腕に、わずかに力がこもった。


「最初から、奪っておくべきだったのかもしれない」


「……え?」


振り返ると、赤い瞳がこちらを射抜いていた。

そこには、抑えきれない感情が滲んでいる。


「もう、遠慮はしない」


「ヴァルガ……ちょっ……」


制止の声も聞かず、強く口を塞がれる。

息を奪われ、思考が追いつかない。


逃げようとしても離れられない。

混じり合う音が近すぎて、頭の奥まで響いた。


「……んっ……!」


わずかな隙間から声を出そうともがく。

でもヴァルガは逃がしてくれない。


苦しくて胸を叩いても、力は緩まない。

湯船のお湯が大きく揺れ、水音が耳に残る。

何が起きているのか、感覚が曖昧になっていった。


やっと解放された時には、俺は息を切らし、ヴァルガの胸にもたれかかり必死に呼吸を整えていた。


耳元に顔を寄せられ、あまりの距離の近さに、喉の奥から抑えきれない音が漏れる。


「晴斗……」


ヴァルガは離れきらないまま、何度も名前を呼ぶ。

その度、吐息がかかり、体がびくりと反応してしまう。


いつのまにか、大きな手が腹に触れていた。

お湯の中でも、その存在だけがやけに生々しい。


「……う、あ……やめ……!」


全身が、ぞわりと粟立つ。


ヴァルガはいい奴だった。

惜しみなく向けられる気持ちに、胸がむず痒くなることもあった。


でも──やっぱり無理だ。


俺には、男をそんなふうに思えない。


胃の奥がひくりと跳ね上がり、俺は涙ぐんだ。

喉元から、奇妙な音が漏れる。


「……ぐっ……え……」


その音にヴァルガははっとして、すぐさま俺の背中をさする。


朝から、何も口にしていない。

出るものなんて何もないはずなのに。


それでも苦しくて、何度も咳き込んだ。


ようやく落ち着いた頃、ヴァルガが俺の顔を覗き込んでいることに気づく。


「晴斗……」


覗き込む瞳が、大きく揺れる。


「吐くほど……俺が、嫌いか……」


みるみる、褐色の肌から血の気が引いていくのが分かった。


傷つけてる……


俺はその視線を受け止めきれず、顔を背けた。


「違う……」

「お前が、とかじゃなくて……」


言葉が、途切れ途切れになる。


「……男なのが、無理なんだ……」


「お前は気にしなくても、俺は違うんだよ……」


涙が、勝手にこぼれ落ちた。


なんの涙なのか、自分でも分からない。

ただ、止まらなかった。



***



あれからヴァルガはこの部屋に来なくなった。


いつの間にか、部屋の鍵もかけられなくなっていた。


──逃げようと思えば、きっと今は出られる。


それでも、俺はここにいる。


元の世界に帰る方法も、わからない。

元々、身寄りもない。

俺がいなくなって、寂しがる奴なんて、いない。


元の世界でも、この世界でも……




食事は一日三度、下級魔族が運んでくる。

そいつらは俺の顔を見ようともしないまま、最低限のことだけ言ってすぐに出ていく。


一人で食事をしていると、どうしようもなく寂しくなる。

前はあんなに美味かったはずの料理が、今はひどく味気ない。


ヴァルガの声が、ふと頭に浮かぶ。


「これ、気に入ったか? 明日から毎日取り入れよう」

「お前ととる食事は、何にも勝る馳走だ」


俺は、手にしていたスプーンをそっと置いた。


あいつの好意を受け取れないって、はっきり言った。

だから、ヴァルガは来なくなった。


自分が望んだことのはずなのに、胸の奥にぽっかりと穴が空いた気がした。


部屋を見渡す。


監禁されているとは思えないほど豪華な部屋。

外に出られない俺を、退屈させないために用意された、数え切れない娯楽。

この部屋でできることは、ほとんど全部揃えられている。


机の上に置かれたカードを、指先で持ち上げる。

一緒にやった時は、俺の圧勝だったっけ。


「……一人で、どうすんだよ……」


ぽつりとつぶやいた言葉は、広い部屋に響いて答えのないまま消えていった。



***



俺は廊下を歩いていた。


単純に、魔王城ってどんなところなんだろうって思っただけだ。


豪華な城の中で、魔族たちが働いている。

掃除をして、料理をして、洗濯をして──

やっていることは、ほとんど人間と変わらない。


仕事の合間に雑談までしている。


その“普通さ”に、俺は少しだけ戸惑った。


モンスターって、もっと悪者みたいな存在だと思っていたから。


俺がそばを通ると、彼らは軽く会釈をしてくる。


敵意は感じなかった。


……魔王の番、だと思われているのかもしれない。




どこを歩いてもヴァルガの姿はなかった。


気づけば、俺は王の間と呼ばれている場所に立っていた。


がらんとした広い空間。

中央に置かれた、ひとつの玉座。


それを眺めて、俺は思わず小さく笑ってしまった。


──俺、何やってるんだろう。


会えたとして、どうするつもりだったんだ。


何を話せばいい?


お前の気持ちには応えられないけど、それでもそばにいてくれ──?


そんなこと、言える立場じゃない。


今だって、ここに置いてもらっているだけだ。


タダ飯を食って、何の役にも立たずに。


俺は、深く息を吐いた。


……何か。

俺に、できること。


それを見つけないと、ここにいちゃいけない。


そんな気がした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ