第十九話 違う目的地
薄暗い通路に、魔王と側近たちが揃っていた。
牢番が座り込み、頭を布で押さえている。
ほんの少し血が滲み、その横で術師が淡い光を当て続けていた。
「申し訳ありません、魔王様。逃してしまうなど……」
牢番は深く頭を下げる。
ヴァルガは俯いたまま、じっと動かない。
長い銀の髪が顔を覆い、その表情は見えなかった。
「報告によると被害者は六人。どれも軽症で、命に別状はないわ」
リリスが乱暴に髪を掻き上げる。
「ただ、森の外で親子が見つかりました。道案内に使われたそうです」
「その者は……」
リリスはぎり、と歯を噛み締めた。
「子供を人質にされた、と」
ヴァルガの体が、ぴくりと反応する。
「それでも、子供も親も無傷だった。……幸いなことに」
「やるな、奏様」
壁に寄りかかり腕を組んで聞いていたレオンが、ゆっくり身を起こした。
「あの子だけじゃ、森を出る前に迷うだろうからな。考えたもんだ」
「それにしても、正面突破でここまで気づかれずに出ていくとは。流石勇者様」
レオンは顎に手を当て、くつくつと笑う。
リリスは押し黙るヴァルガの気配に気づき、軽く咳払いをした。
「笑い事じゃない、レオン」
「晴斗様が……」
リリスの表情が沈む。
リリスの肩の上に乗っていたスラ様が、ゆっくりと口を開いた。
「今回の勇者様は、なかなか見事な手並みですな……これは、手を焼きますぞ」
「リリス、近隣の村に手配を。勇者様と晴斗様の特徴を伝え、見つけ次第報告をさせるように」
「一般の魔族では勇者様を捉えることは不可能。手を出すなと、きつく言っておきなさい」
「はい、スラ様」
その言葉のあと、座り込んでいた牢番が恐る恐る口を開いた。
「魔王様……番様は、激しく抵抗されていました」
「それを、勇者が無理やり……」
その瞬間だった。
ガン!!
ヴァルガの拳が、石壁を叩きつけた。
砕けた石が、ばらばらと床に落ちる。
ヴァルガが、ゆっくりと顔を上げた。
赤い瞳が、静かに光っている。
ぞくり。
その場にいた者すべてが、背筋に冷たいものを感じた。
やがてヴァルガは踵を返し、牢を出て行こうとする。
その寸前で、レオンが腕を掴んだ。
「まさか、追うつもりか?」
ヴァルガは手を振り払う。
扉だけ見つめて答えた。
「当たり前だ」
レオンは小さく舌打ちした。
「頭を冷やせ。結界のこともある」
「お前はここを離れるべきじゃない」
ヴァルガの握った拳が震えていた。
「……そんなもの、どうでもいい」
その言葉にレオンはため息をついた。
「おいおい、魔王様。それは言うなよ。お前の使命だろ?」
次の瞬間、レオンはヴァルガの胸元を掴み上げ、冷たく見下ろした。
「責任を果たせ」
ヴァルガの顔が歪む。
激しい感情が渦巻く瞳。
番への想いが、溢れ出ている。
レオンはそれを見て、やがて手を離した。
「……安心しろ。何もツテがない転移者が向かうところなんて、考えなくてもわかる」
「俺は奏様に、まだ魔族側だとバレてない」
レオンは肩をすくめる。
「リヴェルトには俺が向かう」
そしてヴァルガを見据え、低く続けた。
「――お前は、ここで待て」
ヴァルガの赤い瞳が、わずかに細くなる。
「……晴斗のことで、お前は信用できない」
レオンはふっと笑う。
「だろうな。だが安心しろ。転移者は重要だ」
「連れ帰る。必ずな」
そう言い残し、レオンは牢を出ていく。
扉が閉まる音が、通路に大きく響いた。
ヴァルガは、それをじっと見つめていた。
***
冷たい水滴が頬に落ちて、重い瞼をゆっくりと開く。
木を背に座らされ、俺はそこにいた。
頭がずきずきする。
……そうだ。
奏に殴られて、連れ去られたんだった。
雨が降り注ぎ、視界が灰色に染まっている。
頭上の葉が、かろうじて雨を防いでくれていた。
ふいに、何かがぶつかる音が聞こえることに気づく。
音の方を見ると、灰色の向こうに馬車が見えた。
その周りをぐるりと、黒い影が取り囲んでいる。
黒い四足の獣のような体が、牙を剥いて低く唸り声を上げていた。
キィン!
鋭い刃鳴りが響く。
目を凝らすと、雨の中で奏が剣を振るっていた。
舞うように動いた次の瞬間、
黒い影が断末魔を上げて地面に崩れ落ちる。
残った影が、低く唸る。
泥を蹴り上げ、奏へ飛びかかった。
奏は一歩も退かない。
剣が、雨の中で閃いた。
鈍い音がして、黒い体が横倒しになる。
魔物は地面を掻き、かすれた声を上げたあと、やがて動かなくなった。
雨音だけが残る。
奏はゆっくりと剣を振り、刃についた血を払った。
黒い返り血が雨に溶けて流れていく。
その体も、服も、赤黒く濡れていた。
泥を踏む音が、雨に混ざる。
馬車の周りには、倒れた魔物の死体がいくつも転がっていた。
やっぱり奏はすごい。
全身血だらけだけど、きっと全部返り血なんだろう。
しかし、重なり合って倒れている死体の中に、鎧を着込んだ人間が見えて、ぎくりとした。
獣に噛みちぎられたような跡がある。
魔物にやられたんだ。
……そうだ。奏のはずがない。
馬は恐怖で荒い息を吐きながら、その場に繋がれている。
奏は無言で馬車の前に立った。
やがて、荷台を覆う幌の布に手をかけた。
ばさり、と布がめくられる。
「いやっ!!」
女性の悲鳴が上がる。
奏の体でこちらからはよく見えない。
でも、細い腕だけが帆の隙間から見えた。
それを奏が、ぐっと掴み上げる。
また悲鳴が上がった。
その動作が、助ける行動ではないということは、すぐにわかった。
奏は聖剣を握り直す。
は?
あいつ、嘘だろ?
まさか――
「奏!!」
声が掠れたが構わなかった。
その声が耳に届いたのか、奏はこちらを振り向く。
「晴斗、目覚めたのか……」
声に、隠しきれない苛立ちが含まれている。
奏は掴んでいた腕を離した。
俺は立ち上がり、馬車に近づいていく。
頭の痛みは少し治まったが、足元がふらついた。
やがて、奏の前に立った。
「……なに、してんだよ」
その言葉に、奏は深く息をつく。
「リヴェルトに行くために、馬車を使う」
「お前を背負いながらじゃ、さすがにきつい。だから――」
「そういう意味じゃねえよ」
「その人に、何してんだよ」
雨粒が、奏の血を流していく。
それでも、あいつの顔は血まみれで、表情がよく見えなかった。
瞳だけが、暗い影を落としている。
「……奪うには、仕方ないだろ?」
耳を疑った。
元の世界で、柔らかく笑っていた奏の姿が浮かぶ。
あの奏が、こんなことを言うなんて信じられなかった。
「お前……」
俺はそのまま奏を押しのけて、馬車の中に入り込む。
中には、そばかすにおさげ、メガネをかけた小柄な女の子がいた。
軽装な服装で、とても戦闘とは縁がなさそうだ。
俺は手を差し伸べた。
不安そうな瞳と目が合う。
「大丈夫ですか?」
「晴斗」
咎めるような声が聞こえたが、無視した。
彼女はおそるおそる俺の手を取る。
その手は震えていた。
俺は安心させるように笑いかける。
「大丈夫、もう魔物はいません。あいつが倒してくれたので」
俺は奏を指した。
奏は、バツが悪そうに黙って目を逸らした。
***
ガタガタと揺れながら、馬車が進む。
積んであるたくさんの荷物が音を立てる。
結構揺れるんだ、と思いながら乗っていると、数分もしないうちに気持ち悪くなってきた。
「大丈夫ですか?」
女の子──ラズが、水の入った皮袋を差し出してくる。
「あ、ありがとう……馬車ってはじめてで……」
「そうなんですか。あんなところにいたのに、珍しいですね」
勇者と転移者だ、とはなんだか言い出せず、水を飲んで誤魔化した。
あいつは、初めてじゃないのかな。
ちらりと前方で馬車を操る奏に目をやる。
背筋をぴんと伸ばし、手綱を引く姿は堂々としていた。
本当に、なんでも器用にこなす。
奏の欠点なんて、方向音痴くらいしか思いつかない。
そんなあいつに馬車を任せていいのか、とも思った。
だけどラズの「この馬車には方位魔法がかかってます」という言葉に、奏は迷いなく手綱を取った。
「それにしても、晴斗さんたちが偶然居合わせて助かりました」
「雇ってた傭兵も、すぐにやられてしまって……もう完全に終わりだと思ってたんです」
ラズは胸に手を当てて、ふうっと息をついた。
「俺は何もしてないよ。助けたのは、奏」
その言葉に、彼女の肩がびくりと震えた。
「あ……でも、奏さんは……」
ラズは少し言い淀んで、奏を見る。
無理もない。あの時の奏はおかしかった。
彼女の腕を掴んで、何をしようとしたかなんて考えたくない。
奏は俺と離れて、確実に何かが変わってしまった。
「あいつ、ちょっと今、気が立ってて。怖がらせてごめんな」
聞こえているはずの奏は、何も答えない。
「は、はい……」
不安は拭えていなさそうだけど、とりあえず納得はしたようだった。
ラズの職業は商人で、目的地は近くの魔族の街。
俺たちは、そこに滞在することにした。
本当は、すぐにでも魔王城に帰りたかった。
でも──道がわからない。
奏に聞いても何も教えてくれない。
追跡を恐れて、めちゃくちゃに進んできたらしい。
ラズに聞いたら相当遠いらしく、徒歩で行くと言ったら驚かれた。
勇者である奏は、俺を背負ってここまで来た。
そのことでまた、奏のすごさを思い知る。
仕方なく魔族の街で帰る方法を探そうと、彼女に同行することにした。
奏にも思うところがあるらしく、黙ってついてきている。
俺は魔王城に、奏はリヴェルトに。
目的地は違うが、とりあえず同じ場所へ向かうことになった。
奏はまだ俺を、リヴェルトに連れて行こうとしているみたいだけど。
俺は、あいつの元に帰る。
ヴァルガの顔が浮かんで、胸が痛んだ。
……ヴァルガ、今なにしてるんだろう。
俺がいなくなって、きっと心配してる。
それに、また逃げたと思われていたら──
俺は頭を振った。
違う。それはない。
ヴァルガは信じてくれてる。きっと。
その途端、馬車が大きく揺れて、ラズと俺は前のめりになって倒れた。
「いて!」
俺だけが頭を荷物にぶつけて、大きな音を立てた。
「だ、大丈夫ですか!?」
ラズの声が上がる。
「晴斗!?」
奏は馬を止め、俺の元にやってきて抱き起こす。
「車輪が石に乗り上げたみたいだ。ごめん」
さっきの別人のような態度が、元に戻ってる。
過保護な奏に。
心配そうにこちらを覗き込む瞳を見つめて、気が沈んだ。
また、気絶させられて運ばれたら──
俺には奏に抵抗する術はない。
どうにか魔族の街で、移動手段を探さないと。
それか、魔王城に連絡することができたらいいのに。
俺は深く息をついた。




