第十二話 懐かしい温もり
「番様、お疲れのようだからお休みになられては?」
そう声をかけてきたのは料理長だった。
「えっ、疲れてなんか……」
言いながら、包丁を動かす。
ざく。
妙に重い感触。
料理長の視線が俺の手元に下がっていく。
その顔はなぜか憐んでいた。
「……あの、芋が……」
追って見下ろすと、薄く剥くはずの刃が深く入り込み、白い実を分厚く削り取っていた。
皮ではなく、身を。
手の中のジャガイモは、食べるところがほぼないほど小さくなっていた。
「あ……」
周りに散る皮もやけに多い。
ボールに入れた、綺麗に剥いたはずのジャガイモは、どれも同じようなひどい有様だった。
「……すいません、俺……」
包丁を握る指に、力が入りすぎていた。
「……朝からこんな調子ですし。今日はもう十分です」
料理長の声は穏やかだが、はっきりしている。
料理をしているときだけは、余計なことを考えずにいられるはずだった。
忙しくて動いてると、あっという間に時間が過ぎた。
でも、今日は集中できてなかったみたいだ。
……だめだ。
「片づけ、やっておきます」
そう言って、削りすぎた皮と実をまとめる。
エプロンを外すと、胸の奥がざらついたまま落ち着かない。
ここにいても、足を引っ張るだけだ。
俺は厨房を後にした。
***
部屋に戻る気にはなれず、庭園をあてもなく歩く。
何をしていても、ヴァルガのことばかりが頭に浮かぶ。
何も言ってくれないからと怒って、傷つけた。
子供みたいだったと、今さら思う。
あのときの、ヴァルガの目が、まだ離れない。
もう、傷つけることなんてしたくなかったのに。
それでも、あの一言が、まだ胸に残っている。
「関係ない」と言われたことが。
深く息をついて、空を見上げた。
鳥が二羽、ゆらりと弧を描きながら、並んで飛んでいる。
やがて枝に降り立ち、
一羽が、もう一羽の羽をついばんだ。
お前にとって、俺って何なんだよ。
番って、何?
俺にはわからない。反応もしてない。
でもさ──
俺だって、役に立つことがしたかった。
お前に、ちゃんと見せたかったんだ。
俺が、お前のこと、ちゃんと想ってるってわかって欲しくて。
……ちゃんと、言ったこともないくせに、な。
バカだな、俺。
そのとき。
こつん、と軽い衝撃が額に当たった。
足元に、転がるボール。
顔を上げると、森で助けた魔族の子供が、青ざめた顔で立っている。
「つがいさま! ご、ごめんなさい……ぶつかりましたか?」
おどおどと見上げる瞳に、思わず力が抜けた。
「いや、大丈夫」
自然に、口元がゆるむ。
ボールを持ち上げ、軽く蹴り上げて膝の上に乗せた。
「よっと」
「わあ! 足でボールを……!」
そのまま何度か弾ませる。
一回、二回、三回。
七回目で膝の端に当たり、ころんと落ちた。
……結構すごくないか?
拾い上げると、魔族の子はきらきらした目でこちらを見ている。
「今の、教えてください!」
「コツを掴めばいけるよ。こうやって――」
もう一度、ゆっくりやってみせる。
今度はニ回で落ちた。
「あれ?」
子供たちが笑う。
いつのまにか人数が増えてる。
「つがいさま、さっきのほうがすごかった!」
「奇跡だったな」
わざと肩をすくめると、また笑い声が弾けた。
少し離れたところで、柔らかな拍手が聞こえる。
「晴斗様、なかなか器用なことなさるのね」
振り向くと、リリスが微笑んでいた。
その隣で、スラ様がゆらりと揺れている。
あ……
「今日は厨房にいらっしゃらないのですね」
スラ様の姿を目にした瞬間、思わず顔を逸らしてしまった。
あの後、結局、宝珠のことを聞きには行けなかった。
ヴァルガがあんなに止めたことを、簡単に他の誰かから聞き出していいのかと、躊躇って。
きっと、それはまた、あいつを傷つける。
でも、いざ目の前にいると、少し迷ってしまう。
俺はこのまま、ずっと何もわからないまま、過ごしていくのか……?
「あっ」
子供の一人が勢いよくボールを弾き、茂みの奥へと転がっていった。
「俺がいくよ」
自然と足が動く。
茂みの奥は、すぐあの森に続いている。
足を踏み入れる前に、思わず立ち止まった。
握った手のひらが、じっとりと汗ばんでいる。
……いや、大丈夫だ。
こんな城の近くまで、黒濁は来ない。
意を決して枝をかき分ける。
足元で枯葉が鳴った。
ボールはすぐ見つかった。
しゃがみ込んで拾い上げた、そのとき。
がさ、と低い音。
動きが止まってしまう。
……黒濁か?
一瞬で背筋が冷える。
この近くに、子供たちがいる。
喉が鳴る音が、自分でもはっきり分かった。
「……誰だ」
声が思ったより硬い。
返事はない。
だが、確かに人の気配がある。
ゆっくりと視線を上げる。
木の影の向こうに、座り込む人影。
衣服は泥で汚れ、ところどころ破れている。
血の匂いはしない。
ただ、ひどく疲れたように、肩で息をしていた。
「……人間?」
慎重に一歩、近づく。
顔が見えた瞬間、息が止まる。
「……晴斗?」
かすれた声。
焦点の定まらなかった瞳が、ゆっくりと俺を捉える。
次の瞬間。
「晴斗!」
ぐい、と強く腕を引かれた。
息が詰まる。
抱きしめられていると理解するのに、数秒かかった。
「奏……」
奏の肩が、小さく震えている。
「無事だったんだ……」
涙混じりの声。
……レオンが言っていた。
奏は、俺を探しに来た、と。
何も言わずに消えた俺を、こいつだけは探してくれていた。
幼馴染の腕の温かさに、目の奥がじわりと熱くなる。
その温もりに、ほんの少しだけ、後ろめたさが混ざった。
今ここに、あいつがいたら、どんな顔をするだろう。
「俺は、大丈夫だよ」
そっと抱きしめ返し、背中を撫でる。
でも同時に、背中がぞくりとした。
ここは、魔王城の庭だ。
こいつは――魔王の敵。勇者。
昨日までの俺なら、きっと「なんとかなる」と思っていた。
ヴァルガが守ってくれると、どこかで決めつけて。
話せば分かる、とか。
どうにか間に入れば済む、とか。
でも、本当にそう言い切れるのか。
魔族たちは、俺には優しい。
けれど、勇者にも、同じようにとは限らない。
泣き止まない奏に、そっと耳打ちする。
「……奏。声、落とせ」
慎重に動かなきゃいけない。
それでも。
なおも縋るように抱きしめてくる奏を、俺は強く抱きしめた。




