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希星が教室に辿り着いたころには、何故か学園中に「聖女さまのおかげで真実の愛を見つけることができた者たちがいる」という話が広まっていた。
「なんで……?」
「あちこちに伝書魔鳩が飛んでるポから、そのせいだと思うポプ」
伝書魔鳩とは魔法を使える者たちが自らの魔力で編み出した鳩(時折鳩ではないものもいる)を使った近距離伝令魔法のことだ。
魔力があれば比較的簡単な魔法なのだとかで、学園では最初に習うものなんだそう。
「そんなことに魔力使わないでよ」
そんなことを言ったとて、もう広まったものは仕方ない。
たくさんの好奇の目が希星を見ているので、ため息を飲み込んで適当な席に座った。
主に令嬢たちからの視線が多いような気がする。
やはり恋バナには興味があるのだろう。
「あ、キセ。おはよー。今日から同じクラスなんだね☆」
「おはよう、テオ」
遅れて教室に入ってきた少年が希星を見つけるなり近寄ってきて、当然のように隣に座った。
白みがかった金髪がゆるくウェーブを描き、目は青空を映したような碧眼。ひと際目を引くのは頭にちょこんと乗ったミニハットと、それと同色の改造ドレス。
フリルがふんだんに使われたデザインで、前に開いたスカートからショートパンツが見えている。ショートパンツというよりはホットパンツと言っていいほど丈が短く、すらりと細い足が惜しげもなく晒されているので目のやり場に困る。
ショートブーツにニーハイソックスを穿いているのでバランスの取れた造形がよくわかる。
希星よりも小柄で愛らしいその少年は高い声できゃらきゃらと笑った。
「朝から大変だったみたいだね。みーんな、キセのご神託の話で持ち切りだよ。なんだっけ、悲劇によって結ばれることのなかった二人を、女神さまの奇跡で祝福したんだっけ?」
「めちゃめちゃ尾ひれどころか手足もついてるよね、それ!」
頭を抱えた希星を少年はケラケラと笑いながら楽しそうに見ている。
彼の名前はテオドール・パラジ・ブラン・カラドラード。
この国の第二王子だ。ちなみに年齢は希星より二つ下である。
「まぁ、半分冗談だけど」
「どの辺が?」
「もー、そんな怖い顔で見ないでよー。ほら、和ませようと思っただけだよ?」
「絶対、ただ反応楽しんでるだけでしょ」
それも半分、とテオドールはぺろりと舌を出した。
希星は肩をすくめる。
「ほらほら、ため息吐いてると幸せ逃げちゃうよ。ボクの可愛い顔見て元気出して☆」
「可愛い顔は認めるけど、自分で言うな」
「だってボク、可愛いもん」
テオドールの悪びれない笑顔に、希星はもうなにも言う気が起きない。
はいはいと適当に流して机の上に鞄を置いた。
テオドールとは年が近いことや彼自身が人懐っこい性格をしていたことから、城で保護されてから初めてできた友人になる。
彼から聞こえる心の声は、だいたい口に出していることと変わらないので気が楽、というのもある。
よくできた兄が王太子なこともあって、第二王子の彼は自由に過ごしている。
ちょっとばかり自由過ぎるくらいだが。
「ん? てか、クラスメイト? テオ、わたしより年下でしょ?」
きょとん、とテオドールはあざとく首を傾げる。
「ああ、キセの知ってる学校は年齢で分けられてるんだっけ。このスフェルジェマ魔法学園は基本的に能力値でクラスが分けられてるんだよ」
「のーりょくち」
「キセは魔力がないしこの世界に来たばっかりだから一番下のクラス。成績次第でもっと上のクラスにも異動できるよ」
「……テオも一番下のクラスってこと?」
「ボクは真面目に上を目指してないだけ☆」
「勉強しなさいよ」
とはいえ王族である彼が真剣に魔法を学ぶ意味はそれほどない。
最上位のクラスは研究職に進む予定の学者気質な者が多く、その一つ下のクラスには騎士や兵士や実践的な魔術師を目指す者が多いそうだ。
縦にランク付けされてはいるが、実質は進路によってクラスが分けられているようなものだという。
しかし一番下のクラスは新入生や編入生(希星がこれに当たる)、または進路の決まっていない者が所属していると言ってもいい。
どのクラスに所属しているかによって卒業のレベルが変わっていて、そこは担当教授たちの裁量によるとのこと。
そしてこの一番下のクラスには卒業試験がない。つまり、このクラスに所属したままでは卒業なんていつまでもできないということだ。
「……テオは卒業する気、ないの?」
「ボクまだ十四歳だから、すぐ卒業する必要ないし」
それもそうか、と希星は納得した。
もし彼がどこぞに婿入りすることになれば卒業ではなく中退にでもなるのだろう。父王や兄ウィリアムを助けて国政に関わるとしても、魔法の才が必須というわけでもない。
年齢的にもまだふらふらしていても怒られはしないようだから、今はまだ真剣になっていないのだろう。一応、彼だって必要なときには社交だって外交だって手伝っているようだし。
「魔法使えない時点でこのクラスを抜けることない気がするんだけど」
「キセは世間のことを知るために学園に通うようなものだからね。別に無理に卒業する必要はないし、なんなら適当なトコで辞めてもいいんだよ」
「それは……なんか……なぁ……」
「貴族のご令嬢たちだってそんなもんだよ。一応魔力があるから制御を学ぶためにって名目で入学してくるけど、実質ここで嫁入り先を探してる子だって多いし。そういう子は相手が見つかったら、普通に中退して結婚するよ」
「価値観違い過ぎてわからない世界だ」
もっとも、一定量の魔力がある貴族の者は学園入学前に家庭教師を呼ぶなりしてある程度の制御を学んでいることが多い。
目を付けた相手が上位のクラスにいるのなら、同じように上位のクラスを目指す者はいないわけではないが、いわゆる婚活目的の者はあまり上位のクラスに異動することはないという。
「だから、キセも狙ってる相手がいるならそのクラスに異動するのを目指せばいいと思うよ!」
「……遠慮するわ……」
テオドールがわざわざこの学園に通っているのは城の外を見ておくため、普段関わらない低位貴族や平民たちとも触れ合うためだそうだ。
「……本当に?」
「っていうのは建前で、今しかできないことしたくって☆」
「っていうのも建前で?」
「今のうちに遊べるだけ遊んでおこうと思って」
城を抜け出すよりも、一度学園に行ってから授業をサボって抜け出す方が簡単だとテオドールは悪びれもなく笑った。
「キセもあとで商業街に行く? 美味しいジェラートのお店知ってるよ」
「うーん、そのうちね」
そうやって話していると、担任教師が教室にやってきた。
まだ若い男性教師で、いかにも魔法使いといった風貌のローブを着込んで野暮ったいメガネをかけた長身を、姿勢悪く肩を丸めている。
若いのはわかるが、髪色は白髪交じりの灰色のようで、顔などを見なければ初老以降に間違われても仕方ない。
が、瓶底メガネのような不格好なものをつけていても随分と整った容姿をしていることは明白だった。
(……あれ?)
教師と目が合う。
しかし、いつものように心の声が聞こえてこない。
いや、正確にはなにやらもごもごとくぐもった声が聞こえているが、どうにも聞き取れない不明瞭な音として聞こえた。
希星が内心首を傾げていると、教師は希星と手にしていた名簿のようなものを交互に見た。
「聖女……キセさん、ですね」
「え? あ、はい。キセ・センゴクです。よろしくお願いします」
「僕はこのクラスを受け持つ、ヴィクター・ローロゥと言います。専攻は魔獣学です。よろしくお願いします」
事前に貰ったシラバスのような書類束には思った以上に様々な授業があるようだ。
ヴィクターの言う魔獣学に魔法の歴史を学ぶ魔法歴史学、魔法防衛学、呪文学、魔法紋章学、魔法薬学、実践魔法を実際に使用する実習もある。中にはなにをするのか全くわからない女神学なんてものもあった。普通に体育や文芸を学ぶ国語のような授業もある。
希星は理科の生物が好きだったので、ヴィクターの魔獣学はちょっとだけ楽しみにしている。
今日、その授業がないことが残念だ。
「……では、朝のホームルームを終わります。一限目は必修ですので、移動は遅れないように」
ヴィクターは言うだけ言って、もう視線も上げずに肩を丸めたまま教室を出ていった。
テオドールに促されて希星も教室を出る。
「一限目は……」
「外で実習だね。魔法制御の授業」
「わたし、必要ないな? というかできないな?」
「魔法学園だからね、ここ」
仕方ないね、とテオドールは笑う。




