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 自室に戻った龍馬がすっかり伸びてしまったカップ麺を(すす)り終えたころ、部屋の外から話し声が聞こえてきた。

 はじめは気にも留めていなかったが、会話が長引くにつれて会話の主がメイと若い男だとわかると、龍馬はまた動かし始めていた筆を渋々止めて、部屋の扉の後ろで聞き耳を立て始めた。

 壁同様薄い扉なので、くぐもった声の会話は途切れ途切れに耳に届いた。

「そ……は……ったな、編集さんも嬉し……だろ。あ、ところで、そういうゆったり系の……ってどこで揃え……の?」

「これ? これはイ……ってお店で。近くにあるんです」

「そう……だ。いや、こないだの駅前にそういう系がたく……ってるショップ見つけてさ。メイちゃんに紹……ようと思って」

「ほんと? ありが……」

「そうだ、今度の休みにショッピ……ない? そこ以外にも俺のオススメの……かいっしょに見て回ろうよ」

「えー? ……」

「似合うの探してあげるし、時……だと空いてる?」

「今月はちょっと……かね」

 そんな会話の一部始終が聞こえてきて、

「おいハル、なにやってるんだよ」

 思わず、龍馬は(しか)めっ面で扉を開けていた。扉の前の廊下には、打ち合わせから帰ってきたであろうメイと、朝食の席にいた高身長の青年が、向き合って話をしているところだった。

「お、龍馬。なんだよ盗み聞きか? 趣味悪いぞ」

「ただいまです、龍馬くん」

 二人から一斉に注目を浴びて、

「そんなんじゃない。……おかえり、メイさん」

 ばつが悪そうに、龍馬は両方に返答した。それからすぐに青年のほうを薄目で睨んで、

「なに廊下の真ん中でナンパなんかしてるんだよ」

「ナンパじゃねーよ。同じアパートに住む友達同士、仲良くショッピングに行くだけじゃんか」

 青年も一歩も引かず、つんけんした語気で龍馬に言い返す。隣のメイが、

「そのことなんですけど、今月はちょっと予定空けられそうにないです。ごめんなさい」

「あ、そっか。じゃあ来月ならどう? 来月なら俺休み多いんだけど」

「こーら」

 爽やかな笑顔で畳みかける青年の額を掌で押さえて、龍馬は二人のあいだに割って入った。

「やめろってば。メイさん困ってるだろ」

「なんだよ、彼氏でもないくせに出しゃばりやがって」

「僕はル・ー・ム・メ・イ・トだっ」

 互いに言い返して、至近で睨み合う龍馬と青年。メイは二人を交互に見て、口を挟もうか迷っているようだった。

「……龍馬、おまえこないだ横に座ったとき、メイちゃんの髪の匂いこっそり嗅いでただろ。見てたぞ」

 ぼそっと、龍馬の耳元で青年が先制攻撃をしかけた。

「バラしてもいいんだぜ」

「ぐっ……? そ、そういうハルだって、アパートの女の人にナンパしまくっててこの前伊月さんにこっぴどく叱られてたじゃないか。どさくさに紛れてさんの太もも触ったんだって? メイさん、幻滅するだろうなー」

「て、てめえ……。大家のやろう、喋りやがったのか」

 負けじと、龍馬も反撃を開始する。

「おまえなんて、こないだメイちゃんにそれとなくメルアド聞こうとして失敗したくせに!」

「どうしてそれをっ……。それを言うなら、そっちだってそんなチャラそうな見た目しといて実は童貞のくせに!」

「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ! てかそれはおまえもだろうが!」

 そんな無益な小声の口喧嘩が、たっぷり二分は続いただろう。

 終始睨み合う二人だったが、しばらく経って、後ろのほうでメイが困ったような顔をして小さくなっているのを見つけると、どちらからともなく大人しく引き下がった。

 龍馬はどちらとも顔を合わせづらくて、一人腕を組んでいたが、

「そういや龍馬、今日はあの日だぞ。〆切で忙しいからって忘れんなよ」

「?」

 不貞腐れているのか、同じように腕組みの青年は、目を合わせないままそんなことを言ってきた。

 龍馬がなんのことかわからず首を傾げると、

「おい、忘れたのかよ。毎月〝この日〟は、大掃除って決まってんだろ」



 * * * * *



 背の高い、染めた金髪を毎朝時間をかけてセットしている青年の名は、Haru☆Star(PN)といった。住人からは略して、「ハル」と呼ばれている。

 部屋は龍馬の(はす)向かいで、歳は龍馬の一つ下。

 彼は白樺荘から五駅先にあるメイクの専門学校に通う学生であるが、日中は大抵ショッピングかバイトに時間を費やしている。

 というのも彼、ファッションモデルに憧れて意気揚々と上京したはいいものの、ほんの数ヶ月で授業内容に飽きてしまった折、たまたま見つけた雑誌の企画で書き溜めていたケータイ小説を応募したところ、見事入選したという変わり者なのだ。

 その後そのケータイ小説の連載が決まり、すっかりいい気になって専門学校をサボタージュしては、鼻歌交じりで小説を書いている、という異色の経歴の持ち主。ちなみにメイクの専門学校に進学しただけあってファッションには造詣(ぞうけい)が深く、いかにも今どきの若者、といった容姿からも見て取れるとおり、アパートの住人の中では随一のファッションセンスを有する。入居したのは龍馬の半年前程度だが、時たま先輩住人からも登場人物の服装についてアドバイスを求められるなど、一応実力はあるらしい。

 ただ、アパートに住むメイを筆頭とする女性住人をはじめ、街中でも平気で見ず知らずの女性に声をかけるため、純朴な青年龍馬としてはやや苦手な部類の人間でもあった。

 とはいえ、龍馬にとってはメイ同様数少ない同年代の住人であるため決して仲が悪いわけではなく、週末にいっしょにラーメン屋へ行ったり、休日には普段着ないようなオシャレな服を選んでもらったりと、そこそこの交遊はある。

 そんな龍馬とハルだが、

「おい、なんでこんな人数少ないんだよ!」

「僕が知るわけないだろ。いいから掃けって」

 この日は仲違いの多い日らしい。日も傾き始めたアパートの中庭で、二人はまたもみ合っていた。

 今日は十二月九日。夏目漱石の命日だ。

「日本一の小説家はだれか」という論争が起こったとき、大抵はじめに挙げられるのが明治の文豪、夏目漱石だ。

 白樺荘では大家の意向で、小説家を志す者として彼に敬意を払い、毎月九日の月命日にアパート住人合同の掃除を行っている。一月から十一月までの掃除は一時間もしないうちにお開きとなる程度の規模だが、年末になると帰省する住人も多いため、大晦日には少し早い今日が、毎年実質の大掃除の日となる。

 だというのに、総勢十一人になるはずの住人の中で、中庭に出てきているのは龍馬、メイ、ハルの三人だけだった。いや、大家の伊月も含めれば四人になるが、それでも圧倒的に人数が足りていない。

「ほかの人はどうしたんだよ。(あわ)()さんとか黒田さんとか沙河(さが)さんとか!」

「たしか、黒田さんはゲームの限定イベントに行くって言ってましたよ。駅前のアニメショップで今日あるそうです」

 苛立ちがこぼれるハルに、メイは人差し指を唇に当てながら答えた。

 三人はそれぞれに竹箒を持って、中庭に溜まった落ち葉を掻き集めていた。中庭には大きな樺の木があって、そうしている今もはらはらと落ち葉は積もる一方で、成果はあまり芳しくなかった。

「じゃあ、(ぎん)さんは?」

「今日はたしか、雑誌の取材って言ってた気がする。いつも詩を載せてる雑誌の姉妹誌で取り上げられるとかなんとか」

 少し離れたところで竹箒を動かしながら、龍馬が答えた。

「んじゃ、泡奈さんは? ヒロっちさんは?」

「そこまで知らないよ。……ああでも、()(ごん)(ざか)さんはたぶん、今も部屋で弓無し長距離流鏑馬(やぶさめ)でも見てるんだろうけど」

「はあ? 何やってんだあのオッサン、最古参のくせして。じゃあすぐに連れて来いよ!」

 怒りのせいもあって傲岸(ごうがん)な態度をとるハルの言葉に、自分で行けばいいじゃないか、と龍馬は眉根にしわを寄せて愚痴をこぼした。そこで、不意に手を止めたメイが、あっと口に手を当てて、

「そういえば、雪ちゃんもまだ来てないですね。あの子のことだから、また書くのに夢中で掃除のこと気づいてないのかも。私、ちょっと呼んできます」

 そんなことを言ってアパートの中に戻って行ったので、

「……僕も華厳坂さん呼んでくるね」

 龍馬もそう言い残して、益々苛立ちを募らせるハルの刺々しい視線を背にメイの背中を追いかけることにした。



「華厳坂さん。今日、大掃除ですよ。出てきてください!」

 昼間に叩いた扉の外で声を張り上げるも、返答はなかった。龍馬より一足先にアパート内へ戻ったはずのメイの姿は廊下にはなかったので、もう呼びに行った住人の部屋に入っているのだろう。

 仕方なく、龍馬はまたノブを捻って中へ入る。

 やはり鍵はかかっていなかった。

 短い廊下を進むと、華厳坂は昼間と同じ格好で、同じことをしていた。

「華厳坂さん、出てきてくださいったら。今日は大掃除の日ですよ」

 部屋の入り口で、龍馬はやや横柄な語気で説得に臨んだ。

「みんな、人手が貧しくて困ってるんですって!」

 すると、

「……おい。いまなんて言った」

 低く、短い声が返ってきた。

「え?」

 意外にも早い返答に思わず聞き返すと、

「龍馬、おまえいま〝人手が貧しくて〟って言ったのか! ああっ?」

 低い含み声はすぐに怒号に変わった。華厳坂はむくりと起き上がり、背中越しにぎろりと龍馬を睨み付けた。龍馬は訳も分からずたじたじになって、

「えっ、と。はい、その、言いました」

「てめえ、仮にも小説家の卵だろうが! 人手は〝貧しい〟じゃなくて〝足りない〟だ、これくらい間違えんな!」

「す、すみません」

 自分でも驚くくらいあっさりと、龍馬は謝っていた。

 かつてこれほどまでに怒りを(あらわ)にした華厳坂を、龍馬は見たことがなかった。いったい自分の言動の何が、普段から一貫して無気力な雰囲気を漂わせていた華厳坂の逆鱗に触れたのか、龍馬には(にわ)かに掴めなかった。

 ただ、龍馬は華厳坂の怒声から、いつもの彼にはそぐわないような違和と、それから彼の言葉への尊敬のようなものとを、(おぼろ)げに感じ取っていた。

「……純文学名乗ってんなら、それぐらい覚えとけ」

 最後にそう言い残して、華厳坂はまた背を向けて横になってしまった。

「………あ、あの。掃除の、人手が足りないんです。黒田さんも泡奈さんもいなくて、僕とハルとメイさんだけなんです。来てください」

 すっかり委縮してしまった龍馬は、部屋に入ったときよりも幾分弱い語気でそれだけ伝えた。しばらく、なんの返事もない後ろ姿に底知れぬ緊張を感じていた龍馬だったが、

「……あとで行く」

 ぼそっと返ってきた短い言葉に僅かな安堵を覚えた龍馬は、わかりました、と返事をして華厳坂の部屋を後にした。



 * * * * *



「ほら、雪ちゃん! お掃除ですよー、来てくーだーさーい!」

「……んおー。ぐるるぎゃおー」

「特撮の怪獣みたいな声出してもダメです! ほら、行きますよ」

「あー待って待って待ってください。まだ変更を保存してない、わたしパソコンよくわからないからこのまま閉じちゃうと文章が消えちゃう……?」

「大丈夫ですって! いまのパソコンは万能ですから、雪ちゃんの小説は消えません。ほら、毛布を取ってください!」

「えっ、毛布も取るの? 毛布のまま行っちゃだめ? だめ?」

「汚れてもいいなら、構わないですけど」

「……じゃあ脱いでいきます」

「はい」

「……あと、ちょっとだけ続き書かせてく」

「ダメです! 行きますよっ」

「あー待って待って待ってください行くから行きますから………」



 * * * * *



 先に華厳坂の部屋を出た龍馬に続いて、だぼだぼの半纏を着た少女を連れたメイが、中庭に戻ってきた。

「お待たせしました」

「おまたせしました」

 メイが手を引いている半纏の少女は、黒縁の眼鏡を鼻に乗せ、ぼんやりとした口調でメイの真似をした。ずっと一人で待たされていたハルは腰に手を当てて、

「遅いぞ豆子、なにしてたんだ」

 そう少女に追及したが、

「小説書いてました。なにぶんフィーリングが止まらなくて」

 悪びれもせず、少女は正直にそう答えた。

 呆れ顔を見せるハルの後ろで、龍馬とメイは顔を見合わせて苦笑した。



 このだぼだぼの半纏を着た華奢な黒髪の少女、(ゆきの)(こう)()(まめ)()(PN)こそ、(くだん)の〝メイが住んでいた部屋の後釜に入居した天才文学肌女子高生〟であった。

 彼女は、龍馬が白樺荘に入居してから入ってきた唯一の後輩で、同時に唯一の年下の住人でもある。が、こと小説という世界においては、ここに集まった四人の中で最も抜きん出た〝先輩〟であるという事実を、全員が認めざるを得ない。

 彼女の故郷は東北の片隅、誰も名前を知らないような山裾(やますそ)の小村だった。およそ〝田舎〟と聞いて誰もが思い浮かべるような原風景の中で生まれ育った田舎っ子の豆子は、高校一年生の夏休みに出た国語の選択課題で原稿用紙百十二枚超の小説を書き、その年のコンクールで東北一の賞を獲得した。

 当の本人こそ、その凄さを認識していなかったものの、その功績は物書きの界隈では並大抵のものではなかった、ということだけはしっかり伝えておく。受賞後、彼女は高校の国語教師や校長、そして村のお偉いさん方に瞬く間に〝町興し〟の火種として祭り上げられ、いつしか、

「君は国公立大学の、文学科に進みなさい」

と半ば強引に、将来を周囲に決定されるようになっていた。

 もちろん、豆子としても自分が好きに物語を書ける環境を周囲が作ってくれるのは嬉しかったし、豆子自身文学科に進めばもっと満足のいく物語を書けるだろう、と確信していたので、それ自体に大きな不満はなかった。けれど同時に、周囲の反応が煩わしく思えることも少なくはなかった。

 ほんの少し手を止めて外に遊びに行こうものなら、道ですれ違う大人に「書かないとだめじゃないか。きみは村の未来を背負ってるんだから」なんて押しつけがましいことを言われることも、ざらではなかった。そんな環境は、書きたい物語を好きに書いていただけの豆子にとって、いつしか単に窮屈なものと化していた。

 両親にそのことを相談した豆子は、受賞から一年が経ったある日、突然東京行きの夜行列車に飛び乗った。

 高校も強引に転学手続きを済ませ、引き留める周囲の腕を振り払って豆子は上京した。翌朝降り立った巨大で豪奢な駅の、(おごそ)かな外観と人の波に感動を覚えていた豆子は、そこでふと重大なミスに思い至る。

 ──住む場所を決めていない。

 夏場とはいえ、夜は冷え込む。トランクに詰めた大きな荷物といっしょに初都会での初野宿を覚悟した豆子のもとに、小さな奇跡が舞い降りた。

「お嬢ちゃん、どうしたんだい。風邪引くよ」

 東京郊外、夜の公園で一人座り込む豆子にそう話しかけたのが、白樺荘大家の伊月だった。

 その後、一晩白樺荘に泊めてもらった豆子が小説家を目指していることを知った伊月は、快く彼女を件の一室に招き入れたのだが、彼女がその夜初めて顔を合わせたハルにナンパされて向こう(ずね)を蹴り上げた事件については、あまり知られていない。



「龍馬さん。この間くれたお煎餅、ありがとうございました。おいしかったです」

「え? ああ、どういたしまして」

 唐突に、眼鏡のずれを直した豆子がぺこりとお辞儀をしたので、龍馬もつられて頭を下げた。豆子の隣に立っていたメイは首を傾げて、

「お煎餅?」

「うん。こないだ実家から送ってきた荷物に醤油煎餅が入っててさ。苦手だから、雪小路さんにあげたんだ」

「醤油煎が嫌いとか信じられないですけど、くれたので許してあげます」

 小さな身体を後ろへ反らせて、豆子は満足げに鼻息を鳴らした。あらあら、とメイは目を細めて、

「雪ちゃん、お煎餅好きだったんですか?」

「うちでじいちゃんがずっと食べてましたから。おいしいですよ、お煎餅。私、油まみれのポテチとかよりお煎餅のほうがいいです」

「健康的でいいですね。今度買い物に行ったとき、いっしょに買いましょうか」

 メイは笑みをこぼした。龍馬は横目で、その表情を見ていた。

「小説書いてて遅くなったんだっけ。いまはどんなの書いてるの?」

 龍馬の何気ない質問に、

「『黒猫の森』っていう、ファンタジーです。編集さんに紹介してもらったので、霹靂(へきれき)文庫新人賞に応募しようと思ってます」

 豆子はさらりと答えたが、それを聞いた龍馬の顔は見る見るうちに驚嘆一色に染まった。

「えっ。霹靂? ……ってあの、ソーシャル・パブリケーション社のレーベルだよね? 今度また、人気小説が映画化する……」

「ああ、霹靂文庫の『楓の気持ち』ですね!」

 目を丸くする龍馬に、今度はメイがく反応した。

「原作の小説読みましたけど、すっごくおもしろかったですよ。なんでもこの映画、俳優さんとか映像とか、全部いい感じらしいんですよね。実は私、学校が休みに入ったら観に行こうと思ってるんです」

「へえ、そうなんだ」

「はい!」

 弾んだ声で答えてから、

「あれ?」

 メイはまた小さく首を傾げて、隣の豆子を見下ろした。

「でも雪ちゃん、ライトノベル書くのは苦手だって言ってませんでした?」

「苦手ですよ。でも、編集さん曰く最近はライトノベルっぽくないライトノベルが流行ってるみたいなので、この機会に挑戦してみようかと思って。それに新人賞で最終選考まで残ったら、プロのイラストレーターさんが私の小説に絵を付けてイベントで限定出版してくれるらしくて、いいなって」

「へえ! そんな特典があるんですね、いいなあ」

「……なんか、すごいね。霹靂文庫の新人賞で毎回ネットがお祭り騒ぎやってるのは知ってたけど、そんなことしてたんだ」

 いくつかの新人賞に応募した経験を持つ二人は、素直に驚いた。龍馬は目を丸くして、納得顔になった。

 そこで、

「おい……豆子の新規開拓チャレンジはわかったけどよ。……おまえら、寒いなか何しに外に出たんだよ? おしゃべりなら中で菓子持ってきてやりゃいいだろ」

 会話の輪を離れた横合いから、ハルが忌々しそうに声をかけた。

「掃除しろ、掃除を」

 そう言って、ハルは龍馬へ無造作に竹箒をった。

「おっ……と。ごめんごめん、忘れてた」

 龍馬は空中で竹箒を両手で掴んで、ばつが悪そうにはにかんだ。

 それを見たメイも思い出したように、立て掛けていた自分の竹箒を手に取って、自らも前向きに掃除に臨む態勢を見せた。

 しかし、

「……で、結局一人増えただけか」

「華厳坂さんは、あとで来るって言ってたけど」

 これ以上の増員は、どう考えても見込めそうになかった。

 ハルはひそかに、時間にルーズな華厳坂の言葉を大して当てにしていなかった。

 眠そうに目を(こす)る豆子にはメイが新しいものを一本用意したが、それでも二階建てのアパート全域を隅々まで掃除するにはやはり心許ない。

 それでも、あとで大家の雷が落ちるくらいなら、少人数でもやるしかなかった。腹を括ったハルが改めて竹箒を握り直したところに、裏口から、大家の伊月が目を丸くしてやってきた。

「中に誰もいないと思ったら……あんたたち、なにやってんの?」

「?」

 伊月の言葉に、竹箒を構えていた龍馬やハルは目を見合わせた。

「そうか、伊月さんが残ってた」

「なにって、掃除だけど」

 その場を代表してハルが答えると、

「……大掃除は日が合わないから来週にしようって、こないだみんなで決めたはずなんだけどねえ」

 呆れ口調の伊月から、とんでもない言葉が放たれた。

「は? ……来週? え、そんなのいつ決めたんだよ!」

「いつって……たしか、先週の木曜日かね」

 のんびり答える伊月の返答に、ハルは目線を上にやって考えて、

「……その日は単位がヤバかったから、まじめに授業出た日だ……」

「僕も、その日は遅くまでキャンパスに残って課題してたっけ」

「その日は、友達と買い物に行ってまして……」

「木曜日ってことは、えーと……漫画喫茶でネットサーフィンしてた、かな」

 頭を抱えるハルに、を掻く龍馬、申し訳なさそうなメイ、そして相変わらずぼんやりした口調の豆子が続いた。

「てことは、俺たち誰も掃除が延期になったの聞いてなかったのか」

「そうみたいだね」

 隣で苦笑する龍馬が頷いた。

「なんだよそれ……。じゃあ、寒いなか外で何分も待たなくてもよかったんじゃねえか……」

 ハルはどっと疲れた顔を伊月に向けて、

「誰か連絡寄越してくださいよー」

「うーん、先週はみんな忙しそうだったからねえ。普段ならあんたら若いのの誰かが休んだときは、話を聞いてたあんたか龍馬かメイが連絡してくれてたから、誰も気づかなかったのかもしれないね」

 伊月は半ば適当な調子で、そんなふうに言った。

「そんなわけだから、自主的に集まってくれてたところ悪いんだけど、今日は解散ってことで。あとであったかいお茶でも()れるから、気を悪くしないでね」

 手をひらひら振って、伊月は中庭を後にした。

 その場に取り残された四人は、手に握った竹箒の柄を弄んでいた。



「ん? なんだ、おまえだけか」

 龍馬らが中庭を引き上げてから数分、重い腰を上げた華厳坂がだるそうに顔を出した。

「あ、ホントに来た」

 華厳坂を見つけたハルの第一声は、かなり失礼だった。

「おっさん。もう俺だけっすよ」

 そう答えるハルは、中庭に(そび)える白樺のの木幹に(もた)れかかってなにか考え事をしているところのようだった。四人分の竹箒は見当たらない。

「大掃除の人出が足りねえからって龍馬に呼ばれてきたんだが」

「今さっき伊月さんが来て、大掃除は来週に延期になったって言い残していきましたよ」

「はあ? なんだそりゃ」

「その感じだと、おっさんも知らなかったみたいっすね」

 不服そうに眉を持ち上げる華厳坂の顔を見て、ハルは苦笑した。

 華厳坂は面倒そうに頭を掻いて、

「まったく。……それで? なんでおまえはこんなところで突っ立ってんだ」

「いやー、俺もできることなら寒いから早いこと部屋に戻りたいんすけどね」

 ハルは区切って、

「今度、小説にちょうどこんな感じのおっきい木を出したいんすよね。主人公の男子がこんなふうに凭れかかって、女子が逆壁ドンで浮気を問い詰める、みたいなシーンで」

 言いながら、ハルは幹を手で触って、感触やその大きさを確かめていた。いつもは軟派そうに見える、今どきの若者然とした表情は鳴りを潜め、その顔は真剣に見えた。

 華厳坂はその様子に目を細めて、

「……羨ましいな」

 ぼそりと呟いた。

「え? なにがっすか? まだまだ女子と絡み放題の若い俺が、羨ましいってことっすか?」

 ぺたぺたと幹を撫でたり叩いたりして、そちらに集中したままハルは軽い調子で言葉を返した。

「そんなんじゃねえよ。なんでもねえ」

「ふうん」

 適当に相槌を打ったハルだったが、

「ん」

 ふと、華厳坂が脇に抱えた文芸誌に目を止めた。

 白樺の幹から手を離して、華厳坂の正面へ歩み寄る。

「おっさん、それってたしか」

「ん?」

 華厳坂はハルの指差す方向を見て、

「これか?」

 脇に挟んだ分厚い文芸誌を手に取った。

 簡素な大木のイラストを表紙に含んだそれは、いかにも純文学専門誌、といった様相だった。イラストの上には『青柳桜花者 月刊 冬月赤足 九月号』とタイトルが銘打たれている。イラストの左右や下方には、目玉となる作家の作品や、その刊で特集された若手新人の読み切り作品などが短く紹介されていた。

「………」

 ハルはその表紙を注視して、

「この本、ちょっと見せて、ってか貸してください」

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