いつもの闇仕事だと思っていた
クロスロードの朝は、相変わらず騒がしい。
多種族が行き交い、言語が混じり、貨幣の音と怒鳴り声と笑い声が、雑多に絡み合う。
その喧騒の中にいると、この街が「何でも飲み込む場所」だということを、嫌でも思い出させられる。
ノーリトリートの事務所の窓から、レインは通りを眺めていた。
「……今日も平和、とは言えないな」
「クロスロードに“平和”を期待する方が間違いでしょ」
ミリアが椅子に腰掛けたまま、剣の刃を拭きながら言う。
エルフィナはその隣で書類を整え、小さく頷いた。
「……でも……最近は……
大きな揉め事は……少ない……」
「小さいのは山ほどあるけどな」
エルドが肩をすくめる。
ここ最近、ノーリトリートが請け負っていたのは、
・密輸品の回収
・違法賭博の揉め事
・裏路地での小競り合いの仲裁
いずれも、クロスロードでは“日常”の範疇だ。
「今回も、その類いだろ?」
カイラが端末を閉じながら言った。
「裏で怪しい流通がある、って話は前から出てたけど……
どうせ、いつもの小規模グループだと思ってた」
そのとき――
事務所の扉が、ノックもなく開いた。
「相変わらず、賑やかな場所だな」
低く、落ち着いた声。
全員が反射的に視線を向ける。
「……久しぶりだな、蒼衡」
レインが言った。
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》は、わずかに口角を上げる。
「久しぶり、か。
ずいぶん馴れ馴れしいな」
「協力も共闘もしてきた仲だろ」
「思想まで共有した覚えはない」
蒼衡はそう言いながら、事務所の中を一巡した。
ミリア、エルド、エルフィナ、カイラ、ノウン――
そして、レイン。
「……まだ枯れてはいないようだな」
「余計なお世話だ」
ミリアが即座に噛みつく。
エルドが腕を組み、低く問う。
「で、何の用だ。
王国絡みか?」
「察しがいい」
蒼衡は懐から一通の書類を取り出した。
「王都世界機関からの正式要請だ」
「内容は?」
レインが視線を落とす。
「クロスロードにおける
“違法密売組織”の調査と排除」
その言葉で、室内の空気がわずかに張り詰めた。
「……密売?」
「武器か? 薬か?」
カイラが即座に確認する。
「両方だ。
それと――人も含まれる可能性がある」
エルフィナが、思わず息を呑む。
「……人……」
蒼衡は淡々と続けた。
「表向きは、いくつかの小さな闇商人が
縄張り争いをしているだけに見える」
「だが、妙に統制が取れている」
ノウンが静かに言う。
「……上が、いる」
「その通りだ」
蒼衡は頷いた。
「しかも――
かなり深いところにな」
ミリアが鼻で笑う。
「クロスロードで“深い”って言われると、
逆にワクワクするな」
「今回は、俺たちだけじゃない」
蒼衡は、レインを見る。
「ノーリトリートとも、共闘してもらう」
一瞬の沈黙。
やがて、レインが口を開いた。
「……分かった」
「いつもの闇仕事、って顔はもう出来ないな」
ミリアが、にやりと笑う。
「で?
まずはどこから潰す?」
蒼衡は即答した。
「末端からだ」
「――だが、
今回は“掴む”だけじゃ終わらない」
カイラが眉をひそめる。
「組織名は?」
「《黒巣》」
その名を聞いた瞬間、
ノウンの視線が、わずかに細くなる。
「……巣、か」
「街の裏に張り付いて、
静かに数を増やすタイプだ」
蒼衡は言った。
「今回は――
街ごと、揺れるかもしれん」
レインは、ゆっくりと息を吐いた。
「……了解だ」
クロスロードの喧騒は、変わらない。
だがその裏で、
街を覆う“巣”が、すでに動き始めていることを――
まだ誰も知らなかった。
クロスロード西区。
石造りの建物が密集する一画に、異様な静けさが落ちていた。
「……匂うな」
蒼衡《そうこう/アズール・バランス》が、低く呟く。
剣は抜いていない。だが、完全に“戦場を見る目”だった。
その背後に、蒼衡の仲間たちが並ぶ。
セインが腕を組み、壁にもたれかかるように立っている。
鋭い目は周囲を見ているが、どこか退屈そうだ。
「密売拠点にしちゃ、静かすぎる」
「いや」
蒼衡は即座に否定した。
「静かにされている」
その言葉に、ノーリトリート側――ミリアが眉をひそめる。
「どういう意味だ?」
「人の流れが、不自然だ」
蒼衡は視線を通りの先へ向ける。
「逃げる気配もない
隠す気配もない
ただ――“ここにいる”」
カイラが端末を操作しながら言う。
「確かに……
裏取引の痕跡はあるけど、
末端の動きが鈍すぎる」
「末端は、もう切られている」
蒼衡は淡々と告げた。
「ここは“巣”じゃない
“殻”だ」
その瞬間。
セインが、小さく鼻で笑った。
「なるほどな」
「つまり?」
エルドが問い返す。
「囮だ」
セインは、あっさり言った。
「捕まってもいい連中
喋っても問題ない連中
あるいは――
何も知らない連中」
ノーリトリートの面々に、わずかな緊張が走る。
「……じゃあ」
エルフィナが不安そうに言う。
「本体は……」
「もっと、上だ」
蒼衡が答える。
「《黒巣》は、
個人の犯罪組織じゃない」
「階層型だ
役割ごとに“人格”を捨てさせるタイプの組織だ」
その言葉に、ノウンが静かに反応する。
「……人を部品として扱う構造」
「そうだ」
蒼衡は肯定した。
「だからこそ、
切る相手を間違えると――
何も終わらない」
そのとき。
建物の影から、一人の男がふらりと現れた。
顔色は悪く、目は虚ろだ。
「……あ……」
「誰か……」
ミリアが一歩前に出る。
「大丈夫か?」
男は、笑った。
「大丈夫……?」
「はは……
もう……
仕事、ないのに……?」
その言葉に、空気が凍る。
セインが、男を一瞥する。
「末端だな」
「完全に切られてる」
蒼衡は、男から視線を外さずに言った。
「黒巣は、
自分たちの“正体”を隠すために、
街そのものを使い潰す」
「クロスロードの闇に、
巣を作ってるんじゃない」
一拍。
「クロスロードそのものを、
巣に変えようとしている」
ノーリトリートの面々が、息を呑む。
「……で」
ミリアが、低く言った。
「俺たちは、どうする?」
蒼衡は、ゆっくりと剣に手をかけた。
「まず――」
「殻を、割る」
セインが、その言葉を引き取る。
「中堅を一人、引きずり出す」
「口を割らなきゃ?」
ミリアが聞く。
セインは、笑った。
「その時は――」
拳を、軽く握る。
「考える」
その笑みは、冗談でも脅しでもない。
ただの事実だった。
蒼衡は、一度だけノーリトリートの面々を見渡す。
「これは、
ただの裏仕事じゃない」
「クロスロードの“裏”そのものを、
切る仕事だ」
その言葉を合図に、全員が動き出す。
まだ戦闘は始まらない。
だが――
巣に、刃は届き始めていた。
倉庫の中は、拍子抜けするほど整っていた。
血の匂いもない。
争った形跡もない。
ただ、物と人が「役割通り」に配置されている。
「……」
ミリアが、思わず舌打ちする。
「気味悪ぃな。
裏組織のアジトって感じじゃねぇ」
「“仕事場”だな」
蒼衡が静かに言った。
「住処じゃない。
拠点ですらない」
「処理場だ」
その中央に、一人の男が座らされていた。
縛られているが、暴れた形跡はない。
中堅。
顔つきも、服装も、どこにでもいる下請け管理役。
だが――
目だけが、異様に落ち着いていた。
「……で?」
男が、ゆっくりと顔を上げる。
「王都世界機関と、
蒼衡と、
ノーリトリートが揃って何の用だ?」
余裕があった。
それは虚勢ではない。
本当に、ここで終わらないと分かっている者の態度だ。
カイラが一歩前に出る。
「違法密売の管理責任者。
流通経路、資金源、上の名前」
「全部、答えてもらう」
男は、肩をすくめた。
「俺が知ってるのは、
“流れ”だけだ」
「名前はない
顔もない
上下も、実は曖昧だ」
「……典型的だな」
エルドが低く言う。
「責任を持たせない構造」
「その通り」
男は、笑った。
「だから俺は、
捕まっても問題ない」
「どうせ――」
言いかけた、その瞬間。
セインが動いた。
言葉もなく、距離も詰めない。
ただ、拳が――正確に顎を打った。
鈍い音。
男の身体が、椅子ごと後ろに倒れる。
「……っ」
誰かが息を呑む。
セインは、拳を振り払うでもなく、淡々と言った。
「余計なことを言うな」
「続きを言うなら、
次は起きなくていい方で殴る」
男は、意識を失った。
倉庫に、重い沈黙が落ちる。
「……荒っぽいな」
ミリアが言う。
「必要な分だけだ」
蒼衡は、倒れた男を一瞥した。
「だが、これで十分だ」
「何が分かった?」
ノウンが問う。
蒼衡は、ゆっくりと答える。
「黒巣は――
“トップを守る組織”じゃない」
「“トップが存在し続ける構造”だ」
カイラが、端末を見つめたまま呟く。
「……潰しても、
同じ形で、また生える」
「ええ」
蒼衡は頷く。
「だから――
今回は、全部切る」
「上も
中も
下も」
その言葉に、ノーリトリートの面々が顔を見合わせる。
「……でかい仕事になるぞ」
ミリアが言う。
「長引く」
「人も、街も、傷つく」
蒼衡は、はっきりと答えた。
「それでもやる」
「黒巣は、
もう“街の一部”になりかけている」
「放置すれば、
クロスロードは巣になる」
一拍。
「それは――
許容できない」
その瞬間、ノーリトリートの空気が変わった。
これは依頼じゃない。
これは“選択”だ。
エルフィナが、小さく息を吸う。
「……レインが起きてたら、
きっと同じこと言った」
蒼衡は、わずかに目を細めた。
「そうだろうな」
「だから――」
「今回も、
中心はいらない」
「俺たちで、切る」
倉庫の外。
クロスロードの夜は、何も知らずに続いている。
だが――
その地下で、
一つの巨大な巣に、確かな刃が入った。
まだ壊れていない。
まだ血も流れていない。
けれど。
黒巣は、
確実に――見つかった。




