癒してしまった
その村は、泣いていた。
声を上げて泣く者はいない。
嗚咽も、叫びもない。
ただ——
人々の顔に、泣いた“跡”だけが残っている。
代行者ギルドが去った後だった。
争いは終わっている。
剣も、魔法も使われていない。
死者もいない。
それでも、村は壊れていた。
「……ここ、静かすぎる」
ミリアが、小さく言う。
リュカは、周囲を見回して頷いた。
「恐怖が処理されてない」
「押し込められたままだ」
エルドが、教会の方を見た。
「……癒し手がいる」
古い礼拝堂の扉は、開いていた。
中には、人が溢れている。
怪我人だけじゃない。
泣いている者も、立てない者も、座り込む者も。
そして中央に——
白いローブの女がいた。
ルミナ=エストレア。
元英雄。
かつて“慈光の聖女”と呼ばれた存在。
彼女は、一人一人に手を置いていた。
光が、淡く灯る。
「大丈夫ですよ」
「……ほら、息をして」
「怖かったですね」
その声は、優しい。
間違いなく、救っている。
実際——
人々の傷は癒えていく。
痛みも、落ち着いていく。
だが。
(……消えてない)
レインは、見ていた。
恐怖が、薄まっていない。
癒されたはずの人間が、
より深くルミナの手を求めている。
「次は……あなた」
ルミナは、少女の前に膝をついた。
少女は、震えている。
「……怖いの」
「分かります」
ルミナは、迷わず頷いた。
「怖いままで、いいんです」
その瞬間、
レインの《アナライズ・コピー》が反応する。
(……同調してる)
(恐怖を消してない)
(恐怖を、前提に癒している)
ルミナの手から、光が溢れる。
少女の呼吸が、落ち着く。
涙が止まる。
だが——
目は、離れない。
ルミナから。
「……ありがとう」
少女は、縋るように言った。
その言葉に。
ルミナの胸の奥で、
小さく“満たされる感覚”が生まれた。
(……届いた)
(まだ、私は役に立てる)
その瞬間。
耳の奥で、
誰の声とも知れない“思念”が、
そっと触れる。
(優しいな)
(恐怖を、否定しない)
(だから、人は壊れない)
(……もっと、癒せるだろう?)
ルミナは、ぴくりと指を止める。
だが、次の瞬間には微笑んでいた。
「次の方、どうぞ」
救っている。
間違いなく。
けれど。
恐怖は、ここに残る。
癒されるほど、深く。
レインは、剣に触れない。
ただ、確信する。
——彼女は、もう
“恐怖を越えさせる英雄”ではない。
——“恐怖と共に生きさせる存在”になっている。
そして遠くで。
バルク=ディアロスが、
また一つ、介入を終えていた。
別々の場所で。
別々の方法で。
元英雄たちは、
同じ感触を得始めている。
——使ってしまった、という感触を。
礼拝堂は、夜になっても人が引かなかった。
灯された蝋燭の数が増えるほど、
祈りの言葉は減っていく。
代わりに残るのは、沈黙だ。
「……今日は、もう休みましょう」
ルミナ=エストレアは、穏やかに言った。
声を荒げることはない。
拒絶もしない。
だが、誰も立ち上がらなかった。
「ここにいると、落ち着くんです」
「外に出ると……また、怖くて」
「少しでいいから、手を……」
その言葉に、ルミナは一瞬だけ息を止めた。
(……まただ)
助けを求める声。
信頼。
依存。
それは、かつて英雄だった頃にもあった。
だが、あの時は——
(……恐怖を、消していた)
今は、違う。
「大丈夫ですよ」
そう言って、手を差し伸べる。
光が灯る。
痛みは和らぐ。
呼吸は整う。
だが、恐怖は消えない。
恐怖は、居場所を得てしまった。
「……聖女様」
老女が、ルミナの袖を掴んだ。
「ここにいれば……何も起きませんよね」
問いではない。
確認だ。
ルミナは、答えを探してしまった。
(……何も起きない)
(私が、ここにいれば)
それは、かつて英雄が背負っていた思考だ。
前に立てば、世界は壊れない。
——だが、それを彼女は、否定できなかった。
「……ええ」
小さく、そう答えてしまう。
その瞬間。
礼拝堂の空気が、変わった。
人々の肩から、力が抜ける。
安堵が、広がる。
同時に。
“自分で立つ必要”が、消えていく。
レインは、その変化を見ていた。
《アナライズ・コピー》が、冷静に示す。
(恐怖の固定)
(癒しによる逃避)
(……自立が、阻害されている)
ミリアが、低く言う。
「……これ、止めた方がいいよね」
「今は、無理だ」
リュカが、静かに首を振る。
「彼女は、善意でやってる」
「止めれば、“救いを奪った側”になる」
エルドが、盾を握りしめる。
「……切れない」
その言葉が、場に落ちる。
ルミナは、座り込んだままの人々を見回す。
誰も泣いていない。
誰も叫んでいない。
だが——
誰も、前を向いていない。
(……私は)
(この人たちを、助けている?)
問いが、胸に浮かぶ。
その隙間に、
あの“気配”が、そっと入り込む。
(助けているとも)
(壊してもいない)
(ただ……支えているだけだ)
(それの、何が悪い?)
ルミナは、目を閉じる。
英雄だった頃の自分が、
遠くにいる。
恐怖を越えさせていた、あの光は、
今はもう——必要とされていない。
(……違う)
(今は、これでいい)
そう、結論づけてしまう。
その夜、
礼拝堂を出る者はいなかった。
外の世界は、怖い。
だが、ここには——
恐怖と一緒に居られる場所がある。
それを与えてしまったのは、
間違いなく、ルミナ自身だった。
遠く離れた場所で。
バルク=ディアロスは、
また一つの介入を終え、
胸の高鳴りを抑えきれずにいた。
別の形で。
別の理由で。
元英雄たちは、
同じ地点へと、確実に近づいている。
——恐怖を、力に変える地点へ。
《非裁定ノーリトリート》は、
まだ動かない。
だが、レインは理解していた。
次に誰かが力を使った時。
それはもう、
“使ってしまった”では済まなくなる。




