記録されない報告
最初の報告は、食い違いから始まった。
クロスロード外縁――旧採掘道跡地。
低ランク冒険者三名が、探索から戻った。
「森だった」
と、一人は言った。
「いや、石の街だ」
と、もう一人が否定した。
「何もなかった」
三人目は、困惑した顔でそう言った。
***
裁定局の簡易照合端末は、沈黙した。
探索履歴:未検出
魔力使用履歴:未検出
戦闘記録:未検出
異常事象:未検出
端末は正常に稼働している。
故障ではない。
だが、記録がない。
まるで、三人が外縁へ行っていないかのように。
***
「魔物は?」
受付官が問う。
「いた」
「いなかった」
「覚えてない」
報告が一致しない。
だが三人とも負傷している。
切創。
打撲。
魔力消耗。
確かに“何か”があった痕跡。
だが履歴は残っていない。
***
数時間後、第二報が入る。
中堅パーティが帰還。
「魔物は倒した」
彼らは胸を張った。
だが、
討伐証明用の魔力結晶は存在しない。
死骸もない。
回収素材もない。
裁定盤は同じ表示を返す。
記録なし
事象未確認
***
その頃、ノーリトリート事務所。
リュカが資料を広げる。
「外縁探索の報告が一致しない」
カイラが端末を操作する。
「魔力ログ、空白」
ノウンが静かに言う。
「構造に記録されていない」
ミリアが眉を寄せる。
「でも怪我してる」
エルフィナが小さく頷く。
「痛みはあるよ」
エルドが低く言う。
「記録だけが消えてるってか」
レインは黙って聞いている。
ピコが肩で揺れる。
「へらない」
小さな声。
まだ意味は分からない。
***
夕刻。
裁定局本部から正式通知が届く。
外縁異常事象発生
裁定不能区域の可能性
協力要請
協力。
命令ではない。
依頼。
レインは封書を閉じる。
「固定が届かない場所があるらしい」
ミリアが笑う。
「そんなのある?」
ノウンが静かに言う。
「ある」
一拍。
「構造外」
***
その夜、裁定盤が初めて表示した。
区域分類:未定義
固定構造適用:不可
記録保持:失敗
クロスロードの外縁に、
世界の“余白”が現れた。
まだ誰も、それが何かを知らない。
だがひとつだけ確かだ。
そこでは、
裁定も固定も――
届かない。
裁定局本部は、いつもより静かだった。
騒ぎにはなっていない。
だが内部の空気が張り詰めている。
イリスは会議室に一人で立っていた。
資料は机に並んでいるが、表情はいつも通りだ。
冷静。
だが隠しきれない違和。
***
「協力依頼です」
ノーリトリートが入室すると同時に、彼女は言った。
命令ではない。
依頼。
その言葉の選び方に、ミリアがわずかに眉を上げる。
***
「外縁旧採掘道跡地一帯に、未定義区域が出現しています」
イリスが示すのは、地図。
だがその一部が、淡く滲んでいる。
「裁定盤が反応しません」
「履歴保存に失敗します」
「魔力使用も、戦闘も、記録されない」
カイラが即座に確認する。
「端末故障の可能性は?」
「排除済みです」
アルトが補足する。
「本体ログも沈黙しています」
沈黙。
裁定盤が“何もない”と返す。
それ自体が異常だ。
***
リュカが冷静に問う。
「揺動指数は?」
イリスは一瞬だけ間を置く。
「……0です」
全員が沈黙する。
ゼロ。
揺れがないのではない。
測定できていない。
構造の外側。
ノウンが静かに言う。
「固定が届いていない」
***
「封鎖は?」
エルドが問う。
イリスは首を振る。
「範囲が確定できません」
「位置が微妙にズレる」
「観測ごとに地形報告が変わる」
ミリアが呟く。
「迷宮みたいなもん?」
「違います」
イリスは即答する。
「迷宮は記録されます」
これは、されない。
***
レインが初めて口を開く。
「中で何が起きてる」
イリスは資料を差し出す。
帰還者の証言。
森。
石の街。
何もない空間。
共通しているのは、ひとつ。
「“何かに攻撃された”という感覚」
だが傷はある。
痛みはある。
履歴はない。
***
「管理不能は構造外です」
イリスは静かに言う。
「構造外は、封鎖か排除が原則」
一拍。
「ですが今回は、排除対象が特定できない」
だから依頼。
固定が届かないなら、
固定しない者に頼む。
***
ピコがぽよ、と揺れる。
「へらない」
全員が一瞬、視線を向ける。
イリスは初めて、ピコを正面から見る。
「その個体は、今回の事象と関連が?」
「分からない」
レインは答える。
「でも似てる」
余白と余白。
***
「突入は任せます」
イリスは言う。
「観測は外縁から継続します」
彼女は自ら入らない。
固定は境界まで。
その線引きは明確だ。
***
レインは地図を見る。
滲んだ部分。
存在しているはずなのに、
確定しない場所。
「名前は?」
イリスは一瞬だけ考える。
「暫定呼称」
一拍。
「裁定不能区域」
ノウンが小さく呟く。
「白域」
その言葉が、部屋に静かに落ちる。
白。
何も書かれていない。
まだ何も決まっていない。
***
レインは地図を折りたたむ。
「行く」
決意ではない。
当然の選択。
固定が届かない場所へ、
非裁定が入る。
それが今回の構図だった。
出発は翌朝ではなかった。
その日のうちに動いた。
夜を跨がない。
異常は放置しない。
それがノーリトリートの立ち方だった。
***
クロスロード外縁。
旧採掘道へ続く街道は、いつも通りだ。
荷馬車が通る。
小商人が叫ぶ。
風は普通に吹いている。
だが、一定距離を越えた瞬間――
音が、わずかに遅れた。
ミリアの足音。
カイラの鎧の擦れる音。
0.2秒ほど、後ろから追いかけてくる。
リュカが即座に止まる。
「音波伝達、異常」
エルドが眉を寄せる。
「風は普通だ」
ノウンが空間を観測する。
「位相がずれている」
***
さらに一歩。
影が、薄くなる。
完全に消えてはいない。
だが輪郭が曖昧だ。
エルフィナが小さく息を呑む。
「なんか……軽い」
重力は正常。
だが足裏の感覚が薄い。
地面を踏んでいるのに、
踏んでいる履歴が残らないような。
***
カイラが短く報告する。
「魔力ログ、取得不能」
「接続は正常」
「取得だけが失敗」
裁定局からの遠隔観測も、沈黙。
レインは周囲を見渡す。
景色は普通だ。
森。
崩れた採掘施設。
岩壁。
だが“確かさ”が薄い。
まるで下書き。
***
「へらない」
ピコがぽよ、と揺れる。
レインの肩の上で、安定している。
影も消えない。
音も遅れない。
彼だけが、はっきりしている。
***
さらに進む。
空の色が変わる。
曇っている。
だが雲はない。
光源が分からない。
影は完全に消えた。
リュカが低く言う。
「現在位置、特定不能」
「三度補正失敗」
エルドが短く言う。
「もう入ってるな」
***
その瞬間、
背後で小石が転がった。
全員が振り向く。
何もいない。
だが、転がる音は――
数秒遅れて、やってきた。
カラ……。
カララ……。
時間が、遅れて届く。
***
ノウンが呟く。
「因果が希薄化している」
「事象が確定していない」
エルフィナがレインの袖を掴む。
「ここ……いやだ」
怖さは派手ではない。
薄い。
薄いまま、まとわりつく。
***
レインは一歩、前に出る。
地面を踏む。
感触はある。
だが足跡が残らない。
「記録されない」
静かな確認。
***
そのとき。
前方の空間が、わずかに歪んだ。
揺れたのではない。
“書き換わった”。
森だった場所に、
一瞬だけ石壁が見えた。
廃都市の輪郭。
そして、消えた。
ミリアが低く構える。
「いる」
レインは目を細める。
《完全模写理解》を起動しかける。
だが、何も表示されない。
まだ、対象は確定していない。
白域は、ただそこにある。
存在しているのに、
確定していない空間。
クロスロードの外縁に、
世界の余白が広がっていた。
そしてその奥で、
何かがこちらを“観測していない”。
それが、最初の異常だった。




