祝宴を終えて
一人残されたシグナークのそばに一人の美しい女性が近寄って来た。彼女のほかにも優美な礼装を着こなした淑女たちが、勇気を振りしぼって彼に声をかけようとしていたが、その身分の高い女性の登場に遠慮したらしい。
「このたびの活躍、本当にありがとうございました」
丁寧にお辞儀をしながら──その女性は、彼に聞き覚えのある声でそう言った。
やや声に鋭い部分のある特徴的な声。
その美しく着飾った姿に、さしもの慧眼の持ち主である彼もはじめは気づかなかったようだが、その女性はシセリオンであった。
「シセリオン殿か。そのようなお美しい様相もなさるんですね」
彼はそう言いながらお酒を一口飲んだ。華やかな香りのする白葡萄酒を。
「べつに──好んでこんな格好をしているのではありません。ルイルの奴が勝手にこの服を用意してむりやり……いえ、それはもうこの際いいのです」
顔を赤らめたのは、ぶっきらぼうな冒険者に思えた彼の口から、「美しい」などと言われるとは思っていなかったからだろう。
「本当にお疲れさまでした。命の危険もあったとうかがっています。その髪や肌も──ずいぶん印象が変わられましたが……」
「ええ、魔女王の魔力をそそがれてしまいましてね。レスティアの助けもあり、なんとか命だけは拾えました」
シセリオンもそうしたことを聞いていたのだ。
目の前にいる彼が、危険な力を持つ魔女王の影響を受けていないか、心配してもいるようだった。
まわりを見回してもシグナークのそばに近寄って来る人はいない。そのことを不思議に思ったシグナークが疑問を口にすると、シセリオンは「ああ、それはたぶん……」と話しはじめる。
「私はこう見えても皇帝フォルスレイドの孫ですので、こうして二人でいれば、そう簡単にあなたに話しかけようとはしてこないはずですよ」
彼女が彼のもとにやって来たのは、慣れない人たちに囲まれるのを防ぐ目的があったようだ。
「ありがとうございます」
彼はまた、いままでの彼なら決して見せなかったような笑顔をシセリオンに向けた。
シグナークとは一度会って会話しただけの間柄だったシセリオンだが、彼のその変わりように言いようのない感情が心に飛来し、思わずどぎまぎとしてしまう。
「……なんだか、いい雰囲気ですね」
そう言って現れたのはレスティアだった。
噂好きの貴族の相手は姉に任せて、少女はシグナークのところへ戻って来たのだ。
「ところで──こちらの方はどなたですか?」
レスティアはいぶかしんだ様子を見せる。
「おいおい、以前に会ったことがあるじゃないか」
「え? ──そうでしょうか、いったいどこで……」
レスティアが不躾にじろじろとおめかししたシセリオンを観察する。
「────んん? もしかして……シセリオンさんですか」
「正解だ」
シグナークはやっと気づいたのかとあきれ気味に言う。
こほんと咳ばらいし、シセリオンは少女にも魔女王討伐に対するねぎらいをした。
「あなたは彼の命を救ったそうですね。冒険者が仲間を助け、困難な障害を乗り越える──まさに、吟遊詩人の歌うとおりの英雄譚ですね」
その言葉を受けてシグナークはあらためて少女に感謝と礼を口にする。
すると少女は顔を真っ赤にして、おろおろと手にしたガラス杯を落としそうになる。
「あ、あのときのことを、ぉおっ……おぼえているんですかっ⁉」
「え、いや──正直よく覚えていないんだ。俺は魔女王の意識と戦っていたからな」
少女はその返答を聞くとほっとした様子を見せ、「ならいいんです」と冷静さをとりつくろう。
まさか咄嗟のこととはいえ、「シグナークをわたさない」みたいな発言をしてしまったのを聞かれては、変な誤解を受けると思ったレスティアであった。
シグナークのところにレイラが来ると、それを期に多くの貴族が彼らの話を聞きたいと集まって来てしまう。
観念した彼らはルイルを交え、おおよその事柄を話すことにした。
大仰な吟遊詩人の詩と語りより抑えた言葉で、シグナークやルイルは集まっていた人々に話しはじめた。
もちろんシグナークが魔女の力の影響で姿が変わったことはふせておいたが。──そのことは一部の人間にしか知らされていないのだ。
彼が魔人に近い存在になったかもしれないなど、大勢に吹聴するわけにはいなかない。戦士ギルドや魔術師ギルドの一部にのみ、魔女王討伐の中で冒険者一人が身体を乗っ取られそうになった。ということだけは聞かされているのである。
集まっていた紳士淑女は彼らの話に満足したらしく、彼らを解放してくれた。
話し疲れたシグナークやルイルたちはそろってバルコニーへと出て行き、そこでシグナークがあらためて、魔女王について話しはじめたのである。
魔女王はシグナークの身体を奪おうとして、彼自身の強固な意志──魂に抵抗され、さらにレスティアの持つ魔力操作の能力によって、魔女王は目的を果たせずに消滅することとなったのだ。
しかしシグナークの中には魔女王との接触で、魔女王の記憶の一部が残された。
その記憶には魔女王が、初代皇帝となる若者との戦いで敗北するということを先見の魔眼で知り、首飾りの中に魂の半分を移し替えるに至ったときの記憶が残されていたのだ。
「俺は過去の──六百年ほど前の魔女王が、首飾りに魔力やおのれの魂を封印したときのことを知った。魔女王は光の魔女セルラーシェスを何より恐れていたようだ」
魔女王はセルラーシェスによって半身が封印されることまでは先見の魔眼で知っていたが、どのような形で封印されるかまでは知ることができなかったらしい。
「あの魔剣──あの剣の中に魔女王の力が封印されていたんだな」
シグナークの言葉に頷くルイル。
「ええ。あの剣の力の源は魔神の力を持った魔女王の魔力のようです。ルディアステートは封印された力を取り戻そうとしていましたが、それは同時に自身の力を奪おうとする刃へ接触するという行為だったわけですね。光の魔女もなかなか底意地の悪い罠をしかけたものです」
確かに──自分の力を取り戻せると思ったら、自分の半身の命を奪い、さらにはその力を取り込んだ武器が出てくるなど、魔女王には板ばさみ状態だったわけだ。
「シグナークさんが自分もろとも魔剣で魔女王を貫いたため、また魔剣に力が取り込まれたようですね。きっと初代皇帝が手にしていた物よりも強力な魔剣になったことでしょう」ルイルはそう言って彼の身体の心配をする。
「あの魔剣はどうなるんだ?」そうシグナークが問うとルイルはう──んと考え込む。
「いまは皇帝の側近である魔導師の手元にあるそうですが、封印の状態などを調べたあと、皇帝の──帝国の所有物として、城の宝物庫に保管されるんじゃないでしょうか」
まだどのように魔剣が扱われるかは未定なようだ。
歴史的遺物であると同時に強力な魔法の武器でもある。そして何より──危険な魔女王の力が封じられた魔剣なのである。この魔剣が帝国の歴史にどのような意味をもたらすか、それは誰にもわからないことであった。
祝典は大々的におこなわれたわけではなかった。あくまで帝都にいた貴族たちを中心にした宴席が設けられただけであり、今後は帝国の中心的な行事としておこなわれる可能性はあった。
帝国の歴史のそのはじまりに登場する、皇帝の宿敵たる魔女王ルディアステートの呪縛から解放された記念すべき日だ。
この報せは翌日──戦士ギルドを中心に、帝国内にいるあらゆる人民に知らされることとなるだろう。
吟遊詩人にとっても、この六百年にわたる魔女王とその側近の存在は伝説として語られ、歌われつづけてきた。
彼らもここ数ヶ月──あるいは数年は、この話題の歌だけで生活していくことになるだろう。
そうした叙情詩人の脚色によって大げさに、あるいは事実とはまったく異なる物語が生まれるのだろう……
祝典が終わり、シグナークらは高級宿へと戻って行った。慣れない華やかな場所でのお披露目と、多くの貴人たちに囲まれて会話をしていたため、彼らは疲れた様子で宿へと戻って行く。
「つかれました……」
弱々しい声でレスティアが言う。
「そうね」
そう応えた姉の声も力がない。
レイラに至っては多くの貴族の男たちから声をかけられ、踊りの相手や話しの相手にと求められつづけ、すっかり参ってしまっていた。
「もう祝典はこりごりです……」
三人ともいまではもともとの冒険者の衣服に着替え、化粧も落として気軽にはなっていたが、目を閉じると会場に鳴り響いていた音楽が聞こえてくるような気がした。
吟遊詩人の歌などは酒場などで聞くこともあるが、あのような数々の楽器を奏でる管弦楽を聴くというのはめったにない。
シグナークは故郷で何度かそうした経験をしていたが、それでも帝国の城内で聴いた今回のような大々的な管弦楽は、はじめての体験だった。
レスティアとレイラに関しては管弦楽自体がはじめてだったために、すっかり圧倒されてしまったらしい。
静かに演奏されていた音楽ですら、まだ耳の奥に残っているような気がしている二人であった。
気だるい疲労感を感じながら宿に戻った彼らは、数々の困難を乗り越えた互いの健闘を改めてたたえ合い、それぞれの部屋でゆっくりと眠ることになった。
残すところあと2話。




