侵攻して来た巨悪の軍勢
魔女王は予定にない休眠状態の延長を余儀なくされ、本来は数年前に解放されていたはずが今日まで、首飾りの中に封じられていた。
その数年のあいだに彼女は疲弊し、なんとしても本来の力を取り戻さなくてはならない状況にまで追い込まれていた。
魔女王は復活していたとはいえ、おのれの力を維持していることも苦しい状態であるようだ。
「魔女──王。ルでぃアすテートさマがぁ……」
苦しげなうめき声。
それは魔人アイラスの朽ちた声帯から発せられた声だった。
「ぅううゥウうぁアァあぁァ……」
アイラスもまた、その体が崩壊に近づきつつあった。血の気のない皮膚はぼろぼろとひび割れ、乾燥し荒れた──不毛な大地のような病的な肌は木乃伊を思わせる。
彼女は暗い森の中にひそでいた。今回は木の中にではなく、大きな岩かげの──さらにその地中に隠れひそんでいた。
魔女王は彼女と共に隠れているが、アイラスの呼びかけに応じることもできないくらい、おのれのかりそめの身体や霊体の維持に注力しなくてはならない状態だ。
もはや魔女王には一刻の猶予もなかった。
彼女の霊的な本質がこの世界にとどまりつづけることはできない。──これ以上彼女の精神体が延命することは、事実上不可能なところまできていた。
魔人アイラスは人間や動物の生き血と魂を吸収していたが、それも朽ちかけた身体の維持をするのが精一杯であり、魔女王に力を分け与えることもできないでいる。
『今夜だ』
と、魔女王はその精神体から唯一の配下に向かって呼びかけた。
『今夜──おまえが眷属にしたゴブリン共を街に襲撃させ、その隙を突いて、我が力の一部を──裏切り者の魔女セルラーシェスが封印した力を、奪い返すのだ……!』
魔女王は憤怒の思いで魔人アイラスに命じた。
暗い地の底から響くような怨念めいた声で、魔女王は今夜の襲撃で長き雌伏のときを終わらせるつもりなのだ。
アイラスはもはや感情も記憶も曖昧な──魔女王の傀儡そのものであったが、その偽りの忠誠心だけを頼みに存在しつづけ、ぐつぐつと煮えたぎるような想いを抱いて、いまはじっと堪えしのいでいるのだった……
* * * * *
夕食を食べたのはまだ日が沈む前の時間だった。三人はそれぞれ必要最低限の食事を取り、ゆっくりと身体を休めて宿屋を出た。
武器と防具を身に着け、腰の革帯に取り付けた物入れ回復薬などを入れ、戦いに備えて気合いを充実させている。気負うことなく──冷静さと、戦いに臨む決意を心に沸き上がらせて。
「こんばんは」
帝国建国記念碑の近くで待っていた三人のもとへ──ルイルとグエン。そして初めて見る女がやって来た。
「この人はシアメス。戦士です」
紹介された女は鋭い気配を押し殺すみたいにぺこりと一礼する。
「よろしく」
その女性も手練れであるのはすぐにわかった。
レスティアやゼシルレイラもそのことに気づいていたが、あえて何も言わずに彼女を受け入れた。
シグナークもその女戦士がただ者でないことを感じ、ルイルの護衛の一人だろうと推測して、共に戦う仲間が増えてうれしいと口にする。
「私はルイルさんの身の安全を最優先にしますが」
シアメスはそう冷たく言い放って、冒険者と仲良くする気はないとでも言うみたいにそっぽを向く。
「あはは……ごめんなさい。彼女はすこし緊張しているみたいです」
シグナークは気にもしなかったので「そうか」という返事で受け流す。
しんとした街並み。
街には密かに外出禁止令が出されたらしい。
各家や仕事場に人が出向き、今晩は家から出るなと兵士たちが声をかけて回ったのだ。
街の空気は夏の夜だというのに、まるで凍りついたかのように静まり返っている。──心なしか気温もいつもより低く感じられた。
「来るでしょうか──今日」
「来るさ」
ルイル少年の言葉に即答するシグナーク。彼の感覚が何かを感じ取っているらしい。
「おそらくこの街以外の町にも、吸血鬼化したゴブリンなどをけしかけているはずだ」
すでに冒険者や自由戦士、ファーレオンの兵士たちも各地に送られ、周辺の町や村の防備にあたっていると戦士ギルドから報告を受けている。
「魔女王は長い封印状態で衰弱しているのは間違いないでしょう。少しでも早く力を取り戻したいと考えているはず」
レイラもそう請け負う。
そして彼らの推測は当たっていた。
すでにリシュバーク周辺にある町や村に向かってゴブリンや人喰鬼が向かっていた。襲撃目標を分散させてどこが本当の狙いかわからなくさせるという考えだったのだろうが、魔女王の策略は読まれているのだ。
荒れ地の魔女の長ヴェルカーリムが持つ、魔女王ルディアステートから奪った「先見の魔眼」と、彼女の指示を受けて各地に情報を届けるイズアルベラ。
二人の見えない場所での働きが、徐々に魔女王を追い詰めつつある。
森の中を移動するゴブリンの群れが町に近づくと、待ち構えていた戦士たちが襲いかかり、こうした群れの襲撃をことごとく打ち倒していたのだ。
* * * * *
そんな人類の反撃について魔女王ルディアステートは歯牙にもかけない。封印された力を取り戻せば、自分一人でも町や村などいつでも滅ぼせると考えているかのように。
だが、彼女の力の半分がどのような形で封じられているのか、まだ魔女王にはわかっていない──
ただ自分の欠けた一部とつながる反応を頼りに封印の場所まで行けば、それはすぐに取り戻せると安易に考えているようだ。
光の魔女セルラーシェスが魔女王から奪い取った力をどのように封印し、それを彼女に取り戻させぬようにしたか。セルラーシェスがそこにすら反撃の手段を考えているとも知らずに、魔女王は一刻も早く己の力を取り戻そうと必死になっていた。
彼女がいかに強大な力を持つ魔女だったとしても、魔神と手を組み何百年と生きつづけた異形の存在だったとしても。その中身は人間と変わらない部分を持ち合わせていたのである。
いち早く自分の欲望を、願いを達成したい。
そのためには手段を選ばない。
もっとも手っ取り早い方法を選択する。
目的を果たすために魔女王はセルラーシェスのいない世界になるまで待ちつづけた。
彼女にとって危険な、反逆者のいない時代になるまで隠れ、待ちつづけたのだ。
(もうすぐだ。我は復活し、悲願を成就するのだ……!)
復讐心と怨嗟が渦巻く思いで魔女王は配下に指示を出し、高い壁に囲まれた大きな街を亜人や魔物に取り囲ませた。二ヶ所に化け物の軍勢を配置し、門扉を破壊して街へと突入する。
何も人間全員を殺して力が封印された場所まで行く必要はない。
戦いはゴブリンや魔物に任せて、そのあいだに自分は力を取り戻せばいいのだ。
ルディアステートは近くに感じるおのれの半身の波動を感じ、おぞましい笑みを浮かべながらアイラスに攻撃の指示を与えた。
* * * * *
南門と西門から大きな音が聞こえてきた。
囲壁の上から闇夜にまぎれて迫って来る敵の群れに対して、防衛部隊が弓矢や魔法を放って攻撃している。
「はじまったな」
街の中心部を守るシグナークの周辺にも兵士や冒険者たちの姿がある。広い円形道路には篝火が焚かれ、周囲への警戒が密におこなわれていた。
その場には戦士のほか魔法使いや神官などの姿もあり、石塔の周囲を取り囲むように警戒していた。
相手は魔女だ。どんな魔法で迫って来るかわからない。そうしたことも魔術師ギルドの魔法使いから説明されている。
西門の大扉が破壊された。
なんとしたことか、そこには大きな巨人の姿があり、二体の巨人がのっしのっしと街中に入り込んで来ていた。
森巨人と窟巨人であるらしい。
夜とはいえ、こんな化け物が人里に近寄ることはめったにない。戦う覚悟をしていた戦士たちのあいだにも、慣れない敵の襲撃を前にして怯える者も出た。
──ところがその最前線で、一人の戦士が勇猛果敢に巨人へと立ち向かって行った。
暗闇の中で赤くぬめるような光を放つ剣を手にし、突撃して来たゴブリンやオークを次々に倒しながら、巨人へと挑みかかる剛の者。
少し長い耳をした半妖精の剣士。
さらにその男につづき、銀色に輝く全身鎧を身にまとった戦士が前線に飛び出して行く。
大きな剣を軽々と振り回し、近くにあるゴブリンや人喰鬼をばったばったと薙ぎ倒しながら、赤い刃が不気味にうなりを上げる剣を手にする男と同じように、もう一体の巨人へと攻撃を開始していた。
遠くから聞こえた歓声。
遠目ではっきりとしたことはわからないが、壊された門の前で戦う戦士たちの戦いはかなり善戦しているらしいのは伝わってくる。
鬨の声が大きく大きく街に響き、戦う者たちの勇気と闘志が大きな音となって敵を圧倒する。
だが──その戦いの影で、己の望みを叶えようと欲する悪意が、彼らの気づかぬあいだに忍び寄り、戦場となった門前をやりすごして街の中央へ向けて迫っていたのだった。
レスティアはいち早くその気配に感づいた。
いつも以上に気を張っていたせいだろう。
少女の鋭い感覚が危険な敵が迫って来るのを感じていた。
「何かが来ます! 警戒してください!」
少女は幅広の剣を抜いて構えた。
気迫のこもった少女の声を聞いて、一斉にあたりの戦士や魔法使いが戦闘態勢に入る。
シグナークらもすでに剣を抜き、西側に向かって注意を向けていた。
すると薄暗い路面に、何かが降ってきた。
「どしゃぁっ」と大きな音を立てて、人間が降ってきたのだ。
それは二度、三度とつづき、建物の上から次々に人が落下してくる。
ある者は首を折られ、ある者は胸を引き裂かれた状態で石畳に叩きつけられた。
「屋根の上を!」
建物の屋根で待ち構えていた弓の使い手である冒険者が殺されたのだ。
月明かりと篝火が照らす建物の上から、数人の人影が環状交差点を見下ろしている。
「待て! 上にばかり気を取られるな!」
シグナークが叫んだ。
街道の奥から闇が迫って来るような感じを受け、兵士たちが怖れて後退する。
大通りに広がる闇の中から現れたのは、大きく腕を広げた幻霊。五体の幻霊がゆらゆらと浮かびながらぶつぶつと呪文を唱え、道路に戦列を敷いて待ち構える兵士や戦士たちに迫って来た。
門前で戦う赤い刀身の剣を振るう戦士と全身鎧の戦士は、何度かその存在について触れられた冒険者です。
いよいよ魔人や魔女王との戦いがはじまる──




