小国ウィザニア
旅の途中で歴史の事やいくつかの国の事が語られます。
物語の舞台に注目して頂きたいですね。
モルガ・ディナに向けて出発することにして、旅の準備をはじめようとクィントゥスが呼びかけたとき、レスティアが深刻な顔をしてこう言った。
「そういえば、一つ言い忘れていたのですが……私の故郷に行くと、シグナークさんの『ていそー』が、危険に曝されるかもしれません」
全員が「ん?」という表情になる。
「え、なに? なんて言ったの、レスティアちゃん」
「ですから、シグナークさんの貞操がですね」
「聞き間違いじゃなかった──!」
クィントゥスが驚愕の叫びを上げる。
危険になると言われた本人の顔には「わけがわからない」という言葉が、ありありと読み取れた。
「レスティアちゃんが、まさか……!」
「いやいや、なんで私が、なんですか。──違いますよ」
少女はさすがに照れながら言い、もごもごと説明をはじめる。
「私たちは『荒れ地の魔女』などと呼ばれたりしていますが、魔神の力の影響か何かで、女しか生まれてこないそうなんです。それで外部(荒れ地の外)に男の人を求めて旅立つのですが……」
そこまで言って少女は慌てて「私は違いますから!」とムキになり、こほんと咳払いする。
「と、とにかく。子供を作るために外部へ出て行くのですが、村に残る人もいます。彼女らの中には、その……男性に対して開放的な人もいるわけでして……」
と口ごもりながらレスティアは、謎に満ちた故郷の話をしたのである。少女が故郷のことを話したがらなかった理由の一つは、このせいだったのかもしれない。
「なるほど。しかし、別に襲ってくるわけでもあるまい」
シグナークが冷静に言うと、少女は「確約はできませんが」と物騒なことを口にする。
「けど……わかりました。シグナークさんの貞操は、私が守ってみせます」と真顔で言うレスティア。
シグナークはため息を吐きながら「いらんわ」とだけ言って、宿屋へ歩きはじめる。
四人が旅の準備を済ませ、馬車や荷車の停留所に向かいながら、これからの道のりについて話し合っている。
「いまいる国ヴィンツァーバルドの南。小国ウィザニアを越えて、さらに南にあるのがモルガ・ディナです。ここからだと……馬車で三日くらいでしょうか。急いでいるわけではないので、ゆとりを持って向かいましょう」
「ところで、なんで急に帰郷することを決めたの? 郷愁にかられて……っていう感じじゃないけれど」
クィントゥスがそう言うとレスティアは「話し忘れていましたね」と言って、背負った剣と背嚢を背負いなおす。
「私たちの故郷には、ガルド・モールナに力を与えてくれるという試練があるのですが。いまの私なら、それを乗り越えられると考えたので」
少女はそう言うと先を歩いて行く。
石畳が敷かれた通りの先に広場があり、荷車や馬車が荷物や人を乗せているところであった。
馬車や荷車の行き先を尋ねたが、ウィザニアへ向かう馬車はもう出ていて、一台の荷車がこれから南に向かうところだと答えたが──四人も乗せられる空きはなさそうだ。
仕方なく彼らは、ヴィンツァーバルドを出るために──徒歩で国境へ向かうことになった。
冒険者は徒歩や馬で移動することが多い。街などで受けた依頼をこなすとき、街から離れている場所へ移動しなければならない場合などは(街にもよるが)、ギルドが手配する荷車に物資を乗せて送り出してもらえるところもある──有料であるが。
フィグニアの街から南へ向かう道は、馬車や荷車の車輪によって踏み固められた轍が、丘陵の中を蛇行しながら進んだ跡がある。
なるべく平坦な道を求めて草地の間を通っている道は、半時ほどすると二手に分かれて、一方は東へ向かって延びて行く。彼らは南に向かって進みつづけ、何度か犬亜人や蜥蜴亜人と戦闘になったが、彼らの敵にはなり得なかった。
彼ら四人の実力は、グラナシャウド大迷宮での度重なる危険な戦いをくぐり抜けたことで、飛躍的にその強さを増していた。傷を負うこともなく短時間で敵を排除すると、戦利品を獲得してから再び南下する。
このあたり一帯は草木が多く、生き物の姿もかなり多い。鹿や牛や馬に似た生き物が草を食みながら、群れで移動している。中には背中に鳥を乗せている黒い牛のようなものもいて、のそのそと動き回っていた。
道の状態が悪くなってきた。轍の跡も弱々しい物になって、草が生えている箇所が増えてきたのだ。
道の先に灰色の高い壁が見えてくるとレスティアが、あれはウィザニアへ続く関所だと言った。周辺にある物と言えば岩山と森ばかりで、国境を守る兵士たちは兵舎をかねた建物のそばで、戦闘訓練をおこなっている。
レスティアたち四人が近づいて行くと、彼らは訓練を止めて関所番をはじめた。
「身分証、またはギルド階級章を呈示してください」
兵士の求めに応じて四人は階級章を見せながら、ウィザニアへ向かう理由を説明する。
「ここからも見えるが、先の関所はウィザニアの兵士たちが守っている。彼らは入国にある程度、厳しく取り締まるから注意することだ」
ヴィンツァーバルドの兵士はそう言って彼らを送り出す。レスティアもその兵士の言葉に賛同して、ウィザニアは隣国のザルカスとは敵対関係にあって、そこから来る密偵などに注意しているのだと説明する。
「ザルカスはウィザニアのみではなく、あらゆる周辺国と敵対関係にある、どうしようもない国です。知っているとは思いますが」
少女の言葉に頷きながらウィザニア側へ向かって行く一同。
ザルカス国は大昔に失われた、旧帝国の生き残りが集まってできた国と考えられている。
旧帝国ディオスカイアは、魔女王ルディアステートの真似をして、魔神の力を持って他国を侵略しようとし──異界への門を開いたことで、自滅することになったのだ。
そんな彼らが逃げて行った先で奪い取った国。それは現在でも周囲から危険な国として見られており、ザルカスは圧政者の独裁によって支配されている──他国に不寛容で、すぐに争いを起こそうとする厄介者の国として、どの国からも危険視されているのである。
ウィザニア側の関所に来ると、屈強な兵士が四人に止まるよう言って、身分証を見せろと言ってきた。彼らは階級章を見せて、先ほどと同じように、ウィザニアを抜けてモルガ・ディナへ向かう予定であることを告げる。
「モルガ・ディナか、わかった。いいだろう」
思いのほかすんなりと通してくれたのは、レスティアが「荒れ地の魔女」であったからであろう。彼ら兵士は、彼女らとは魔物との戦いで共闘する仲間だという意識があるのだ。
「私たちはモルガ・ディナの一定範囲を結界で押さえ込み、不安定な異界との接点をできる限りふさごうとしていますが。それでも魔物の出現を止めることはできないので、彼らと共に魔物を倒したりする場合もあります」
モルガ・ディナの中心部付近は異界との接点が開きやすく、危険な場所だという。これは魔神の手先と化した、旧帝国の皇帝が「真紅の皇帝」と呼ばれる魔人となって倒されるときに、その魔力の爆発によってできた荒れ地の中心に、異界への入り口が発生したと言われている。
「ガレイレア大陸が魔人の軍勢に支配されかねなかった、大きな歴史的事件ですから──知っているでしょう」
真紅の皇帝を倒したのはファーレオンの皇帝──ザッハレーグ・イングレルムであるとされているが、実際のところはわからない。何しろ混乱していた時代の話だ。正確な記録など期待できない。
歩きながら話していた彼女らは十字路に辿り着いた。左右や正面へ向かう道は、轍がはっきりと残され、踏み固められた道が人通りの多さを物語っているようだ。
「兵士の話によると、まっすぐに行けばベスクアネイアという町。そのさらに先にナルティハルの街があると言っていたが」
シグナークの言葉にレスティアは頷きながら、ナルティハルはモルガ・ディナに近い場所にある四つの町の中では、比較的大きな街であると説明しつつ「私も行くのは初めてなんですが」とつぶやく。
前から来た荷車が通りすぎて行く。三頭の馬に引かれた小さな荷車に数名の男女が乗っていたところを見ると、町と町の間を人を乗せて行く荷車であるらしい。
後ろから来てくれれば良かったのにと、クィントゥスはもらすが──四人分の空きがあるかはわからない。周辺の景色は背の低い山や森や草原があって、少し離れた場所には綺麗な川が流れているのが見える。
鳥たちの鳴き声が聞こえ、近くの草むらから小鳥たちが一斉に、青く晴れた空に向かって飛び立つ。のどかな田舎の風景だと思っていると、遠くに別の道があり、そこを荷車数台が移動しているのが見えた。走っている音までは聞こえないが、かなりの数の荷車が移動して行く。
彼女らが別の道に気を取られていると近くの大きな岩陰から、何かが数匹向かって来るのが見えた。
「豚亜人ですね、革鎧とかで武装しているみたいです」
離れている豚亜人の密集状態を見て、エレミュスが呪文の詠唱をはじめる。
「サーディゼルカ、大気の申し子、風を束ね鋼と成れ、敵を引き裂く、無慈悲なる風の刃『裂空刃』!」
呪文を唱え魔法が放たれると、駆け寄って来ていた五体のうち三匹が倒れ、残り二匹が革の盾や鎧を切り裂かれてうろたえている。
シグナークとレスティアが残った二匹を倒してしまうと、彼らは戦利品を手にして先へ向かうことにした。
真紅の皇帝を倒したのは「七英雄」としていましたが、それは「二代目」の方でした。ディオスカイアの皇帝が暗殺された事によって生み出された真紅の皇帝を倒したのは、ファーレオンの皇帝(倒した時は一領主にすぎません)で、歴史的に数百年の違いがあります。七英雄は、現代から百年ほど前、ファーレオンの初代皇帝ザッハレーグ・イングレルムが居たのは六百年前頃の事です。