42 『防衛行動開始』
ぽつり、と額に冷たいものが当たる。
次の瞬間、痛いほどの雨粒が全身に降り注いだ。
ざあ、を通り越してばばば、と機関銃のように打ちつける音が喧騒すべてを上書きした。
ものの数秒ですっかり濡れネズミにされてしまう。
ユークがやってくれたんだ。
やりすぎかもしれないけど、火勢を抑えるためもあるのだろう。
彼女はきちんと役割を果たしてくれた。
次は俺の番だ。
みんなに色々任せておいて、何もしないわけにはいかない。
「風追殿、防壁の熱は尋常ではない、留意されよ!」
走り出す俺をクラレントが追う。
もちろん、約束は破らない。
目指すのは、オルミスを囲う壁と屋敷を囲う壁が重なる外壁の内側だ。
敵との最短距離だ。
『拘縛の王が・言の一!』
壁に向かい、腕輪を構えてその呪文を繰り返し唱える。
方向をずらし、また唱える。
ふと思いつき預かった兜をかぶってみたび唱える。
よし。狙い通り、フルフェイスの幻影が現れ走り出してくれた。
この魔法で生み出された像が壁の向こうへ消えても、足音はやまなかった。
ウィスハイドの家で試した時のことだ。
だから、今だってオルミスの城壁の向こうで役割を果たしてくれるはず。
「これが君の言う囮か。ならば、今少しの数が欲しい。まだいけるか」
クラレントには雨を待つ間に意図を話してある、とはいえ……いきなりの駄目だしかよ。
少しは感心やら驚いたりしてくれないもんかな。
……余裕ぶってる場合じゃない。集中しろ。
『言の一!』
呪文を多少省略しても、きっちりと幻は現れてくれた。
腕輪に触れさえしてればいいなら、これはどうだ。
『一っ!』
こんな詠唱でもやはり幻が現れ、また走り出す。
ぶっつけ本番で試すことじゃないけど、この状況なら失敗してもまた唱えればいいだけのの話だ。
(さすがにダメか……? 出ろ、幻!)
魔法が発動した感覚はあった。
しかし、俺の身体から離れた薄膜は像を結ぶには至らず、かき消えてしまう。
ダメか。 なら、口には出さずに……
(拘縛の王が・言の一!)
今度はうまくいった。
兜を被った俺がもう一人現れ、壁を突き抜け囮の役割を果たしに向かう。
考えてみれば、囮を出すのにいちいち大声出してたら使いどころが限られ過ぎる。
なんでそのへん説明しないかな、あの杖は……。
そうため息をつきかけた時だった。
がぁあん、という轟音が、頭上の爆発を知らせた。
「うわっ……!?」
思わず身をすくめてしまったのを恥じ、首を振り払って見上げる。
瓦礫が空中に浮かんでいた。
ちがう。落ちてきているのだ。
真上の巨大な物体が、俺めがけて。
(これ、死……)
「伏せろ!!」
クラレントの声が、最後に聞く他人の声なのだと思った。
しかし、いくら待っても衝撃も痛みもやってこない。
激しい雨音ばかりがして、これ以上身体が濡れていく感触もない。
ああ、死んでいるのだから感触がなくても仕方がないな。
でも、死人に音は聞こえるのだろうか?
「無事か、風追殿」
あれ。俺、生きてる。
……身も世もなく地べたに頭こすりつけてるけど、ともかく生きてる。
あわてて立ち上がると、硬いものに頭をぶつけた。
「ったあ……うわ、すみません! あっと、無事……そう、無事です」
見上げたすぐ先で、クラレントがわずかに安堵の色を見せ微笑んでいる。
何にぶつかったかと思えば、クラレントの胸当てだ。
彼女は俺を庇う……というよりは、壁を殴りつけるような格好で立っていた。
驚いたのはその左腕の先だ。
「これ、どうなって……鎧が……?」
俺が無事だったのは、クラレントの左拳が触れた壁から生える巨大な盾のおかげらしい。
はじめは壁をはがしたのかと思った。
しかしよくよく見てみると全く違う。
その武骨で荒削りな盾は、クラレントの籠手と完全に一体化しているように見えた。
「私の鎧は特別製でな。……風追殿、まだ動くな」
クラレントが忠告を言い終える前に、再び上から爆発音。
次いで盾が重い金属音を響かせ、またも俺たちを守ったことを知らせる。
「詰所小屋の残骸だ。敵には囮が壁を乗り越えて現れたかのように見え、城壁の上が狙われたのだろう。焼失していなかったのが裏目に出たな」
「でも、相手の目はこっちに向いたってことですよね。門を開いて、外に取り残された人を助けられるんじゃ」
「いいや、状況は整った。まずは目下の敵を潰す」
「目下って……相手の場所はまだわかんないんじゃ」
「整ったと言った。して風追殿、兜を預かろう」
いまいち納得はいかなかったけど、借りたものは素直に返すことにした。
彼女が再び全身を鉄で覆った姿に戻るのを見守りながら、その意図を測る。
クラレントには俺には見えないものが見えているんだろうか。
それとも、この兜とは別の手段で他の誰かと通信でもしているのか?
「では、共に行くとしよう。歯を食いしばれ。目も閉じるといい」
そう言うが早いか、クラレントの右腕がこちらに伸びてくる。
思わぬ言葉と行動に唖然とするが、驚きはそれで終わらなかった。
「うおあ!」
籠手の先が伸び、先割れた巨大なマニピュレーターとなって俺の腰を軽々と持ち上げたのだ!
そして盾だったはずの左腕もまた鈎爪様に変形し、器用に伸び縮みして壁を昇り始める。
「揺れは容赦されよ。繰り返すが、壁には触れるな」
「わっ、ちょ、ちょっと待て! 上に、行っても……うわっ、的になるだけじゃ……」
「口を閉じろ、舌を噛むぞ。目を閉じているといい」
たしかに、もう心配する暇もなかった。
鈎爪は思った以上に素早く城壁を登り、その勢いのまま天辺を打ちつけ俺たちを跳ね上げた。
「~~!!」
鎧に抱えられたままでは……というか、自由落下のあいだに中空数十mからの景色を堪能する余裕はない。
今度ばかりは、大人しくクラレントの忠告に従うしかなかった。
そうして情報を遮断すれば、少しは考えることもできた。
……このまま降りたら、クラレントの鎧が熱されて俺ごと炙られるハメになるんじゃ?
「君は自ら負った役割を全うした。あとは我々に任せられよ」
こん、という軽い金属音で、クラレントが軟着陸としたと分かった。
しかし、壁から発せられているはずの熱気はどこにも感じられない。
クラレントの腕から解放され、恐る恐る目を開けると……口があんぐり開いた。
「どこ、だよ……ここ」
そこにはオドともう一人、難しい表情でたたずむ美しい女性がいた。
でも、驚いたのはそこじゃない。
ここ、どう見たって部屋ん中じゃないか!