ないなら、ないなりに
廊下が息を止めた。
コンクリと鉄の匂いだけが肺に刺さる。三メートル先――ミサイルを発射するためのコントロール室。砕けた壁の前では、マルコが白目をむいたまま倒れている。
正面、ワード=ザルガが棘を半身ぶんだけ開いた。
押しと引きが、獣の胸の奥で交互に波打つ。
(まずいな。やり合う体力は、もう残ってねえ……)
エステバンは片手のアサルトを捨てない。銃身はザルガへ、狙いは“撃つ”ではなく“殴る”。
右肋が悲鳴を上げ、視界の縁が黒く滲む。
「来いよ、ストーカー」
ザルガの眼が細くなる。“ストーカー”の一語に、刹那だけ拍が狂った。棘の列が内へ畳まれ、空気が喉に吸い込まれるみたいに凹む。――引き。
――ドォーン!
衝撃波が合図だった。エステバンは地を噛み、踏み込む。
「おおおおおおおおお!」
顎に一打。
喉に二打。
肺に三打。――三連。
銃床で叩き潰す呼吸のリズム。粉塵が音の節でふるえ、ザルガの胸がわずかに沈む。手応えはある。エステバンは銃床を前に突き出し、さらに低い姿勢のまま距離を潰す。
だが、ザルガは止まった呼吸の回復を待たずに反撃に出る。
一手目。
横薙ぎのショック・スパインが床を削る。
エステバンはしゃがまない――しゃがめば次で詰む。左膝で床を押し、腰だけ半拍遅らせて、灼けた空気を耳元でやり過ごす。髪が燃えるみたいに熱い。
二手目。
「通すものか」
ワード=ザルガは一秒あるかないかの時間で呼吸を回復させ、声色に乱れはない。強者の落ち着きだった。
(――好きに言ってろ。通るのは“俺”じゃない)
エステバンはアサルトライフルを縦に立て、銃身を支点に壁の配管を叩く。
乾いた音、タン。赤い警告灯が配管沿いに連鎖し、天井のミストノズルが口を開いた。制御コンピュータ室前――多分、消火系がある。
それらしきものを左後方に見つけたエステバンは、とっさにバックステップで近づき、エステバンの動きを予想してなかったザルガは虚を突かれた。
エステバンが肘で非常レバーを倒す。
天井が一斉に白く吐いた。
窒素の霧。空気がひんやり軽くなり、酸素が薄まる。ザルガの“刺”の呼吸音が止んだ。
(今だ)
三手目。
エステバンは胸元のカードキーへ左手を伸ばす――その直前、ザルガが胸の奥で矢を作った。極細の一本。正面から来る。
避ければ届かない。なら――
(なにも気にするな。投げろ!)
右肩を捨て、柱に背を預ける。
矢が来る。受け入れる。
心臓に当たる角度へ、わざと体を捻る。
――“死兆星を越える者”、発動。
背が痺れ、世界が一瞬、無音になる。
それでも左手は離さない。上着の内ポケットからカードキーを抜くと――
「さっさと起きろ、寝坊助!」
エステバンはマルコへカードを投げた。小さな音が額で弾ける。
「うっ……うう……」
まどろみの中、マルコの視界が合焦する。黒い背、裂けた壁――状況が一気に血に流れ込む。
「うぁぁぁぁぁぁ!」
反射で引き金を絞り、天井と壁に無数の火花が散った。
「バカ! 俺も穴だらけになるだろ!」
怒鳴りつけると、マルコの目が正気へ戻る。
「お前の足元だ! カードキー、拾って――お前が挿せ!」
足元を見る。そこに“希望”が落ちていた。
「それを私が許すと思うか」
ザルガがマルコへ突進――が、ガクンと体が揺れて止まる。振り返った先、しっぽを左腕で巻き込むように抱え込むエステバン。
「行かせねぇよ」
「ぬぅぅぅ……!」
しっぽに力が宿り、床が悲鳴を上げる。
それと同時に衝棘脈を放とうとするが、空気は集まらない。窒素が呼吸を鈍らせ、衝撃波の“矢”が組めない。
マルコはエステバンを信じ、背中の確認すらせず三メートル先、制御室の扉へ全力疾走した。
身を投げ込むように飛び込み、そのままスロットへカードを差し込んだ。
《AUTENTICAÇÃO… 1%》の文字がコントロールパネルに表示される。
ザルガの棘が怒りではなく“静かさ”で立つ。
「儀式の前に、あの兵に礼を言っておけ。終幕だ」
「終幕は同意。――ただ、お前の終幕は、ここじゃない……だろ?」
エステバンは、さっき倒した作動盤の隣――非常吸気レバーを逆に引く。
窒素の霧が足元のグレーチングへ吸い込まれ、風向きが反転。ザルガの拍が半足だけズレる。空気の“線”が、僅かに外れた。
ビュッ――
放たれた衝撃波の矢が壁をえぐり、的を外す。
窒素が散り、空気が戻り始める。
《8%… 12%… 19%》
「無駄だ」
前腕の一撫でで、面の圧力が横と縦で重なる。
大気は渦へ――吸いと押しの二重螺旋。逃げ道が消える。
危険を察知したエステバンは、近くの配管にしがみつく。肺が焼ける。扉が悲鳴を上げ、廊下の鉄骨が軋む。
室内だと言うのに、暴風が暴れだす。
ザルガはその暴風の渦の中心で歩いていた。
一歩、また一歩。力に集中した歩みは、亀のように遅い。
《27%… 35%》
「……エステバン!」
「喋るな! 自分だけ見てろ!」
マルコはカードのヘッドを親指で、飛ばされないように押さえつけた。
エステバンの掌は血で滑り、感覚が遠ざかる。
(やべぇ……こんな出力まで持っていやがったか)
ザルガの棘が花のように開く。
さらに加速。外殻が押し、内殻が吸う。廊下が潰れ、鉄が曲がる。
《41%… 53%》
「試合はお前の勝ちでいい。……だが、勝負は私がもらう」
ザルガの装甲に細かな亀裂が走り、じわじわと広がる。棘の先が扉枠を叩き、鉄粉が花火のように散る。
(本格的なストーカーだな……)
息が奪われ、声が絞り出せない。
エステバンはザルガに向かって流れる暴風の気流のクセを読み、足元の瓦礫を蹴り上げ、渦のカーブに乗せてザルガの胸へ当てる。
鈍い音を奏で砕けるが、効果はさほどなかった。。
《61%… 70%》
「――それでは足りんな、エステバン」
胸郭の内で矢が三本、束になる。
束はばらけ、同時に三方向へ――真正面、左肩、腰。
(正面は呑む。肩は捻って、腰は……無理だ)
配管にしがみついたまま、真正面は“能力”で潰す。左肩は身を捻って紙一重、腰は被弾。続く矢を、膝から下の力を切って落下で躱すが、いくつか喰らう。肺が凍り、視界が黒い点で埋まる。
(立て。――まだ)
《79%… 84%… 87%》
ザルガの亀裂が濃くなった。
(この暴風、限界超えだ。あいつも長くはない。……だが、それは俺も同じだ。……賭けか)
《92%》
初めて、ザルガの顔が歪む。怒りではない、焦り。
「戦いを野蛮視する――それが地球人の悪癖だ。これほどまで命が濃い儀式もない」
「それを“文明”って言うんだよ」
反発の殻が縮む。
直線――胸郭の中心に一本、極端に細く、極端に速い“刃”。
廊下の空気が音を忘れた。
(配管にしがみ付いた状態で、これを外せる角度は――ない)
エステバンは笑う。
「角度がないなら、ないなりに」
エステバンは刃が放たれると同時に配管から手を放し、乱気流に身を委ねてダイブした。
渦が彼を中心へ運ぶ。
《98%… 99%》
「――お前から来るか、エステバン!」
ザルガが棘を束ねる。
致命傷は無効化される――だから、無数の小裂傷で刻み殺す矢の雨を形成するワード=ザルガ。
「終わらせてやる。……決着だ、ワード=ザルガ!」
エステバンに策はない。ただ、殴る距離まで生きて届く。それだけだった。
扉が軋み、蝶番が叫び、エステバンは浮いた。
放たれる無数の矢。
切り刻まれる走者の体。
赤い液が千切れ千切れの軌跡を描く。
消えていく二人の距離――
二つの影が重なった瞬間。
《100% / AUTENTICAÇÃO CONCLUÍDA》
制御室のコンソールに緑のランプが灯る。
ロックが跳ね、副コンソールが起動。スクリーンに新しい文字列が走る。
《起動権限の連携を要求ーClear》
《遠隔管制への中継開放ーClear》
《システム:TUCANO / Lançamento – Clear》
――人類の希望を乗せたミサイルが上がる。
“タッチダウン”のコールサインが、中央指令室へ届いた。
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