95.アネス商会
お父さんの実家であるアネス商会は、潤沢な資産を持ち、豊富な人材を活用し、様々な業種を展開する、この国でも屈指の大商会である。
しかしお父さんはお母さんとほぼ駆け落ちの様な感じで実家との関係を絶っており、私もそれに倣って王都のアネス商会支店を利用したことはない。私のお披露目があってから今までも、特に接触等は無かったのだが……まさかここで接触を図ってくるとは思わなかった。私が有名になったせいで両親に迷惑がかかってしまったかもしれない。
どうしよう!?
はっきり言ってこの状況でどう行動すればいいのかわからない。
このまま招待される? 招待されたとして、アネス商会側の思惑がわからない。順当に考えればここで私を捕まえて、私を盾にしてお父さんを呼び戻すといったところか。
お父さんは次男坊なので、長男に子供がいなければ私が正当な跡継ぎになる。もちろん神殿や王宮――特に王女から強烈な反対の声は上がるだろうが、血筋の問題は外野から手を出しづらい。
じゃあ振り切って逃げる? でも今逃げたところで、後日王都の神殿に正式な手順で私に接触すれば良いだけの話だ。無意味である。
あぁそうか、アウェイである王都で接触するよりも、ホームであるこのナスタティンで接触したほうがアネス商会としては確実かつ捕まえやすく、そして逃げられにくい。私が神殿に入った時点で巡礼の旅に出るのは確定のため、アネス商会側としては王都で無理に接触せずとも、待ってればわざわざこっちから出向いてくるというわけか。
……この状況、どう考えても避けられないじゃん!!
私はパラデシアに視線を向けて助けを求める――が、パラデシアは老紳士の言葉に「わかりました」と返事をして、アネス商会のあるであろう方向へ馬車を進め始めた。
「ちょ、ちょ、パラデシア様!? そんな簡単に従って良いんですか!? 私の両親と実家の関係性知ってますよね!?」
「知っていますが、ここで断る理由はありません。貴女が想像しているようなことにはならないと思いますから、安心なさい」
えっ!? それ断言できるの? 凄い不安なんだけど!!
私がどんどん不安を募らせている間に、馬車はアネス商会の前へと到着する。私達は全員玄関前で降ろされ、馬車はアネス商会の人に預けることに。
別の人に促されて中へ入ると、店舗ではなく普通に屋敷だった。店舗は裏側にある別の建物らしい。そりゃそうか。買い物客じゃないんだからお店に案内されるわけがない。勘違いして内心ちょっと恥ずかしい。
案内人に付いていくと、私だけ別の部屋に通されてキレイなドレスに着せ替えられた。着替えの手伝いをしてくれたメイドさんにこの後のことを聞くと「旦那様にお会いしていただきます。それ以外のことは申し上げられません」とのこと。
旦那様とは会長であり私の祖父であるバラクシス・アネスだろう。やはり会うのは確定か。気が重い。
ここで私が出来ることはなんだろう?
アネス商会について私はあまりにも知らなすぎる。とにかく関わらないようにしていたため、思惑とか内情とか、何も情報を仕入れていないのだ。せいぜい大まかなことをお父さんからを聞いたことがあるくらい。
なので、まずは祖父であるバラクシスがどう考えているかを知るのが先決だ。それを知らなければ行動の指針が定められない。すでに何かしら外堀を埋められて、選択の余地がない状況になっていないことを祈るばかりである。
着替えも終わり、メイドさんの案内である扉の前へとやってきた。不安がピークに達して、心臓の音がうるさい。吐きそう。
そしてそんな心の準備もできていない私のことなどお構い無しに、メイドさんはなんの合図もなく扉を開けた。
次の瞬間、私の目に飛び込んできたのは――盛大な拍手だった。
大勢の人間が、食べ物が置かれている沢山のテーブルの側に立って、私に大量の目を向け、手のひらで大音量を響かせている。
「諸君!! 今日は吾輩の孫との初顔合わせと、そしてその孫の誕生日を祝ってくれてありがとう!! 彼女が吾輩の初孫、アニス・アネスだ!!」
正面にいる厳つい顔の老人がそう声を張り上げると、再び拍手喝采。
……察するに、目の前の厳つい老人が祖父であるバラクシス・アネスで間違いないだろう。誕生日を祝う――確かに巡礼の旅の途中で私は誕生日を迎える……っていうか今日だっけ? 道中カレンダー見れないから日付が曖昧だ。初顔合わせとも言っていたので、それも兼ねた立食形式の誕生日パーティーなのだととりあえず理解した。
しかしこんなパーティー、事前に準備しておかなければできないはずだし、この日この時に、私が絶対に来ると分かっていなければ開催など不可能だ。……ん? 事前に?
私はバッと周りを見回す。旅のメンバー全員が、着飾って拍手の輪に加わっている!! やられた!! 皆グルだ!!
「アニスよ、はじめましてだな。吾輩はお前の祖父、バラクシスだ。こうして会うことができて嬉しいぞ!!」
「えっと……はじめまして、お祖父様……で、いいんですかね?」
「おぉ、おぉ、そうだとも!! ――さて、積もる話もある故、吾輩達はしばし退室するが、諸君らは歓談を楽しんでいてくれたまえ!!」
私はバラクシスとメイドさんに連れられ、さらに別室へと通された。
その部屋の椅子に座るように促されると、テーブルの向かい側にバラクシスが座り、そして私の目の前に大量の料理が並べられた。
「さぁ遠慮なく食べなさい。今日はアニスの誕生日だからな!!」
「ありがとうございます……。今生の糧をお恵みくださる精霊に感謝を」
状況にだいぶ困惑しながら、しかしせっかく用意された食事を無下にするわけにもいかないので、この世界でのいただきますの言葉を言って食事を始める。――おっ、さすがに大商会だけあって質が高い。美味しい。
しかしここで呑気に食事だけをするつもりはない。目の前の老人、バラクシスがどういう立ち位置か――少なくとも敵か味方かだけでも、判断する必要がある。
私は食事の手を止め、話を切り出した。
「お祖父様、お聞きしたいことがあります」
「ふんっ、どうせバカ息子ブルースのことであろう? 上手く隠れ住んでいたつもりのようだが、所在など五年前からとっくに掴んでおるわ」
ヒゲを軽く弄りながらつまらなそうに言うバラクシス。
うわー!! お父さんの今までの努力は無駄だった!! さすがに大商会の情報網を掻い潜ることはできなかったか……。ん? ということは――。
「知っていてお父さんを見逃してたんですか?」
「出ていって二年もすればどうせ商売が上手くいかずに泣き付いてくる……と思ったんだが、見付けた時にはすでに商売を軌道に乗せていたからな。強引に連れ帰ることも可能であったが、幼い娘と妻から引き剥がせば、お前たちと共にバカ息子の商売で成り立っているアプリコ村が不幸になってしまう。我がアネス商会の理念は、客と従業員双方の幸福だ。お前たちは吾輩にとって大事な家族だが、会長である吾輩自らその理念に背くわけにはいかん。故に、お前たちをどうこうするつもりはない」
これは……敵対するような可能性はほぼゼロとみて間違いない。良かった。これまでの心配は杞憂だったようだ。
「それを聞いて安心しました。お父さんも喜びます」
「バッ、あのバカ息子には言うなよ!! バカ息子には出ていった罰として、常に危機感を持っておったほうがお似合いだからな!!」
大変わかりやすい照れ隠しの言葉を叫ぶ目の前の老人。まさしく親の心子知らずと言ったところか。お父さんの子煩悩は、案外この祖父譲りなのかもしれない。
「あっ、それともう一つお聞きしたいことが。この顔合わせ、王都神殿からの打診ですか?」
「うむ。確かに先方からの打診だ。端的に言えば、バカ息子夫婦とアニスに手を出さないと約束してくれたら、アニスと会う機会を作ってやるという話でな。吾輩としてはそもそも手を出すつもりなどないので、我が方に利しかない取り引きとして受けたまでよ。手紙での打ち合わせでアニスの誕生日にサプライズとして企画したわけだが、表情を見るにどうやら成功したようだな!!」
やっぱりグルだった。まさか私の知らない所でこんな心臓に悪いサプライズを計画されていたとは。完全にサプライズ成功だよ畜生!!
その後、祖父はおずおずとお父さんの様子を聞いてきたり、村での生活を尋ねたりして、短い時間ながら孫との雑談を祖父は楽しんでいた。




