33. ザ・セカンド・ティタノマキア その⑰
『バカな! なぜ貴様が神に加担するッ……!』
激昂するクロノスの目の前に、テュフォーンとまったく同じ姿の、色違いの白龍が現れる。大きさとしては十メートルと、父よりはかなり小さいものの、その風格は十分だ。
「余所見をするな。お前の相手はこの俺だ」
『怪原……理里ッ……!』
クロノスはそのまま叩き落としたい衝動に駆られるが、なんとかこらえる。
『……クク。よかろう。ならば、それ相応の舞台というものを用意しようではないか』
その言葉の意図を察し、理里は身構える。
『……〝皇帝〟!』
「〝崩戒の鎮魂曲〟・超越!」
瞬間、彼ら以外の全ては静止する。何もかもが動きを止め、彼らだけの世界が完成する。
時間停止の権能と異能。この三世界を見渡しても彼らしか所持していない、最強クラスの力。
『ククク。我が〝皇帝〟に対抗しうる異能・権能を持った者は、ゼウス以外では貴様が初めてだ。だが、奴と違うのは、貴様にはそれ以外の武器が無い。いや、無いわけではないが』
「ああ、分かってる。この左眼は、お前には効かないんだろ?」
基本的に、神に異能は通じない。それは理里のような、『光を照射されたものを石化する』といった概念系の異能力者に特に顕著だ。
『貴様に勝ち目は無い。それでも、我に歯向かうと申すか?』
「……ああ。退いたところで意味は無いし、俺が倒されたら、きっとお前はみんなを……俺の家族を殺しにかかる」
『ほう、察しがいいな。なぜ気づいた?』
クロノスが興味深げに問うと、理里は静かに答えた。
「お前みたいな〝意識の高い〟奴は、異形みたいなモノの存在を許さないって見てきたからだ」
今までに戦ってきた数々の英雄たち。その何人かは、異形であるというだけで理里たちの存在を許さない、理不尽な主義の持ち主だった。そんなものは、もう見慣れていた。
『〝意識が高い〟、か。なるほどな……ククク』
その言葉を噛みしめるように、クロノスは嗤う。
『およそ我ほど〝意識が高い〟神もおるまいよ。我の理想は〝人間と神が恒久的に繁栄する世界〟。人類を導き、争いや貧困を消し去り、全ての魂を幸せに導く。それを可能にするのは、我をおいて他にないと自負している。
その理想郷に、醜いモノは必要ない。理想は美しくなくてはならないからだ。異形(貴様ら)の排斥など、当然のことだろう?』
「……やっぱりな。お前は、俺が一番嫌いなタイプの神だ」
理里は、左手を掲げる。
「確かに俺の異能じゃ、お前には勝てない。だけど、『法』ならどうだ?」
『……? 何を言っている』
クロノスが首をかしげると、理里の左手が発光する。
そして、彼の手の平に、一個の黄金のリンゴが現れた。
『ッ! 貴様、それは!』
「『ラードーン』。この俺の本当の名前の意味を、よく考えた。よく調べた。……そして、たどり着いたんだ。俺の〝崩戒の鎮魂曲〟には、その先がある」
動くはずの無い空気が動き、理里の身体がひととき竜巻に包まれると、次の瞬間、彼は人間の姿に戻っていた。
「俺の正体は『りゅう座』。かつて英雄ヘラクレスに敗れるまで、世界の西の果ての庭園・〝ヘスペリデスの園〟を守り続けた、百の頭を持った龍。十五年前、父さんの襲来で、その庭園もまた失われたとされていた。
だけど。〝庭園〟は、あったんだ。俺の中に隠されて、今日まで眠っていたんだ」
〝崩戒の鎮魂曲〟は「心象世界を展開する」能力。重力の嵐という、極端に攻撃的な性質の〝世界〟を持つ彼の心の中心は、黄金の庭園を守るのに最適の場所だった。庭園の所有者であるヘラは、天界の至宝を守るため、英雄たちとは別に、理里を人界に転生させたのだ。
「そして、この果実の効果も知っている。神が食べても特に変化は無いが、普通の生き物が食べたら異能が発現する。そして、異能力者なら……食べた者を、『法』に変える」
『!!!』
『法』。神をも従える、絶対の法則となった異能。全能ではなく少数の能力を極めた者のみが到達できる、異能の究極形。それを作り出す禁断の果実が、この黄金のリンゴなのだ。
「俺は、今再び進化する! この〝法則〟で、お前の理想を否定する! 家族を守るために……そして、すべての異形を守るために!」
ガリッ、と、理里は勢いよくリンゴを齧った。
身体が金色の粒子のような光を放ちはじめる。それが量を増していくほどに、理里は徐々に空を昇っていく。光はだんだんと彼に集まり、固まって、結晶のようになっていく。髪は逆立ち、長くなる。
一対の翼が、背中から顔を出した。同時に、アンモナイトの化石のように渦を巻いた角が二本生え、尾が生え、足の方から、彼の身体は金色の鱗に包まれていく。
ひときわ光が強くなり、輝きの末に誕生したのは、龍と人間の中間のような怪物。顔は元の理里と変わらないが、頬のあたりに鱗が生え、そこからほぼ全身が金色の鱗に覆われている。禍々しい角とコウモリのような翼、とげとげした尾は、悪魔のような雰囲気だと見る者もいるかもしれない。
渦巻く重力は時すら支配し、その左眼の輝きは生きとし生ける者すべての肉体を石化させる、「守る」には些か攻めに偏った彼の「魂」の姿、『真なる真の姿』――
その名も、蝕陽龍。
「〝法則〟、執行」
理里は左目の異能、『神蛟眼』を発動する。本来紫色であったその光は、今は金色になっていた。
しかし、それはクロノスに向けて放たれたのではない。
「我こそは〝灰滅〟の使徒。この三世を縛る数多の理を超え、今、新たな戒をその律令に刻まん」
光は円形、そしてその中心に五芒星を描き、魔法陣のようなものを、理里の顔の前に形成する。左目は、光を放出し尽くしたのか、瞳が白くなる。
「顕れたるは第十の〝法〟……
〝胤螭の宝剣〟ッッッ!!!!」
最後の詠唱。それが終わると、魔法陣から、ゆっくりと、光の刃が現れる。
数秒かけて、ようやく全貌を露わにしたそれは、黄金の剣だった。西洋風の両刃に、何かしらの古代文字のようなものが彫られた、長すぎず短すぎない両手剣。
目の前に浮かぶそれを、理里はひったくるように右手で掴みとり、その刃をクロノスに向ける。
『……フン。ずいぶんと派手な見た目になったものだ』
が、その変化の一部始終を見終えても、クロノスは動じなかった。
『だが、所詮は怪物よ。神の王たる我が、そのようなモノに負けることなどあり得ぬ。……ふむ。しかし、こうも大きさが違ったのでは、やりにくい』
クロノスがそう呟くと、黒い竜巻がクロノスの身体を包む。
『クク。随喜せよ、矮小なる異形よ。世界を統べるこの王は、貴様と対等の条件で戦う事を決断した』
風が止んだ時、そこにいたはずの黒い巨神は消え、代わりに、全身の筋肉を隆々と盛り上がらせた、理里より頭三つ分ほど身長の高い、半裸の壮年の神が浮いていた。
白い長髪、太い眉。眼光は鋭く、少し皺の目立つ顔は彫りが深く、何者をも寄せ付けぬ風格を放っている。下半身には黒い鎧を纏い、その腰の後ろには、刃が円形に歪曲した、とんでもない大きさの剣が差してある。上半身のところどころにある黒い炎のようなタトゥーは、おそらく先ほどまで彼の身体を覆っていた闇の名残だろう。
「我が面貌を晒すは、タルタロスに封じられてより、実に四千年以来のことよ。その刹那に立ち会った名誉、ここで終わる短き一生の宝とせよ」
「……知ったことか」
毒づいた後、理里は剣を構え、飛翔した。
「ハッ!」
半秒の後、剣戟。クロノスは提げていた巨大な剣を抜き去り、飛び込んでくる理里の剣を撥ね返した。
「ぬうッ!」
その動きのまま、巨刃は上段に振りかぶられ、一気に振り下ろされる。理里はそれを、右側に羽ばたいて躱す。
その、直後。
「っ⁉」
クロノスの正面にあった、はるか五十メートル下の地面の木々が、街が、まっぷたつに切り裂かれた。
「クク、驚いたか? これこそ、神器ハルパーの力よ」
先ほど双子に盗ませた、すべてを斬り裂く剣。理里が〝法〟となってもクロノスが動揺しなかった理由には、この武器の存在もあった。ヘファイストスが鍛造したこの剣には、〝法〟に匹敵する強制力を持つ『切断』の力が付与されているのだ。
「後ろに退くだけでは、この剣の刃からは逃れられぬ。指の一本でも軌道の上に残したならば、この不死殺しの剣は、即座に貴様の身体を粉微塵まで切り刻むぞ?」
「……ハッ。それは、お互い様だ!」
剣を避けた動きのまま、理里はくるっと回転し、そのままクロノスに突っ込む。
ガキン! と刃がぶつかり合い、つばぜり合いとなる。
「やはりな。貴様の剣は石化の力が結晶化したもの。闇雲に突進する以外の攻撃をしてこない以上、何かしら刃に能力があるとしか考えられん」
「ああ。この剣は、斬った生き物を石化させて、確実に絶命させる。かすり傷でも石灰の塊になるぜ? せいぜい、気をつけるんだな!」
ぐぐぐぐぐ、と力を込めた後、両者は互いに弾き飛ばされる。
だが、退くことはしない。
「……はぁっ!」
「ムンッ!」
再び突進。ぶつかり合う刃。斬撃のみを残して通り過ぎ、数メートル進んだところで理里は翼でブレーキをかけ、振り返り、またしても突撃をかける。
しかし。
「ハアッ!」
クロノスの掛け声と共に、ぶうん、と何かがうなる音がしたかと思うと、理里の剣は、その手を離れ、宙に弾き飛ばされていた。
「なっ⁉」
「同じ手が何度も通用すると思うな、凡夫が!」
クロノスがハルパーを持った左手を素早くひねり、〝胤螭の宝剣〟を撥ね飛ばしたのだ。
「死ねェいッ!」
クロノスは柄に右手を添え、ハルパーを構える。横に薙ぎ払おうという魂胆だ。
「……くっ!」
振り抜かれる巨剣。それを下方向に飛んで避け、理里は落ちていく剣を追う。
だが、
「かかったな、下郎!」
「っ⁉」
瞬間、黒い蜘蛛の巣のような網に、理里は捕らわれた。
「こ、これはっ」
網は、静止した上空の飛行機、はるか下の地面に建ついくつかの建造物、そしてクロノスの下半身の甲冑につながっている。タルタロスの闇を変形させたものらしい。
いや、そんな分析をしている暇は無い。
「滅びよ、ラードーン!」
「っ……」
ハルパーを振り上げるクロノス。細胞まで跡形もなくなる斬撃を予期し、理里は目を閉じる。
(……………………あれ?)
しかし。いつまでたっても身体を粉微塵にする痛みはやってこない。
訝しげに思い、目を開くと。
「が……はっ……」
「⁉」
大上段に剣を振りかぶったクロノス。その脇腹を、水色に光り輝く、鍔の部分に巨大な羽根が折り畳まれた両刃の剣が貫通している。
「これは……!?」
開いた口がふさがらない理里に、どこからか現れたその剣は、声を発した。
『りーくーん! 助けにきたよっ!』
「えっ……珠飛亜っ⁉」
いつもの快活な笑顔の代わりに、その剣は折り畳んでいた翼を広げた。




