32. ザ・セカンド・ティタノマキア その⑯
『クッ……まあよい。羽虫の一匹など何時でも潰せるわ。
さあ、我が眷族よ! 我が覇道を阻む最後の障壁を、跡形もなく踏み潰せ!』
クロノスが号令をかけると、十一柱の巨神たちが、ゆっくりと動き出す。
『オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ オ !』
人とも獣ともつかぬ唸り声をあげ、ある者は拳、ある者は蹴りで、はるか大地のちっぽけな英雄の群れを押し潰す。
「うあああああああああああ!」
「逃げろ! 逃げるんだ!」
混戦状態だったグラウンドから、蜘蛛の子を散らすように、英雄たちは頭上の衝撃から逃げ去りはじめる。
その中を、紫苑はひとり、真龍のもとへと飛んでいた。
(……無事でいてくれ、マロン……)
餡子が『螺鈿』で動きを封じている以上、向こうから攻撃してくることはないはず。この間にペルセウスが動いていなければいいが。
――と。
「うわあ⁉」
熱気が頬を掠めた。振り返ると、黒い神……ティターン神族のうちの一体が、炎を纏った手をこちらにかざしている。
(あいつら、ただデカイだけの人形じゃないのか⁉)
彼らとて、それぞれに権能がある。自我を失っていても、権能で戦った記憶が、本能が、その力を呼び起こす。
「……くっ!」
立て続けに二発、三発と、炎の球が飛ばされる。驚くほど的確なその狙いをどうにか回避して、紫苑は真龍のいる場所を目指す。
すでに姿は見えている。あと少し、もう少し――
だが、寸前で彼女は巨大な手につままれた。
「っ!? ああああああああああああ⁉」
真龍の近くにいたティターンが、蠅を箸で掴むように、紫苑の動きを読み、人差し指と親指で捕まえたのだ。
「はなせ、このっ! ゴラァ!」
トンネルほどもある指をボカスカと殴りつけるが、全く通じない。その間に、巨神は紫苑を持っていないほうの手の、人差し指の甲を親指の腹に引っ掛け、紫苑の目の前まで持ってきた。
それは、我々が古来より見慣れてきた、たった二本の指から放たれる最大の衝撃……要はデコピンである。
「くそっ、やめろ! あたしにはまだ、やることがっ」
紫苑がわめく中、ギチギチ、と、目の前の巨大な指の筋肉が音を立てる。数秒後の衝撃を予感し、紫苑が思わず目を閉じると。
「…………⁉」
震動は、確かに訪れた。ただし、後ろから。
『オ オ オ オ オ オ ⁉』
何か後ろからの攻撃を喰らったらしい巨神が、態勢を崩し、ゆっくりと倒れていく。指の力が抜け、その隙に紫苑は離脱した。
「はあ、はあ……いったい、なにが……」
滞空し、結果的に紫苑の命を救った何者かの姿を確かめようと、地面に崩れ落ちる巨神の後ろを見る。
大きさはティターンと同じくらい。その輪郭だけは分かった。巨大な翼、のたくる下半身、そして蛇のような髪の毛。
「……え?」
一瞬、先ほどまで会話していた白龍(理里)の面影が頭をよぎる。
だが。巨神が膝をついたことでその全貌を顕わにしたその龍は、黒色だった。
黒、と言っても、ティターンたちのような、闇そのものといった色合いではない。月明かりを反射するその鱗は、清い光沢のある、何とも言えぬ艶やかさを持っていた。
「おまえ、は……」
出陣前に観た、十五年前の戦いの記録映像。その中心で暴れ狂った龍も、同じ鱗を持っていた。
『勇敢な少女……いや、英雄よ。ここは私が引き受けよう。早く、君の守るべき者のところに行きなさい』
目の前の龍は、重く、しかしどこか底のほうに暖かさを持った声で、紫苑を促す。
「……! は、はいっ!」
呆然としていた紫苑は、ピシッと背筋を伸ばし、再び真龍のほうへと飛んでいった。
『キサマ……!』
クロノスはその龍を指差して、ギリギリと歯ぎしりをした。
「まさか……お前は……!」
アポロンは、その龍を見て、自らの神弓を取り落とした。
『オ オ オ オ オ オ オ オ !』
二柱の巨神が、龍を目がけて、ゆっくりと走ってくる。
『…………』
龍は、それらの方向に両手を伸ばし、ガシッ、と、何もない空間を掴む。
『……グオオオオオオオオオオオオオ!』
そして、一気に引き寄せた。
『『オ オ オ ⁉』』
ちょっとした高層ビルでは追いつかない高さの二つの巨体が、大質量をものともせず、跳んだ……否、跳ばされた。磁石のようにふたつの身体は引き寄せられ、
『『!!!』』
勢いよく衝突し、互いの全身の骨を粉砕させた。
『さて。次はどなたかな?』
落下し、倒れこむ二柱に見向きもせず、龍は残りの巨神たちを見据える。
『このテュフォーンが、全てお相手しよう。何なら、世界ごと滅ぼしてやっても構わないが?』
ゴキリ、と首を鳴らし、最強にして最凶の魔神がついに動く。




