23. ザ・セカンド・ティタノマキア その⑦
「うきゃあ⁉」
柚葉市南東部、怪原家の近くにある公園。その砂場に、ひとりの天使が落ちてきた。
この見習い天使・ユーフィは、天界に起きた一大事を伝えるために、ゼウスによって人界に送られたのだ。
(こ、公園?)
子どもの姿どころか、人っ子ひとりいない夜の公園。その、ブランコの横にあった砂場に、彼女は天界から現れたのだ。
(っていうか、ここどこなの……)
てっきり、外に出たらすぐアポロン様の軍勢に出会えると思ったのだが。「力の強い天使は送れない」だの、「我が作る異界への門は五秒ともたない」だの、何かと多かった不安要素の正体がこれではっきりした。どうやら私の雇い主は、どんな不可能も可能にする完璧超神ではなかったようだ。
(と、とにかく、英雄さんたちを探さないと)
さすがに、そう離れた場所には送られていないはずだ。天界の物見の大水晶に中継されていた映像では、英雄軍はまばゆく光る巨大なUFOのように見えた。あれほど目立つものなら、目撃証言も多数あるだろう。とりあえずは道行く人々に聞いてみようか。
(よ、ようし、がんばるぞ)
小さくガッツポーズをして、ユーフィが立ち上がろうとすると。
「きゃ⁉」
白いキトンのスカート部分を、ガシッと掴まれる感触。そのまま、砂場に引きずり倒される。
「だ、誰っ⁉」
再び座り込んでしまい、いささかの恐怖心に駆られながら、後ろを振り向くと。
「…………」
青年が一人。純白の布をひっつかんで、その場に倒れていた。
砂で汚れた白Tシャツには血が滲み、下は黒のジャージ、足元は異様にすり減って穴の空いたスニーカー。まるで、コンビニに何かを買いに行こうとしたら、そこで交通事故に遭ってきたかのような雰囲気だ。
「は、離して! 私、急いでるの!」
ユーフィはスカートの太腿あたりを握り、青年の手を振り払おうとするが、細身の見た目からは想像できないほど、彼の右手の力は強く、全く引きはがすことができない。
「……無駄だよ」
それでもユーフィが奮闘していると、青年は、顔を伏せたまま、柔らかい、しかしどこか哀愁の漂う声を発した。
「下級天使なんかの力じゃ、俺の腕力には敵わない」
そう言って、青年がやっと持ち上げたその顔に、ユーフィは戦慄した。
「えっ……」
青年の顔は、その右半分が緑色の鱗で覆われ、両目が爬虫類のように黄色く瞳は糸のように細く、口元には猛獣のような鋭い牙がずらりと並んでいた。
だが最も驚くべき点は、そこではない。
(理里……くん……?)
その面貌、そのどこか悲しげな表情は、まぎれもなくユーフィが……いや、『天羽夕陽』が、きちんと記憶しているものだった。
「いいことを教えてやるよ」
ユーフィが呆然としていると、理里は彼女のスカートの裾を握ったまま、ゆっくりと膝立ちになり。
そして、彼女の胸倉を掴み、自分の方に引き寄せた。
「俺はな。テュフォーンの息子なんだ」
「⁉」
驚愕するユーフィの表情に、理里は卑屈な笑みを浮かべる。
「つまりはお前ら天界の民の敵だ。命を絶っておいたほうがいいんじゃないか?」
「ひっ……」
恐怖と驚きで理解が追い付かず、がくがくと震え続けるユーフィに、理里は苛立ちをおぼえたようで。鬼の形相で、彼女に迫る。
「どうした。殺せよ。俺は抵抗なんてしないぞ。光の弓か何か、どうせどこかに隠し持っているんだろう? ……さあ、殺せ! お前の敵を! 醜い怪物を殺せよ!」
「り、理里くんっ!」
混乱のあまり、彼女の口をついて出た自分の名前に、理里はぽかんと口を開けた。
「……は?」
畳みかけるように、ユーフィは理里の肩を両手で掴む。
「わ、私! 夕陽だよ! 珠飛亜ちゃんのお友達の、天羽夕陽!」
「えっ……夕陽、さん?」
そう、彼女の名はユーフィなどではない。
天羽夕陽。幻象学院大学に通う一年生で、珠飛亜の高校時代からの親友。
理里が気づかなかったのも無理はない。夕陽が彼と顔を合わせたことは数えるほどしかなく、また彼女自身、もともと存在感の薄いほうであったので、しかもこんな輝かしい姿になどなっていれば、珠飛亜でさえも別人と思うかもしれない。
拍子抜けしたように、怪物の顔のままフリーズした理里に、夕陽は、自分を奮い立たせて、思い切って声を張る。
「じ、自分のことを殺せだなんて、言っちゃダメだよ! 私なんかじゃ、力になれないかもしれないけどっ! よ、よかったら、お話、聞かせてよ!」
「えっ……うん……まあ、それじゃ……」
毒気を抜かれたらしい理里は、夕陽の服の襟から手を離し、その場に座り込んみ、事の顛末を全て語った。
「もう、何も信じられない。紫苑は夜空で、俺の事をずっと待っていてくれるって信じてたのに。なんで……なんでっ」
理里の目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
「あ、あの、理里くん」
「……? 夕陽、さん……?」
しかし夕陽は、何か申し訳なさそうな表情を浮かべていた。
「そ、その、紫苑ちゃんだっけ。私、その子がどこに行ったか、知ってるよ」
「⁉」
理里は目の色を変え、彼女の右手を両手で握る。
「教えてくれ。紫苑は今、どこにいるんだ!」
「え、えっと、実は……」
夕陽は、テュフォーンが現れてから、現在までのできごとを簡潔に話した。
「そうか、父さんが……じゃあ、さっきの光の中に、紫苑が」
「う、うん。オリオンって呼ばれてた子も、確かにいたよ。女の子だったんだー、って不思議に思ったの、覚えてる」
話を聞き終えた理里は、深刻な顔つきになる。
「んー……じゃあ、今から起きるのは、父さんと紫苑の戦いってことになるのか。俺、どっちについたらいいのかな……」
「あ、そうか……そうだね」
ロミオとジュリエット然り、愛する者をとるか家族をとるかというのは、なかなかに難しい問題である。そのあたりには、さすがに夕陽も口を出せない。
が。少し黙考して、理里は口を開いた。
「……いや。俺は、紫苑を守ることだけ考えよう」
「? じゃ、じゃあ、お父さんはどうするの?」
神の側についている夕陽であるが、知人のこととなると、敵味方というのは関係なく心配になってしまう。
しかし、それも杞憂のようだった。
「父さんに紫苑は殺させない。だけど、俺は父さんを攻撃することはしない。謎の黒い波も気になるけど……勝敗がどうあれ、俺は紫苑を守るだけだよ」
それは自分の父に対する自信であるのか。それとも愛を優先したのか。どちらかというと後者なのだろうが、これはこれで、彼の立場として最適な選択かもしれない。
「よしっ! 行こう、夕陽さん! ……じゃあ、ちょっと遠くにいてもらえないか」
「う、うんっ! ……うん?」
夕陽が離れる間もなく、突如、理里の身体から強風が発せられ、彼女はその場から数メートルほど吹き飛ばされた。
「うきゃあ⁉」
後ろにあった桜の木にぶつかり、どうにかそれ以上飛ばされることはなくなった。
理里の身体から吹き上げる強風はどんどんと強くなり、やがて渦を巻き始めた。風は竜巻となり、砂を巻き上げ、彼の身を隠す。
その中から、白い光が放たれた。人の形をとったそれは、竜巻が激しくなるほどに形を変え、だんだん巨大化してゆく。
「な、なんなのよぉ~!」
その叫びもかき消す烈風の中、その閃光が一際強くなり、夕陽が思わず目を覆った時。竜巻が、前触れもなく、ぴたりと止んだ。
「な、なんだったのぉ…………っ!?」
やっと目を開いた夕陽の前に。彼女の常識では考えられないモノが、威風堂々とたたずんでいた。
それは、巨大な白い龍……いや、龍のような何か。角の生えた肉食恐竜に近い顔やコウモリのような翼はまぎれもなく龍なのだが、上半身は隆々と筋肉のついた巨人で、下半身は大木もかくやというような大蛇なのだ。頭には髪の毛から変化したらしい蛇が無数にうごめき、純白のウロコは、妖しく月明かりに照らされ、艶っぽい輝きを放っている。
その怪物は、ゆっくりと、もはや言葉も出ない夕陽の方を向き。
「さて、行こうか。確か南西の方に飛んで行ったはずだ」
くぐもった低い声で、夕陽を促した。
「は、はい……」
自分は、とんでもないものと手を結んでしまったのかもしれない……そんな後悔が、にわかに夕陽の心に湧き上がるのだった。




