22. ザ・セカンド・ティタノマキア その⑥
「ぴあちゃん。ちょっと、洗濯物をみんなの部屋に持って行ってくれない? もう少しで、晩ごはん、できるから」
「うん……わかった」
母の頼みに応える珠飛亜の声には、いつものような明るさがない。
「……何かあったの? もしかして、さっきのりーくん?」
「ううん、別に! なんでもないの! せんたくもの、なおしてくるね!」
台所から、心配そうに顔を出した恵奈に、珠飛亜は笑顔で答え、きれいに畳まれた大量の衣服から、いくつかの山を選びとって、抱えてリビングを出ようとすると。
「…………なにやってるの? ふたりとも」
吹羅と綺羅が、ベランダに通じるガラス戸にへばりついて、外の夜空を見ていた。
「聞いてください、姉上……今、私たちは、未知との遭遇を体験しています……」
「未知との遭遇って、どれどれ…………っ⁉」
吹羅に呼ばれるままに、姉妹の左隣に立つと。
真昼の太陽を思わせるほどの輝きが、現在進行形で夜空を駆けていく。
「ちょっ、ママ! こっち来て!」
「なぁに? 大きな声を出して……ご近所さんに迷惑よ?」
「いいから、はやく!」
珠飛亜があまりに急かすので、火の始末だけ済ませてから、恵奈はパタパタとスリッパを鳴らして、窓際にたどりつく。
「もう、いったい何が…………えっ」
そして、黄金の飛行体を見るなり、目を見開いた。
「すごい、すごすぎる! あれは絶対UFOですよ! ね、母上!」
「き、きらも、そうおもう!」
双子は、興奮が抑えきれないようで、目を輝かせ、声を弾ませて恵奈を見上げる。
だが。
「嘘……そんな、まさか」
恵奈の顔がひととき青ざめる。
「? ママ?」
「……ぴあちゃん。ひゅーちゃん。きーちゃん。ママ、ちょっと出かけてくるわ」
「?」
「母上?」
綺羅、吹羅が振り返る。そこに珠飛亜を加えた六つの瞳を見つめて、恵奈は告げた。
「パパが……パパが、危ないかもしれない」
「「「⁉」」」
瞬間、三人の娘たちは目を見開く。
「バカな! 父上は、誰にも見つからないところで、生きているのではなかったのですか⁉」
「ええ、本当はそのはずだったのだけれど……あれは、アポロンの行軍の光。オリンポス十二神の一員である彼が、人目もはばからずに軍を率いて姿を現すなんて、三世界全体の危機以外にありえないわ。そして、その理由として考えられるのは、最強の魔神テュフォーン……つまり、パパの姿をとらえたこと以外には考えられない。何せ、十五年間もそんな怪物を野に放していざるを得なかったたわけだから、見つけたとなれば、今度こそ完全に封印しようとするはずよ」
恵奈の口調は冷静だった。しかし、その裏には、怒りとも恐れともつかない、得体の知れない負のエネルギーがあった。
「なぜ今のタイミングで、そしてなぜわたしたちが住んでいるこの街に、パパが現れたのかは分からないけれど。きっと、あの人なりの考えがあってのことなんだわ。……だったら、わたしはそれを助けてあげなくっちゃ」
「「「…………」」」
有無を言わせぬ声色は、その愛ゆえに。十五年会えなかった寂しさゆえに。彼女が三千年を生きた異形であるとはいえ、その歳月は決して短くはなかった。
『きっとどこかで生きている』というのも、楽観的な推測に過ぎなかった。いや、彼は不死なので間違いなく生きてはいるのだが、きっと二度と会う事はできないだろうと思っていた。三世界のいずれかに姿を現せば、ヘルメスの『全智の書』に記録されると分かっているなら、彼の権能で、この三世界以外の別の世界、もしくは誰かの心象に逃れる以外に、追っ手から身を隠す術はない。
その彼が、この人界に姿を現した。いかほどに、この時を待ち望んでいたことか。娘たちには理屈をつらつらと並べ立てた。が、本心は、早く彼に会いたい――それだけだ。
封印なんて絶対にさせない。今度こそ、彼はわたしが救う。あの宵闇に輝く陽光を見た、その瞬間に決意した。
「……わかった」
暗黙のうちに、恵奈のその意思を感じ取ったのか。珠飛亜がうなずく。
しかし。その答えは、恵奈の想像の斜め上を行った。
「じゃあわたしは、ママについていくよ」
「⁉ だめよ、ぴあちゃん! あなたたちまで、危険にさらすわけにはいかないわ!」
そう、これは恵奈自身の自分勝手な願望。命の危険を負わせてまで、それに付き合わせるわけにはいかない。
だが、そんな恵奈の思いに反し、珠飛亜たちの闘志は燃えていく。
「わたしたちだって、家族の一員でしょ? だったら、ママに協力するべきだと思うの。ま、その前にりーくんを探さなきゃだけどね♪」
「ええ。それに、我が力を世界に知らしめるのに、これほどの好機がありましょうか。不死の毒蛇の恐ろしさ、英雄どもに思い知らせてくれる」
「き、きらも。いくつか、封印を解いてもいいから、たたかいたい」
「で、でも……」
それでも、五児の親としての立場が、恵奈の首を縦に振らせることを引きとめていた。本当なら、この子たちの事を考えれば、自分は戦場に向かう事さえ許されないはずなのに、恵奈は自分の愛を選んだ。ならばせめて、この子たちには安全でいてほしいと、そう思うのだ。
そんな母を見かねた吹羅が、「やれやれ」と両手を上げる。
「母上。よもや我らが、戦闘経験が薄いとでもお思いですか? 母上の知らないところで、英雄たちは、ほんの子どもである我らにも戦いを挑んでいるのですよ。そのような者どもを屠れる程度には、我らにも戦闘力はあるのです。いや、むしろ、これほどのチート能力者集団が奴らに負けるなど、有り得ないことではないでしょうか」
「っ……」
それを言われると痛い。子どもたちをおびやかしうる敵は、できるだけ事前に駆逐してはいたが、この間のペルセウスのように、ときどきその目をかいくぐる、もしくは恵奈の都合が合わず間引けない英雄がいるのだ。その点で、「まあ、うちの子たちは誰にも負けないだろう」という楽観的思考があったのも事実だ。
「っ、でも、相手は太陽神アポロンよ⁉ いや、それだけじゃない。きっと天界の全勢力……つまり、オリンポス十二神まで出てくるのよ⁉ いくらあなたたちでも、太刀打ちできない」
「かみさまなんて!」
恵奈を遮り、響く甲高い声。綺羅が、怒鳴ったのだった。
「き、きらたちなら、かみさまなんて、こわくないもん! パパとママの、子どもだもん! それなのに、しんじてもらえないなら、きら、おこる!」
目に涙を浮かべて、普段引っ込み思案なはずの彼女が、今、心からの叫びを訴えていた。綺羅の剣幕に呆気にとられ、珠飛亜、吹羅と共にぽかんと口を開けていた恵奈だったが、その宝石のような瞳に見つめられて、ハッと気付いた。
「……そうね。そうよね」
両目を潤ませたまま、ぷるぷると震える綺羅を、恵奈は抱きしめる。
「ごめんね、きーちゃん。……ごめんね、みんな。ママが、間違ってたわ。そうよね。ママは、誰よりもみんなのこと、信じてなくちゃいけないわよね」
そうだ。こんなことに、なぜ気づかなかったのか。時には、親として非情になることも必要ではあるけれど。彼らにも、ちゃんと心がある。恵奈と同じように、愛がある。
そして、何よりも。愛する者が戦っていると言うのに何もできない歯がゆさは、悔しさは、十五年前に彼女自身が身が張り裂けそうなほどに味わっていた。その苦しみを、娘たちに負わせるのも、また残酷な気がした。
「よしっ! そうと決まったなら、今すぐ行こっ! あの光を追おうよ!」
珠飛亜が、左の手の平を拳で「ぱちん」と殴る。
「ええ、もちろんよ! ただし、危なくなったらすぐに逃げてね」
「「うん!」」
「御意!」
もう、十五年前のあの日とは違った。恵奈にとって守るべき者は、共に戦う仲間に成長していた。
それぞれの決意を胸に、この世界最強の家族が、動き出す。
★
ところ変わって、柚葉市の中心部・神ヶ舛川中流域の河川敷。雑草がぼうぼうと生え、先日理里によって破壊されたセメント製の橋の残骸以外には人の手が入った様子の無い川岸に、ひとりたたずんでいる男がいた。
背が高く、目は細く、髪型はオールバック。黒い羽根があしらわれたコートの下に、深い緑色のスーツを着て、右手にはステッキを持った、特徴しかない見た目。
男の足元からは、四方向に、白く細い光の線が伸びている。それは、男の目視では確認できないほど先まで続いているようだ。
「しかし。僕の〝彫刻室〟に、よもやこのような使い道があるとは思わなかったなあ」
話しかける人間など周りには居ないのに、誰かに語りかけるように男はつぶやく。
すると。男の頭の中に、いくつかの声がこだました。
『なに。そこまで精巧な心象世界を持っている英雄が、あなたしかいなかったというだけの話さ』
『神々の考えることには、本当に脱帽じゃな。いくつもの異能を重ねて使うとはのう』
『妾は気に食わぬがな。この世で最も美しい妾が、なぜ貴様らのような凡俗と力を合わせねばならぬ』
『おいおい、そこまでにしとけよオバサン。また神罰喰らっても知らねえぜ? 英雄どうし、仲良くやろうや』
気位の高そうな男性、賢者然とした老人、気難しそうな年配の女性、粗暴そうな若い男の声がひとつずつ。あまり相性のよくなさそうな印象が聞いて取れる。
最後の男の言葉のとおり、この五人は全て〝英雄〟それも星座から転生した、俗にいうところの『星落ち』である。
口を開いた順にそれぞれ、彫刻室座、三角座、六分儀座、カシオペヤ座、祭壇座。テュフォーン出現の知らせを受け、現世にいた彼らは神の軍勢の出陣よりも前に、それぞれ柚葉市の東端・西端・南端・北端・中心に配置され、魔神をこの街から逃がさぬための結界を張ったのだ。
「これだけ制限をかけておけば、奴の動きも多少は鈍るだろう。権能はまだ使えるかもしれないが、空間転移はやりにくくなるだろうな」
『そうだね、芸術家さん。……しかし、これは何かにつけて思うのだが、アーティストというのは皆、頭が切れるのではないだろうか』
「ハハッ、よしたまえ三角くん」
彫刻室座の男の職業は、本人の名刺には『彫刻家』と記されることが多い。ときどき、作詞家や作曲家、絵描きや物書きにもなることがあるが、基本的には石膏像を作っている。名をリ是周と言い、その道ではそれなりにネームバリューのある人物だった。
『妾も、そなたの作品はときどき見させてもらっているぞ。悪趣味だが、なかなかに面白い』
『わしも、君の名はよく見かけるよ。この間、雑誌のインタビューを受けていたじゃないか。大したものだ』
「いえいえ、そんな大層なことではありませ」
『ゴキゲンヨウ、英雄の皆サァア~ン!!!! 聖戦の準備はいかがDEATHカァ?』
「っ⁉」
『『『『⁉』』』』
五人の頭の中に。突如、聞きなれない男の声が、大音量でこだました。
『人の身でテュフォーンに挑もうというその蛮勇、謹んで称賛申し上げましょゥ。しかァーし!! マコトに申し訳ナイのDEATHがァ……アナタたちは、彼の魔神に挑むことナク、滅ぼされる運命にあるのDEATH!』
「くっ……」
『何者じゃ、貴様! 名を名のれい!』
六分儀座の老人が、苦しそうに叫ぶ。この男の声は、是周たちの脳を揺さぶり、今にも破裂させんばかりの大きさを誇っていた。
『ンン? ワタクシDEATHか? ……キャヒ。キャヒヒヒヒ。キャーッヒャハハハハハハハハハハハハ!!!!』
『あ、頭が、割れる……!』
『か、ぁっ……』
『大丈夫か、オバサン……くっ』
不快な高笑いが鳴り響き、それは彼らの頭痛をさらに深刻化させた。
『ワタクシ! このワタクシこそは! 傲慢ナル神を滅ぼし、極楽をこの世に涌現させるコトを理想とスル者! 悪魔の女王、堕天使ルシファーDEATH!』
「『『『『っ⁉』』』』」
それは、英雄であるならば、一度は耳にしたことのある名前。最も高名な悪魔にして、最も醜悪な悪の権化。
「き、さま……まさか、テュフォーンと同盟を……⁉」
『イイエ? 彼は全く関係ありまセンよ。偶然にも、日が重なってしまったダケ……そう、この世界が生まれ変わる、記念の日にネェ!』
『てめえ……! 何をたくらんでいやがる!』
祭壇座の若者が、怒りも露わに声を上げる。するとルシファーは、さらに声の調子を上げた。
『今日コノ日を以テ! 世界の支配者ハ入れ替わル! ゼウスによる放任の時代は終焉を迎エ! 新たな支配者トシテ、時の神クロノス様が、三世界を統治するのDEATH!』
「⁉ クロノスだと⁉」
確かに、クロノスは先日タルタロスの『深淵』から脱獄し、その動向は掴めないでいた。だが、それがよりにもよって、悪魔と手を結んでいたとは!
『オリンポスの神々を……甘く、見るでないぞ……きゃつらがどれほど手強いか、お主も知らぬわけではあるまいに』
『ハッハーン。自らの体験を以てのアドバイス、ありがたいことDEATHねえ愚かな王妃よ。……DEATHが。残念なことに、天界はもう敗北してしまったのDEATHよ……』
『っ⁉ なんじゃと⁉』
あまりに衝撃的すぎるルシファーの言葉に、声を出せたのは、六分儀座の老人だけだった。
『バカな! 数分前、第一軍が出陣したばかりではないか!』
『ンッンー。その一瞬のうちに、天界は滅んでしまったのDEATH。詳しいことは言えませんがネ。
……オット、アナタたちと無駄話をしている暇は無いのでした。続きは冥界で、ゆっくり聞かせてあげまショウ♪』
「『『『『がっ⁉』』』』」
五人の頭痛が、いっそう激しくなる。
「ぐっ……何をする気だ!」
『ナニって、アナタたちが苦労して作ったこの結界を乗っ取るのDEATHよ。天界が滅んだ今、我々に対抗しうる勢力は、ここにいる英雄の軍勢のみ。それを一匹たりとも逃さないためにネ♪』
『あぁっ!』
『⁉ どうしました、カシオペヤ様!』
悲鳴と共に、カシオペヤの声は、それきり途絶えた。三角座の男が何度呼びかけても、彼女の返事は無い。
そのうちに、
『ぐあっ!』
その男の声も、苦悶を最後に聞こえなくなった。
『てめえ! 何しやがっ……がぁっ!』
『祭壇の⁉ おのれ、許さんぞ……ふぐぅ!』
続けて、祭壇座と六分儀座の声も聞こえなくなる。
「貴様! いったい何をした!」
「ンフフフ~、殺してはいまセンよ。少し、意識を乗っ取っただけDEATH。彼らを生かしておかなければ、結界が保てまセンからねえ」
その気味の悪い笑い声は、心の中ではなく、頭を抱えてひざまずく是周の真後ろから聞こえてきた。
「⁉」
振り返ると。
「ハロー、素敵な英雄サン♪ 女帝ルシファーのお出ましDEATHよォ」
そこにいたのは、『奇妙』としか言いようのない外見の男だった。
いや、男と呼べるかどうかも怪しい。何せ中性的な面立ちで、顔一面に白粉をまぶし、両目にはどぎつく黒いアイライン、そして口元には紫色のルージュ。身長は二メートルをゆうに超すが、水色の肌の身体は異様に痩せていて、脚などは今にもポキリと折れてしまいそうだった。
しかし、何よりも珍妙なのは服装だった。大きな宝石のあしらわれたハイヒールを履き、全身網タイツの上に、下半身はホットパンツ、上半身はバニーガールの衣装の上半分だけを引きちぎったような布で胸元が隠されているだけ。
また、この男が人間ではないと分かる部分も見て取れた。腰のあたりから、巨大な黒い翼が一対と、紫と銀のボーダーになったオールバックからは、二本の小さく黒い角が生えている。
「アナタで最後DEATHよォ。見たところ、アナタがこの結界の要のようDEATHねェ」
そう言うとルシファーは、悶え苦しむ是周の頭をひっつかみ、無理やり顔を上げさせる。
「はあ、はあ……」
石化の力はテュフォーンの方に全て使われてしまっており、今さらそれをここに移すことはできない。抵抗する術は無い。
しかし。
「お前たちには……屈しない……」
「ンン? 何DEATHカ?」
是周が、糸のように細い目を見開く。
「たとえここで、僕が倒れようとも! 正義は、お前たちに屈しない! 見ていろ、この悪魔めッ」
「あー、アナタ、やかましいDEATH。バーイ♪」
是周の頭を掴むルシファーの右手が、紫色に発光すると、「バン」と強烈な衝撃波が発せられた。意識をなくした是周は、その場に倒れた。
「……さァて、準備は整いマシタ! 行きナサイ、我が同胞たちよォ!」
誰もいない河原に、悪魔の王の号令が響き渡る。この街における真なる戦いの火ぶたが今、切って落とされた。




