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邪眼の蜥蜴はイレギュラー  作者: 若槻味蕾
第5章(IF)
15/38

15. ブライダリー・ダークソーン その⑩

 きーん、こーん、かーん、こーん。少し電子音じみた定番の鐘の音。だが、制服を纏った理里が風景を眺めているのは、校舎のベランダからではない。

 イモータル柚葉。市で唯一の結婚式場であるその二階のバルコニーだった。


「…………」


『なぜ、こうなってしまったのだろう』と自問自答を続けているうちに半月が過ぎ、ついにこの日を迎えることとなってしまった。結局のところ母も兄も、いまひとつまともではなかったというところに尽きる。……後者はかなりまともではないが。


 恵奈は王瑠のプロポーズを承諾した。それも恋する乙女(笑)のごとく顔を赤らめ、少し目を逸らしながらである。端的にいうとマジ照れしていた。自分の親にドン引きしたのはこれが初めてだ。


 法律的に実の親子が結ばれることはもちろん許されていない。だが、王瑠の戸籍は、ルシファーに預かられた時点で、彼(彼女?)によって抹消されていたらしい。魔の国で生きるには不要なものだからだ。数ヶ月前にこの世界に帰ってきてからは、ずっと柚葉市にあるルシファーの別荘で生活していたそうだ。その後、恵奈との結婚を考えるにあたり、両親は不明として、日本籍を彼の"奴隷"の養子、つまり完全なる別人として作り直したとか。よって、文書偽造にはなるが、彼は戸籍上『怪原恵奈の息子・怪原王瑠』ではない。すなわち法律上は結婚が可能。


 だからといって倫理的にどうなのか……ということは彼らに言っても無駄だった。そもそも普通の倫理観というものが怪物には備わっていない。考え方は人間よりも多種多彩で、個人によって大きく違う。その点では理里も人間と違う感覚を持っていることは自覚している。家族の生活の平和のためなら、人を殺すことに躊躇もないというのは、明らかに人間の感性から外れている。


 また、王瑠は『僕以外の子どもは全員殺す』と言っていたが、その心配もなくなった。恵奈が『あなたたちがケンカするのは、母さん悲しいわ』とひとこと言っただけで、『わかった。兄さんも珠飛亜もりーくんも吹羅も綺羅も、絶対傷つけないよ。みんな、ごめん』とさらっと断言、謝罪しやがったのだ。もちろん初めはだれも信用せず、特に希瑠が食ってかかったが、「信じられないなら殺せばいい。ボクは一切抵抗しない」との言葉、そしてその直後、希瑠が実際に殺そうとしたときの王瑠の反応により、もうみんな黙るしかなくなった。


 まあ、近親婚は、怪物や神々の世界で珍しい話ではないのだ。理里たちを敵視するクロノスも、大地の女神ガイアとその子ウラノスが交わって生まれた存在なのだ。というか、ほとんどの神々はガイアの子たちの近親相姦によって生まれている。


 決しておかしいことではない、と何度自分に言い聞かせても、理里はどうしても納得することができなかった。


「少年?」


 ボーッとどこまでも続く街並みを眺めていると、ポン、と背中を叩かれる。


「……? あの、どこかでお会いしましたっけ」


 振り向いて、理里は首を傾げた。


 全く見たことのない、二十代くらいの女性だった。気だるげな雰囲気、どことなく外国の血が入ったような顔立ち、オールバックにした短い銀髪は、前髪の左側だけが頬のあたりまで垂れている。スタイルが良く、理里とあまり変わらない身長……一七十センチはありそうだ。そして巨乳。


「あっ、そうか。こっちの姿じゃあ、会ったことなかったわね」


 女性はニカッと歯を見せる。その犬歯は、異様に鋭くとがっていて――


「あ……判、さんでしたっけ」

「陽奈でいいわ。『陽奈さん』『陽奈ちゃん』『陽奈様』……好きなように呼んで。『おねえちゃん』でもいいわよ」

「いや……それは、遠慮しときますよ」


 王瑠の"奴隷"であり、法律上の養母である女性は、


「隣、いい?」


 と確認をとりながら、理里の隣の手すりにもたれかかった。


「…………」


 正直なところの、この女性に対しての印象は、憐憫だった。王瑠の召使い、愛人、そして『兵士』として扱われた、かわいそうなひと。


 王瑠が襲来したあの日の夕方に報道された、凄惨な事件があった。駅前広場に集っていたらしい、駅員・売店の店員を含む五十人の人々が、皆失血死していたというものだ。彼らの次の電車から降りてきた人々がその惨状を発見し、慌てて警察・消防に連絡し、現場が元通りになるのには、かなりの時間を要した。監視カメラは全て取り外されており、当時の状況を知る者がなく、原因は未だに解明中ということらしい。


 そこから生還した吹羅が全てを語ってくれた。犯人は『吸血鬼』だということ。自分も戦ったが敗北し、通りすがりの女神によってかろうじて助けられたこと。

 そして、『すでに吹羅にも手を打ってある』との王瑠の発言。これらから、先の事件の犯人は、この女性だということになる。


 彼女はそんな残虐なニンゲンだったということか? いいや、それは違う。吹羅の話によれば、吸血鬼は暴走していたそうだ。血が不足した吸血鬼が狂ってしまうというのは聞いた事がある。そしてその狂った吸血鬼は、『オーバーロード』と呼ばれ、普段の数倍の力を発揮するとも。

 王瑠はオーバーロードの圧倒的な力によって、自身の天敵である吹羅を葬り去ろうとしたのだろう。実際、それくらいはしないと、魔神の子(おれたち)を倒すことはできない。異形の帝王といえど、その力は半神には劣る。ましてや、"始原の五神(オリジナル・フィフス)"のうち二柱の子の血が入った半神など。


 そして、それだけ考えて、陽奈に命令を下したのだろう。それがどれほどの苦しみを伴うことか考えもせずに。ただ力関係だけを考えて決断を下したのだろう。


 奇しくも、吹羅は人通りが多いところを好む傾向にあった。自分が目立てるからだ。結局、たくさんの人が死ぬことに変わりはなかった。


 彼女が自害できれば、こんなことにはならなかっただろう。心臓を破壊されれば吸血鬼は死ぬ。杭で貫くなりなんなりすればよかったのかもしれない。

 だが、そこにはとてつもない恐怖がある。かつて理里も、人生に絶望したことがある。気が付いたら校舎の屋上から身を乗り出していたことがある。

 そこで唐突に怖くなったのだ。きっとすごく痛い、すごく苦しい。自殺した者は、永遠にその瞬間の苦しみを地獄で味わう事になると聞く。何からも解放されない。どこまでいっても孤独しかない。あいつのところに行けるわけじゃない。


 彼女のものは、『自分が死ねばたくさんの人が死なずに済む』……そんな葛藤。でも、それじゃあ、わたしは何のために生きてきた? 今日まで命を盾に脅されて、死ぬのが怖いから、生きてきたんじゃないのか?

 死にたくない。死にたくない。死にたく、ない――結果、彼女はその選択をしたのだろう。許されることだとは思わない。五十対一。天秤はあまりにも釣り合っていない。

 それでも、彼女は怖かった。ただ怖かった。この現世から離れるのが怖かった。本当なら、心臓が失われない限り永遠に生きていられる体なのに、その時間をこんなところで失ってしまうのは怖かった。


 そして、彼女は生きている。きっと満足はしていないはずだ。後悔しているはずだ。

ならば、殺した人間たちへの償いをして生きるべきなのだろうか? 自分のために、何も分からぬまま死んでいった人間たちのために、永遠の命を全て捧げるべきなのだろうか?


 ――それも、間違っていると理里は思う。


 俺たちは幸せになるために生まれてきたのだ。それはどの生き物も同じこと。生きたいと願った。その結果の人生が幸せのない真っ暗闇など、断じて許せない。

 運命だの天命だのというものは信じない。五十人が死んだのは全て彼女の選択の結果であり、彼女が怪原王瑠と出会ったのもまた、彼女の選択の結果でしかない。責任はすべて彼女にある。

 それでも、生きとし生けるものにはすべて、幸せになる権利がある。彼女は、金や名誉や恨みつらみ、はたまた享楽のために人を殺したわけではない。生きるために、そうせざるを得なかったのだ。

ならば彼女は、五十の命のぶん、幸せにならなくてはならない。それこそが彼女に課せられた義務なのだと、理里は思う。


 数分の間、彼らは互いに何も言わず、景色を眺めていた。ひゅう、と一際強い春の風が吹いたとき、陽奈は、やっと口を開いた。


「……キミは、今どんな気持ち?」

「そうですね……吐きそうです」

「ハハッ!」


 この結婚に対しての正直な感想を理里が述べると、陽奈は笑い声をあげた。

 そして、唐突に告げる。


「わたしね。昨日、『奴隷解放』を宣言されたの。……「おまえはもういらない」、だってさ」

「…………っ」


 何という男だろう、と理里は憤慨した。彼女がどういう扱いを受けていたのかは知らないが、好き放題しておいて、なんと無責任なことだろうか。


 しかし、当の陽奈は、思ったよりもドライだった。


「せいせいするわ。これでもうご主人様のために家事をしなくていい。これからは自分の、わたしの好きなように生きられるの。

 ――そう、思ってたんだけど。考えてみたらわたし、今まで自分の好きに生きてきてなんていなかったの。なんとなく親や先生の言われるままに勉強して、なんとなくそこそこの高校行って、そこそこの大学行って、派遣会社に就職してね。毎日、楽しいことなんてなかった。いつになったら終わるんだろう、って考えてた。でも、自分で終わらせない限り、わたしに終わりなんてなかった。わたしは死なないから。これほどの絶望はなかったわ。毎日、包丁で心臓を突き刺そうとした。でもできなかった。怖かったから。

 そんなとき、ご主人様に出会ったの。あの人は、お得意の手錠でわたしの命を握ったわ。そしてわたしに『奴隷になれ』って脅した。会社も辞めさせられた。家も引き払った。全部捨てさせられた。そうして、わたしはご主人様の奴隷になったの。

 それから今まで、四か月くらいかしらね。わたしは昨日まで、ずっとご主人様のために生かされてきた。本当、ひどい日々だったと思うわ。住み込みの二十四時間労働だし、労働環境は最悪、雇用主もわがままなゴミクズ野郎で、夜には女性にしかできないサービス業が待ってる。派遣社員だったころの方がまだましだってくらい。

 でもね。不思議とわたし、『生きてる』って感じがしたわ。こいつをいつか見返してやる、いつかこんなとこ出てってやるって、毎日悔しがって生きてたの。『生きたい』って、生きてて初めて思えたの。

 そのうちに、色んなことが見えてきたわ。あの人、加虐趣味は確かにあるけど、怒って理不尽な暴力を振るったりはしないのよね。変なところで優しいの。それに、何か影を持った人だな、っていうのも分かった。本質は弱くて柔らかいのに、愛する人を間違えちゃったのよ。それで苦悩もしたの。悩んで、悩んで、悩んで、そして壊れてしまったの。欲望に身を任せることでしか自分を保っていられないのよ、あの人。それに付き合わされるこっちは大変だったわ。

 でも、そんな日々とも今日でおさらば。――ねえ、少年くん。わたしはまた、終わりを望むようになってしまうのかしら」


 ドライだった……というのは、どうやら間違っていたらしい。陽奈は、「ほっ」とひとつ息を吐き出す。その様は、どこか悲しげで。


 どうしよう。こういうとき、どういう言葉をかければいいのか。


 俺だって、失恋くらいはしたことがある。でも、彼女のそれは普通のものとは違う。強引に全て捨てさせられて、でもいつの間にか好きになっていて、そしたら強引に自分が捨てられて。ただ、相手に振り回されて、それでおしまい。


 しかし、ここで俺がその相手を糾弾してしまうのは、彼女にとっていいことではない。彼女だってそんなことは知っている。了承済みの話なのだから。


 だと、いうのなら――


「……陽奈さんは、これでよかったんですか」

「? 何が?」

「王瑠兄さんが、奪われてしまって」


 どんな相手であれ、もうこの人は、彼の呪縛から逃れることはできないのだろう。それが彼女の幸せなのだ。

 だから、彼女は食い下がるべきなのだ。彼女は幸せにならなくてはならない。失ってしまった俺とは違って、まだ、手に入る余地があるのだから。


 陽奈は目を見開く。そして、一呼吸の後、再び笑顔になる。


 その笑顔からこぼれたのは、あまりに予想外すぎる言葉だった。


「じゃあ……少年くんが、わたしをもらってくれる?」

「……は?」


 思考が停止する。一秒、二秒、三秒……そして、時は動きだし。


「……お、俺は、ちょっと……も、もう、決まった人がいるのでっ」


 理里は顔を真っ赤にして否定した。


 別に、タイプじゃないとかそういうことじゃない。むしろこういう美人系はドストライクだ。あまりの気持ちよさに、キャッチャーミットにボールが入る前に主審が判定を下しそうなほど。


 だが、俺には他の人を選ぶことなんてもうできない。あいつより綺麗な人でも、あいつより優しい人でも、誰もあいつの代わりにはなれない。


 すると陽奈は、こつん、と、軽く理里の頭を拳で叩く。


「やーだ、冗談よ。やっぱりキミ、かわいいね」

「……そりゃどうも」


 どうして俺の周りには、こんなにお姉さんキャラが集まるのだろう。これまでに何度「かわいい」と評されてきたか知れたものではない。ただ、今のはその中でもトップクラスに胸が高鳴ってしまった。


「……そろそろ、式が始まる時間ね。それじゃ、また式場で会いましょう」


 バイバイ、と軽く手を振って、陽奈は階段の方へと歩いてゆく。


「………………!」


 ぼーっとそれを見送りかけて、我に帰る。

 まだ、何も解決していない。これでは軽く彼女にいじられただけだ。彼女のためにできることは、何かないのか。何か――


「陽奈さんっ!」

「?」


 陽奈は怪訝そうに振り返る。今だ、今しかない。


「その……俺の、奴隷になってくれませんかっ!」

「…………え?」


 陽奈は目を丸くしている。言ってしまってから、理里は、語弊のありすぎる言い方をしてしまったことに気づく。


「あ、いや、そういうことじゃなくて! その、俺の奴隷になれば、また王瑠兄さんと一緒に暮らせるでしょう? 母さんに相談すれば、なんとかしてくれると思います」


 それしか思いつかなかった。なぜだろう。彼女に『奴隷』という言葉を刷り込まれていたからだろうか。


 いや、そんなことはどうだっていい。そもそも彼女がここにやってきたのは、兄さんに未練があるからだ。兄さんと離れさせないためには、これが一番の名案だと思ったのだ。


 すると……陽奈は、吹き出した。


「うふっ……あははは、あっはははははは!」

「……あの、陽奈さん?」


 何がおかしいのだろう。俺は真面目に提案しているというのに。これが陽奈さんにとって最善の策だというのに。


「あははは……。……そう。わたしのこと、気遣って言ってくれたんだ。でも、『奴隷になってくれませんか』って……そんな、『付き合ってください!』みたいなノリで……あっはははは!」


 どうも、ツボにはまってしまったらしい。しばらく笑い続けた後、陽奈は平静を取り戻した。


「ありがとう、少年くん。……本当、バカなこと言っちゃって。そんなんでお姉さんが釣れるわけないでしょー」


「そうですか……」


 困ったような顔。でも、彼女はどこか嬉しそうだった。

 元気を取り戻してくれたのか。なら、断られたとはいえ、俺の努力も無駄ではなかった――そう、理里が諦めかけた瞬間。陽奈は、理里から少し目を逸らして、


「……でもね。お姉さん、ちょっとドキッとしちゃった。これはお姉さんの負けだなー」

「え……そ、それじゃあ」


 つまり、俺の提案に乗ってくれるということだろうか。


「ええ。キミの奴隷になってあげる。せいぜいこき使ってね、ご主人様」


 パチリ、と陽奈はウインクを決めた。……錯覚だろうか。今、心臓を銃で撃ち抜かれたような気がした。


「……それじゃ、行きましょうかご主人様。早く行かないと、式におくれちゃいますよ」

「あ……そうだ。俺、役割があったんだった」

「そうなの!? なら、なおさら急がなきゃ!」


 陽奈が先に立って歩き出す。理里もそれに続こうとした、その瞬間、


「いでぇ!?」


 理里は、自分の足につまづいて転んでしまう。


「何だってんだ……あっ」


 悪態をついて、ふと視線をやった左手首。肌身離さずつけている、白地に黒の水玉のシュシュが目に入る。


「……はいはい、分かってるって」


 こういうイベントが発生したときに、必ず起きてしまう天罰。もう慣れた。()()が、『わたしのこと忘れんなよ』と訴えているのだ。


「だ、だいじょうぶ……あっ」


 理里を案じて歩み寄ってきた陽奈にも、それは降りかかる。同じく脚がもつれて転ぶ陽奈。しかし、その先には、


「がはぁ!?」

「きゃあ!」


 倒れていた理里の上に倒れこみ、二人の身体がちょうど逆向きに重なる形となってしまう。これには、あいつも自分の住みかで『しまった』と悔しがっていることだろう。


「あいたた……ごめん、大丈夫?」

「ええ、まあ……」


 本当のことをいうと、腰のあたりに胸があたっていることとか、頭が太ももで挟まれていることとか、いろいろあって全然大丈夫じゃないが。その、珠飛亜以外の人間とここまで密着するのは、あんまり慣れてないだけだ。きっとそれだけだ、このドキドキの理由は。

 そんなことは特に気にするふうもなく陽奈は立ち上がり、パンパン、とスカートの裾を払って、今度こそ披露宴会場へと足を向ける。


「急ぐわよ、ご主人様!」

「はい!」


 新たな主従が、祝いの場へと駆けだす。



「で? あたしが、なんでこんなとこに呼ばれてるわけ」


 そうして、やっと冒頭の場面に戻る。

 新郎新婦を待つチャペル。多くの人が参列するそこで、神院(かんにん)優愛(ゆめ)は、不機嫌そうに、怪原希瑠に悪態をつく。


 優愛としては、いつものように喫茶店かどっかに行くつもりで連絡したのだ。すると、こともあろうにこいつは、『ちょうど母さんの結婚式があるから来ないか』と抜かしてきやがった。

 この男は女性がそういうフォーマルな場に出るのにどれほどの準備を要するか知らないのだ。おかげで急いで祝儀を用意して、それっぽいお高い服も買ってこなくてはならなかった。いや、それくらい常備しとけよという話だが。


「仕方ねーだろ。お前、断ったらめちゃくちゃ機嫌悪くなるじゃねーか。だからこうして呼んだんだよ」

「いやぁ……それは、そうだけど……」


 まあ、結果的にこいつに会えたのだから良しとしよう。定期的にこいつに会わないと……その、ちょっと寂しい。ほんと、ちょっとだけ。


「それでは、これより判家・怪原家の結婚式をとりおこないます」

「おっ、始まるわね」


 結婚相手については、希瑠は、ただ「年下のイケメン」だとしか教えてくれなかった。まあ、あのおばさんのことだから当然と言えるかもしれない。優愛でさえあの核爆弾ボディにはクラッとくることがある。


 でも、どんな「年下のイケメン」なのか……気になる。非常に気になる。


「なんだかんだ言って楽しんでんじゃねえか……」

「何か言った?」


 溜息をついた希瑠を睨み潰す。社会人に口答えするなど、ニートのくせになまいきだ。死すべし。


「それでは、新郎の入場です」


 ガタン、と、チャペル後方の両開きのドアが開く。会場の視線が集中する。

 現れたのは二人の男性。白スーツの方が新郎で、黒スーツの方は付き添いだろう。

 にしても、


「何あれ……」


 優愛は、否、会場の八割ほどの人間は、ぽかんと口を開けるしかなかった。

 あまりにも、二人の風貌は奇抜すぎた。小柄な、優愛とさほど変わらぬ身長の新郎は、そのぐしゃぐしゃの赤黒い長髪を後ろでまとめてポニーテールにしている。大きい目にはカラコンを入れているらしく、らんらんと黄色い目が輝く。女性か、はたまた少年かと見まがうほどの美貌を誇る男だった。


 だが、対する介添人は、新郎が霞んで見えるほどに強烈な風貌だ。希瑠のようにひょろ長いタイプなのだが、彼のそれより度を越している。二メートルはあろうかという背の高さにもかかわらず、手足は生まれたての小鹿のように頼りない。例えるならナナフシだろうか。


 首から上もまたアクが強い。黒い口紅、ごてごてのアイシャドー、そして紫と白の縞になったオールバック。こちらもまた、女性とも男性ともつかない顔をしているが、新郎のそれとは違ってセクシーさが漂う。


「いよっ、いい男ぉ!」

「てめーにゃスーツよりボンデージのほうが似合うんじゃねえのかぁ?」

「ぎゃはは、違ぇねえ! このドS王子!」


 それほどのインパクトがある二人を見ても動じなかった、というより騒ぎ出したのが残りの二割である。向かって左の列、後ろの二脚の長椅子。


 あのあたりに座っている人たちは、先ほどから気になっていた。何というか、カタギではない雰囲気があるというか……異様にごつい男たち。ほとんどが髪を染めていて、刺青(いれずみ)が入っている人も多数。最後列の、端の方に座る一人は、異様にリアルな(はえ)のマスクをつけている……。


「ねえ希瑠。もしかして新郎さんって……」

「バカ言え。そういう方々はもっときちんとしてらっしゃるよ」


 ……だよね。

 とはいえ、うるさいのは事実だ。残りの八割が少し不快に思いはじめた、その時。

 ぎろり、と、ビジュアル系のっぽの付添人がそちらを睨んだ。


「「「…………」」」


 途端に、彼らはおとなしくなる。


「……ねえ、やっぱり」

「だから、んなことねえって。そりゃ母さんは有無を言わさずって感じだったけどな……」


 一瞬、希瑠が遠い目をする。何かよくないことを思い出したらしい。

 そんなこんなしているうちに、新郎は神父さんの前までたどり着き。


「続いて、新婦の入場です」


 再び開かれるドア。そこに、現れたのは、


「………………うひょー」


 優愛の口からは、そんな感想しか出なかった。

 希瑠と同じくらい……百八十センチはあるだろう長身が、純白のドレスに包まれている。ベールの向こうの表情は凛々しく、まつ毛は長く唇は薄く、フィギュアのような、次元をひとつ超越した美しさだ。


 だが、最も度を越しているのはその胸の二つのふくらみである。たとえどんな格好をしても目だってしまうそれは、胸元の大きく開いたドレスによって、いつも以上に強調され、こぼれそうな様相を呈している。つらい。この後に自分の(カベ)に目をやるとかなりつらい。


 その腕をとるのは、紺のブレザーを着こんだ少年。

 それは、優愛も見知った顔だった。


「あら、理里くんなんだ。まあ、適任よね」


 かなり昔に母方の祖父母は亡くなっている、と前に希瑠から聞いた覚えがあった。となれば、理論上で言えば長男の希瑠があの場所に立つのが道理なのだが、それはこの男に関しては例外だ。こいつに務まるとは思えない。


「……はいはい、どうせ俺はニートですからね」


 希瑠が卑屈に呟く。多少は悔しがっているようだが、それは優愛の発言に対してのものだと、長年こいつと接してきた経験が告げている。


「あら。あんた、やりたかったんじゃないの? おばさんの付き添い」

「お前、その言い方だと介護みたいにならないか……。…………『俺の仕事じゃない』、って気がしてな。特に興味もなかったし」


 そう言って、希瑠は遠い目で恵奈を眺める。


「――――――――」


 聖書の一節が、神父から贈られる中、優愛は、希瑠の横顔を見つめていた。


「…………」


 ニートのくせにどっから用意したのか、お高そうなグレーのタキシードが、長身に映えている。ちょっぴり、ほんのちょっぴりだけ……か、かっこいい、とか、思ってしまいそうになる。

 仮に。あくまで仮に、こいつと結婚するとしたら。その時は、こんな結婚式にしたいなぁ……とか思ったりして。


 やっぱりキリスト教式のほうがロマンがあると思うのだ。建築にしても讃美歌にしても、雰囲気を作る事に関してはこの宗教は天才的だ。灰を溶かして同じ器の酒を飲む間接キスとかいう生ぬるいジャパニーズとは違う、さすがリア充の国の文化と言ったところ。白無垢よりはウエディングドレス、桐箪笥よりは指輪というのが優愛の見解である。


 だって、ほら、新郎も新婦もあんなに綺麗ではないか。元々どちらも和装が似合うタイプではなさそうというのもあるが、なんというか、あまりにも輝いているのだ。おばさんなんて、四十代のはずなのに、「おばさん」と呼ぶのがはばかられるほどだ。もはや神々しさすらある。


 新郎のほうも、中性的な顔が、凛々しくもありまた可愛らしくもある。ウエディングドレスを着せても違和感がなさそうな、年齢が全く読めない完璧な造形の顔立ちは、私なら即座にクラッときてしまいそうだ。


 あんなにも輝ける場所に。いつか……いつの日か、ふたりで立てたらいいな、とか。そんなことはちっとも考えてないけど、なんとなく目が離せずに、隣のバカの顔をいつまでも見上げていた。





 そして、対する希瑠はというと。


(………………)


 特に考えることもなく、ぼーっとその光景を見ていた。

 言いたいことはこの日が来るまでに全て言った。それでも母は折れず、弟もまた折れなかった。


 まだ、母さんのあの言葉が、耳にこだましている。



 ――ろくに働きもしないくせに、文句言わないでよ!



 思い出す度に、胸をえぐられるような気持ちになる。

 白状しよう。俺が今まで働かなかったのは、全て、母さんのためだった。

 十五年前……父さんは、あの戦いに出る直前、俺に言い残していった。


 ――希瑠。父さんが帰ってこなかったら、そのときは、お前が母さんを守るんだぞ。おまえは一番のおにいちゃんだからな。母さんを……みんなを、守ってやってくれ――


 今思い返しても、ベッタベタにベタなセリフだと思う。でも、ベタというのは、それが良いものだから、皆に使われて認知されているわけであって。


 この、ドラマでも映画でもアニメでも漫画でも何度も聞いてきたセリフが、俺の心に、悔しいけど響いてしまった。俺が父さんの代わりになるんだ、と。母さんをどんな時でも守らなくちゃいけないんだと。


 だから俺は、ずっと家にいることにした。母さんが寂しくないように、いつでも『おかえり』って言ってあげられるように、さすがに引きこもるってわけじゃないけど、でも、できるだけそれができるように。


 それは社畜になってしまっては叶わない。いつでも母さんに『おかえり』を言う事ができない。俺は父さんに託されたのだ。この家を、母さんを守ることを託されたのだ。


 そもそも、俺のような人間が社会に適合できるとは思えない。髪は生まれつき真っ白、私服はいつも露出度が高く、目は死んでいて、ガリガリで。こんな俺を必要とする企業が、女性があるだろうか、いやない。


 俺の居場所はここしかない。俺がどう望もうと、最終的に俺は今と同じニートになっていたことだろう。どうしても合わない場所というのはやはりある。俺の場合、それが『社会』だっただけの話だ。

 それが、俺は寂しかったのかもしれない。友達と呼べる人間など、今隣にいるチビの貧乳の年増ツインテールくらいのもので、そいつにだってめったに会えるわけじゃない。誰もいない俺は、恒常的に無条件に愛されたかったのだ。


 それを満たしてくれるのが母さんだった。母さんはいつも俺のことを思ってくれて、たまに毒も吐くけど、全面的に俺の味方だった。俺が、他の学生が就活を始めるころに、『働かない』と言った時も、「大丈夫よ。お金の心配はないし、いつまでもここにいていいわ。けるくんが出ていったら、寂しくなっちゃうしね」と、笑って許してくれた。いつだって母さんは俺の味方だった。俺を愛していた。そんな母さんが俺も大好きだった。このままずっと、母さんといられるなら、何もいらないとさえ思った。何の変哲もない、ただ流れていくだけの時間が幸せで、ずっとそこにとどまっている。子どものころの夏休みから何一つ変わってやしない。昼過ぎまで寝て、母さんがしょうがない顔で起こしに来て、朝昼兼用の食事を朝ドラの再放送見ながら、まぶたこすりながら食べて、ぐだぐだと漫画読んだりゲームしたりアニメ見たりして、でも家事の手伝いはちゃんとやって、『ありがとう』って言われるのが、その笑顔が嬉しくて、みんなで談笑しながらおやつを食べて、晩飯食べて、風呂入って歯磨きして、「おやすみ」を言う。笑顔で「おやすみ」を言う。そんな毎日が、ただ幸せで、幸せすぎて、もう出られなくなってしまった。


 だから、王瑠が母さんを犯ったときは、もうブチ殺してやろうかというほど逆上した。叩きのめして、吹っ飛ばして、それでも足りなくて、許せなくて、許せなくて、許せなかった。それであいつが帰って来なくなっても、自業自得だ、ざまあみやがれ、としか思えなかった。これまで生きてきてあいつを許したことなど一度もない。もし生きていたなら、次こそは確実に殺すと決めていた。それが母さんを悲しませることを分からなかったわけじゃない。それでも、あいつが生きていたら、母さんのためにならないと思った。


 だけど、それは違った。母さんはいつだって、自分の子どものことを考えている。それは、いなくなった者だって変わりはなかった。自分が何をされたって、自分はこの子たちを愛せる、愛し続けるという、強い母の姿があった。


 俺は、母さんを守ると言っておきながら、何一つ母さんを理解していなかった。俺が愛されていたのは、俺が母さんの子どもだからだった。俺が一番でも特別でもなんでもなかった。ただ、俺が一番長くそばにいただけのことで、思いあがっていたのだ。母さんの子どもである限り、誰だって平等だってことに気づいていなかった。

 あの言葉はきっと、そう難しい原理で言ったものではないと思う。ただそこに俺の弱みがあったから、それを手にとって、投げつけて、黙らせただけのことだ。元々それに悩んでいたわけではなくて、俺を止めるのに一番効率がよかっただけの話だ。


 だというのに、俺は傷ついた。深く傷ついた。いつも俺の味方だった母さんが、俺をたしなめることはあっても叱ったことなんてない母さんが、明確に俺を攻撃した。その事実に、どうしようもなく、打ちのめされてしまった。


(…………俺も、相当にヤベえマザコンだったってことだな)


 今さらになって、そんなことに気がついた。俺の人生を支えていたのは、母さんだった。母さんだけだった。なのに俺は、母さんを(つゆ)ほども理解せず、勝手に「守る」とのたまって、本当は一緒にいたいだけなのに、いつしか一緒にいたいだけになっていたのに、それに気付かなかった。俺は、今母さんの隣にいるケダモノと、何も変わらなかった。それなのに、同じケダモノを憎んで排斥した。


 俺はなんて愚かだったのだろう、と悟ったのが、その日の晩のことだった。俺には、あいつを嫌う資格なんてなかったのだ。俺は、あいつと根底で同じ存在だった。全く似ても似つかぬ、似たところなどない双子だと思っていたが、俺とあいつは、『魂』で似ていたのだ。

 思えば双頭の犬と三つ首の犬、真の姿では酷似している。『異形』の外見が、魂の性質を具現化したものであることを考えれば、俺とあいつはかなり近い存在だと言える。だというのに、俺はあいつを拒否していた。それは、同族嫌悪という名の諸刃の剣だった。最後には俺に返ってくるものだと、とうに分かりきっていたというのに。


「新郎怪原王瑠。あなたは、新婦怪原恵奈が、病める時も健やかなる時も、愛を持って、生涯支え合うことを誓いますか――」


「誓います」


 だから、もう俺は文句なんて言わない。王瑠の邪魔なんてしないし、母さんにこだわりもしない。


「新婦怪原恵奈。あなたは、新郎怪原王瑠が、病める時も健やかなる時も、愛を持って、生涯支え合うことを誓いますか――」


「誓います」


 俺は、母さんが幸せなら、もうそれでいい。


「それでは、指輪の交換に移ります」


 母さんが、手袋とブーケを理里に手渡した。その後、王瑠が司祭から金の指輪を受け取る。

 あの趣味の悪い指輪は、王瑠が事前に用意していたもので、龍の鱗を模した表面と、内側に彫られたふたりの名前が売りの逸品だ。魔の国でルシファーの一将校となっていたときに、悪魔に作らせたものだとか。呪いか何かがかかっていそうで心配だが……いや、あいつに限って、今さら母さんに危害を加えるようなことはないだろう……と、信じるほかない。


「――――」


 王瑠の手で、金の指輪が、母さんの薬指に通されてゆく。ほら、あんなに幸せそうじゃないか。父さんがいなくなってから、母さんのあんな笑顔、見たおぼえがない。


「――――」


 続いて、王瑠の番だ。こちらからでは、あいつの表情は読み取れない。だが、心なしか、母さんの手が触れるたびに痙攣しているように見えるが……きっと気のせいだ。


「誓いのキスです」


 母さんが頬を赤らめた、ように見えた。ベールに包まれたその表情は、少しぼやけていて、細かな肌色までは見えない。


 だが、そのベールも今、王瑠によって外されてゆく。


 ゆっくりと現れた、その素顔には――


「――――」


 涙が、一筋。二筋。つぎつぎと流れ落ちてゆく。


 母さんは笑顔だった。本当に、見たこともないほど笑顔だった。笑顔で、泣いていた。きっと、俺には理解できない幸せの絶頂にいるのだろう。


 でも、たとえ俺には理解できなかったとしても。母さんの笑顔が、俺の幸せなんだから。


「――――」


 王瑠が、意を決して、ゆっくりと顔を近づけはじめた。

 母さんが目を閉じる。少し緊張しているらしい。

 永遠にも感じられる数秒間。唇が触れ合う直前、母さんは、とても満たされたような顔になって――




「…………やっぱ無理だチキショオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――――――――ッッッッ!!!!!!」




 希瑠の頭の中で、何かがプツンと切れた音がした。


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