16. ブライダリー・ダークソーン その⑪
「兄さんっ!?」
視界の端でただひとりが起こした暴動に、理里は思わず目を奪われた。
「ウラアアアアアアアアアアアアア―――――――ッ!!!!!」
希瑠が雄叫びをあげて席から飛び上がり、ヴァージンロードに降り立つ。
「理屈なんか関係ねえ! やっぱり俺は納得できねえ! テメエみてえなクソドS野郎に母さんを渡せるかァ!!!!」
口上の後、希瑠は赤い絨毯を蹴って、呆気にとられる王瑠のほうに飛び出した。瞬間、彼の身体から、球体の結界が展開される。
「楽園の王!? 希瑠兄さん、王瑠兄さんを殺す気か!?」
理里が叫ぶ。だが、希瑠の耳にはもう何も入らない。
結界が、外側から暗くなってゆく。全ての光が、希瑠の右手に凝縮されてゆく――『魔殿超星』の準備だった。
さすがにそれはまずい、と理里も分かっている。いくら楽園の王が常人に見えないとはいえ、光の動きを操作する『魔殿超星』は、一般人にも見ることができてしまう。
だが、自分には何もできることがない。あの人を止めるには、理里の能力は強すぎ、また弱すぎるのだ。
"神蛟眼"の光は、照射された生物を石化して殺してしまうし、"崩戒の鎮魂曲"では、この式場ごと参加者全員がブラックホールに吸い込まれてゆくことになる。
しかし、身体ひとつで彼に立ち向かうには、理里のスペックは少し低い。希瑠は身体能力がこの家で恵奈に次いで高く、また異能の効果範囲の狭さから、近接戦闘には慣れている。これまでのほとんどの戦闘を左目に頼ってきた理里が、素手で敵う相手ではない。
血気にはやった希瑠は、あの空間内に何の法則も定めてはいまい。だが、この突拍子もない行動への驚きから覚めた者が何人いるか、そして、彼に敵う者が何人いるのか――
絨毯は決して長くない。理里が思考を巡らせる一秒、二秒、三秒、そのうちに、黒い球体は、もう王瑠の目の前まで来てしまっていた。
「――――――っ!」
今までの前提も吹っ飛ばして、考えるより先に体が動く。希瑠までの一歩、二歩、三歩。遠くない。拳が闇に溶け込んだ、その、瞬間――
闇は、チャペルの扉を突き破って吹っ飛んでいった。
「!?」
希瑠がチャペルの外の、鉄の門に激突し、どさりと地面に落ちる。気付いたときにはそんな状況だった。
「……我が朋友に牙を向ける者、断じて許すまじ」
くぐもった低い声が、理里の頭の少し左上から聞こえた。見上げると、そこには。
「この善き祝いの日に、怒り・憎しみは似合わぬ。疾く失せよ、下郎」
介添人の男と並ぶほどの二メートル近い身長、彼と比べて少し筋肉がついているように見て取れる細身の身体。それを包むダークスーツ。そして何より目をひく、あまりにもリアルすぎる蠅のマスク。
その奇妙な男は、蹴りを放った足を、タン、と絨毯の上に下ろした。
「なっ…………」
この男には見覚えがある。チャペルの末席、理里から見て右の最後列、あのいかつい男どもが密集した辺りの、端の方にいたヤツだ。
その距離を。希瑠よりも速く跳んできて、ここに降り立ったのだ。
誰もが男に目をひかれていると、王瑠の後ろにいた介添人が、一歩前に出る。
「ご苦労、ベル・ゼブブ」
「……っ!」
やはり。やはりそうだった。
ルシファーを含む全ての悪魔のうち、第二位の実力と地位を持つ悪魔、ベル・ゼブブ。もとは異界の主神であったとの噂もあり、一説にはオリンポス十二神に匹敵する権能をも有するとも言われる『蠅の王』。
この介添人は、魔王ルシファーである。王瑠の養父(養母)として、部下たちを引き連れて参加したのだ。
となれば、アザゼルやアスタロトなど、高名な悪魔たちが参列しているのは必定。その中にベル・ゼブブがいるというのは、当然のことであろう。
見た目で明らかに主張してはいたが……実際に確認すると、威圧感が半端ではない。ルシファーが放つのが妖気であるとするなら、彼が放っているのは闘気だった。
「あとで褒美をあげましょう。今晩、アタシの寝室にいらっしゃい」
「謹んで辞退させていただきます、陛下。某、かくのごとき趣味はござらぬので」
男は一礼する。
「なぁによ、失礼しちゃうわねェー。いいわ、下がりなさい」
「御意」
ルシファーの号令で、ベル・ゼブブは、自分の席へと壁際から戻っていった。
「…………どうしたのォ? 式を続けなさいな」
「……はっ!」
静まり返った場に、魔王の渋い声が響き渡り、神父は冷や水をかけられたように姿勢を正した。
「さ、さあ、誓いのキスを」
ルシファーが元の立ち位置に戻ったのを見て、理里も慌てて自分の位置に戻る。その頃には、王瑠と恵奈は、再び向かい合っていた。
「……少し邪魔が入ったけど。いいかな、母さん」
「ええ。もちろんよ」
騒ぎの余韻が残っていた他の客も、ルネサンス期の絵画のように美しいふたりに、一瞬にして目を奪われてしまう。
ほどなくして、ふたりは口づけを交わした。それは、母と子の愛だということすら忘れさせるほどに、絵になる一瞬。
……折召紫苑とも、こんな式が挙げられたなら。ふと考えてしまう。現世においては、それは二度と叶わない夢だと知りながら。
あと何年待てばいいのだろう? 俺の魂は、あと何年すれば天に召されるのだろう? 半神の命は、とても長い。神の血をわずかに引く恵奈でさえ、三千年たってもいっこうに衰える気配がない。
死にたいってわけじゃない。長生きするのはいいことだ。先に逝ったあいつの分まで、俺は楽しんで生きると決めたじゃないか。
それでも……ときどき、こういうロマンチックな場面に遭遇した時は、ふと恋しくなってしまう。数千年も待ってなんかいられない。夢でもいい、今すぐ、会いたい――
(…………何をバカなこと考えてるんだ、俺は)
制服の左袖をまくる。肌身離さずつけている、白地に黒の水玉のシュシュが、顔を出す。そっとそれを握る。
文字通り、『夜空の向こう』から、彼女は俺のことを見守ってくれている。いつだって見てくれている。それで充分じゃないか。
晴れた日の午後の結婚式が、少し切ない想い出になってゆく。
★
「恵奈さんおめでとー!」
「幸せになってねー!」
「いい嫁さん見つけやがってこの色男がぁー!」
様々な祝福の言葉と、米粒のシャワーを浴びながら、王瑠と恵奈は、チャペルの中から続いてきた赤絨毯の上を歩いていく。
「おめでとー!」
理里の左隣で楽しそうにしている珠飛亜も、無邪気にとび跳ねながら、恵奈に手を振っている。
こいつ、王瑠兄さんに何をされたのか忘れたのだろうか……歯と一緒に、記憶も飛んでったんじゃないだろうか。ちなみに、歯は差し歯にしたので大丈夫なのだが。
「りーくん、テンション低いよ? もっと上げていこうよ!」
「あ、ああ、そうだな……ははは」
ばしばしと背中を叩かれる。……まあ、楽しむべき時は楽しむのがいいのかもしれないな。よし……
「母さん、おめでとーっ!!!!」
ちょっと大きめの声で叫んでみる。
王瑠兄さんは、確かにいい人ではない。ここ半月一緒に暮らしてみて分かったが、今までに会った誰よりも、性格が悪い。人をイジるのを生きがいにしているような人だ。
だが、母さんに対しては仏のように優しい。希瑠兄さんがやっていれば絶対に手伝わない洗濯物干しも、母さんがしていたら全て引きうけてしまうし、家事が一段落した母さんに、いつのまにかコーヒーを淹れていたりする。普段の様子とは裏腹に、母さんに接している時の王瑠兄さんほど優しいヒトにも、俺は出会ったおぼえがない。
この家族でなら、きっと幸せになれる気がする。きっと、だいじょうぶ。
「……あれ? りーくん、その女は誰?」
瞬間、理里はギクリと身体を震わせる。
珠飛亜の反対側。理里の右隣に、腕を組んで立っている銀髪の女性の存在に、ついに気づかれてしまった。
「あー……いや、実はですね……」
「判陽奈よ。今日から理里くんの奴隷になりました。よろしくね♪」
言い淀む理里に代わり、陽奈が豊かな胸を張って自己紹介した。しかし、
「あちゃー……」
その行動で、またそんな内容の自己紹介で、理里が感謝の念を抱くわけがない。
「はあ? ドレイってどーゆーこと? りーくん、おにいちゃんに影響されてドSに覚醒めちゃったの? いや、それならそれで、わたしも対応はできるんだけどぉ……うふふふ」
「いや、誤解だ! これには深い深い理由が」
「言葉通りの意味よ? わたし、身も心も理里くんのモノですもの……そうですよね、ご・しゅ・じ・ん・さ・ま?」
「語弊のある言い方をするんじゃなあああああああい!!!!」
バチバチと火花を散らす二人。……こうなったら、もう誰にも止められない。
「ふざけんなよこの銀髪ババア? りーくんが好きにしていいのはわたし一人って決まってんだよ前前前前前世から」
「そんなこと誰が決めたのかしら? 最終的に選ぶのはご主人様でしょ」
「何をぉ!」
「闘る? うふふ」
「こら、やめろって!」
勇気を振り絞って、ふたりの間に割って入った理里が、どうにか珠飛亜を食い止めていた、その時――
ぽすっ、と、何かが珠飛亜と理里の腕の中に落ちてきた。
「何だこれ……あっ」
どうにか二人で受け止めたそれは、短く切った数本の白いバラをリボンで束にしたもの……要するに、ブーケだった。
……って、
「やったあ! ほらみて、やっぱりわたしとりーくんは結ばれる運命なんだよ! ほらみて、みて♪」
誇らしそうにブーケを掲げる珠飛亜。そして、
「…………こいつから、逃れることなんてできないのか……」
みるみる目の光が失われていく理里。その様子を見た陽奈は、
「あっはは、どうやらわたしの負けみたいね! ご主人様、お姉さんとお幸せにね!」
「冗談でもやぁめてくれええええええええええええええ!!!!」
白龍の慟哭が、昼下がりの空にこだまするのだった。
章冒頭にも書きましたが、この「ブライダリー・ダークソーン」の章は諸事情により、今後の展開にはまったく関係しておりません。こんな話があったのかも…というifのお話と捉えていただけると幸いであります。




