12. ブライダリー・ダークソーン その⑦
「「…………!?」」
あまりの衝撃に、理里と珠飛亜は言葉を失った。だが、希瑠はなおも続けた。ここで語りきらなくてはならないという、使命感に駆られているようだった。
「その日、こいつは風邪で学校を休んでいた。俺は少し憂鬱な気分で学校にいた。だが、三時間目が終わったときだ。暴風警報が発令されて、生徒はその時間で帰宅することになったんだ。最低だった俺のテンションは最高になって、意気揚々と俺は家に帰ってきた。驚かせてやろうと思って、こっそりとドアの鍵を開けて、なるべく音を立てないように廊下を歩いた。はじめはリビングに入って、「わっ!」と言ってやった。だけど、そこには誰もいなかった。お前たちは幼稚園に行っていたし、綺羅と吹羅は、母さんの部屋のベッドで寝ているのだろうと思った。そして俺は、こいつが風邪で寝込んでいた事を思い出した。看病しているのだろう、と、三階の俺たちの部屋に向かった。
部屋は静かだった。寝ているのかもしれない、さすがに驚かせては悪いと思って、特にノックもせず、俺は静かにドアを開けて、部屋に入った。
――何が起きているのか、分からなかったよ。母さんは、ちょうど今の俺とお前たちを合わせたような状態……手錠で床に押し付けられて、茨で縛られていた。意識はなく、服は破けていて、身体は傷だらけだった。そして……こいつは、そんな母さんを見降ろして、嗤っていたんだ。
その表情を見た瞬間、俺はもうじっとしていられなかった。楽園の王を展開して、『魔殿超星』を叩き込んだ。こいつは腹に風穴を空けられた。でも、まだ足りなかった。俺はこいつが母さんにしたのと同じように、倒れたこいつにまたがって、ただひたすら殴った。殴り続けた。気が済むまで殴って、『二度と母さんの前に姿を現すな』って、念を押して、窓から放り投げた。
俺は当分の間怒りに打ち震えていた。でも、数分経って、自分のしたことの恐ろしさに気付いたんだ。俺は傘も持たずに、大雨の降る外に出ていって、こいつの落ちた場所を見に行った。……でも、そこにこいつはいなかった。血痕すらも、雨に流されて消えていた。
部屋に戻ると、母さんが目覚めていた。母さんは泣いていた。なぜ泣いていたのかは俺には分からない。単純に怖かったのかもしれないし、『育て方を間違えた』と後悔していたのかもしれない。とにかく泣いていたんだ。俺も一緒になって泣いた。二人で、泣き続けた。少しして、俺は自分のしたことを母さんに話した。母さんは、まだ血とかいろんな液体が残る床を殴りつけた。床板には穴が空いた。それでも、俺を叱ったりはしなかった。ただ、「このことは、二人だけの秘密にしましょう」と言って、それから一人になりたいと言って、自分の部屋に引きこもった。その後に俺が母さんの部屋を通りがかると、すすり泣く声が聞こえた。必死でこらえながら、でも我慢できずに泣いている声だった。――それから、この話をしたことはない。『王瑠は消えた』ということになった。実際、消えちまったしな。お前たちには、頃合いを見て伝えようと思ってた。それがまさか……こんな形で、前倒しになるとはな。十二年もの間、どこで何していやがった」
希瑠は半ばあきらめたような表情だった。自分がした事を考えればこうなるのも当然なのかもしれない、と考えているのか、ぶっきらぼうな口調で王瑠に尋ねた。
「あぁー、そうだったね。窓から落とされた後、僕はしばらくして意識を失った。で、気が付いたら、得体の知れない部屋の中で寝転がっていて、その部屋の真ん中では、これまた得体の知れない男……いや、オカマが座っていてね」
「……お前、まじめに話しやがれ」
希瑠はあからさまにイラついている。が、王瑠は飄々とそれに答える。
「いやだなぁ、全て本当のことだよ? で、『お前は誰だ』って聞いたら、オカマは渋い声で、『アタシはルシファー。悪魔の女王よ、控えなさい』って答えたんだ」
「「「なっ…………!?」」」
これには、三人とも度肝を抜かれた。
悪魔の王ルシファー。もとは天使であったが堕天し、魔帝として冥界の辺境に自治区を作って君臨していると言われる。それが、こんなところで関わってくるとは。そしてオカマだったとは。
「ボクも最初は信じられなかったさ。あの堕天使がオカマだったなんて……でも、天使ってのは両の性を持つ完璧な存在だからねえ。それは肉体的にもそうらしくてさ、気分次第でどっちの見た目にもなれるんだよあの人。すごいよねえ……いや、そんなことはどうでもいいか。あの人はボクに目を付けていたらしい。実力か性的な意味でかは知らないけど……それで、こんなところで死ぬのはもったいないから、断りもなく誘拐しちゃったんだってさ。それからボクはルシファーのところで悪魔として過ごして、それなりの地位も得た。全悪魔の中で第三位だよ、まあまあすごくない? ……だけど、何か物足りなかったんだ。
――いないんだよ。隣に、母さんが。
ボクはこの家を追い出されてから、母さんのことばかり考えていた。夢に見なかった日はないほどだ。冥界でもいろんな女がボクにすり寄ってきたけど、ボクは一切興味がなかった。せいぜい珠飛亜みたいに、『おもちゃ』として遊んだくらいかなぁ。そして、やっぱり母さんがいない人生に意味はないと悟った。この世界に戻ってきてから、母さんを今度こそボクのものにするために、慎重に準備をした。そして今日、やっと帰ってきたというわけさ。
けど、母さんをボクのものにするには、キミたちはちょっと邪魔だ。母さんに愛されるのはボクだけでいい。ボクだけでなくてはならない」
王瑠は殺気を放つ。
「すでに吹羅にも手は打っている。アレと直接戦うのはさすがに分が悪すぎるからねえ……。これだけ異能を持っていても、無効化されたら何の意味もないし。だけど、兄さん…………
――あんただけは、母さんが帰ってくるまで待ってなんかいられないっ!」
「―――――っ!」
希瑠を貫き、縛る茨がぎりぎりと音を立てた。だが、希瑠に起きた変化はそれだけではない。
希瑠はうめき声をあげているように見える。だが、その声は全くこちら側に届いてこないのだった。
「兄さん……!?」
理里は混乱する。それを目の端に捉えた王瑠が、フン、と鼻を鳴らして説明しはじめた。
「ここが、この結界の中が、兄さんの『家』だというのなら。それはすなわち、ボクの家でもあるということだ」
そう。これこそが、楽園の王の唯一の弱点であった。
この異能はもともと、『自分の家に引きこもりたい』という希瑠の願望から生み出されたものである。すなわち、彼の家を『自分の家』と認識している人間であれば、彼と同じように、『法則』を書き加える事ができてしまうのだ。自分の家の主人が自分だと希瑠が認識していない以上、権利はそこに住まう誰にでも与えられる。
また、家庭内には『力の差』というものがある。その力の差によって、ここで得られる権利には優先度がつけられる。すなわち、家庭内での地位が高いほど、その強制力が強くなるのだ。「~できない」といったキャンセル系統の法則だけは、『認可』より『拒否』の方がエネルギーとして強いという魂の性質によって上書きできないのだが、その他であれば何だって行使できる。
そして、残念なことに、希瑠の家庭内での地位は『最低』であった。
「ボクは今、『この空間内の空気の流れの支配権』を得たぁ! 聞こえてないと思うけど、兄さぁん! 今、あんたの頭の周辺だけ、空気をなくしているんだよぉ!」
希瑠も、もちろんその権利を有している。しかし家庭内での地位が『最低』だと希瑠が深層心理で認識している以上、希瑠がその権利を王瑠に優先して行使することはできないのである。
「ボクが受けた苦しみを知れ! 孤独を知れ! 音のない世界で、一人寂しく死んでゆけえ!」
希瑠は静かに苦しみ続ける。瞳孔が開き、血管が浮き出し、頬は紅潮していく。
「やめろ……やめてくれ!」
理里は見るに堪えず、王瑠に叫んだ。しかし、
「うるさい、黙っていろ! 今、いいところなんだよぉ!」
新たに、頭の周りを覆って手錠が出現し、
「ぐあぁっ」
唯一多少の自由がきいた頭さえ、床に押し付けられた。
しかも、手錠はちょうど視界をふさぐようにかけられている徹底ぶりである。左眼の光が有機物にしか効果を発揮しない以上、これを破る手立てはない。
そうこうしているうちに、希瑠は口から泡を吹き始めた。白眼を剥き、頭ががくがくと揺れだす。
「きゃっははははははははははは! いいぞ、もっと苦しめ! 足掻け、もがけ! ボクに最高の死に様を見せやがれっ!」
希瑠の脳が、血管が、身体が、力尽きる、その寸前――
どさり。
「あぁ!? せっかくいいとこだったのに、誰、………………」
何かが落ちた音に水をさされ、声を荒げた王瑠は、時が止まったように、その場で固まった。
「ごほっ、ごほっごほっ! ……あ」
無酸素状態から解放された希瑠も、咳き込んでそれを見上げ、そして王瑠と同じように硬直した。
「王瑠、くん……? 王瑠くんなの…………?」
まず目に入るのは、自己主張の激しすぎるその胸のふくらみだろう。続いて、それの身長がかなり高いことに気づく。腰まで伸ばした黒髪、長い脚、圧倒的な黄金比によって構成されたその肢体。鼻筋は高く、目は少し細いが、まつ毛が長く、セクシーさをいっそう際立たせている。
この場にいる者全ての生みの親。怪原恵奈が、カバンを落として、呆然とリビングの入り口に立っていた。




