13. ブライダリー・ダークソーン その⑧
「…………くふ。くふふふふふ。きゃひ。きゃひひひひひひ。きゃひひひひ、きゃっはははははははははははははははははははははははははは!」
固まっていた王瑠は、唐突に笑い始めた。その顔は、これまでとは違い、愉悦ではなく、とろけそうな恍惚とした感情で崩壊していた。
「ああ、そうだよ……ボクだよ、母さん! やっと、やっと出会えた! ずっと、ずっとずっとずっとずっと会いたかった! これで……これでやっと、母さんと愛し合えるんだね!」
王瑠の目から、一筋の涙がこぼれおちた。
瞬間、恵奈の周辺の床から新たに茨が突き出すのを、珠飛亜は視界の隅に捉えた。
「あぶない、母さん!」
茨は恵奈の両腕を拘束しようとした。が、それらは、恵奈を縛りはしなかった。
恵奈が、王瑠の方に向かって駆けてきたのだった。茨は空を切って、ぽつりと、その場に残された。
恵奈は、そのまま彼を抱きしめた。
「なっ……母さんっ!?」
ここまで強気だった王瑠が、初めて本心からの、戸惑いの表情を見せた。当然の反応だろう。母親とはいえ、自分が傷つけた相手が、まさかこんなにも親愛をもって接してくるとは思わない。
「こんなに……こんなに、大きくなって……」
頭ひとつぶんほども身長差がある(もちろん、恵奈の方が大きい)王瑠を優しく包み込み、恵奈は涙を流した。
「どれだけ……心配、したと、思ってるのよ……! 一日も、あなたを忘れたことなんて、なかったわ……。あなたのことが、ずっと心配だった……もしかしたら、死んじゃってるんじゃないかって……何度も、あなたが無残な姿で道端に転がっている夢をみたの……その度に、わたし……怖くて、怖くて……」
この場にいる他の誰も、言葉を発することはできなかった。今は、絶対にこの人の邪魔をしてはいけないような気がして。
「でも、戻ってきてくれた……わたしの、わたしのかわいい子……十二年も、経ってしまったけれど……あなたはまだ、わたしを『母さん』って、呼んでくれる……?」
何があっても、弱さは見せようとしない人だった。映画を見ていて知らずに涙を流していても、『目にゴミが入っただけよ』って強がって。夫が消えても、息子が消えても、そんな苦しみはおくびにも表に出さない人だった。
その彼女の涙は、あまりにも大きな意味を持っていた。
「……何を言っているんだい。母さんは、いつまでもボクの母さんじゃないか」
そんな中で、当然のように答える王瑠は、心なしか慈愛に満ち溢れた神のようにも見えて。
けれども、希瑠はハッと気付く。
「母さん、そいつから離れろ! そいつに何をされたのか、覚えてないのか!」
そう、この男は彼女を犯したのだ。そして自分の愛のためであれば、家族さえも犠牲にすることは厭わないような男なのだ。この世で最低の悪党なのだ。
だが、恵奈は、
「黙っててっ! 何されたって、何をしたって、この子はわたしの子どもなの! わたしが愛してあげなくてどうするのよっ!」
これを一蹴した。
「そんなこと言ったって、このありさまを見ろよっ! 俺たちは、そいつに殺されかけたんだぞ! 同じ母さんの子どもを! そいつは、殺そうとしたんだぞ!」
なおも食い下がる希瑠。しかし、これが恵奈の怒りに火をつけた。
「うるさい! ろくに働きもしないくせに、文句言わないでよ!」
「………………………………」
これには、希瑠も全く反論できなかった。彼は、それきり何も言わなくなってしまった。
恵奈はそんな彼を気にも留めず、続けて王瑠に話しかける。
「ねえ王瑠くん、今はどこに住んでいるの? もしよかったら、またわたしたちと暮らさない?」
「「「はぁ!?」」」
これには、理里たちだけでなく、王瑠までも驚かされた。なお、希瑠はフリーズしてしまって動かない。
「母さん……いくらなんでも、それはちょっと……」
「うん……わたしも反対だなぁ……」
理里と珠飛亜がやんわりと拒否する。直球すぎると希瑠のように手痛い仕打ちを受けかねないからだ。
だが、恵奈の意思は揺らがないようだった。
「あなたたちが何と言おうと、これだけは譲れないわ。ここは家長としての特権を使わせてもらいます。反対するなら、今すぐこの家から出ていってもらうわよ」
「「えー……」」
問答無用であった。理里も珠飛亜も、何も言えなくなってしまった。
「どうかしら、王瑠くん……その、一瞬でもあなたを拒んだわたしを許してくれないのなら、仕方ないのだけれど……」
恵奈は心底申し訳なさそうに、王瑠に問いかけた。
「んー……そうだねえ……」
始め戸惑っていた王瑠は、いつの間にやら元の下品な笑みを再び顔に貼り付けていた。
何かたくらんでいる、と理里たちは即座に感じたが、今の恵奈には何を言っても無駄だ、とあきらめた。
しかし現実とは、時に想像を超えてくるもので。
「じゃあ、ひとつだけ条件がある」
「「!?」」
この王瑠の厚顔不遜な物言いには、さすがに理里と珠飛亜も黙っていられなかった。
「母さんが下に出てるからって、それはないだろ! 立場を考えろ!」
「そうだよ! 調子乗ってんじゃねー……あ、はい、すいません」
しかし、それらは恵奈の一睨みで圧殺されてしまった。
「なぁに? あなたともう一度暮らせるなら、なんだって聞いてあげるわ」
恵奈にはもう王瑠しか見えていない。普段は理知的な彼女であるが、家族が絡むとどうも理性を失ってしまうのだった。
このクズの口から何が出るか、と理里たちが案じていると、王瑠は、唐突に神妙な面持ちになった。
そして――彼は、再び皆の想像を超越したのだった。
「――ボクと、結婚してください」
「「…………はあああああああああああああああああああ!?」」




