冷風と共に現れし男
謎の男参戦です。
「うわあああぁぁ!」
また悲鳴。この青年は魔物に好かれでもしているのか。
「魔物はもう出ないって言ったじゃないかぁナツキちゃぁん」
今度は二匹だった。本当に最近頻繁に現れる。何かよくないものが魔物を刺激しているのか。ハンは思いつつ、男を助けに入った。
「!?」
今度は驚き過ぎて怖過ぎて、シンタは声が出せないらしい。
「助けてやるからじっとしてろよー」
ハンに言われるまでもなく、男は腰を抜かして動けないらしかった。
好都合。ハンは面を被り、絶対零度の空間に二匹を凍りつかせる。
「うわぁ!」
「!」
今回も楽勝だと思った矢先にまたまた悲鳴。咄嗟に振り返ると、三匹目が別の方向からシンタに襲いかかろうとしていた。
(間に合わない……!)
予想外の展開に強く歯を食いしばり、駆け出そうと身を乗り出すと、その身体にすっと風が吹きつけた。頬撫でる冷たい息吹。
枝葉の間から微かに漏れる光が何かに反射して、一瞬線を引いた。真っ白なその光は絶望的な空間に一筋の希望をもたらすもの。
魔物はすでに断末魔の叫びを上げ、倒れていた。
「油断するな!」
声に触発されてハンは自分の使命を思い出す。目の前で固まっている魔物二匹はまだ健在だ。
一つ呼吸をして、冷静になって仕事を終える。
さっきの声の主を目で追った。シンタの前に立ち見下しているのは痩身の男。旅人だろうか、裾の長いあせた灰色の外套を羽織っている。
「大事ないか?」
男の目はハンを追っていた。
「あ、ああ」
「その面……」
男の鋭い目がハンの顔から般若の面に移る。関心があるのか、右手を出して歩み寄ってきた。
ハンはその手を避けて、大切な玩具を触られたくない子供のように面を背に隠す。
「悪いけどこれは見せらんない。大事なもんだから」
「そうか。悪い」
男は執着など微塵も見せず、素直に手を引っ込めた。
(なんなんだこいつ)
先ほど吹いた冷風や静かな佇まいがそう感じさせるのか、ハンはこの男に冷たい印象を持った。しかし嫌な感じはしない。むしろこの男と会えて嬉しい。
(? なんなんだこれ)
初対面の相手に会えて嬉しいなんて、自分がどうかしてしまったとしか思えない。
「た、助けてくれぇ!」
シンタが耐えかねて男にすがりついた。
「あ、あいつはお、俺を殺すつもりなんだ」
「なっ」
「魔物に襲わせて俺を殺そうとしたんだ。頼む、助けてくれ!」
男の目がハンからシンタに移る。
ハンは自分でも意識しないままに叫んでいた。
「違う!」
いつものハンならまた呆れてさっさとどこかへ行ってしまうのだろうが、今日は違った。なぜだか、この男には誤解されたくないと思った。
「何度言えば分かるんだよ、俺じゃない、俺たちじゃないって言ってんだろ!」
男はシンタに向けていた視線をまたハンへと向ける。焦りを覚えたハンの顔を見てほんの少しだけ破顔した。
それを見ただけで、ハンは突然わきあがってきた焦りがすっと消えていくのを感じた。
(なんなんだ)
「この男は俺が村へ連れて行く。護衛は無用だ」
「あ、そうか? じゃ、じゃあ頼む」
それだけ聞くと、男はシンタに手を貸してなんの未練もなくその場を立ち去ってしまった。
男が行ってしまうと、今までハンを支配していた思いが嘘のようになくなり、今度は淡い寂しさを覚えた。
会えて嬉しく、悪い印象を持たれたくなく、笑みに安堵し、別れは寂しい。この感情は……。
「俺は恋する乙女じゃねっての」
見られて恥ずかしいわけではないし、顔が赤くなったわけでも、心臓が早鐘を打ったわけでもない。こんなものが恋とは到底思えないが、自分で導き出した答えに、ハンは自分で呆れてしまった。
「……変なやつ」
男も、そして自分も変。
「黒髪と……紫の瞳は珍しかったな」
* * * * *
夜になると魔物の出現は多くなる。姫たちが守ってくれるが、さすがに視界も悪くなるので危険だ。だからナツキは、日が暮れる前に山を下り始める。
今日はナツキが山に入ったことがばれているだろう。シンタが知らせていたら、だ。そしてその確率は高い。父ハルキの額に青筋が浮かんでいる姿を、ナツキは容易に想像できた。
「昨日の今日だもんね。見逃してくれるわけないか」
観念して村に帰った。父が部屋の前で仁王立ちしているのを覚悟で。
しかしナツキの部屋にハルキの姿はなかった。
「おっかしいなぁ」
恐怖に戦いていたシンタが村で手当を受けながら騒いだとしたら、村中にナツキが森にいたことが知れ渡っていてもおかしくないはずなのに。
疑問に思いながらも得した気分でいると、ハルキの笑い声が聞こえてきた。今日は何やら上機嫌らしい。
耳を澄ますと、居間から賑わいの騒々しさが聞こえてくる。
ナツキはきしむ板張りの廊下をそっと進み、居間に向かった。
「いやいや、本当に助かりました。うちの用心棒では歯が立たないところだったのですよ」
戸をそっと開けて中の様子を窺う。
村の主だった顔が並んでいた。中央に父と知らない男。女たちは持て成しに忙しい。
(何かあったのかな?)
宴ということは、たぶん中にいる見知らぬ男の歓迎会だろう。よそ者を嫌う父にしては珍しい。
ナツキはもっとよく見ようと顔を近づけた。
時。
狭まっていた視界が突然開け、ナツキは前のめりになった姿勢を維持できずに前方へつっこんでしまった。
ごん、という音が床に響き、活気に満ちた部屋が凍ったように静かになる。
「な、ナツキちゃん?」
凍りを溶かしたのは、ナツキがいるとも知らずに戸を開けたシンタだった。ナツキは打った顎を押さえて起き上がると、慌てて姿勢を正す。
「ど、どうもこんばんは……」
誰も何も言わない。気まずくなったところに父の怒声が木霊するのだろう。
しかし。
「帰っていたのかナツキ。ほら、お前も村の恩人を持て成しなさい」
怒声どころか滅多に聞かない歓迎の声が聞こえて、一瞬ポカンとしてしまったナツキは、父の気が変わらないうちに素直に従った。
「この人は村を魔物から救ってくれた恩人だ。失礼のないようにな」
だからか、とナツキはさっきの疑問の答えを見つける。この男は村を救ったから、村のためにしてくれたから歓迎されている。
マリとハンのことを考えたら、不公平だと思った。
嫉妬から、ナツキは角が立たない程度に適当な酌をする。
すると、男の紫色の瞳と目が合った。微笑まれる。
「!?」
それがあまりに印象のいい顔で、ナツキは酌に集中する振りをして顔を伏せた。顔が赤くなっていくのが分かる。そういえばここ何年か、男の人を意識することがあまりなかった。免疫がない。
「娘さんですか」
男は興味を持ったのか、ナツキの方を向いたまま、ハルキに問いかけた。
「お恥ずかしい限りですが、そうです。ナツキといいます。これが不肖の娘でして」
ナツキは自分が話題にされたことでさらに恥ずかしくなって、悟られないように顔を斜めに逸らした。
「不肖とは?」
「あ、ああ、気にせんでください。親の言うことを聞かない反抗期、というだけです。それより、先ほどの話、考えてはくださいませんか?」
ナツキは俯いたまま下がって、やっと顔を上げた。離れれば別に問題はない。
「悪い話ではないですね。しかし私の力が及ぶかどうかは分かりませんよ」
「ああ、いいのです。できる限りやってもらえればそれで」
「……捨て駒ですか?」
口をつけて離し、その猪口を眺めながら言う男に、ハルキの媚びた顔が一瞬固まる。
男はハルキを見ていない。代わりに薄っすら口角を上げて笑ったのを、その一瞬の嘲りを、近くにいたナツキだけが見ていた。
しかしそれも、すぐに元の状態に戻っていたので他の人には気づかれていない。
「冗談です。では明日、早速その山へ向かいましょう。誰かその娘たちのところへ案内してくれれば迷わずにすむのですが……」
「ああ、それなら心配いりません。ナツキが」
話がいけない方向へ進んでいるような気がしてきて、ナツキは二人の会話に口を挟む。
「ねえ、お父さん。一体何の話をしてるの?姫たちに会いに行くってまさか……」
「そうだ、お前が姫とか言ってるあの化け物どもを山から追い出していただくんだ。決まってるだろう?」
溢れる悲しみと怒りで、ナツキは反射的に叫んでいた。
「なに言ってるのよ! 違う! 違います、お父さんの言っていることは全部でたらめです!」
ハルキを睨みつけてから、ナツキはいつの間にか男に訴えかけるような眼差しを向けて、にじり寄っていた。
男は眉を潜める。
「姫たちは敵じゃない。村を救ってくれてるの!あなたが救ってくれたのと同じなの!お父さんが勝手に敵視してるだけよ!」
「……どういうことですか?」
男はナツキの言も考慮に入れてくれいているようで、ハルキに怪訝な表情を向けた。
そんな顔を向けられても、ハルキに動揺はなく、呆れたように息をつく。
「こいつはあの山に住む奴らに毒されて言っているだけです。気になさる必要はありません」
「違う! 恩人さん、姫たちはいい子たちなの。お父さんは得体の知れないものが嫌いだから追い出したいだけなの。信じて!」
「部屋に戻りなさいナツキ」
「いやっ」
「戻りなさい」
ハルキは無理矢理ナツキを立たせると、村人に命じて宴会の間から退出させた。
ナツキの悲痛に訴える声がまだ聞こえている。
「いや、本当にじゃじゃ馬でして。お恥ずかしいところをお見せしました」
「……」
ハルキは誰にも聞こえないように舌打ちした。猜疑心を持たれてしまったのは言うまでもなかったからだ。
「みんな、今日はお開きだ」
嫌な雰囲気が流れ始めたと思った矢先の素早い行動。
居間にはハルキと男だけが残された。
「ナツキの言ったことこそでたらめです。現にシンタは今日、その娘にやられて足を怪我して帰ってきました。あなたも見たでしょう?」
「……」
真実を探し始めた男を見て、ハルキは最終手段に出た。
「……なんですかこれは」
男の前に、小さな袋が差し出される。
「ほんの気持ちです」
手に取り振ると、中で鈍い金属音がした。金貨ではない。おそらく石と装飾品の類。
「なるほど」
男は目を閉じた。旅人である男には、この地域で使われている貨幣よりも宝石の方が利便性に富んでいるし、値打ちは地域でそれぞれだが謝礼を上乗せする手段としても用いることができる。
初めにいい値を出すと言いながら、男が渋ればそれをちらつかせて願いを聞き入れてもらう。これがハルキのやり口。宴をお開きにしたのも、村人が稼いだお金を賄賂に使っていることを隠すためだ。
「これは受け取れません」
ハルキは少なからず驚いたよう。何人か立ち寄った旅人には同じ手口で成功していたのだろう。成功を見ない例は初めてと顔に書いてある。
ぐっとつまったハルキに、男は袋を膝元に返す。そしてそのまま近づき、耳打ちした。
ハルキが固まる。
「……ナ、ナツキ、ですか?」
「はい」
一瞬理解が及ばず反応が遅れてしまったのは、男が顔に似合わない要求をしたからだった。しかもその対象が、ナツキ――実の娘とは。
「いやいやいや、ナツキはまだ十七の小娘ですよ?男を喜ばせるようなもてなしはとてもじゃないが……この村にはもっと美人もそのあたりの気立てがある者もおります。そちらの方が……」
男は喉の奥から、感心したような息を漏らした。
「意外ですね。今のあなたのやり口や娘に対する態度から、娘でも容易に利用する酷い父親を想像していたのですが、大事に思う心はお持ちらしい。しかしその代わりに村人を犠牲にする、ですか。……今までもそうやって、裏で誰かを蔑ろに?」
「な……」
突然の非難に戸惑いを隠せず、ハルキのよそ行きの顔が剥がれかける。
「何をおっしゃっているのか、よく分かりませんな」
「恨みとは、表からは見えずとも、裏では育っているものです。知っていますか?ここより栄えた国では独裁者は新しい者が上に立つ時、必ず首をはねられるんですよ。相当な恨みを買っているためにね。それを独裁者も知っているから、権力を維持しようと意固地になって悪循環。今はその姫たち、の存在が村人の意識を団結させていますが、いずれ邪険にしたツケは回ってきます。……まぁ、ここはそうならないかもしれないし、なるかもしれない。ただの忠告と受け取ってください」
焦りから、ハルキの顔が段々と青ざめていく。身に覚えがあるのだろう。
「こ、この話はなかったことに……」
都合が悪くなれば、掌を返して白紙に戻すのも彼の自己中心的な性格を表したやり口。この短期間で、男はハルキをかなり分析している。
「あれだけの宴会を皆の前でし、依頼しておいて、それはおかしな話になりますね?」
「……」
「恨みを増幅させてあなたの命を危険にさらすか、身内を犠牲にして村の懸念を排除し、村人を救うか。簡単な話じゃないですか。ナツキさんをここにいる間貸すだけで、信用を取り戻せるかもしれない」
一度ではすまない、というハルキにとっては爆弾発言に等しい言葉が、彼の顔をさらに歪める。
対照的に男は、わざと穏やかに笑って見せた。
「ご心配なさらずとも、悪いようにはしませんよ。彼女が私のことを気に入ってくれるのなら、この村から連れ出す、という道もありますし。それならばなんの問題もないでしょう?」
男はハルキにとって痛いところを確実についていく。
動揺と困惑と苦悩に苛まれている村長の顔を見て、男の形のいい口元にうっすらと揶揄の色が乗った。
「さあ、答えを」
最後の方に男が話した独裁者の末路、ですが、あれって実話なんだそうです。
いらん豆知識でした(笑)
次回、ナツキの運命は!?