悔恨その2
ジェラルドはガルシアの部下からもたらされた凶報を聞き、呆然としていた。
「……ロイドの娘夫婦が、あの教団の手先だった?そんなバカなっ!」
至急自身の部下に娘夫婦の履歴を洗い直すように指示を飛ばす。
加えて州騎士団をシェイロ村に向かわせ、周辺の捜索を命じた。
だがフェリークについては自身が関わる事が可能でも、他の州までは無理だ。
何度か法具で森と連絡をとろうとしても、混乱しているのか全くとれない。
“闇”と呼ぶ暗部がもたらした第一報以降、情報は一切途絶えていた。
「クロエ……お前は無事なのか?どうか無事でいてくれ……!」
ジェラルドは今すぐにでも森へ向かい自分も孫娘を捜したかったが、今の自分にそれは許されない。
先ずはフェリーク現領主であり、今は中央で財務大臣の要職に就いている自身の息子のライモンド、そして近衛騎士団と王都騎士団に各々所属している孫の双子達に凶報を伝えねばならない。
……そしてクロエの実の両親にも。
だがインフィオラーレに報をもたらすのは、もう少し詳細を掴んでからだ。願わくば孫娘の無事を確認してからにしたいと、ジェラルドはキツく目を閉じて思う。
苦悩するジェラルドの元に彼の腹心の部下である騎士の2人、シュナイダーとテオがやって来た。
2人の表情も固く、この凶報に少なからず動揺しているのは明白だ。
ジェラルドが2人に命じる。
「……聞いている通りだ。だが詳細が未だ全く掴めない。
シュナイダー、お前は儂に付き情報の統括を頼む。
テオ……今すぐ森に向かえ。お前は配下の若手騎士の中で最も森の事情に精通している。森の様子とガルシア達の様子をお前の目で確認してきてもらいたい。
そして……その後お前にはインフィオラーレに向かってもらうことになる。アレの素性を……お前とシュナイダーには伝えている。インフィオラーレもお前達2人については承知しておる。
この後お前には過酷な任を負って貰う事になる。頼めるか?」
ジェラルドの沈痛な面持ちに腹心の2人は
「「ハッ!」」
と胸に手を当て了解の意を示す。
テオは手を下ろすと直ぐに主に尋ねる。
「直ぐ森へ向かいます。よろしいでしょうか?」
「あぁ、頼む。だが補給が出来るかどうか解らぬ。用意を万全に。
何なら馬でなくとも構わぬ。馬車を……」
「いえ、森までの道には詳しいので、補給は自分で何とかします。馬車ですと時間がかかりすぎます。今は何よりも早く、あちらに行かねばなりませぬから」
「……そうか、すまぬ」
「いえ、では御前失礼」
一礼するとテオは踵を返してその場を離れた。
シュナイダーが重苦しい表情でジェラルドに尋ねる。
「……まさかロイドの娘を取り込んでいたとは。ですが娘婿の身元については奴自身、問題ないと報告していた筈です。
……確かアラベラの職人通りに店を構えていた棟梁でしたね、父親は。今はもう亡くなっていて、店も弟子が引き継いでいるのだと。
失礼ながら先程そのハーシュとやらの調査報告書を確認して参りましたが、ごく普通の、いや寧ろ職人の息子にしては学の有る者だと云う印象を受けました。
それ以外には特段目を引くような記述はありませんでしたが……」
ジェラルドがシュナイダーの言葉に小さく頷きながら、苦り切った声で話す。
「そうだ。儂自身、ロイドには全幅の信頼を置いている。奴が儂に虚言など口にする筈が無い。故にアレが認めた男なら問題はないと思っていた。
一応調査もしたが、ロイドの言葉を裏付けるものでしかなかっただから疑いなどしなかったのだ。
……しかし、事は現実に起こってしまった。あの子を森に隠して7年。7年もの間一切森から出さず、今日初めて一歩外に出したのだ、初めて!
その直後にこんな……!奴等はいつから狙いを森に定めていたのだ!
……全ては儂の、儂のせいだ。儂の考えが甘かったからこんなことに!
クソッ!何という事だ……クロエ……!」
ジェラルドは歯軋りしながら前髪を片手でグシャリと掴み、悔恨を口にする。
シュナイダーはそんな主を痛ましげに見つめていたが、直ぐに表情を引き締めて彼に進言する。
「……ジェラルド様、ここでこうしていても始まりません。先ずはライモンド様に至急の連絡を入れなければなりませぬ。
既に騒ぎはこの地の騎士達の知るところとなりました。ですがあの方の真の素性を彼等に知られてはなりません。あくまであの方は森の、ガルシア殿の子として事に当たらねば。
でなければこの件はフェリークはおろか、インフィオラーレ、そして王宮をも揺るがせる事になります。
……情報統制を厳密にする事が急務且つ必須です。
ライモンド様とマティアス様、リュシアン様に連絡後ただちに部隊の再編成並びに情報の統制を図ります。
……宜しいですね?」
シュナイダーの言葉に力無く頷き、執務室に足を向ける。
「……シュナイダーよ、我等はあの子を森から出してはならなかったのか?あの子を守るにはそこまで忍耐を強いねばならなかったというのか。
ただ普通に過ごさせてやりたいだけなのだ。本当にただそれだけなのに、あれにはそれすらも許されないのか。未だ7つなのだぞ……。
何故あればかりがその様な思いをせねばならないのだ……!」
ジェラルドの心の悲痛な叫びをシュナイダーは沈痛な思いで聞く。
主の後に従いながら、彼は静かに私見を口にする。
「……あの方は本当に類い稀な方です。能力もそうですが、その人となり全てに於いて。
もしあの方の存在が明るみになれば、他の領地はおろか恐らく他国までもがその身を手中に収めんが為、直ぐにでも魔手を伸ばしてくることでしょう。
……失礼ながら我等はあの方の価値を計り間違えていたのかもしれません。
外に出すと云う選択肢は最初から持つべきではなかった。辛い事かも知れませんが、あのまま森の中で穏やかにこの先も過ごして頂くべきでした。
又あの方の心は強くしなやかでいらっしゃいます。誠心誠意事情をお話しすれば、あの方ならきっと御理解なされた筈。御納得の上で森の中でお過ごし下さったと思うのです。
……それが酷な事だとわかっています。ですがこのような事態を招く位なら、一番にあの方の平穏を願うなら、その酷な選択をすべきでした……!
ですが今はその様な話をしている時ではありません。
既に魔の手は到達し、それから逃れんが為、あの方はお力を使われてしまった。
……後手に回った我等に打てる手は多くありません。捜索すら恐らくままならぬ事となるでしょう。勿論打てる手は全て打ち、小さくとも捜索は続行致しますが……。
ですがあの方の存在の秘匿だけは何としても守り抜かねばなりません。
非情ですが、あの方の家族を守るためにもそれが優先されます。それがひいては領地を守ることにも繋がる。例えそれがあの方の切り捨てに見えようとも、存在を公にする訳にはいかないのですから。
……お許しください、この非常事態にこのような血も涙もない事を申し上げる事を。
ですが私は貴方の腹心の配下。聞くに耐えぬ非道な話もせねばならないのです。
……後から幾らでも罵倒されましょう」
シュナイダーの進言にジェラルドは力無く首を横に振る。
「……わかっておる。其方は儂の弱き心を叱咤し、引っ張りあげてくれる稀有な部下だ。テオもそう。……ロイドもそうであったのだ。そうであった筈なのに、何故このような事になったのか。
一体何時から儂は見落としていたのだろうな、この事態の予兆を。
こんな儂が其方を罵倒など出来るわけが無い。其方の進言通り、今はやらなければならぬ事をやろう。
執務室に入る。直ぐに結界を張り、各所に報を流すぞシュナイダー。
……インフィオラーレへは直接テオを向かわせる。それまで詳細は伝えぬ事とする、良いな?」
「仰せのままに」
やがて執務室に入った2人は、心乱しながらもその凶報を主たる者達に伝えるべく法具を発動させたのだった。
所変わって、王都のフェリーク領主ライモンドの邸宅。
法具の発動を確認した執事は、主のライモンドに急ぎその旨を伝えた。
ライモンドは
「父からの通信?……まさか母上の具合か!」
と母のグレースの体調の悪化かと緊張する。
法具のある部屋に一人籠り、結界を張った後、法具に魔力を流し受信する。
やがて法具の上方に水鏡のような光景が浮かび上がり、そこには父と父の腹心が立っているのが見えた。
父だけではなく、腹心のシュナイダーが直ぐ脇に控えていることに、ライモンドは違和感を持つ。
「父上、どうなされた?法具を使うなど珍しい。そちらで何が起きたのです?」
開口一番、ライモンドはジェラルドに斬り込む。
ライモンドの声掛けにもジェラルドの表情が厳しいまま変わらないことに、更に彼は不審感を持つ。
「……母上に何か?」
ライモンドが低い声で父に答えを促す。
ジェラルドはその問いに小さく首を横に振って否定した後、重い口を開いた
「……最悪の知らせだ。“黒”が動いた」
「なっ?!」
途端ライモンドの顔が驚愕で歪み、声ならぬ声をあげた。
「……“闇”より先程報があった。ロイドの娘が“黒”に取り込まれていた。……今日、アレが初めて外に出たところを狙われたのだ。
アレと師の行方が分からぬ、との火急の報だ。その直前、アレが娘夫婦に追い詰められどうも力を使ったらしいのだが、要領を得ない。加えて双方に怪我人も出ているようだ。
その後の詳細については未だ届かぬ。捜索の為騎士団を一部向かわせ、同時にテオを森へ向かわせている。
……だがあくまでアレはガルシアの娘だ。捜索は限定せざるを得まい。
捜索の騎士団をこの後再編成し、情報の統制を掛ける。
又テオが戻り次第、向こうに向かわせる予定だ。アレの事情を知る者が向かわねばならぬからな。
ともかくお前には伝えたぞ。
……悪いが至急ブライアンへお前から伝えて貰いたい。但し向こうには未だ詳細を掴むまで知らせるなと。
後、双子と……共にいる筈の“兄達”にも伝達を頼む」
「承知した。……今、他に私が出来ることはあるか?」
「……“黒”のねぐらの様子を至急確認してくれ。既に動きがあるのなら、向こうには相当な術者がいると見なければならない。
“闇”より早くこの報が伝わる筈が無いと思いたいが、楽観は出来ぬ。
娘夫婦の身柄は確保しているが、取調べは此方に移送されてからになる。奪われぬよう最初に向かわせた者達に警護させ、その上で護送させる。
……以上だ。何か聞きたいことはあるか?」
「……いや、聞いたところで未だ詳細が解らぬのなら意味はなかろう。此方も直ぐに各所に報を伝える。
その怪我人は誰か判らないのか?」
「一人は子供との事……恐らくコリンだ。怪我の程度までは判らぬが」
ライモンドが苦悶するように目を
瞑り、吐き捨てる。
「クソッ!子供に何てことを……下衆共が!」
「立場上、儂はここを動けん。今すぐにでも向かいたいがそれは出来ぬ。なので双子を寄越して欲しい。出来るか?」
「此方も手駒が必要だが……しかし奴等ならそちらへ向かうと言うだろうな。
とにかく向かわせられる者は直ぐに発たせる。暫し待ってくれ」
「了解した。……此方も早く詳細を掴み、追って知らせる。
もし“黒”に何らかの動きがあれば連絡を頼む」
ライモンドは父の言葉に大きく頷き、通信を切った。
法具が動きを止めたその場に彼は立ち尽くす。
「可哀想に……クロエ、今お前はどこにいる?
一体奴等はお前に何を吹き込んだ……あんなに愛している家族と離れる決意をせざるを得ない、どんな酷い脅しを受けたのだ。
頼む、どうか無事で居てくれ……お前の母であるアナスタシア、コレット達の為にも!
おのれ……クロエを追い詰め、コリンを傷付けた下衆共よ。
貴様等には必ずこの私、フェリーク領主ライモンドが直々に報復してくれよう。我が愛し子達が受けた数々の非道、貴様等に何倍にもしてきっと返すぞ!
この理不尽に我等にもたらされた怒りと悲しみの対価は、貴様等の薄汚い命と断末魔で購って貰う!
首を洗って待っているが良い……!」
歯を軋ませ怒りに震える拳を握り締めたライモンドが、虚空を睨み吼えた。
そして表情を引き締めると、踵を返して荒々しく部屋を出ていった。
……凶報を彼の息子達、そして姪の兄達と実の父に伝えるために。