第七節 ― 水面から呼ぶ者、海底から返す者
七錨を壊さずに止める。
言葉にすれば、それだけだった。けれど実際にやろうとすると、何をどうすればいいのか分からない。
ルカは七本の巨大錨を見上げた。黒鉄の表面を黒銀の光が走り、床下へ伸びた爪は、そのまま目に見えない古層へ突き刺さっている。
人工の錨。その下には、本来そこにあった古い流れ。二つは重なり、絡み合っている。だから単純に切り離すことはできない。
「ミラ=セレイでは、あの街の《次》を呼んだ」
ルカが呟くと、隣にいたエルンが頷いた。
「僕は下を押した」
「うん。それで外れた。でも、一本だけね」
今度は七本ある。しかも、それぞれが独立しているわけではなく、中枢から同時に命令を受け、異なる七つの流れを同じ方向へ固定している。
ルカは床へしゃがみ、人工構文が走る溝へ手を近づけた。触れずに、表面だけを読む。
流れている命令は単純だった。
戻れ。留まれ。変わるな。
同じ意味が形を変え、何度も何度も送り込まれている。
「これを反対にすればいい?」
「反対?」
「開く方へ」
エルンは床の奥を見つめた。
「たぶん、それだけじゃ駄目」
「どうして?」
「上から開けって言っても、下が閉じたまま」
少年の指が、人工構文からさらに床下へ向く。
ルカは少し考えた。
「じゃあ、エルンが下を開く。私が上を開く」
「うん」
「同時に?」
「たぶん」
「また、たぶん」
「分からないから」
いつもの調子で返され、ルカは苦笑した。
「そうだね。今回は私も分からない」
それでも進む。
分からないから止まるのではなく、分からないまま道を探す。少し前に、自分でそう決めたばかりだった。
*
「それを行えば、古層との接続がさらに強くなる可能性もある」
背後から低い声が届いた。
振り返ると、ヴァルカが静潮指揮杖を持ったまま、少し離れた場所に立っていた。
「止めないんですか」
「止めてほしいのか」
「そういう意味じゃないです」
「君たちが古層へどこまで干渉できるのかは、私にも確認する価値がある」
「それで七錨を完成させる?」
「可能なら」
迷いのない返答に、ルカは眉を寄せた。
「私は外すためにやるんですよ」
「結果は、構文が決める」
「嫌な言い方」
「事実だ。人工七錨は、今も古層へ一方的な固定命令を流している。君たちが反対側から古層を動かせば、接続が強化される可能性も、逆に切れる可能性もある」
「どっちか分からない?」
「ああ」
ルカはヴァルカを見た。
この男でさえ分からない。
古い海の仕組みを模倣し、これほど巨大な装置を作り、海域全体へ作用させた本人でさえ、その下にあるものの本来の働きまでは読めていない。
「じゃあ、やるしかないね」
ルカが立ち上がると、ヴァルカはわずかに目を細めた。
「危険だ」
「ヴァルカさんが言います?」
「危険性を伝えることと、選択を止めることは同義ではない」
ルカは少しだけ目を瞬いた。
それから、口元をわずかに曲げる。
「それ、覚えておいてくださいね」
「何を」
「今言ったこと」
ヴァルカは答えなかった。
*
七錨格納区には、人工構文を監視するための上部環と、その下へ降りる保守階層がある。
さらにその下に、記録図には載っていない層があった。
そこだけは、エルンにしか分からない。
「ここから下」
少年が、第三錨と第四錨の間にある黒い床を指した。
「階段ないよ」
「階段じゃない」
「じゃあ?」
「読む」
ルカは少しだけ顔を曇らせた。
「身体はここにいる?」
「うん」
「戻れる?」
エルンは一瞬だけ答えなかった。
「エルン」
「戻る」
「本当に?」
「ルカが呼ぶから」
あまりにも普通に言われて、今度はルカの方が返事に困った。
「……私?」
「うん」
「私が名前を呼べば?」
「戻る」
そんな簡単な話なのだろうか。
けれど、エルンは本気だった。彼にとって名を呼ばれることは、もしかすると自分の居場所を示されることと同じなのかもしれない。
「分かった。絶対呼ぶ」
「うん」
「何回でも」
「うん」
「返事してね」
「聞こえたら」
「そこは絶対って言って」
「絶対」
「よし」
エルンが少し笑った。
*
ルカは上部環へ、エルンは七錨の中心へ。
二人は離れた。
距離にすれば、それほど遠くない。声を張れば十分届く。
けれど、これからエルンが読むのは、この格納区そのものではなかった。
少年は七本の錨が作る円の中央へ座り、片手を黒い床へ置く。
「始める?」
ルカが上から訊く。
「うん」
「無理なら止める」
「ルカも」
「私は大丈夫」
「顔白くなったら止める」
「見えるの?」
「たぶん」
「たぶん多いなあ」
エルンは目を閉じた。
その瞬間、表情から少しだけ人の気配が遠のいた。眠ったのではない。意識そのものが、深いところへ沈んでいった。
*
水はなかった。
それでも、エルンには沈んでいるように感じられた。
格納区の床も、人工錨も、黒銀の構文管も、ゆっくり遠ざかっていく。その代わりに見えてきたのは、光とも文字とも違う、音に近い暗い流れだった。
ずっと昔から海の底を通っていたもの。
その上へ、七本の黒い杭が深く刺さっている。
一つ目は浅い。波に近く、船腹を押すような音がそこで止められていた。
二つ目はさらに深い。沈んだものがどこにも行けず、同じ暗闇へ留め置かれている。
三つ目には、遠い光の気配があった。星と海を繋いでいたはずの何かが、一本の線へ縫い止められている。
エルンは一つ一つに名前をつけなかった。今は必要なかった。
ただ、閉じている。
それだけ分かればいい。
四つ目へ近づいたところで、胸の奥が少し痛んだ。
「……っ」
名前が多い。
沈んだ名。まだ呼ばれている名。呼ぶ者を失った名。眠ったままの名。
その全部が、動けずにいる。
耳を塞ぎたくなるほどの気配が押し寄せてくるのに、今のエルンには耳を塞ぐ手さえここにはなかった。読むしかない。
*
「エルン?」
上部環から少年を見ていたルカは、その顔色が少しずつ悪くなるのに気づいた。身体は動いていない。それでも、呼吸だけがわずかに浅い。
「聞こえる?」
「……うん」
返事が遅い。
「今どこ?」
「下」
「それは知ってる」
「四つ」
「四つ?」
言葉の意味は、なんとなく分かった。
七つのうち、四つ。
「無理しないで」
「まだ平気」
ルカは不安を飲み込み、自分の仕事へ戻った。
目の前にあるのは、上部環の中枢盤。そこから七本の黒銀線が、それぞれ巨大錨へ伸びている。
けれどルカが読むのは錨そのものではない。
そのさらに外側。
七錨によって止められているものだ。
「流れようとしてる名」
格納区には名札が並んでいるわけでも、潮鏡があるわけでもない。海面すら見えない。
それでも七錨の構文管は、海域全体へ繋がっている。
ならば、逆に辿れる。
ルカは第一の黒銀線へ指を触れた。
「っ……」
冷たい。
その向こうから、膨大なものが一気に押し寄せてくる。
船。潮。漂流物。声。名札。
全部。
読むな。
ルカは自分へ言い聞かせた。
個々の名を覗いてはいけない。誰なのか。どこから来たのか。何を失ったのか。それは今、知る必要がない。
探すのは一つだけ。
「行きたい方」
《還名航法》と同じだった。
名前を目的地にするのではない。名そのものが、今もどちらへ動こうとしているのか、その残りを読む。
「……いる」
押し返されている。止められている。
それでも完全には諦めていない。
ほんの少し、外へ。次へ。
行こうとしている。
「聞こえてるなら、名前は言わなくていい」
ルカは静かに呼びかけた。
何百、何千、もっと多くの知らない名へ。
「どこへ帰るのかも、私に教えなくていい」
誰かの秘密を読む必要はない。
「ただ、行きたいなら――こっちに道があるって、思い出して」
指先へ少し力を込める。
その瞬間、黒銀の線がわずかに震えた。
*
深いところで、エルンが顔を上げた。
水面など見えない。
それでも遠い上から、何かが届いた。
ルカの声。
言葉そのものではなく、呼ぶ方向。
上へ。
外へ。
行っていい。
そんな細い道が、暗い底へ伸びてくる。
「ルカ」
エルンが呟く。
四つ目の暗い層で、止められていた名がわずかに動いた。
けれど、動ききれない。
底側が閉じたままだ。
「こっち」
エルンは、沈んだ名のさらに下へ意識を潜らせた。
押し上げるのではない。無理に浮かべることもしない。
その名が自分で上へ向かえる、古い道を探す。
「あった」
細い。
閉じられている。
けれど、消えてはいない。
エルンはそこへ触れた。
「上に行っていい」
道が、ほんの少しだけ開いた。
*
上部環で、ルカが息を呑んだ。
第一錨の構文管、そのさらに奥に、黒銀ではない色が見えた。もっと薄い、白い筋が一瞬だけ浮かんでいる。
「エルン?」
「聞こえてる」
「今、開いた?」
「少し」
「やっぱり!」
ルカはすぐ別の構文線へ手を移そうとした。
「じゃあ同じことを――」
「待って」
エルンの声が弱い。
ルカの手が止まる。
「どうしたの」
「下へ行く」
「今より?」
「うん」
「大丈夫?」
「分からない」
ルカの顔が強張った。
「なら止めよう」
「まだ」
「エルン」
「まだ六つある」
「全部やらなくてもいい」
「全部止まってる」
「でも――」
「ルカ」
少年は目を閉じたまま言った。
「僕も決める」
ルカは言葉を止めた。
ミラ=セレイで、自分は言った。
誰かの未来を勝手に決めない。
ヴァルカにも言った。
本人が選ぶのだと。
なら、エルンにも同じでなければいけない。
「……分かった」
ルカはしばらく迷ってから答えた。
「でもね」
「うん」
「帰ってくるところまでが、自分で決めたことだからね」
少し間が空く。
「うん」
「そこ忘れないで」
「分かった」
*
五つ目へ入ると、エルンの呼吸はさらに浅くなった。
そこにあったのは、船が海へ残したものだった。
どこから来て、どこへ行ったのか。そうした航跡の影が何本も、同じ場所へ戻され続けている。
エルンには船そのものの名までは読めない。それでも、帰ろうとする音なら聞こえた。
「ルカ」
声を出す。
「うん」
遠い上から、すぐ返事が届いた。
「呼んで」
「呼んでる」
「もっと」
「分かった」
ルカの声が強くなる。
個々の船名を呼ぶのではない。
名が、航跡が、今日へ進もうとする方角を呼ぶ。
「昨日じゃない!」
ルカが叫ぶ。
「今いるところから、行っていい!」
エルンの口元が、ほんの少しだけ緩んだ。
「聞こえた」
底側から道を探す。
閉じた根。押さえられた古い流れ。
そこにある。
「返す」
細い白い道が、また上へ伸びた。
*
六つ目へ入った瞬間、格納区の床に座るエルンの身体が大きく揺れた。
「エルン!」
少年の手が床を掴む。
「っ……」
「戻って!」
「まだ」
「顔見てから言って!」
青白い顔。額には汗が浮き、唇からも色が失われている。
「六つ目?」
ルカが訊くと、エルンはかすかに頷いた。
「浮いてる街」
「ミラ=セレイ?」
「いっぱい」
ミラ=セレイだけではない。
止められた南方の浮上都市たち。位置。祈り。本来なら動いていた街。そのすべてから返ってくる圧力が、エルンへ重なっている。
「深すぎる?」
「まだ」
「その言い方、もう信用できない」
「本当に」
「じゃあ次は?」
訊いた瞬間、エルンが完全に黙った。
ルカの胸が冷える。
「エルン」
返事がない。
「エルン=カイオ」
少年の肩が、小さく動く。
「聞こえる?」
「……聞こえる」
ようやく返事が来て、ルカは息を吐いた。
けれど、その次に聞こえた声は、これまでと違っていた。
「次、行きたくない」
ルカは初めて、エルンがそう言うのを聞いた。
「じゃあ行かなくていい」
迷わず答える。
エルンは目を閉じたまま、首を横に振った。
「怖い」
「うん」
「知ってる気がする」
ルカは息を止めた。
その先は訊かない。
今は、訊いてはいけない。
「思い出さなくていいよ。今は」
エルンの指が床を強く掴む。
「でも、閉じてる」
「うん」
「ずっと閉じたままになる」
「それでもエルンが壊れたら意味ない」
「壊れない」
「分からないでしょ!」
「分からない」
「じゃあ――」
「ルカも、分からないって言った」
また、自分の言葉を返された。
ルカは黙った。
「分からなくても、道を探すって」
「それとこれは違うよ」
「僕には同じ」
エルンはゆっくり顔を上げた。目は開いていない。それでも、ルカのいる場所をきちんと向いている。
「僕の底だから」
その一言で、ルカは何も言えなくなった。
エルンの底。
自分にも、ヴァルカにも、勝手に決められない場所。
「……無理なら戻る」
ようやくルカが言う。
「うん」
「私が名前を呼んだら返事する」
「うん」
「絶対」
「絶対」
「それから――」
「まだある?」
「ある」
ルカは、少しだけ笑おうとした。
「一人で全部やったみたいな顔しない」
エルンの眉がわずかに動く。
「どういう顔?」
「終わったら教える」
「分かった」
*
七つ目へ、エルンは沈んだ。
今までとは違った。
深くなったのではない。
距離というものが消えた。
上も下も、前も後ろも、急に意味を失う。
暗い。
けれど、海底の暗さとは違う。
音はない。それなのに、何かがずっと鳴っている。
知っている。知らない。帰りたい。近づきたくない。
相反する感覚が一度に胸へ流れ込み、身体そのものが痛んだ。
「っ……!」
胸元で鐘片が鳴る。
ちりん、と一度。
「エルン!」
ルカの声が遠い。
「エルン=カイオ!」
今度は近い。
名前。
今の名前。
「返事して!」
「……いる」
声が自分のものかどうかも分からない。
それでも答える。
「ここ」
「どこ!」
「分からない」
「じゃあ戻って!」
戻る。
その言葉へ、七つ目の底が反応した。
ぞくり、とエルンの全身が震える。
「だめ」
「何が?」
「引く」
「何が!」
「底」
ルカは上部環の手摺を強く握った。
下にいるエルンの身体は、どこにも沈んでいない。それなのに影だけが床の中へ深く入り込んでいくように見える。
「エルン!」
「大丈夫」
「全然大丈夫じゃない!」
「でも、道ある」
七つ目の暗い場所で、エルンはそれを見つけた。
白く、細く、閉じている道。
けれど、消えてはいない。
ほかの六つと似ている。それなのに、何かが違う。
何が違うのかを読もうとすると、自分の胸が先に鳴った。
「触らなくていい!」
ルカの声が届く。
「戻って!」
エルンは目を閉じたまま、ほんの少し笑った。
「ルカ」
「何!」
「水面、呼べる?」
ルカが止まる。
「呼べるよ」
「ここからでも?」
「呼ぶ」
「聞こえないかも」
「聞こえるまで呼ぶ!」
その返事に、エルンの笑みが少しはっきりした。
「じゃあ、返せる」
「エルン」
「僕、一人で開けなくていい」
ルカの胸が強く鳴った。
「ルカも、一人で全部還さなくていい」
前に自分が言った。
全部を救えない。全部を還せない。
それでも、道なら探せる。
「二人なら?」
ルカが訊く。
「分からない」
「そこは格好よく言ってよ」
「でも」
エルンは、暗い底の向こうでルカの声が来る方向へ顔を向けた。
「君が水面を呼ぶなら、僕は底から返す」
七錨の低い音が、一瞬だけ遠くなった。
ルカは目を見開いた。
水面から呼ぶ。
海底から返す。
考えてみれば、ずっとそうだった。
初めてエルンと海へ出た時から、ルカが水面へ届く名を呼び、エルンが沈んだ名を底から押し上げてきた。
あの頃は、ただそれぞれにできることをしていただけだった。
今は違う。
互いが相手の存在を前提にして、ひとつの道を作ろうとしている。
「分かった」
ルカは上部環の構文盤へ両手を置いた。
「じゃあ私、水面、全部呼ぶ」
「全部は無理」
「そういう意味じゃない!」
「分かってる」
少しだけ、いつものエルンだった。
それだけで、ルカの肩から余計な力が抜けた。
「エルン」
「うん」
「戻ってきて」
「うん」
「一緒に」
「うん」
*
ルカは七本の構文線を同時には読まなかった。
一つずつでもない。
見るのは、その外側。
七錨によって行き先を失っている名の群れ。
潮の上へ、水面へ、上がりたがっているもの。流れたがっているもの。まだ次へ行こうとしているもの。
「名前は言わなくていい」
ルカは声を出した。
格納区の天井、そのはるか上にある海面は見えない。
それでも呼ぶ。
「どこへ行くのかも、私に教えなくていい」
帰る保証もない。
辿り着くかどうかも分からない。
「ただ、行きたいなら――止まらなくていい」
指の下で黒銀の線が震えた。
一つの線の奥に、かすかな白が浮かぶ。
続いて二つ目も揺れる。
まだ錨は外れない。
けれど固定命令の下に、今までなかった別の流れが生まれ始めている。
*
エルンは底から、その声を受け取った。
上へ道がある。
なら、返す。
一つ目。沈んでいる側へ。
「行っていい」
二つ目。
「上にいる」
三つ目。
「呼んでる」
四つ目。
「戻らなくてもいい」
言ってから、少し違うと思った。
「進んでいい」
五つ目では、船の影が過去の航跡からほんの少し離れた。
六つ目。止まった街の下で、古い道が小さく動く。
そして七つ目。
触れるだけで、身体がまた震えた。
「っ……」
「エルン!」
「いる!」
今度はすぐに返事をした。
「聞こえてる!」
上からルカの声。
「じゃあ返して!」
「うん!」
七つ目の底にある、正体の分からない古い何か。
エルンは、それを読もうとはしなかった。
自分との関係も、今は知らなくていい。
必要なのは一つだけだった。
道が閉じられている。
なら。
「開けるんじゃない」
エルンは呟いた。
自分一人ですべてを開くのではない。
「返す」
本来そこにあった流れる方角を、道へ返す。
*
その瞬間、七本の巨大錨が一斉に震えた。
ごおおおおん――。
これまでとは音が違った。
固定命令が流れるたび鳴っていた、重く閉じた響き。その奥へ、別の音が混じっている。
人工七錨の下から、白く細い七本の構文光が浮かび上がった。
「反応が……」
ヴァルカが低く呟いた。
初めて、その声に明確な揺れがあった。
黒銀の固定線と、古い白線。
二つが重なっている。
向きは逆。
これまでは黒銀の方が一方的に押さえ込んでいた。けれど今は、下から返す力があり、上から呼ぶ力がある。
七錨はその間で、初めて本来とは異なる流れを受け取ろうとしていた。
「エルン!」
ルカが叫ぶ。
「聞こえる!」
「まだいける?」
返事はすぐには来なかった。
一呼吸。
二呼吸。
やがて、かすれながらも確かな声が返る。
「一緒なら、いける」
ルカは笑った。
構文盤を両手で掴む。
「じゃあ、ここから一緒」
エルンも、床の下へ沈む古層へ両手を伸ばすように意識を深く沈めた。
「うん」
七本の黒い錨。その下に、白い道がある。
まだ何一つ外れてはいない。海も眠ったままだ。
それでも、水面から呼ぶ声と、海底から返す声が初めて七つすべての流れを挟み、同じ場所へ届いた。
ルカは構文盤の向こうにある見えない海を見つめるように、ゆっくり目を開いた。
「始めよう」
底からエルンが答える。
「うん」
その返事とともに、七つの古い道がかすかに外へ向かって脈を打った。




