表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真珠のコルヌコピア  作者: 猫目石琥珀
猟犬の武勲譚
43/43

6話 汝、ダマスカスの薔薇




 夕刻が迫れば、定期市(フェア)の客や商人は散っていった。

 遠方からの商人はどこぞに宿を借りに行く。

 俺たちは城の厩を借りると話が付いているが、他にも大所帯の一行も残っていた。

 身なりは鮮やかだが、寄せ集めだ。脇が紐締めになっているチュニックや高い帽子はイベリア風で、前合わせの服はイスラム風。ちぐはぐに纏っていた。

 楽器を抱え、轡をはめた熊まで連れている。

 南方から訪れた大道芸の一団だろう。

 ペトロニラからの話に聞くところによれば、エドマンドの若君は享楽に耽っている。豊かではない領地に芸人が長居する様子なのは、城のお抱えを狙っているのだろうか。

 芸人たちは火を焚き始めていた。

 小さいが赤々と尽きぬ焚火をみなで取り囲み、椀で麦酒を酌み交わし始める。ハーディガーディ(シンフォニア)の旋律や、太鼓の律動が、耳に届く。

 回されているハーディガーディは軋み混ざりだから、ろくな調律がされてない。歌っているフランスの娘も調子はずれだから、音楽そのものより、衣服の派手さと熊の曲芸が主軸かもしれない。

 耳障りな音色だ。

 抜歯屋も顔を顰めている。

「下手だな」

 その率直さは失礼の範疇に入るが、反論する気持ちはない。むしろ同意寄りな心情であった。

 早く厩に入れないものか。

「また客人か」

 抜歯屋の呟きに促されて、道へ視線を動かす。

 城下から、馬に跨った旅人が訪れた。

 夕暮れの昏くなった光に照らされているのは、異郷の身なりの男だ。

 縞模様のターバン。広い袖のチュニックには、ムーア人風の刺繍のついた朱の飾り縁。青ざめて擦り切れたサーコートを纏っていた。

 背中に負った革包みは、リュートのかたちをしている。

 ムーア人の吟遊詩人だろうか?

 ……それにしては靴がフランス製だな。

 ふくらはぎ丈の騎馬ブーツで、先端を尖らせる詰め物がしている。

 そもそも跨っている馬も、体格からして見事なアラブ馬だ。黒々とした毛並みの艶に、馬具は白革鞣しで贅を凝らしていた。

「定期市の黄昏も風情があるな」

 ターバンの陰から零れた囁きは、美しく、妖しく……艶やかだった。

 男らしい低い声なのに、ぞっとするほどの魅惑が宿っている。

 言葉を交わすためだけなら、これほどの美しさを要するだろうか。聖歌や聖句のために、神から与えられたのではないか。そうでなくば、こんな美しさが人の声帯に宿るものか。

 大道芸人たちも気圧されたのか、誰も何も言えなくなっていた。

 ただ焚火が爆ぜる沈黙の中、ハーディガーディを抱えていた若者が立ち上がる。

「定期市に間に合わなかった負け惜しみか。あんたも城のお抱えを狙ってきたのかい? リュート弾きか?」

「いや、これはリュートではない」

 ターバンの男は背中の革覆いを外す。

 リュートによく似ていたが、異郷の透かし彫りが入っていた。

琴柱(フレット)、どっかに落としたのか?」

 ハーディガーディの若者が問う。からかう口調を装っているが、ターバンの男に少し気圧されているのは横目でも分かった。

「もとから無い。これは聖地の楽器だ」

 ターバンの男は、リュートに似た弦楽器を掻き鳴らした。

 摩訶不思議なほどに指は巧みに弦を弾き、押さえ、音を紡いでいく。

 

 

 歌の一節。

 断片に過ぎない歌が、夕暮れに満ちる。

 彼から紡がれる音律が、世界そのものになってしまったようだった。

 


 大道芸人たちのひとりが、惚けていたのか椀を落とした。麦酒の入った木椀だ。

 落ちて、石に跳ね、焚火へと転がる。焚火にぶつかって、火の粉が散った。

 火の粉が舞って、曲芸熊の鼻先まで届く。

「ガゥウッ」

 曲芸熊は大きくかぶりを振った。

 轡を付けられているが、巨体の毛が逆立っている。

「おい! やばいやばい、鎖、鎖っ!」

 軽業の小男が叫ぶ。

 歌い女が悲鳴を上げる。

 熊を押さえているはずの鎖の杭が、抜けかかっていた。男たちは楽器を放り出し、棒で曲芸熊を押さえつける。

 だが、曲芸熊がかぶりを振った瞬間、すっぽ抜けた鎖がうねり、鞭のように撓う。

 うちの驢馬も動揺して、抜歯屋が宥めにかかる。

 ある程度距離を保っていた俺たちはいいが、向こうの馬や驢馬は哀れに怯えていた。男たちがなんとか獣を御そうとするが、熊は抗うばかりだ。

「うぎゃっ!」

「ひゃっ」

 熊の重い鎖が、近くの男たちを打ち据えてしまった。

「可哀想そうに」

 ターバンの男は呟いて、リュートめいた楽器を鞍に預けた。

 事も無げに、不機嫌な曲芸熊に近づく。主を失った鎖が、じゃりじゃりと振り回されていた。

 鎖は地面を打ち据え、風を斬る。もしもぶつかれば肉は裂けてしまう。

「楽師は下がってください」

 俺が前に出ようとすれば、ターバンの男は手だけで制した。

 命じなれている挙措だ。

「私は楽師ではない」

 さっきまで弦を弾いていた手が、荒れ狂っている鎖を掴む。鎖が軋み、鉄の匂いが流れる。

 そういえば彼は、独りでここにきた。

 追い剥ぎや狼が出没しかねない荒れた街道を、ただ独りで。

 非力な楽師ではない。

「強いて言えばサアーリーク……盗賊詩人か」

 知らない単語。聖地の響きを含んだ囁き。

 熊が暴れているのに、この男の囁きに意識と視線が奪われる。

「どうどう。大丈夫だ」

 鎖を引き、曲芸熊と力比べをしているようだ。

 熊が力の限り暴れているのに、片手だけで持っている鎖は微動だにしない。ぞっとするほどの怪力だ。

 暴れ熊の力をいなし、踊るように御する。そう、舞いだ。異国の舞い。

 彼の血肉が旋律で作られているように、動きは音楽そのものだった。

「お前はやんちゃだな」

 熊の鎖を握りながら、楽しそうに笑っている。

 元々、人慣れしている熊は、彼の笑いに感化されたのか、しだいに落ち着きを取り戻した。火花が鼻先にぶつかって驚いただけなのだろう。おとなしくなる。

 その隙に、芸人たちが鎖を杭で留めた。今度は厳重に。

 ハーディガーディの若者はおもしろくなさそうな顔で、鼻息を荒げた。

 部外者に自分たちの熊を御されたのが、矜持を傷つけたのだろうか。

「ふ、ふん。ま、こんくらいオレらだけでも出来たけど、お節介に感謝はしといてやるよ。そっちも麦酒のお恵みくらい期待してんだろ」   

「差し出がましい真似だったかな。すまない」

 美しい声で語りながら、乱れてほどけかかったターバンを取る。

 夕映えに銀髪が煌めいた。 

 豊かな銀の輝きが零れ落ちる。褐色の肌に。



 ──髪は磨かれたばかりの銀器みたいで、腰まで伸ばしている──

 


 ──サラセンの血が入っているらしくって、膚は浅黒い──

 

 

 ──背丈はあんたより少し高いね──



 ──三十路を越したばかり──




 ペトロニラから教えられた容姿が、耳の奥で蘇る。 

「だが麦酒は結構だ。私のために酌を望むなら、城で待ってるものたちの後にしてくれ」

 暮れなずむ世界の中、彼は微笑む。

 大輪が咲き誇るように。

 

 ──薔薇みたいな男だよ──


 ──ダマスカスの薔薇(ダマスク・ローズ)みたいな美丈夫さ──



 ペトロニラの言葉に嘘はなかった。それどころかあまりに謙虚だ。

 彼の美声より、なお上回る美貌。

 あれがユーグ・ドゥレートル。

 城に巣くっている悪徳騎士たちの頭目か……!



 次回更新は未定です

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ