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うちの神様は今日も明日も働かない

 書道教室の広間に、里穂子お手製の料理が並ぶ。

「さぁさぁ、みんな座って食べていって! ケーキもあるわよぉ!」

 去年までは家族だけで祝っていた紅音の誕生日。しかし今年は例祭と重なったこともあり、明日にでも順延するかと思っていたら、この通りだ。

「紅音ちゃんに光都ちゃん以外のお友達ができるなんて! もう嬉しくてたくさん作っちゃった!」

「すごぉい! 高継さんのお母さん料理上手だね!」

「まぁ、食べていってあげてもいいけど」

 鵺退治を終え、何事のなかったかのように仕事に戻った紅音の知らぬところで琴美や彩友と仲良くなっていたらしい。

「僕も良いんデスか?」

「もちろんよぉ! クリスくんはお水も飲んでね。また熱中症で倒れるといけないから!」

 魂を戻した後、意識が回復するのに時間を要したクリストファは軽度の熱中症として里穂子に介抱された。首についたわずかな傷も、倒れた際に負った擦り傷だと思ってくれている。

「紅音、このポテサラ美味しいよ!」

「知ってるわよ」

 主役より先に食べ始めた光都に、紅音は嘆息しつつ席に着く。

「お茶もジュースもあるから、欲しい人は言ってね」

 智春が穏やかに声をかける。里穂子ほどではないが、彼も心なしか嬉しそうだった。

 やがて運ばれてきたケーキに、雪緒が代表して『16』の形の蝋燭を飾り付けてくれた。

 それをしみじみと見つめていると、梛紗と目が合う。

 彼も穏やかに笑っていた。もう紅音の命を脅かすものは何もないのだと、それこそ憑き物が落ちたように。

 紫野が失った未来を、これから紅音は歩んでいくのだ。

 けれど今この瞬間が眩しければ眩しいほどに、過去の過ちの陰が濃くなる。

 幸福を感じることに罪悪感を抱く。

 皆が歌ってくれたハッピーバースデーの歌を、素直に喜べないことが心苦しかった。



 翌朝、いつも通りに境内の掃除から一日が始まる。

「紅音、虹だ」

 西の空を指差し、梛紗が言う。朝焼けの虹だった。

「朝虹ね。雨が降るかもしれないわ」

 朝虹は雨、夕虹は晴れ。古くからの諺である。

 農作業と密接だった郷での暮らしの中、それは知識ではなく経験として知っていた。

「……お前はまだ、全部自分のせいだと思っているのか?」

 梛紗の問いに紅音は目を伏せる。そして小さく首を横に振った。

「違う、のだと思う。でも簡単には割り切れないわ」

 梛紗の力を使って自ら死に赴いた。郷の人たちを守りたい一心だったとしても、悪意により導かれたのだとしても、それは変わらない。

「でも、昨夜はあの夢を見なかったの」

 それは許されたということなのか。あるいは紅音自身が己を許しはじめた証なのか。

 わからないが、ひとつだけ気付いたことがある。

「わたし、忘れたくなかったのよ。たとえ悲しい記憶だったとしても、父上や母上たちのことを。郷で暮らした日のことを。そして――梛紗、あなたのことを」

 過去の記憶を持って生まれた。それは紫野の後悔でも罰でもない。

 強い、強い執着だった。

「あなたを忘れないために、わたしはわたしを許さずにいた」

 怒りと悲しみの記憶は、身体についた古傷のようなもの。忘れたくても忘れられない。忘れさせてくれない。

「やっぱりわたしは最低ね」

 それで梛紗が傷つくとわかっていたのに。

「だったら、俺も同じだ」

 そう言って彼は懐から古い懐紙を取り出す。

「音読してやろうか?」

「……やめてよ」

 むっと頬を膨らせた頬が熱かった。

「汀を梛紗に掛けるなんてな。見事なもんだ」

「やめてったら」

 取り上げようと伸ばした手。梛紗はそれを捕らえ、引き寄せる。

「あかねさす 紫の花 香にぞ染む 波にひちても 百歳(ももとせ)千歳(ちとせ)に――忘れてやるものか。ただの砂の一粒だろうとお前はお前しかいない」

 その句を詠んだ時、忘れてほしいと願いながら、もしも返歌があるのならと思った。

 今になってそれが叶うとは。

「俺の力がお前を死なせたことに変わりはない。それなのに俺はお前の影に縋った。どうだ、俺だって最低だろう?」

「どういう張り合い方なの、それ」

 呆れて、つい笑ってしまった。

「……やっと、笑ってくれたな」

 作り笑いでも演じた高慢さでもない、心の解れた笑みだった。

「なぁ、ところで。忘れていないなら、あの返事は?」

「あの返事?」

「ほら、あの。桜の樹の上で……」

「……いけない。そろそろ学校に行く準備をしないと。今日は月曜なのよ」

 さっと離れて紅音は梛紗に背を向けた。――あかねさす、その頬を見られたくなくて。

「今のわたしは高校生の高継紅音。この時代でそれはちょっと……早いでしょ」

「えぇ……。俺、何百年も待ってたのに」

「だったら誤差の範疇ね。せめて卒業するくらい、いや、大学も行きたいわね……お金は大事だし経済学部……」

 紅音として生きてきた中で学んだことは少なくない。この時代にはこの時代の生き方がある。

「まぁ、お前は昔から勉強が好きだったもんな」

 嘆息し、梛紗は手にした箒を支点にもたれ掛かった。

「だったら俺もただのバイトとしてここで生きるさ。縁結びも縁切りもしませぇん。ただのバイトだから」

 拗ねたように言う梛紗に、向き直る。

「まともに働かないならずっと給与も出ないしずっと住み込みのままになるけど、いい?」

 挑発じみた悪戯っぽい笑み。それに負けないくらい破顔して、梛紗は答える。

「望むところ」

 そして二人、同時に吹き出し笑う。

 卯山神社は縁結び神社。

 けれど縁切り神社と呼ばれていて。

 そこに棲む神様は、今日も明日も働かない。

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