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雪の日の出会い

 雪の降り止まない日だった。

 郷の家々は門扉を閉ざし、寒波をやり過ごそうとしている。

 飼われている鷄の声さえしない、時が止まったような郷を梛紗は山の上から眺めていた。

 人の傍に有り、けれど近づきすぎず。神として力を得てからずいぶんと経ち、最適と判断した距離感が今いるこの場所だった。

 人々の祈りには応える。けれど決して情を持つことはない。

 長い間、ずっとそうしてきた。

 そうしてきた、はずだった。

 ざく、と足音がしたのを優れた耳が聞き拾う。何かを庇うように歩く幼子の足音。雪だまりに足を取られたのか、難儀をしているようだった。転んで、また立ち上がる。

 溜め息をつき、梛紗はしめ縄の巻かれた大木の上から枝を飛び移り地面に降り立った。

 神の通力により足が雪に沈まない。雪の塊をあちこちにつけ、鼻も耳も真っ赤にした幼い少女はそれをぽかんと見上げていた。

「橇も履かずに雪山を歩くな。阿呆め」

「あなたが神様?」

 歳は五つか六つ。肌艶は良く、身なりも悪くない。捨て子などには見えなかった。

 梛紗がここに棲まう神であるとわかっているなら郷の子だろう。少女は大事そうに抱えていたものを梛紗に差し出してきた。

「この子を助けてあげて。怪我をして郷に逃げ込んできたの」

 それは小さな子うさぎだった。痛々しい咬み傷がある。息も絶え絶えで、もう半時ほども保たないように見えた。

「神様ならできるでしょう?」

 無邪気で無自覚な挑発だった。梛紗は目を細め、少女を睥睨する。

「そいつだけを助けるのか? そのちびを食い損ねた狐だか山犬も今頃は飢えてどこかで倒れているかもしれないのに?」

 言われてはじめてそのことに気付いたのか、少女は唖然として、そして俯いた。

 大人げないが、神に大人も子供もない。意趣返しができて気分が良くなった梛紗は腰を落としてしゃがみ込み、少女の顔を覗き込んだ。

 丁度、暇をしていたのだ。からかってやろうと思った。

「お前が代わりに食われるというなら、そいつを助けてやってもいいぞ」

 そう言ってやると、少女は怯んだ顔をした。きっと子うさぎなど放り出して逃げ帰るに違いない。

 ほくそ笑む梛紗に、しかし少女は毅然と対峙した。

「それでこの子を助けてくれるなら、わたしを――」

 少女の言葉は途中で遮られた。その顔を鷲掴みにするように梛紗が口を塞いだからだ。

「阿呆、滅多なことは言うんじゃない。契約になっちまうだろうが」

 焦りを隠しつつ言う梛紗に、少女はもごもごと抗議したげに呻く。顔が小さくて鼻まで塞いでしまっていた。手を離してやると、大きく息をついて不服そうに睨み上げてくる。

「あなたが条件を出すから答えたのよ」

「冗談を真に受けるな」

「神様が冗談を言うなんて思わないもの。反則よ」

 口の達者な子供だ。興が削がれ、梛紗は彼女が抱える子うさぎに視線を落とした。

 触れてみる。まだ温かい。

「まぁ、同族のよしみだ。助けてやらんこともない。――お前、生きたいか?」

 子うさぎの耳が動いた。閉じられていた目が薄く開く。黒い瞳の奥には燻るような生気が見えた。

「そうか。ならばお前は俺の眷属となれ」

 梛紗は狩衣の懐から扇を取り出す。梛の葉紋が描かれた蝙蝠扇(かわほり)だった。

 拡げた扇で子うさぎを煽ぐ。すると扇面に描かれた葉の葉脈が仄かに光り、そこから流れ出た光が糸となって子うさぎの体に絡んでいく。

 綾織りに重なった糸はやがて繭のように完全に子うさぎを覆い隠した。さらに煽ぐと繭はふわりと舞い上がる。

 目を丸くしてそれを見上げる少女に梛紗は問う。

「こいつの名は?」

「名前なんてないわ」

「だったら今考えろ。名を付け、名を呼べ。それがこいつの魂をこの世につなぎ止める糸となる」

 そう言われても咄嗟には出てこないのか、少女はじっと繭を見つめる。吹き付ける雪が大きな結晶を残したままその頬に張り付いた。

「……雪緒。雪の中で魂の緒を結んだのだから、その子は雪緒よ」

 少女の呼び声に、繭が解ける。

 まるで羽化した蝶だった。水干姿の美しい少年が雪の上にふわりと降り立つ。

 しかし明らかに人ではないとわかる。髪は白く、頭には長いうさぎの耳がついていた。

「我が名は雪緒。貴女様から頂戴したこの名をもって、主神にお仕え申し上げます」

 そう言って雪緒は跪居の姿勢を取り、少女に笑顔を向けた。けれど少女はそれよりも雪緒の耳が気になるようで、両手でさわさわと撫でる。

「お、おやめください。くすぐったいです」

「すごい。本物だ」

 温かく血の通った耳に感心した様子の少女に梛紗は呆れた声を上げる。

「偽物なわけあるか。俺にそんな趣味はない。時を経て力を得ればもっと人に近い姿を取れるようになる。――そろそろ離してやれ」

 困り果てる雪緒を見かねて梛紗は少女の手を扇で軽く叩いた。それと同時に遠くから呼び声が響く。

「紫野様ー! 紫野姫様ー!」

 これもまた幼い少女の声であった。他に大人の女の声もする。

「いけない、もう帰らないと。またね、雪緒!」

 雪緒の耳からぱっと手を離し、少女は踵を返すと雪を蹴立てて駆け出した。しかしすぐに振り返って大きく手を振る。

「ありがとう神様! ――ええっと」

「梛紗だ」

「梛紗! またね!」

 白い息を吐いて笑い、少女は前を向いて今度こそ駆け去っていく。

「……呼び捨てかよ」

 苦々しく零す梛紗だったが、少女がまた転びそうになっているのを見て再び扇を振った。その途端、積もった雪が割れて道が山の下まで繋がる。

 それが梛紗と雪緒、そして少女――紫野との出会い。

 後の世で室町時代と呼ばれる十五世紀末。摂津国(せっつのくに)の片隅で、記録にも記憶にも残らない小さな郷での出来事だった。

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