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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第九、馬良伝
559/603

四・註二、実の伴わぬ男/心を攻めるが上計

4.

良弟謖,字幼常,以荊州從事隨先主入蜀,除綿竹成都令、越雋太守。才器過人,好論軍計,丞相諸葛亮深加器異。先主臨薨謂亮曰:「馬謖言過其實,不可大用,君其察之!」亮猶謂不然,以謖為參軍,每引見談論,自晝達夜。

(訳)

馬良の弟の馬謖ばしょくは字を幼常ようじょう

荊州の従事として先主の入蜀に隨い

綿竹めんちく成都せいとの令、越巂えっしゅん太守に除された。


才覚、器量は人に過ぎ

軍略を論ずる事を好んだ。

丞相の諸葛亮は

その器量をますます重んじた。


先主は薨ずるに臨んで

諸葛亮にこう言った。


「馬謖は言葉がその実に

過ぎておるから、

重用してはならぬぞ。

君はその事を察するように」


諸葛亮はなお

妥当ではないと考え、

馬謖を参軍さんぐんに任じ

つねに引見して談論しては

昼から夜に達していた。


註2.

襄陽記曰:建興三年,亮征南中,謖送之數十里。亮曰:「雖共謀之歷年,今可更惠良規。」謖對曰:「南中恃其險遠,不服久矣,雖今日破之,明日復反耳。今公方傾國北伐以事強賊。彼知官勢內虛,其叛亦速。若殄盡遺類以除後患,既非仁者之情,且又不可倉卒也。夫用兵之道,攻心為上,攻城為下,心戰為上,兵戰為下,原公服其心而已。」亮納其策,赦孟獲以服南方。故終亮之世,南方不敢復反。

(訳)

襄陽記にいう、建興三年(225)に

諸葛亮が南中を征伐すると

馬謖はこれを数十里送った。

諸葛亮は言った。


「共に謀って年をてきたが

今、改めて良計を恵んでほしい」


馬謖は対して言った。


「南中はその険しさ、遠さを恃みとして

久しく服従していません。

今日これを破ったところで

明日にはまたそむくだけです。


今、公はまさに

国を傾けて北方を征伐し

強賊と事をかまえようと

なさっておられます。


彼らは官勢(国力)的に

内部が空虚である事を知れば

叛くのもまた迅速でありましょう。


もし遺類(残党)を殄滅して

後難を除いた場合

既に仁者の情ではなく

やはり怱卒に(平定は)できません。


そもそも用兵の道とは

心を攻める事を上とし

城を攻める事を下とし、

心の戦を上、兵の戦を下とします。

願わくば公よ、

彼らの心を屈服させますよう」


諸葛亮はその策を納れて

孟獲もうかくを赦す事で何方を帰服させた。

故に諸葛亮の治世が終わっても

何方は敢えてまた反逆しようとは

考えなかった。


(注釈)

演義だと南蛮編入るところで

馬謖が出てくるんですが

襄陽記が元ネタですね。


劉備は臨終の際に

大きな仕事を馬謖に任せないよう

諸葛亮に遺言しましたが、

諸葛亮はなおも馬謖を高く評価。


大言壮語で実質が伴わない…

と劉備に思わせてしまう

前例が何かあったのだろう。

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