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淡々三国志  作者: ンバ
蜀書第九、馬良伝
557/603

一・註一、白眉の馬良/尊兄諸葛亮

白眉馬良と登山家馬謖。

1.

馬良字季常,襄陽宜城人也。兄弟五人,並有才名,鄉里為之諺曰:「馬氏五常,白眉最良。」良眉中有白毛,故以稱之。先主領荊州,闢為從事。及先主入蜀,諸葛亮亦從後往,良留荊州,與亮書曰:「聞雒城已拔,此天祚也。尊兄應期贊世,配業光國,魄兆見矣。夫變用雅慮,審貴垂明,於以簡才,宜適其時。若乃和光悅遠,邁德天壤,使時閒於聽,世服於道,齊高妙之音,正鄭、衛之聲,並利於事,無相奪倫,此乃管弦之至,牙、曠之調也。雖非鍾期,敢不擊節!」先主闢良為左將軍掾。

(訳)

馬良ばりょうは字を季常きじょう

襄陽じょうよう宜城(ぎじょう)県の人である。


兄弟五人、揃って才覚、名声を有しており

郷里の人々はこれを諺にして

「馬氏の五常、白眉はくび最も良し」

と言った。

馬良の眉の中に白い毛があったため

こう称されたのである。


先主は荊州を領すると

召辟して従事とした。


先主が蜀へ入るに及んで

諸葛亮も後から向かう事になったが、

馬良は荊州に留まる事となり

諸葛亮に書簡を与えて言った。


「聞けば雒城らくじょうを已に抜かれたそうで

これは天祚(天のさいわい)でございます。


尊兄は期に応じて世を翼賛し

事業に当たりて国を光り輝かせ

(成功の)瑞兆があらわれております。


そも変事にはすぐれた思慮を用い

審判には明察を垂れる事を貴ぶもので、

英才を選り抜くことで

その時に適うのです。


もし才気を露わにせず、遠きを悦ばせ

天壤(天地)に徳を邁進させたなら

当代の人々は聴く所を容れ

世間は道義に帰服します。


高妙なる音を並べてていえいの声を正し

揃って役割をはたし

互いに儕倫なかま

乱す事がなくなったなら

それは管弦の至高なるものであり

伯牙はくが師曠しこうの調べにございます。


鍾子期しょうしきでないと雖も

敢えて節を撃たず(手を叩かず)に

いられましょうか」


先主は馬良を召辟して

左将軍掾とした。


註1.

臣松之以為良蓋與亮結為兄弟,或相與有親;亮年長,良故呼亮為尊兄耳。

(訳)

わたくし松之が考えるに、

馬良は恐らく諸葛亮と

兄弟の契りを結んでいたか、

或いは共通の親類がいたのであろう。


諸葛亮の方が年長であり

馬良は故に諸葛亮を

「尊兄」と呼んだのだ。


(註釈)

馬氏の五常。

襄陽の優れた五人兄弟です。


司馬懿仲達、司馬孚叔達ら

司馬の八「達」とか

夏侯淵の息子たちの「権」とか

同世代の親族の名前に

一つの漢字を使い回す事を

「字輩」などと言ったりします。


馬良と馬謖以外の三人は、

隋・唐の時代に書かれた

「荊南諸雄記」という書物に

記述があるそうです。


・長男 馬順ばじゅん伯常はくじょう

またの名を馬玄ばげん

馬良の補佐役。武陵ぶりょうの五渓蛮に

蜀に帰順するように説いた。

夷陵いりょうの戦いの前に病死。


・次男 馬統ばとう仲常ちゅうじょう

またの名を馬康ばこう

学問を好まず、武芸・狩猟・音楽に傾倒。

魏に仕えて江夏こうか太守となり、

甘寧かんねい徐盛じょせいを撃退するなど活躍する。

勇猛な性格で、

呉を攻め取る機会を常に窺っていたが

略奪を行った曹仁そうじんの家人を厳罰に処してしまい

曹仁との仲がこじれて隠遁。


・三男 馬安仁ばあんじん叔常しゅくじょう

またの名を馬津ばしん

快活な性格。詩、議論、剣術が得意で

その名声は馬良に次ぐが、

曹操と劉備の士官の誘いに応じず。

馬玄の死後、馬良の要請により

代わって補佐役となる。

夷陵の戦いにおいて馬良が戦死した後、

特攻をかけ、呉兵を斬って自決した。


ヤ○ー知○袋の情報であって

原文を見たわけじゃないんですが…


三国時代は隋唐の頃と違って

陳霸先ちんはせんとか王鎮悪おうちんあくとか

慕容ぼよう紹宗しょうそうみたいな、二字の諱は

まだ少なかったんです。


魏の江夏太守は長らく

文聘ぶんぺいが担っているはずだし、

学問を疎かにして

狩りや音楽に傾倒してる人が

孫呉と曹魏の国境という

難しいとこの調整役なんてできる?


蜀の国で「玄」なんて名も

劉備に喧嘩売ってるとしか思えない。


ぱっと見ただけでこれだけ

ツッコミポイントが浮かぶ

という事は、信憑性は薄そうです。


馬良に話を戻して、

馬良の優秀ぶりとマユ毛にちなんで

数ある優れたものの中で

最高のものを「白眉はくび」といいます。


馬良と諸葛亮はかなり仲良し。

諸葛亮のが6つ上で

「尊兄」なんて呼んじゃう。


裴松之が言うには

馬良と諸葛亮は義兄弟の契りを

結んでいた可能性があるらしく、

演義の張飛が「哥哥(兄貴)〜」と言ったり

劉備が「賢弟よ〜」って言うのと

ノリは一緒かな。


後年、諸葛亮が姜維きょういを評して

「姜伯約忠勤時事,思慮精密,考其所有,永南、季常諸人不如也。其人,涼州上士也。」


姜伯約は時事に忠勤で思慮は精密、

彼の持つ(才能)を考慮すると

永南(李劭)、季常(馬良)

といった諸人すら及ばない。

かの人こそ涼州の上士である」


李劭(益州人)

馬良(荊州人)

姜維(涼州人)

で、荊州代表の賢人として

引き合いに出してる感じ。


襄陽記の習禎しゅうてい

「名声は龐統に次ぎ、馬良以上」

と書かれてたりします。


伯牙はくが鍾子期しょうしき

「呂氏春秋」の本味篇、

「列子」の湯問篇に出てきます。


「伯牙鼓琴,鍾子期聽之,方鼓琴而志在太山,鍾子期曰:“善哉乎鼓琴,巍巍乎若太山。”少選之間,而志在流水,鍾子期又曰:“善哉乎鼓琴,湯湯乎若流水。”鍾子期死,伯牙破琴絕弦,終身不復鼓琴,以為世無足復為鼓琴者。非獨琴若此也,賢者亦然。雖有賢者,而無禮以接之,賢奚由盡忠?猶御之不善,驥不自千里也」

「伯牙善鼓琴,鍾子期善聽。伯牙鼓琴,志在登高山,鍾子期曰:「善哉!峩峩兮若泰山!」志在流水,鍾子期曰:「善哉!洋洋兮若江河!」伯牙所念,鍾子期必得之。伯牙游於泰山之陰,卒逢暴雨,止於巖下,心悲,乃援琴而鼓之,初爲霖雨之操,更造崩山之音。曲每奏,鍾子期輒窮其趣。伯牙乃舍琴而嘆曰:「善哉,善哉,子之聽夫!志想象猶吾心也。吾於何逃聲哉?」


鍾子期は伯牙の琴の演奏を

「巍々たること太山のごとし」

「湯々たること流水のごとし」

「洋々たること江河のごとし」

とベタ褒め。


伯牙がイメージしてるものが

鍾子期には必ずわかった。


鍾子期が死ぬと、

伯牙は琴を壊して弦を絶ち

(伯牙絶弦、の故事)

終身にわたって

もう二度と琴を弾かなかった。


世にはもう

琴を演奏するに足る者がいない。


琴だけがかくの如くではない、

賢者もまた同じなんだ。


賢者がおったとしても

礼を失して応接すれば

賢者がどうして忠義を尽くそう。


扱い方が悪ければ

駿馬も千里を駆けられないようなもの。


この故事から

親友のことを「知音ちいん」といいます。


師曠しこうは、「王子年拾遺記」や

「東周列国記」にありました。


師曠者,或云出於晉靈之世。以主樂官,妙辯音律,撰兵書萬篇,時人莫知其原裔,出沒難詳也。晉平公時,以陰陽之學,顯於當世。乃薰目為瞽,以絕塞眾慮。專心於星算音律,考鍾呂以定四時,無毫釐之異。春秋不記師曠出於何帝之時。曠知命欲終,乃述寶符百卷。至戰國分爭,其書滅絕矣。晉平公使師曠奏清徵,師曠曰:「清徵不如清角也。」公曰:「清角可得聞乎?」師曠曰:「君德薄,不足聽之,聽之將恐敗。」公曰:「寡人老矣,所好者音,願遂聽之。」師曠不得已而鼓。一奏之,有雲從西北方起;再奏之,大風至,大雨隨之。掣帷幕,破俎豆,墮廊瓦。坐者散走;平公恐懼,伏於廊室。晉國大旱,赤地三年,平公之身遂病。


既至晉,朝賀禮畢,平公設宴於虒祁之臺。酒酣,平公曰:「素聞衛有師涓者,善為新聲,今偕來否?」靈公起對曰:「見在臺下。」平公曰:「試為寡人召之。」靈公召師涓登臺。平公亦召師曠,相者扶至。二人於階下叩首參謁。平公賜師曠坐,即令師涓坐於曠之傍。平公問師涓曰:「近日有何新聲?」師涓奏曰:「途中適有所聞,願得琴而鼓之。」平公命左右設几,取古桐之琴,置於師涓之前。涓先將七弦調和,然後拂指而彈。纔奏數聲,平公稱善。曲未及半,師曠遽以手按琴曰:「且止。此亡國之音,不可奏也。」平公曰:「何以見之?」師曠奏曰:「殷末時,樂師名延者,與紂為靡靡之樂,紂聽之而忘倦,即此聲也。及武王伐紂,師延抱琴東走,自投於濮水之中。有好音者過此,其聲輒自水中而出。涓之途中所聞,其必在濮水之上矣。」衛靈公暗暗驚異。平公又問曰:「此前代之樂,奏之何傷?」師曠曰:「紂因淫樂,以亡其國,此不祥之音,故不可奏。」平公曰:「寡人所好者,新聲也。涓其為寡人終之。」師涓重整弦聲,備寫抑揚之態,如訴如泣。平公大悅,問師曠曰:「此曲名為何調?」師曠曰:「此所謂清商也。」平公曰:「清商固最悲乎?」師曠曰:「清商雖悲,不如清徵。」平公曰:「清徵可得而聞乎?」師曠曰:「不可。古之聽清徵者,皆有德義之君也。今君德薄,不當聽此曲。」平公曰:「寡人酷嗜新聲,子其無辭。」師曠不得已,援琴而鼓。一奏之,有玄鶴一群,自南方來,漸集於宮門之棟,數之得八雙。再奏之,其鶴飛鳴,序立於臺之階下,左右各八。三奏之,鶴延頸而鳴,舒翼而舞,音中宮商,聲達霄漢。平公鼓掌大悅,滿坐生歡,臺上臺下,觀者莫不踴躍稱奇。平公命取白玉巵,滿斟醇釀,親賜師曠,曠接而飲之。平公嘆曰:「音至清徵,無以加矣!」師曠曰:「更不如清角。」平公大驚曰:「更有加於清徵者乎?何不并使寡人聽之?」師曠曰:「清角更不比清徵,臣不敢奏也。昔者黃帝合鬼神於泰山,駕象車而御蛟龍。畢方並轄,蚩尤居前,風伯清塵,雨師灑道,虎狼前驅,鬼神後隨,螣蛇伏地,鳳凰覆上,大合鬼神,作為清角。自後君德日薄,不足以服鬼神,神人隔絕。若奏此聲,鬼神畢集,有禍無福。」平公曰:「寡人老矣!誠一聽清角,雖死不恨。」師曠固辭。平公起立,迫之再三。師曠不得已,復援琴而鼓。一奏之,有玄雲從西方而起,再奏之,狂風驟發,裂簾幙,摧俎豆,屋瓦亂飛,廊柱俱拔,頃之,疾雷一聲,大雨如注,臺下水深數尺,臺中無不沾濕。從者驚散,平公恐懼,與靈公伏於廊室之間。良久,風息雨止,從者漸集,扶攜兩君下臺而去。


長っ…

ざっと見た感じ怪異譚です。

師曠は盲人であったが

(目を焼いて…と書かれている)

優れた音感を持っていた

というのさえわかれば。


江表伝の周瑜も

「私は師曠ではないが

音の良し悪しはわかる」

的なことを言っている。


臨機応変、明瞭な判断、

優れた人の抜擢etc…で

天下が徳に帰すのを、馬良は

音楽の調和に例えている。


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